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ユーザー参加型の価値を追究する新しい学会 ニコニコ学会βの試み
江渡 浩一郎
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2012 年 55 巻 7 号 p. 489-501

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著者抄録

ユーザー生成コンテンツの世界には多種多様なコンテンツが存在しており,中にはユーザーが創意工夫によって新技術を開発し,独創的なシステムを作り上げたものもある。そのような事例の中には研究として高く評価しうる内容が含まれていることもあるが,従来は研究者コミュニティーとの接点は薄く,埋もれた存在となっていた。そこで,ユーザー参加型という理念を基本とした新しい学会「ニコニコ学会β」を立ち上げ,プロフェッショナルとアマチュアが共に研究発表を行う場を作り上げた。2011年12月に第1回のシンポジウムを開催し,2012年4月には第2回のシンポジウムを開催した。本稿では,背景と理念,および開催したシンポジウムの概要について解説する。

1. はじめに

ニコニコ学会βはユーザー参加型の価値を追究するための新しい学会である。

筆者らは,2011年7月ごろから検討を始め,2011年12月6日に第1回ニコニコ学会βシンポジウム(図1),2012年4月28日・29日に第2回ニコニコ学会βシンポジウムを開催した。本学会は,名称も,対象領域も,研究手法も,従来の学会と比較してユニークである。ニコニコ学会βは,その名のとおりニコニコ動画1)に関わる研究を扱うが,そこにとどまるものではない。例えばニコニコ動画には独自のロボットやインターフェースを「作ってみた」動画が多数公開されているが,そのようなユーザーが独自に開発・研究した技術も本学会の対象である。

図1 第1回ニコニコ学会βシンポジウムの閉会式

このニコニコ学会βについて,なぜこのような活動を始めたのか,背景・目的・目標は何かという質問をいただくことがある。本稿では,その発足までの経緯を中心に,個人的な視点から振り返る。

2. ニコニコ学会βへの道

ニコニコ学会βはさまざまな人が関与して始まったため,発足の経緯を説明するのは容易ではない。ここでは発案者である筆者自身が考えてきたことについて,個人的な視点からまとめてみる。

2.1 イノベーションの背景への興味

第1回ニコニコ学会βは,「ニコニコ動画」と「初音ミク」という2つのソフトウェアへの関心が中心となっている。セッション構成でも,ニコニコ動画と初音ミクのそれぞれを作り上げてきた人にお話を聞くセッションを中心とした。ではなぜこの2つなのだろうか。

筆者は,この2つのソフトウェアには「日本発のイノベーション」という共通点があると思っている。イノベーションという用語は定義があいまいで,技術革新などと訳される場合もあるが,むしろ技術の使われ方の革新である。2つとも新しい技術を開発したというよりも,すでにある技術の新しい使い方を発見し,それをうまく社会に広めることができたというものである。

次節より,筆者の個人的な視点からニコニコ動画と初音ミクの誕生から普及までの経緯を振り返ってみる。

2.1.1 ニコニコ動画というイノベーション

ニコニコ動画が公開される以前から,筆者は戀塚昭彦氏の活動に興味を持っていた。戀塚氏はBio_100%というゲーム制作集団の一員であり,ゲームプログラマーとして有名だった。初期のパソコン通信(アスキーネット)ユーザーの1人だった筆者は,Bio_100%のゲームをよくダウンロードして遊んでいた。筆者にとってはドワンゴ社とはなによりもBio_100%のメンバーが設立した会社だった。そのようなゲームプログラマーとして知られる戀塚氏がWebサービスをデザインしたということで,2006年12月のニコニコ動画公開前から注目していた。

ゲーム制作とWebサービスとの関係に着目したのには,筆者自身がゲーム制作者だったという経緯も大きく影響している。筆者は,1991年から1992年にかけて任天堂・電通ゲームセミナーでゲームを開発しており,その成果は1993年5月に任天堂から「ジョイメカファイト」として発売された。筆者はもちろんゲーム開発に興味があったが,それだけでなく,ゲーム開発における知見をユーザーインターフェースに応用できないかと考えていた。つまり,当時からずっとゲームとインターフェースの関係について考えていた。

今の大きくなったニコニコ動画からは想像できないかもしれないが,ニコニコ動画はそもそも「ハック」注1)として始まった。初期のニコニコ動画は,動画共有システムとしてYouTubeをそのまま使い,その上にコメントインターフェースを被せるシステムだった。ちょっとした工夫で動画を見る体験が変化し,楽しい経験になることにユーザーは驚いた。このような既存の技術に少しだけ手を加えて新しい価値を作り出そうとする試みに,筆者は共感していた。ここで作られたインターフェース上の工夫は,濱野智史『アーキテクチャの生態系』2)に詳しい。

