2013 年 34 巻 p. 367-379
本論では,大正12年(1923)開催「全県図画研究会」以降から昭和3年(1928)の山本鼎来県までの秋田県図画教育などに関することを,当時の地方紙や教育関係資料などによって調査して,主に以下のことを確認した。(1)展覧会が全県各地で行われ,秋田県女子師範学校附属小学校などでは継続的に展覧会が開催されて,秋田県図画教育には一定の成果や新しい進展があった。(2)洋画家の伊藤弥太や金沢秀之が図画教育にかかわり,図画教育のために小学校教員が「絵」の実技練習を行う「六葉会」が活動していた。(3)「芸術教育」を重視する考え方が広がり,その中で子どもを一人の「芸術家」と見なす考え方が広まっていた。