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視点
視点 くまのプーさん:新たなる旅立ち
福井 健策
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2017 年 60 巻 2 号 p. 128-131

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本稿の著作権は著者が保持し,表示 - 改変禁止 3.0 非移植(CC BY-ND 3.0)ライセンスの下に提供する。

Xデー5月21日

5月である。くまのプーさんの季節だ。なぜかといえばついに今月,この世界的キャラクターの日本での著作権が切れる。

著作権には保護期間というものがあり,それが終了すれば以後は誰でも自由に利用できる。いわば,作品は社会の共有財産になるのだ。この状態を「パブリック・ドメイン」(PD)という。日本法では,期間の原則は「著作者の生前全期間及び死亡の翌年から50年」である(団体名義の作品などは公表後50年)。ではプーさんはというと,作者のA.A.ミルンは1956年死亡。よって,本来であれば50年後の2006年末に保護は終了していたことになる。

ところがここでもう一つ,「戦時加算」注1)という厄介なルールが登場する。これは何かといえば,戦前および戦中の連合国の作品は,日本での保護期間に戦争期間分が上乗せされるのだ。連合国なので米国・英国・フランスなど。「戦争中日本では連合国の作品の権利を守っていなかった」ということで,サンフランシスコ講和条約上の義務として一方的に加算を約束しているのである。「なぜ日本だけが」と撤廃論も根強いが,何せ講和条約なのでそう簡単にはなくならない。プーのような戦前の作品の場合,加算期間は最大の3,794日(10年5か月弱)。よって,その保護は2006年末にこの日数を加算した,2017年5月21日いっぱいで切れることになりそうだ。

「くまのプーさん」の新訳出版ばかりか,映像化・舞台化など二次創作も(人格権に配慮すれば)原則解禁である。現に,「星の王子さま」の保護期間切れの際には新訳出版ブームが起きたし,一足先の2016年にPD入りした江戸川乱歩と谷崎潤一郎はすでに電子書籍化などが相次いでいる。

TPPと保護期間延長論

もっとも,この解禁は実に微妙な情勢だった。何かといえばあのTPPである。プーとTPP? 意外な取り合わせだが,実はTPPには米国の強い要求で,「著作権期間の20年大幅延長」が組み込まれていた。米国は言わずと知れたコンテンツ・知的財産の大輸出国だ。年間14.3兆円もの外貨を,著作権と特許の使用料収入だけで稼ぎ出している(世銀2015年)。無論最も多いのはソフトウェアのような新しい作品だが,ミッキーマウスやスーパーマン・バットマン,そしてクリスマスソングのような古いスタンダードナンバーも多い。今やかのディズニーが原作を含めて著作権を管理する「くまのプーさん」は,アニメ版を含めて世界的に年間数千億円のキャラクター収入をいまだに稼ぎ出しているといわれる稼ぎ頭だ(Forbes他)。

その保護期間が世界的に延びれば,当然米国の外貨収入も増える。いや,それ以上に,著作権が続いているということは,どの国のエンターテインメント企業や各種産業も,米国の権利元の許可を得なければ作品を使えない。つまりライセンス契約を交わす。当然そこにはさまざまな拘束条件が付くので,権利が続くということはいわばビジネスをコントロールできるのだ。著作権と特許は米国のソフトパワーの源泉であり,よってUSTR(米国通商代表部)は伝統的に,世界的な知財強化の輸出に極めて熱心だった。

巻き起こった激論

しかしこの保護期間の延長は,「著作権侵害の非親告罪化」といった米国の他の要求とともに,日本では2011年頃から激論を招いた。なぜか。一つには日米の利害が真逆だった。当初は,「日本も知財立国だから保護期間は欧米並みがよいに決まってる。賛成!」といったやや能天気な意見も一部にあった。だが現実は違う。日本は特許では確かに輸出国だが,コンテンツ・著作権では大輸入国だ。著作権使用料の国際収支,つまり海外に払う使用料と海外から受け取る使用料の差額は年間7,500億円(日銀2015年)にも及ぶ赤字で,しかも拡大基調である。さらに,日本が海外から受け取る使用料はアニメ・マンガ・ゲーム等が中心で基本的に新しい作品ばかりだ。古い作品ではほぼ稼いでいないので,保護期間を延ばしても収入増は見込めず,単に民間の支払いと契約の負担が増えるばかりなのだ。