しかし,稼働後しばらくしてニコニコ動画はYouTubeからアクセスを遮断され,運営停止の危機にさらされる。結果として,ドワンゴは動画共有システムをゼロから作ることを選んだ。しかしこれは必ずしも悪いことではなかったのではないか。楽園からの追放は,ユーザーに強い一体感を抱かせる結果となった。その後,ニコニコ動画は急速に発展,普及していくこととなった。

2008年11月,筆者は情報処理学会ヒューマンコンピュータインタラクション研究会(SIGHCI)の運営委員として,戀塚昭彦氏の招待講演を企画した注2)。戀塚氏は,ニコニコ動画のコメントの表示方法,入力方法などの細かい工夫の積み重ねによって,コメントが安定して同じ挙動で画面に表示されるようにし,またある場面では弾幕といってコメントが画面を覆うような設計としていた。これはゲーム的な手法でインターフェースを作り上げていたということで,やはりゲーム開発者だったという経緯がインターフェースの設計に影響を与えていたことがわかった。

その後,ニコニコ動画は当初の予想をはるかに超えて普及し,多くの研究者の関心を集めるようになる。例えば,濱野智史氏は前述の『アーキテクチャの生態系』でWebサービスのあり方を「アーキテクチャ」という観点で分析し,ニコニコ動画を「擬似同期」や「N次創作」という新しい概念で説明した。産業技術総合研究所(産総研)の濱崎雅弘氏は,ニコニコ動画における協調的創造活動をネットワーク分析した3)。明治大学の宮下芳明氏は,ニコニコ動画のコメントから動画の盛り上がりを抽出する研究を行っている4)

このようにニコニコ動画に関係する研究が広がり,研究分野として立ち上がりうるような盛り上がりを感じていた。その中でも特に筆者の興味は,ニコニコ動画がどのようにして立ち上がったのか,という点にあった。

2.1.2 初音ミクというイノベーション

「初音ミク」とは,人間が歌うような音声を合成するソフトウェアである。ニコニコ動画のようなWebサービスではないし,インターフェース上の工夫もあまり見られない。ではなぜ初音ミクに注目していたのか。

2001年,筆者は「くまうた」というゲームの開発に関わっていた。くまうたは,仮想のキャラクターである白いクマに演歌を教えるというゲームである。プレイヤーは引退した元演歌歌手という設定で,クマが自動作詩エンジンで演歌を作詩してくるので,それを添削して完成へと導く。歌詞が完成したら,クマは実際にそれを演歌として歌ってくれる。筆者はこのゲームの自動作曲エンジンの実装を担当していた。歌詞は自動作詩でさまざまに作られるので,どんな歌詞が来ても演歌として破綻なく歌う工夫が求められた。このゲームは自動作詩,自動作曲,音声合成といった,自然言語処理,音声技術を応用したゲームだった。

2001年当時の音声合成技術のクオリティーはあまり高くなかった。歌声といっても「誰かが何かを歌っている」という感じにしかならなかった。リアルな人が歌っていることにすると,歌声にリアリティーがないので奇妙に感じられてしまう。シロクマが歌っているという設定にしたのは,そのような事情もあったのだ。

筆者はこの開発への参加をきっかけとして音声技術の応用について興味を持ち,アートやエンターテインメントへの応用を調べた結果をまとめている5)。このような事情から,筆者は音声合成技術の動向に注目していた。

くまうたは,2003年11月に株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントから発売された。残念ながらそれほど大きな売上にはならなかったが,一部のユーザーにカルト的な人気を博した。その後2007年に,くまうたは人気が復活し,オークションで定価の数倍の値段で取り引きされるような人気ソフトとなった。くまうたは,ニコニコ動画上のコンテンツとして突如人気が出てきたのである。

そして,2007年8月,「初音ミク」(クリプトン・フューチャー・メディア株式会社)が発売される6)。初音ミクは要するに楽器ソフトである。技術的にはシーケンサーとシンセサイザーの組であり,音程と音節の組を入力すると音声ファイルが生成される。音程付きの音声合成ソフトとも言えるが,平たくいうと「歌をうたわせられるソフト」である。

