新田次郎の小説『聖職の碑』は美術教育史の授業の教材として有効ではないかと考え,分析した。小説『聖職の碑』は大正2(1913)年に長野県で起きた尋常高等小学校の遭難事故を題材とし,当時の教育事情も描いている。自由画教育運動の起点となった山本鼎の長野県神川小学校における講演が大正7(1918)年である。『聖職の碑』は,いわば「自由画教育前夜」の長野県の教育を描いているのである。主に次の2点を理解させるために『聖職の碑』の教材として有効な箇所を抽出した。(1)自由画教育運動が起きる土壌(2)自由画教育運動の蹉跌の要因