2007 年 55 巻 3 号 p. 1092-1100
筆者はこれまで,『金光明経』の編纂意図に関して以下の仮説を提示してきた.
〈提示した仮説〉余所 (大乗・非大乗・非仏教) ですでに説かれている世・出世間両レベルの様々な教義と儀礼を, 多様な形成過程を通じて集めて説き続ける『金光明経』に基づくことで, 人々は功徳の獲得や儀礼の執行を含めた日々の宗教生活を「『金光明経』の教え」「〔大乗〕仏教の教え」に基づいて送ることができるようになる. したがって,『金光明経』に見られる, 従来の仏典では余り一般的ではなかった諸特徴は, 仏教に比べてヒンドゥーの勢力がますます強くなるグプタ期以降のインドの社会状況の中で, 仏教の価値や有用性や完備性をアピールすることで, インド宗教界に生き残ってブッダに由来する法を伝えながら自らの修行を続けていこうとした, 大乗仏教徒の生き残り策の一つのあらわれと考えることができる.
さらに,『金光明経』の編纂意図の一つが, できるだけ多くの教義と儀礼を集めることによる上記の「試み」にあるとするならば, 多段階に渡る発展を通して『金光明経』の編纂意図は一貫していたということになる. 加えて,『金光明経』は様々な教義や儀礼の雑多な寄せ集めなどではなく,『金光明経』では様々な教義や儀礼を集めること自体に意味があったということになる.
本稿では『金光明経』のうち「堅牢地神品」に焦点を当て, 引き続き〈仮説〉の検証を行った. その結果,「仏教に特有のものではなく, 世俗的でインドにおいて一般的な功徳を集めて説く「堅牢地神品」の編纂を通じて,『金光明経』の編纂者たちは『金光明経』の価値と有用性を, その時点では仏教徒ではなかった人々, 特に農業従事者たちに向けて強調した. そして伝法や修行という自らの目的を達成するため, 彼らから経済的援助を得ようと試みた」という結論を得たことで,〈仮説〉の有効性が一層確かめうれた.