実は「初音ミク」はボーカロイドの最初の製品ではない。2003年2月に,ヤマハ株式会社はボーカロイド(VOCALOID)という技術を開発した。従来の音声合成は,比較的少数の音声サンプルから多様な音声を自動生成する手法である。ボーカロイドは,それとは異なり,元となる音声ファイルを大量に保有し,それをできるだけ加工しないでつなげて音声合成するという手法を採用している。これにより,従来は実現できなかったリアリティーの高い歌声が合成できるが,欠点として音声合成の元となる音声ファイルが大量に必要となる。ボーカロイドの最初の商品として2004年11月に「MEIKO」,2006年2月に「KAITO」が販売されたが,大ヒットとはならなかった。2007年1月にヤマハはVOCALOID2という技術を公開し,さらに精度の高い歌声の合成を可能にした。初音ミクはVOCALOID2を採用した初めてのソフトである。

初音ミクはいくつかの点で従来のソフトと異なっていた。まず,元となる声を提供する人として歌手ではなく声優(藤田咲)を起用した。そのため,アニメの登場人物のような透き通った声となった。また,初音ミクというキャラクターの意味づけである。初音ミクは,独特の意味づけがなされており,キャラクターそのものに価値を感じるように設計されていた。要するに「キャラが立っていた」わけである。

初音ミクは発売直後から人気が出て,初音ミクを使って作った楽曲が多数作曲された。その多くはニコニコ動画上で公開され,ニコニコ動画の特徴であるコメントによって作者に感想がフィードバックされ,そこでプラスのフィードバックループが形成されていた。初音ミクは単に楽曲への影響だけでなく,そのキャラクターを使った画像や動画が多数登場した。現在につながるような,ユーザーによる動画コンテンツ創作の生態系が,この時点で始まったのである。

2008年5月に,情報処理学会音楽情報科学研究会(SIGMUS)でクリプトン・フューチャー・メディア株式会社の佐々木渉(wat)氏の招待講演が企画された7)。wat氏は上記の初音ミク制作における中心人物である。彼はサウンドアートなど音を使ったアートへの造詣が深く,そのような音を使った新しい音楽表現から受けた影響が初音ミクに反映されていたのだった。

ちなみに,初音ミク発売直後の2007年9月に,くまうたを使って作られた動画「我は萌えに屈せず」が公開されている8)。音声合成技術をエンターテインメントに応用するのはくまうたの方が4年も先行していると主張する内容であり,くまうた関係者の胸の内を代弁した内容となっている。

このように,筆者はコニコ動画,初音ミク共にその誕生から流行,一般化への流れをずっと見てきた。そのため,その背後にある細かい配慮・工夫を一般の人よりは理解していると思う。そのような活動の背景が世の中でもっと知られるべきだし,願わくはその結果としてニコニコ動画や初音ミクのような製品がもっと世に出て,世界に広がっていくとうれしいと思っている。そのために,そのような活動領域を,研究対象として力を入れていくべきなのではないかと考えていた。

何か新しい技術を作り出したからといって,それがすぐに世の中を変えるとは限らない。むしろ,技術だけでは何も変わらないことの方が多いだろう。しかし,「世の中を変えようとしなかったら,いつまでたっても変わらない」のもまた事実である。新しい技術を開発し,それを元に人々に受け入れやすくするために細かな工夫を積み上げ,それによって最終的に大きなインパクトを与える。筆者は,ニコニコ動画と初音ミクにはそのような共通点があるように思っており,その工夫の背景を一般の人に伝えたいと考えていた。

2.2 ニコニコ学会βの発足

2.2.1 ユーザー参加型の学会

実際にニコニコ学会βの検討を開始したのは,2011年7月ごろである。ドワンゴの関係者の方とゆっくりお話しする機会があり,そこで筆者はドワンゴとして研究活動を支援することには興味があるかどうか聞いてみた。前述のようにニコニコ動画に関わる研究が多数行われるようになってきており,その観点からドワンゴに研究開発を支援していただくのは有意義ではないかと考えていた。非常にポジティブなお返事をいただき,産学連携に経験豊富なアカデミック・リソース・ガイド株式会社(ARG)の岡本真氏と一緒に具体的な検討を開始することになった。

この時点ではまだどのような活動にするかのイメージはばらばらだった。まず,ニコニコ動画やそれに関わる研究を対象とする研究会にする案が出発点だった。確かにニコニコ動画は巨大であり研究領域になりうるだろう。しかし,筆者は前述の初音ミクのようなコンテンツにも興味があり,そのような領域も対象にしたいと思っていた。とはいえ,ニコニコ動画は,動画共有サイト,初音ミクは音声合成アプリと,まったく違う技術分野である。筆者はその両者を結びつけるような何かを対象にしたいと考えていた。