そして,恐らくそれ以上に本質的な理由は,「パブリック・ドメインの価値」だった。著作権の期間は,歴史の中でどんどん延びてきた。それは300年前に英国で誕生したときには「公開から14年」の保護にしかすぎなかったが延長が繰り返され,今や欧米は「死後70年」が多い。生前を平均40年とみれば合計110年。特許の20年をはるかに上回り,誕生時から6~7倍に長期化したことになる。

無論,いくら延びても権利者から許可をもらえば使える。しかし,実はこれが見つからない。著作権は死後相続され,原則として相続人全員の共有になるが,作品の利用にはその全員の同意が必要だ。死後70年ならば著者のひ孫の代まで権利は続くことになるが,そんな人々をどうやって捜し出すか想像がつくだろうか。有名作家なら何とかなるだろう。しかし,世の中のほとんどの作品は,残念ながらそこまで市場で長命ではない。調査では書籍は作者の死後50年の時点でその約98%が絶版になっている。権利者が一人でも見つからなかったり,利用に反対すれば作品は活用できないのだ。そもそも,市場で売られていないならいくら権利を延ばしても遺族に収入は入らない。つまり保護期間の延長は遺族の収入増加にはほとんど役に立たない。

市場にはない大多数の作品・資料にとって何が頼りかといえば,非営利の研究・教育・アーカイブ活動である。たとえば「青空文庫」注2)1)をご存じだろうか。保護期間の切れた過去の小説や評論を全国600人以上のボランティアが手入力して完全自由利用で公開する,民間電子図書館の代表格だ。すべてテキストデータ化されているので,電子リーダーだけでなく,自動音声読み上げによるオーディオブック化,各種商品化,解析用データと,極めて「使いで」がある。

こうしたアーカイブ活動は先人たちの生きた証しを後世と世界に伝え,研究・教育・新規ビジネスの無限の泉を与える。ビッグデータ活用にとっても極めて重要な資源だ。では保護期間がどんどん長期化すればどうなるか。ただでさえ予算不足のアーカイブや研究現場が数万~数百万点の作品の権利者をいちいち捜し出し,許可を得るコストを捻出できるか。答えは明らかだろう。それ以前に,過去の全作品の半数かそれ以上は捜しても最終的に権利者は見つからないといわれている。つまり,保護期間の長期化は「作品の死蔵を招くだけだ」として異論が強かったのだ。

単に作品そのものの死蔵だけではない。パブリック・ドメインは常に,新たな文化創造の源泉だった。古い作品に基づく新たな創作は枚挙にいとまがない。古くは歌舞伎や古典落語,シェークスピアの創作は言うに及ばず,黒澤明や溝口健二,ディズニーアニメの数々,舞台・映画を席巻した『レ・ミゼラブル』『オペラ座の怪人』など,過去の名作に基づく二次創作は,時代を超えてわれわれの創造性を刺激し続けてきた。保護期間が次々長期化されれば,この泉も枯らしかねない。

こうしたことから各国・地域でも反対が強く,2014年にはウィキメディア財団や図書館系など35の有力な国際団体が連名で延長に反対声明を出す事態に至った。しかし,結局は米国の要求通り,TPPには保護期間延長がほぼセーフガードなしで導入され,日本でも国会で改正法が通過する。ただし,その施行は「TPP発効時」とされた。TPPが発効しない限り,延長も実現しない仕組みだ。その日本での国会通過は,ずれもずれたり2016年12月。TPPは日米を含む6か国以上が批准しない限り発効できないので,著作権延長の実現はいわば米国待ちとなった。

図1 青空文庫

プーと仲間たちの運命

プーはどうなる? 保護期間の延長は,延長時点でまだ保護が残っている作品にしか適用されない。いったん権利が切れてパブリック・ドメインになった作品は,その後復活することはないのだ。つまりプーがPDになるかならないかは残り5か月に委ねられた。

