大阪市は、生野区南部地区を住宅密集市街地整備の先導的役割を果たすモデル事業として指定し、公共施設の確保や建築物の不燃化を促進するなど地区全体の防災性の向上を推進することを目指している。
事業手法としては、「住宅市街地総合整備事業」や「住宅地区改良事業」を中心に、多様な事業手法を複合的に合併施行することとしており、具体的な事業内容については地縁型団体と協働して推進している。
しかし、行政と地縁型団体との協働の過程は、多くの地元住民がそれぞれの事業に複雑な利害関係を持っているために平坦なものではなかった。
本研究では、「生野区南部地区整備事業」の事例をとおして、当地区において地縁型団体が果たした実態をふまえて、都市開発における地縁型団体と自治体の政策転換との関係について考察する。
本事例についての実証的研究から、地縁型団体は否定的な存在ではなく、住民の活動状況に応じて流動的に発展する存在であること、また、行政の側にも都市開発における住民への柔軟な対応の必要性を認識し、従来の政策を転換する姿勢が認められた。
考察の結果、まちづくりにおいて当地区の地縁型団体が試行錯誤を繰り返す過程で、画期的な成果を生み出したことが明らかになり、他地区の先進事例とは異なった形で、共同管理の主体に発展していることが示された。
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