アフリカレポート
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論考
エチオピア:混乱からの前進か、さらなる混乱か
児玉 由佳
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2020 年 58 巻 p. 29-40

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要約

エチオピア連邦民主共和国は、2019年12月に政治的に大きな変化を経験することとなった。1991年以降30年近く政権を担ってきた連合政権であるエチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)が、参加政党を一つに統合した繁栄党を結成したのである。ただし、EPRDFのなかで従来権力を握っていたティグライ人民解放戦線(TPLF)は、現在の連邦制を揺るがすものであるとして繁栄党への不参加を表明した。

アビイ首相は、多様性を堅持しつつ人々が一つにまとまることで相乗効果がうまれるという「メデメル」哲学を提唱し、さまざまな民族党を一つの党として統合して繁栄党を結成した。しかし、民族対立の歴史を考えると、規模の異なる民族集団を一つの党に統合することだけでは、現在の民族問題を解決することは困難であろう。2020年春に予定されている総選挙の結果によっては政局が大きく変動する可能性がある。

はじめに

2018年4月2日にアビイ・アハメッド・アリ(Abiy Ahmed Ali)が首相に就任してから、エチオピア連邦民主共和国(以下エチオピア)は短期間で大きな政治的変化を経験している。もっとも大きな変化は、2019年12月1日にエチオピア人民民主革命戦線(Ethiopia Peoples’ Democratic Revolutionary Front: EPRDF)を継承する形で「繁栄党」(Prosperity Party)が発足したことである。これによって、1991年以降28年間にわたって政権を握っていたEPRDFは解消され、繁栄党となった。

4つの民族政党の連合体であったEPRDFに対して、繫栄党は複数の民族政党を一つの党に統合したものである。したがって、民族自決を旗印に民族政党を糾合してきたEPRDFと比較すると、繁栄党は民族色を大きく後退させたといえる。各地で民族紛争が報道されている中、民族を超えてエチオピア人の団結をめざすことは理想としては必ずしも間違いではないが、その理想を実現するためにはさまざまな障害がある。

本論考では、多民族国家であるエチオピアのこれまでの歴史を確認することを通して、エチオピア政治における大きな分岐点となるであろう繁栄党結成までの背景を理解することを目的とする。第1節で繁栄党の概要をまとめたのち、第2節では、19世紀後半から現在に至るまで続いてきたエチオピア国内の民族対立の歴史を概観し、その解決策としてEPRDFが導入した民族単位で州を構成する連邦制について説明する。第3節では、前首相の辞任とアビイ首相就任につながった地方での大規模な抗議運動とその原因について検討する。第4節では、アビイ首相就任後の民主化政策と、民族対立の現状をまとめたのち、最後に改めて繁栄党の今後について考察する。

1. 繁栄党の発足

2019年12月1日、複数の民族政党による連合政党であるEPRDFは解消され、それを継承する形で繁栄党が発足した。EPRDFを構成していた4党のうち、オロモ民主党(Oromo Democratic Party:ODP)、アムハラ民主党(Amhara Democratic Party: ADP)、南部人民民主運動(South Peoples’ Democratic Movement: SPDM)の3政党が繁栄党に参加したが、ティグライ人民解放戦線(Tigray People’s Liberation Front: TPLF)は参加を見送った1。一方で、これまでEPRDFと友好関係にあったアファル民族民主党(the Afar National Democratic Party)、ベニシャングル・グムズ民主党(Benishangul-Gumuz Democratic Party)、ソマリ民主党(Somali Democratic Party)、ガンベラ人民民主運動(Gambela Peoples’ Democratic Movement)、ハラリ民族同盟(Harari National League)の5つの政党が繁栄党に合流した。

EPRDFの解消から繁栄党の結成まではきわめて短期間で進められた。11月中旬の執行委員会で統合の議論が行われたが合意に至らないまま、11月21日にはEPRDFの臨時評議員会で統一党結成が提案され、TPLFの委員が欠席のまま全会一致で承認された[Reuters 2019b]。評議委員会は、上記4党からそれぞれ45名、合計180人の評議員によって構成されているため、臨時評議員会は、TPLFの評議員45名が参加を拒否した中での開催となった[Ezega News 2019a]。なお、オロモ民主党とアムハラ民主党の間では事前に合意が形成されていたという[Crisis Group 2019]。

