2013 年 2013 巻 82 号 p. 15-23
植民地期のモザンビークとアンゴラは,ともに宗主国ポルトガルの産業および国際市場に向けた一次産品を生産すると同時に,自国・他国問わず近隣植民地へ労働力を供給することで外貨を獲得し,ポルトガルの財政に資するという役割を担ってきた。本稿は,こうした植民地経済の構造の中で,第一次世界大戦前後にモザンビークおよびアンゴラからギニア湾上のポルトガル領サン・トメおよびプリンシペへ多数の「契約労働者」が送り出されていた事実に着目する。これらの送り出し地域はいずれも第一次世界大戦のアフリカ戦線となった地域である。第一次世界大戦期は住民による植民地支配への抵抗が活発化し,さらにはそれを封じる植民地軍の制圧も多数記録されている。本稿ではこの点を重視し,第一次世界大戦がポルトガル植民地の情勢と現地社会におよぼした影響を,この時期に増加した「契約労働者」の送り出しと関連付けて考察する。