障害科学研究
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資料
石川県の感化院・少年教護院における低能児の顕在化と特別低能学級開設への過程
1908(明治41)年〜1935(昭和10)年
立浪 朋子岡 典子
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2018 年 42 巻 1 号 p. 55-68

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抄録

本研究では、1908( 明治41) 年から1935( 昭和10) 年までの時期を対象に、石川県育成院(以下 , 育成院) における低能児の顕在化および特別低能学級が開設された過程を明らかにすることを目的とする。 育成院では、大正後期に低能児の存在が明確に認識された。その後、昭和期に入ると子どもへの知能測定が行われるようになる。低能児への特別な学級が開設されるのは、1935( 昭和10) 年頃に特別低能学級が設置されてからであり、全国の先駆的な地域と比べると比較的遅かったと言える。その主な原因として、低能児、あるいは精神薄弱児とみなされた子どもの数が少なかったことが考えられる。 特別低能学級の開設は遅かったものの、学科についていけない子どものためには大正期から学力別の学級編成を実施し、彼らの学力に合った教育を行おうとしていた。

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