2012 年 2012 巻 80 号 p. 15-26
エチオピア西南部の山地農耕民マロは,東隣のゴファから移住してきた人びとを主体に数世紀前に形成され領域を広げてきた元王国(マロ王国)の民である。19世紀末にエチオピア帝国に編入されると人びとは移住を制限され,高地では人口が増え,定住性も高まった一方,低地では周辺から集落が放棄され,人口が流出した。定着農耕民のマロにとって集落の放棄は本来極力回避すべきものだが,実際はその流れは止まることなく今日に至る。本稿は集落放棄がもっとも広範に発生してきたその西部域を対象に分析を行った。時期により要因は異なるものの,集落放棄はほぼ一定のペースで発生していた。長期におよぶ不安定な治安や交易路の変化に伴う経済的な衰退が関係するとみられる。かつて西部域は拡張過程にあったマロ王国が新たに領域としたフロンティアの地だったが,エチオピア編入後,その統治の末端に組み込まれ,治安が不安定になると,多数に分散していたその小集落は次々放棄され,近隣のより高所に形成された集住的な大きな集落に収斂されてきた。同時に相当数の人たちは故地のゴファへ移っていった。国家編入を契機に人びとの移動の流れは反転してきた。