そこでトランプの出番である。このちょっと往年のディズニー映画に悪役で出てきそうなキャラクター。もともと大統領選の最中からTPP離脱を表明していたが,まさかの当選後あれよあれよという間に公約通りTPPから離脱してしまった。TPP全体には人によって賛否もあろうし,今後も米国抜きのTPP修正成立を目指す動き,EUとのEPA(経済連携協定),米国からの個別圧力など,間違いなく保護期間延長問題は何度も復活してくるだろう。が,少なくともプーについていえば,これで延長はなくなった。誕生から91年を経て,ついに日本でパブリック・ドメイン入りである。

個人的なことを記せば,筆者は9歳で両親にもらった最初の本らしき本が岩波書店版『くまのプーさん』(石井桃子訳)である。そりゃもう,文字通り何十回と読み返した。すり切れるまで同じ本を読みふけり昼も夜も夢想したあの経験がなければ,文章の読み方,ものの考え方はまったく違ったものになっており,送る人生も違っていただろう。だからミルンや石井桃子は,教師であり,親友であり,恩人である。切れたのはミルンの原作なので,日本語訳は誰も無断では使えない。いったい,あの「完璧」以外の言葉が見つからない珠玉の石井訳に挑んで,プーの新訳を出そうとする出版社がいくつ現れるのか。プー原作の映像作品や舞台作品は次々現れるのか。感謝と期待を胸に,プーのパブリック・ドメイン入りを迎えたい。

……と書きながら,一つ気がかりがある。今回,実はPDになるのはミルンの原作のみである。つまり文章部分だ。あのシェパードの挿絵(2)は,彼はかなり長生き(1879~1976年)だったので,まだまだPD化はされない。つまり,文章は新訳して自由に使えるが,あの挿絵は使えない。無論,それに基づくディズニー絵柄もである。よって,新訳を出したり映像化などしようと思えば,新たにプーや仲間たちを描き起こすしかない。すでに文章で書かれている特徴や,「元はクマや子豚のぬいぐるみ」という設定から当然発生しそうな点は似ていても構わない。しかし,それ以外の細かな表情やフォルムはまねてはいけない。

早ければ今月中にも,世間には新訳の文章とともに「見慣れないプーや仲間たち」が出没しだすかもしれない。怖いような,楽しみなような,PD入りなのである。

図2 E.H.シェパードの挿絵。こちらはPD対象外

執筆者略歴

  • 福井 健策(ふくい けんさく)

弁護士(日本・ニューヨーク州)/日本大学藝術学部・神戸大学大学院 客員教授。1991年 東京大学法学部卒。米国コロンビア大学法学修士。現在,骨董通り法律事務所 代表パートナー。『著作権の世紀』『誰が「知」を独占するのか』(集英社),『「ネットの自由」vs.著作権』(光文社),『18歳の著作権入門』(筑摩書房)他。国会図書館審議会会長代理,内閣知財本部など委員を務める。http://www.kottolaw.com Twitter: @fukuikensaku

本文の注
注1)  戦時加算の概要:サンフランシスコ平和条約第15条(c)の規定に基づき(注1),日本が連合国に対して負っている義務として,

(1)連合国・連合国民が,戦前・戦中に取得した著作権の保護期間について,

(2)1941(昭和16)年12月8日(戦争開始時(注2))から,当該国との平和条約発効時までの期間の日数を

(3)通常の著作権の保護期間に加算して保護する

旨を国内法(連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律)上,規定している。

(注1)具体的には,連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律により措置。

(注2)戦中に取得した著作権については,戦争開始時ではなく取得時から起算。

戦時加算の対象国と期間:平和条約の批准国46カ国のうち,平和条約の発効時までに,ベルヌ条約又は個別協定により,日本がその国・国民の著作権を保護する義務を負っていた国が戦時加算の対象国となっている。具体的には,アメリカ,イギリス,フランス,カナダ,オーストラリア(3,794日),ブラジル(3,816日),オランダ(3,844日),ノルウェー(3,846日),ベルギー(3,910日),南アフリカ(3,929日),ギリシャ(4,180日)等があり,多くは約10年間の保護期間が加算されている。

※文部科学省「著作権の保護期間に関する戦時加算について」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/021/07091009/006.htm)から引用。

注2)  大久保ゆう. 青空文庫から.txtファイルの未来へ:パブリックドメインと電子テキストの20年. 情報管理. 2017, vol. 59, no. 12, p.829-838. http://doi.org/10.1241/johokanri.59.829

 
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