日本考古学
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西大寺食堂院の発掘調査
大林 潤渡邉 晃宏今井 晃樹神野 恵小池 伸彦
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2007 年 14 巻 24 号 p. 123-134

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抄録

本稿は西大寺食堂院の発掘調査報告である。西大寺は,奈良時代後半に孝謙太上天皇によって発願された寺院で,平城京右京一条三・四坊に31町という広大な時域をもっていたと伝えられる。食堂院は,その東北部,右京一条三坊八坪に比定される。食堂院は,「西大寺資財流記帳」によると,僧の共食の場である食堂を中心に「殿(盛殿)」「大炊殿」「厨」「甲双倉(校倉)」「倉代」などの建物によって構成されていた。
調査では,奈良時代後半の食堂院に関わる遺構を良好な状態で検出し,主要堂舎や条坊遺構などを確認した。西南部で検出した2棟の礎石建ちの東西棟建物は,それぞれ「殿」「大炊殿」と規模が等しく,同遺構に比定される。また,大炊殿の北には「甲双倉」とみられる建物と,食堂院の北門に相当するであろう門を検出した。これらの成果より,食堂院の位置が確定し,また,区画の中軸上に南から食堂・殿・大炊殿・甲双倉が南北に並ぶ建物配置が復元できる。
食堂院の中心建物の東では,南北に並ぶ埋甕列を確認した。甕は,既往の調査成果と合わせると,東西4基の列が南北に20列,合計80基以上が並んでいたとみられる。食堂院内に貯蔵施設を有していたことを示す遺構である。
また,大炊殿の南東では,平城京最大の井戸を検出した。井戸の埋土からは延暦11年の年紀をもっ木簡や墨書土器・製塩土器などをはじめとする様々な遺物が出土した。木簡からは,西大寺に食材を進上した荘園などや品目などの具体名,西大寺内での食材の分配や管理状況がうかがえ,資料に乏しい古代寺院の実態を解明する新資料を発見した。

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