11月22日付のアビイ首相のツイートでは「繁栄党は、全エチオピア人の多様性と貢献を理解する真の連邦制度(true federal system)を強化し専念することを誓約する」としている。しかし、繁栄党の綱領なども発表されていない段階であり、アビイ首相が提唱する「真の連邦制度」が具体的にどのような制度を意味しているのかは明らかではない。ただし、繁栄党が結成された背景として、各地で起きている民族対立や経済格差などでEPRDFに対して不満が募っていたことが挙げられる。さらに、2020年に予定されている総選挙をにらんで、EPRDFから繁栄党へと変わることでEPRDFとは異なる政治路線を採ることを表明する必要があったためともいえる。

このような状況の中で、これまでEPRDFの主導権を握っていたTPLFだけでなく、アビイ首相が所属していたオロモ民主党内部からも、繁栄党結成に対する批判がなされた。

TPLFの議長であり、ティグライ州の副知事であるデブレチオン・ゲブレミカエル(Debretsion Gebremichael)は、EPRDFの解消と繁栄党の結成について次の3つの点を挙げて批判している[Ezega News 2019a]。第一にEPRDFを解消することは、民族ごとの連邦制を弱体化させ民族の自治の権利を奪うものであるということ、第二に統一党結成へと邁進することが現在の国内の政情を考慮したものではないという点である。民族政党を解消することは、TPLFが主導してきた民族主義をベースにした政策の否定を意味する。第三に、EPRDFを解消して繁栄党を結成することで既存の民族政党も解党されることになるが、各党の解体はEPRDFの「ただ1回の会議」で決定されるべきものではなく、各党が決定すべきものであるとして、その法的な手続きにも異を唱えている。TPLFの繁栄党への不参加による影響はこの段階ではあきらかではない。後述するそれまでの政治的混乱はTPLFに対する人々の反感も大きな原因の一つであることから、TPLFのいない繁栄党への支持が高まる可能性がある一方で、これまで権力の中枢にいたTPLFが離脱することによって政治的混乱を招く危険もあるからである。

次にアビイ首相の所属政党であったオロモ民主党の内部も、繁栄党結成を全面的に賛成しているわけではない。防衛大臣でオロモ民主党副議長であり、大臣就任以前にはオロミヤ州知事だったレンマ(Lemma Megersa)2は、複数の党を合併して繁栄党を結成することについては、いまだ政情不安な中では時期尚早であるとして今回の決定には批判的である。同時に、アビイ首相が提唱している「メデメル」(medemer)哲学に対しても賛同しないとした[Kiruga 2019]。

メデメル哲学とは、アビイ首相が民族融和の考え方として提唱しているものであり、2019年10月に出版されたアビイ首相による本のタイトルにもなっている3。また、12月10日のノーベル平和賞受賞4スピーチでもアビイ首相はメデメル哲学に言及している。そのスピーチでは、「メデメルは、アムハラ語の単語で、相乗効果、集中、共同の運命のためのチームワークを意味する」と説明されている[Nobel Prize 2019]。エチオピアの政治体制に関する議論は、現憲法で規定されている、分離独立も認める民族ごとの連邦制を支持する民族主義者と、国内が民族の名のもとに細分化していくことを恐れる統一主義者とで二極分化しているといわれている[Ochalla 2018]。それに対してメデメル哲学は、多様性を堅持しつつ人々が一つにまとまることで相乗効果がうまれるとすることから、二つの議論の中庸をいくものとして一定の評価はされている[Girmachew 2018]。しかし、各地で先鋭化しつつある民族主義を即座に解決するものではない。民族政党を解消して繁栄党へと統一することは、メデメル哲学の理念にもとづいているとメディアなどでもみなされているが[Ezega News 2019b]、現実のエチオピアの状況や歴史的背景を考えると、繁栄党がその哲学を実行できるのかには疑問が残る。現在のエチオピアは民族を基本単位とした連邦制度を採用しており、連邦州制度とメデメル哲学に基づいた民族融和とのあいだでどのように整合性を持たせることができるのかは今後の課題となろう。

次節では、現在のエチオピアの大きな特徴である民族単位の連邦制度について、それが成立するにいたった歴史的経緯とともに説明する。

2. 連邦制:多民族共生のための試み

エチオピアは多民族国家である。2007年の国勢調査では、85の民族が挙げられている。人口が多い順に、オロモ(34.4%)、アムハラ(27.0%)、ソマリ(6.2%)、ティグレ(6.1%)、シダマ(4.0%)となる。多くの州では特定の民族が人口の多数を占めており、民族は混在というよりも各州に偏在している(表1参照)[Office of the Population Census Commission n.d.]。