新しい活動を始めるには,コアとなるアイデアが必要である。そのコアとなるアイデアはできるだけ焦点を絞っている必要がある。対象の幅を広げることと焦点を絞ることは相反する要求である。

では,両者における共通点とは何だろうか。当初は,上記のような日本発のイノベーションという共通点をテーマとした学会にする案を検討していた。しかし,イノベーションをテーマとする学会というのはあまりに幅が狭い。これでは参加できる人が限られてしまうだろうという懸念があった。

議論を続けた結果,ニコニコ動画と初音ミクにはどちらも「ユーザー参加型」という共通点があることに気づいた。ニコニコ動画は動画を投稿する人と視聴者とを含めた巨大な交流の場である。動画投稿者を含めて,視聴者もコメント投稿者もすべてユーザーとして参加しており,Webサイト全体がユーザー参加型で構成されている。初音ミクはアプリケーションであり,直接のユーザーはそのアプリを購入した人に限られているが,初音ミクは全体として,音楽,画像,動画などさまざまなコンテンツをユーザーが持ち寄って新しいコンテンツを作り上げる創作環境となっている。ユーザー参加型によって新しいコンテンツが作られ,生態系全体がユーザー参加型で駆動されている。この点で両者は共通しており,共存している。

そこで,ユーザー参加型という視点を中心として研究会を立ち上げるといいのではないかと考えた。研究会の運営や発表をユーザー参加型にするというだけの意味ではなく,ユーザー参加型の価値そのものを研究対象にする。これによって,ユーザー参加型でコンテンツが作られるメカニズムを支援したい。つまり「ユーザー参加型のユーザー参加型によるユーザー参加型のための学会」を立ち上げようと考えたのだった。

2011年8月に,ニコニコ学会βの提案をまとめた。この時点でユーザー参加型の価値を追究するための新しい学会という方向で趣旨は固まっていた。また,ニコニコ研究会という任意団体が主催することとし,ユーザー参加型の価値に興味のある人は,企業でも個人でも誰でも参加できることとした。その中でも中心的なスポンサーとしてドワンゴ社に支援をお願いすることとした。このようなユーザー参加型をテーマにするには,研究者が主導して組織を運営することが必須だと考えたからだ。この提案を快く受けてくださり,この枠組みで進んでいくこととなった。

2.2.2 ニコニコ学会βという名前

名称についてもさまざまな議論があった。まず「ニコニコ」という単語を残すかどうか。「ユーザー参加型」が焦点なのであれば,それを反映した名前にするのがいいのではという意見も多数いただいた。最終的には,筆者は「ニコニコ」を残すべきと考えた。

そもそも,ニコニコ動画にはなぜ「ニコニコ」という名前がついているのだろうか。実際,その機能や技術的特徴と「ニコニコ」という単語には何の関係もない。それでもそこに何か感じとれることがあったからこそニコニコ動画という名前をつけたのだろうし,多くのユーザーはそれを良い名前だと受け取ったのだろう。筆者はそれは「言霊(ことだま)の力」なのだと思った。そのため,筆者はあえてその前例を踏襲し,ニコニコ動画のように人に愛される研究会にしたいと思って,ニコニコ動画から直接名前をお借りすることにした。

また「学会」という呼び名は大げさではないかという意見もあった。たしかにその通りである。筆者らは従来の学会のように権威になろうとするつもりはない。とはいえ「ニコニコ」+「学会」という連結は,多くの人が面白いと支持していた。そこで少し語感を弱めて,「(仮)」や「(β)」をつける案が出た。実際ニコニコ動画が「ニコニコ動画(仮)」「ニコニコ動画(β)」と変わっていったので,それに倣うのはいい案である。最終的には括弧を外して「ニコニコ学会β」という名称を選択した注3)

また,東浩紀氏が編集長を務める思想誌『思想地図β』からの影響もある。東氏は,この新しい思想誌を創刊するにあたって自分で新しい出版社を立ち上げている。このような活動に勇気づけられて,筆者は今回新しい学会を立ち上げるという活動に取り組むことができた。この場を借りて感謝の意を伝えたい。

