東北地理
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霞ヶ浦地域における養豚業の存在形態
菊地 俊夫
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1985 年 37 巻 2 号 p. 112-124

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抄録

第2次世界大戦後における霞ヶ浦地域の養豚業は, 1964年頃まで採肥や仔取りを目的にし, 耕種部門の補完部門としての地位にあった。その後, 不安定な肉豚価格や養豚飼料となる甘藷生産量の減少, 豚の糞尿に代わる化学肥料の普及によって, 零細・副業的養豚農家は淘汰された。さらに, 1970年頃から養豚農家は農家収入の大部分を養豚から得る肥育経営や一貫経営と, そうでない繁殖経営に分化してきた。本稿は, 上記の経営の分化過程の実態を鉾田町南野地区を事例に具体的に検討したものである。南野地区は洪積台地に立地し, 大部分の土地は林野開拓による畑地であった。そのため, 農家は畑地を熟畑化すべく有畜畑作農業を導入し, その一環として, 採肥と仔取りを目的にした養豚経営を行うようになった。このような養豚経営の基盤は脆弱で, 零細であり, その農家経営における地位は副次的なものであった。1965年以降になると, 養豚農家は副次的養豚から主業的養豚に, さらに専業的養豚に発展するものと, 副次的養豚にとどまるもの, そして養豚を中止するものとに分化してきた。このような分化は, 農業後継者の有無と養豚技術や, 経営能力, および資本の蓄積や調達にみられる農家間の差異に起因していた。しかし, 南野地区の養豚業は, 農家が台地上に分散し, 糞尿処理場に転換できる広い耕地を団地として所有していること, さらに畑作農家に糞尿を供給する関係を維持していることなどにも支えられ発展している。

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