2.2.3 ニコニコ宣言からニコニコ学会βマニフェストへ

ニコニコ学会βの理念を考える上で大きく参考にしたのが「ニコニコ宣言」である。ニコニコ動画が開始した約半年後の2007年6月に公開されている。以下,ニコニコ宣言の第一宣言の一部分を引用する。

第一宣言 ニコニコは無機的な集合知ではなく人間のような感情を備えた集合知を目指します

⋯いまのネットが目指している多くの集合知とは,個々の人間の労力や行動を部品として機械的に収集して構成されます。⋯われわれは⋯等身大の人間そのものの姿を投影した集合知をつくることを目標とします。⋯そんな人間的な暖かさをもつ集合知が人間と共存するような未来のネット社会を目指します9)

筆者は,研究者としてソーシャルメディアやWikiの研究,つまり集合知研究に取り組んでいる。集合知研究にはいろいろな種類があり,ブログやツイッターなどから特定の傾向を抽出するという研究が現在の主流の1つとなっている。それらの研究は,情報共有基盤としてすでにブログやツイッターが存在していることを前提としている。筆者はブログやツイッターを作り上げるような研究をしたいと考えていた。つまり,人々が自分の思考や感情を表出し共有できるような環境を作りたい,集合知を作り上げるような研究を進めたいと考えていた。

ニコニコ宣言の第一宣言は,まさに筆者が考えていたのと同じようなことが書かれていると思った。実際ニコニコ動画は,人々が簡単にコメントを付けられるように工夫されている。動画の上をコメントが流れるという表現もその工夫の一例である。そのようにして「人間のような感情を備えた集合知」を目指していることに強く共感していた。

ニコニコ学会βを立ち上げるにあたって,筆者はニコニコ研究会を代表して「ニコニコ学会βとは」という文章を書いている10)。この文章は,上記のニコニコ宣言の影響の元に書かれている。筆者がニコニコ学会βを通じて伝えたいと考えていたことは,この文章にまとめているので,ぜひ参照していただければと思っている。

3. 第1回ニコニコ学会βシンポジウム

第1回ニコニコ学会βシンポジウムは,2011年12月6日(火)に六本木ニコファーレ11)で開催された。発表は7時間半にわたり,すべてニコニコ生放送で中継された。当時の動画は今でもニコニコ生放送上で無償で見ることができる12)。中継の総視聴者は114,097人,総コメント数は88,237件であり,学術関係のイベントとしては異例の多数の視聴者に見ていただくことができた。コメント内容も好意的なものが多く,視聴者アンケートでは「とても良かった」と「まぁまぁ良かった」の合計が98.2%と,非常に高い評価をいただくことができた注4)

また,このシンポジウムの内容をまとめた書籍『ニコニコ学会βを研究してみた』13)も出版した。こちらはシンポジウムの対談や発表の内容に加え,先生方へのインタビューや独自の解説をつけ加え,より深く知ることができるようにした。

当日の発表は,5つのセッションから構成された。以下,それぞれのセッションについて解説する。

3.1 第1セッション「作るを作る」

第1セッションは,株式会社ドワンゴ代表取締役会長の川上量生氏とチームラボ株式会社代表の猪子寿之氏による対談であり,筆者が進行を務めた(図2)。セッション名の「作るを作る」とは「創造的なものづくりを続けられるような環境を整備する」という意味である。

図2 第1セッション「作るを作る」

ドワンゴとチームラボは,どちらもいわゆるIT系企業だが,ITの枠をはみ出した独創的な製品を生み出すことで知られている。いかにしてそのようなものづくりができる環境を作り上げたのか。また両社は創造性の溢れる社員が多数参画しているという点が共通している。なぜこれほど創造的な人々が両社に惹きつけられるのか。普段聞くことができない組織運営を進めるにあたっての秘訣をうかがった。

3.2 第2セッション「作るアーキテクチャを作る」

第2セッションは「作るアーキテクチャを作る」と題して,クリプトン・フューチャー・メディア株式会社社長の伊藤博之氏,株式会社ドワンゴのエンジニアでありニコニコ動画の生みの親である戀塚昭彦氏,情報環境研究者の濱野智史氏による発表および鼎談を行った(図3)。

図3 第2セッション「作るアーキテクチャを作る」

このセッションの背景には,憲法学者のローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig)が『CODE』14)で提唱した「アーキテクチャ」という概念がある15)。近年のインターネットによる情報環境ではさまざまな環境がソフトウェアによって規定されるようになってきている。従来の法律のように人間が解釈して実行する環境では,人的資源の制約や解釈のゆらぎからあいまいな領域が残されていたが,ソフトウェアとして環境が規定されるようになると,その制約は普通の方法では乗り越えられない強い制約となる。このようなソフトウェアによって規定される強い制約条件のことをレッシグはアーキテクチャと呼び,この状況下では意図的にソフトウェアの制約条件を緩めるような法整備を行うべきだと主張し,大きな話題を呼んだ。

『アーキテクチャの生態系』の著者である濱野氏と,筆者,木原民雄氏,中西泰人氏は,共に「創造するアーキテクチャ」というシンポジウムシリーズを企画している。「創造するアーキテクチャ」とは,人々に創造性を発揮させるよう促すアーキテクチャを意味している。レッシグはアーキテクチャを人々の行動を抑える(マイナス方向に制約する)役割としてとらえているが,筆者らは人々の行動を促進する(プラス方向に制約する)アーキテクチャも想定できるのではないかと考えた。そこから,創造性を支援するアーキテクチャを「創造するアーキテクチャ」と呼び,その条件についてずっと議論を重ねてきた。これまでに5回のシンポジウムを開催しているが,第2セッションはその発展形だと言える。

伊藤氏が代表を務めるクリプトン・フューチャー・メディア株式会社は初音ミクをリリースした会社である。同社は同時に「ピアプロ」という,ネット上での共同創作を促すために,素材を共有するWebサイトを運営している16)。初音ミクブームの初期にピアプロを立ち上げ,また初音ミクの利用に関して「ピアプロ・キャラクター・ライセンス」17)を制定し,人々が初音ミクに関わる音楽・画像・動画を創造的に再利用することを促す活動をした。このような創造性を支えるWebサービスや法的環境を整備したからこそ,現在のような初音ミクブームが育ったのである。伊藤氏からは,そのような背景について聞かせていただいた。

戀塚氏は,前述のようにニコニコ動画の開発者であり,ニコニコ動画を3日間で作り上げたという伝説で知られている18)。戀塚氏は現在も,ニコニコ動画開発総指揮として開発に関わり続けている。今回は最近行ったコメント機能の改良について発表していただいた。ニコニコ動画はコメントによるフィードバックを重視しており,適切なコメントによって動画制作者がよかったと思えるような視聴環境を作ることを大切にしている。そのため,不適切なコメントを見えないようにする機能を導入しており,さまざまな工夫でうまく動くようになったという発表だった。

2人の発表から,システムの細かい工夫によって利用者の環境を変え,創造性を促すアーキテクチャが可能になっていることがわかり,初音ミクとニコニコ動画の興味深い裏側を知ることができた。

3.3 第3セッション「研究100連発」

第3セッションでは,ユーザーに向けて「研究とは何か」を伝える役割として,5人の研究者が20件ずつ,合計100件の研究発表をする「研究100連発」を実施した。発表者は,東京大学大学院教授の五十嵐健夫氏,明治大学准教授の宮下芳明氏,京都大学大学院特定准教授の中村聡史氏,お茶の水女子大学特任助教の塚田浩二氏,東京大学大学院教授の暦本純一氏である。進行は科学技術振興機構研究員の橋本直氏が務めた。

発表は全部で90分,1研究紹介が1分以下である。通常であれば考えられないほど超高速の発表である。各々の研究者の発表はいずれもバラエティ豊かであり,このように20件を連続でまとめて発表すると,それぞれの研究者を貫く軸が見えてくる。この点は参加した他の研究者にも特に好評だった。

このセッションの発想の元となったものは,五十嵐氏がWISS(Workshop on Interactive Systems and Software)注5)のナイトセッションで行った「研究100連発」である。これは五十嵐氏がこれまでにしてきた研究を100件,続けて発表するというものだった。この発表があまりにも面白く,この形式を参考に5人の研究者が発表する仕組みへと発展させたのが今回のセッションである。このような経緯から,トップバッターは五十嵐氏に依頼することにした。

3.4 第4セッション「未来世紀のピアピア動画」

第4セッションは,産総研の後藤真孝氏,ボーカロイドの生みの親であるヤマハ株式会社の剣持秀樹氏,SF作家の野尻抱介氏の発表と鼎談を企画した。このセッションの企画と進行は明治大学理工学部特任准教授の福地健太郎氏が務めた(図4)。

図4 第4セッション「未来世紀のピアピア動画」

ここでは野尻氏による「ピアピア動画」というSF小説シリーズが中心的な話題となった19)。「ピアピア動画」はニコニコ動画をもじってつけた名前で,現実世界のニコニコ動画や初音ミクを空想の世界で発展させた近未来を描いたSF小説である。この世界では,主要な登場人物として,なんと「産総研の後藤」が登場する。小説中の後藤氏も歌声情報処理の専門家であり,つまり現実世界と同じなのである。ここでは名前すら変えていない。このように,現実世界で起きていることをモチーフとして借りながらも,想像力を飛躍させて,どのような未来社会が誕生するのかを描いている。

現在起きていることの1つはユーザーによるものづくりである。これはMITのニール・ガーシェンフェルド教授(Neil Gershenfeld)が提唱した「パーソナル・ファブリケーション」20)という概念で,製造機械の小型化・低価格化から個人によるものづくりが可能になるという趣旨である。この概念に基づき,世界各地にFabLabと呼ばれるものづくりの拠点が作られ,流行が始まっている21)。ピアピア動画では,そのようなユーザーによるものづくりが発展した夢のある近未来を描くことに成功している。

この小説の著者である野尻氏と,小説の登場人物となった後藤氏とが同じセッションに登壇し,対話する。これが本セッションで実現したかったことである。後藤氏は,自身の研究紹介とともに,ニコニコ動画や初音ミクを活用して研究を推進することの魅力について語った。また,ヤマハ株式会社の剣持氏は,ボーカロイドという技術の生みの親である。この技術があったからこそ初音ミクというソフトウェアが可能になったのだ。剣持氏は,今後のボーカロイドの展開について解説した。

3.5 第5セッション「研究してみたマッドネス」

最後の第5セッションは,本シンポジウムのハイライトであり,公募で集められた23人の発表者が,1人3分で発表を行う「研究してみたマッドネス」である。ここで発表者を「野生の研究者」と呼んでいるが,単にアマチュアの研究者という意味ではなく,「研究してみた」と思っている人なら誰でも発表していいとした。研究領域は多種多様であり,ロボット,AR(拡張現実)などのインターフェース,データ解析,音楽,動画などさまざまな分野に及んだ。

このようなセッションを実現するためには,ニコニコ動画で面白い研究をしている人との深いつながりが必要になる。筆者1人では実現できないと考え,東京藝術大学准教授でありメディアアーティストの八谷和彦氏注6)に協力を依頼した。

23件の発表のうち,審査員賞が3件選ばれ,そこから視聴者アンケートで1件の「野生の研究者大賞2011」が選ばれた。大賞に選ばれたのは吉崎航氏だった。彼はこの日に合わせて,現在製作中の4メートルの大きさの搭乗可能なロボット「KURATAS(クラタス)」の動画を世界初公開した。実物大ボトムズなどを制作したことで有名だった倉田光吾郎氏は,搭乗可能なロボットの制作に挑戦するにあたり,ロボット制御技術の担当を吉崎氏に依頼した。吉崎氏はこれまでニコニコ動画でロボット制御技術に関する動画を公開しており,その中核となるのが「V-Sido(ブシドー)」22)という技術である。ニコニコ動画がつなげたクリエイター同士の交流が,クラタスを可能にした。

この後に,「発表者交流会」という名の懇親会が続いた。第5セッションで発表した野生の研究者たちを中心とし,研究について語り合う交流の場となった。

4. 第2回ニコニコ学会βシンポジウム

第2回ニコニコ学会βシンポジウムは2012年4月28日・29日に開催された。現時点ではまだその残務処理中であり,本稿では概略のみ述べることにする。第2回はニコニコ超会議という大規模なユーザー参加型イベントの一環として開催された。ニコニコ超会議は,「ニコニコ動画のすべて(だいたい)を地上に再現する」というコンセプトのもと,技術部,料理,政治討論,描いてみた,踊ってみた,歌ってみた,ゲームなどといったニコニコ動画の人気ジャンルをほぼ網羅しており,その人気ブースの騒然とした雰囲気の中,ひっそりと学術イベントを開催するという異例の展開となった。

第2回は2日間,全8セッションで開催した。第1回でも導入していたが,第2回ではセッション座長制を徹底的に導入しており,人選,セッション名,コンセプト,進行をすべて1人の座長に担当していただくことにした。つまりそれぞれのセッションごとに座長が責任を負い,独立したイベントのように構成した。これは筆者がシンポジウムそのものをニコニコ動画のように構成したいと考えたからである。ニコニコ動画が多種多様な動画から構成されるのと同じうように,シンポジウム中に多種多様なセッションが含まれるように構成した。

発表は,プロフェッショナルと野生の総勢60名以上の研究者が,ロボット,メカ,コメントアートなどさまざまな領域にわたる議論を展開した。下記にセッション名の一覧を掲載する。また,シンポジウムに加えてポスターセッションを開催した。発表形式になじまないデモや未完成のシステムも展示されており,来場者と野生の研究者との交流を実現できた。

  • 第1セッション「ロボット作ってみた・使ってみた・使われてみた」
  • 第2セッション「第2回・研究100連発」
  • 第3セッション「研究してみたマッドネス メカの部」
  • 第4セッション「燃える男の未来の乗り物」
  • 第5セッション「イノベーションと社会規範」
  • 第6セッション「コメントアート」
  • 第7セッション「研究してみたマッドネス ネットの部」
  • 第8セッション「未来の社会のための,未来の“超”システム」

前回と同様にニコニコ生放送ですべて中継され,その記録は現在も無償で見ることができる23),24)。総視聴者数は2日間で合計81,489人,総コメント数は24,490件と,前回同様多数の視聴者に見ていただくことができた。

5. おわりに

本稿では特にニコニコ学会β発足までに直接的に受けた影響について記述したが,これだけではない。筆者がこれまでに体験してきたさまざまな事柄が影響している。例えば,花森安治による『暮しの手帖』,フランク・オッペンハイマーによるエクスプロラトリアム,蔡国強による「農民ダ・ヴィンチ」展などから受けた影響も大きい。また場を改めて書きたいと思っている。

「ニコニコ学会βとは」で書いたが,この活動は5年の時限付きと考えている。その後の展開は未定である。学会は長く続く方がいいと言われる中,あえて自ら時限を設けたのは,5年後には当初の前提だったことも変化しているだろうと思ったからだ。

その間ニコニコ学会βとして取り組んでみたいことはいくつもあるが,その1つをあげるとすれば,「国際化」である。本文で述べたように,筆者は日本発のイノベーションに興味を持っている。日本独自の発明は,時にはガラパゴスとも揶揄されることもあるが,日本の枠を超えて世界に展開することもある。すでに初音ミクは世界展開を開始しているが,ニコニコ動画も同様に世界に展開しうるシステムだと思っている。ニコニコ学会βのような日本独自の文化を背景とした学会を,どうすれば世界へ展開させられるか。挑戦してみたいと考えている。

現在,第3回ニコニコ学会βの準備を進めている。また,関係者で合宿形式で未来について語り合う場として,ニコニコ学会β合宿を開催した。もうあと4年くらいだが,ニコニコ学会βを開催し続け,未来を切り開く場としての学会の価値を追究していければと思っている。

謝辞

ニコニコ学会βを支えていただいた顧問の竹内郁雄先生,委員・発起人のみなさま,個人スポンサー,法人スポンサーのみなさまに感謝の意を表します。

本文の注
注1)  「ハック」とは,システムをちょっとした工夫で大きく改善したり,不可能だったことを可能にする行為を意味している。この言葉が語源となり,ハッカーという言葉が生まれている。

注2)  2008年11月6(木),7日(金)「第130回情報処理学会ヒューマンコンピュータインタラクション研究会」にて戀塚昭彦招待講演「ニコニコ・インタラクション」を企画。http://archive.sighci.jp/www.sighci.jp/2008/11/200811061000.html

注3)  ニコニコ動画を運営する株式会社ニワンゴの許可のもと,使用させていただいている。

注4)  とても良かった:89.9%,まぁまぁ良かった:8.3%,あまり良くなかった:0.7%,良くなかった:1.1%

注5)  WISSはユーザーインターフェースについて議論する宿泊形式のワークショップである。研究者が夜通し議論をすることで,非常に深い議論ができる。特に今年開催されるWISS2012は,プログラム委員長が五十嵐健夫氏,運営委員長が筆者(江渡浩一郎)である。インターフェース系の研究に興味のある方はぜひ参加してみてほしい。http://www.wiss.org/

注6)  八谷氏は3331 Arts Chiyodaというアートセンターで「エクストリームDIY」という展覧会を開催している(http://www.3331.jp/schedule/000070.html)。これは,ニコニコ動画にアップされている動画からエクストリーム(極端)なものづくりを行っているユーザーを選び,実物を展示してもらう展覧会である。

参考文献
 
© 2012 Japan Science and Technology Agency
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