歴史的には、民族間の関係が友好的であったとはいいがたい。特に、19世紀後半から1974年まで続いた帝政期には、北部に居住するアムハラを中心とした民族が南部の民族を征服することで、南北間の支配-被支配関係が形成された。帝政の中心であるアムハラは、南部への征服を進めるのと同時に、アムハラへの同化政策を進めた。アムハラ語を話し、多くのアムハラが信仰するエチオピア正教を受けいれ、アムハラの伝統に従うよう奨励したのである[Young 1997, 46]。民族多様性への寛容度は低く、例えば宗教上の説教、教育、文学におけるオロモ語の使用は禁止されていた[Mohammed 1998, 188]。また、北部民族に分類されるティグレについてはアムハラとは支配-被支配関係には無かったものの、競合関係にあり、皇帝側によって弱体化されていたという[Young 1997, 47-48]。さらに北部では、もともとイタリアの植民地であったエリトリアが1952年にエチオピアの連邦州になり、さらに1962年にはエチオピアに併合されたことで、激しい独立闘争が行われていた。そのため、EPRDF政権が成立して1993年にエリトリアが独立を獲得するまでは北部を中心に長年内戦状態が続いていた。

(注)

*1 ここでの「不明」は両親が異なるエスニック・グループのため本人が一つのエスニック・グループを選択できなかった場合を指す。

*2 南部諸民族州で最も人口が多いエスニック・グループはシダマ(19.4%)だが、「その他」にウォライタ(10.6%)、ハディヤ(8.0%)、グラゲ(7.5%)、ガモ(7.0%)が全体の33.1%を占める。

*3 アファル州では、「その他」に含まれるアファルが全体の90.0%を占める。

*4 ベニシャングル・グムズ州では、「その他」に含まれるベルタ(25.4%)、グムズ(20.9%)が全体の46.3%を占める。

*5 ガンベラ州では、「その他」に含まれるヌエル(46.7%)、アニュワ(21.2%)が全体の67.8%を占める。

(出所)Office of the Population Census Commission[n.d.]をもとに筆者作成。

1974年に帝政を打倒した軍事独裁政権は、社会主義を標榜し強力な中央集権国家の建設をめざしており、民族問題に対する関心は低かった。その一方で、共に帝政打倒に貢献した学生運動や労働組合に対する徹底的な弾圧を行った。特にアムハラの貴族階級を打倒するために軍事独裁政権が利用したとされるオロモを中心とする全エチオピア社会主義運動(All-Ethiopia Socialist Movement1:MEISON)への弾圧は、オロモの反政府活動へとつながることとなった[Kinfe 1994, 6-7]。ティグレが多く居住する北部では、軍事独裁政権が現地で支持されていた貴族階級の人々を粛正したり、商業活動を抑制したりしたことに対する反感が高まり、1975年にはTPLFが結成され、エリトリアの独立運動闘争グループの支援を受けて勢力を拡大した[Young 1997, 85, 93-94; Bahru 2002, 259]。

1991年に軍事独裁政権を倒したのは、民族自決の旗印のもとに1988年に複数の民族政党を糾合して結成されたEPRDFとエリトリア独立を目指したエリトリア人民解放戦線(Eritrean People’s Liberation Front: EPLF)である。当時のEPRDFは、TPLFを中心とし、エチオピア人民民主運動 5(Ethiopian People’s Democratic Movement: EPDM、現ADP)やオロモ人民民主組織(Oromo Peoples Democratic Organization: OPDO、現ODP)などによって構成されていた[Young 1997, 7, 60, 114; Pateman 1991, 44]。さらに1992年に結成されたSPDMが加わって、EPRDFは4党による連合政党となった。

EPRDFは1991年に暫定政権を発足させた後、1995年に新憲法のもと総選挙を行ってエチオピア連邦民主共和国が正式に発足した。この憲法は民族自決を原則としたものとなっている。第一に、各民族の分離独立を含めた自決の権利を無条件に認めている(第39条(1))。第二に、民族名を冠した連邦州を定めている(第47条)。表に示したように、各州でその名を冠した民族が多数を占めていることからも、民族を単位に連邦州を定めていることは明らかである。第三に、連邦政府の使用言語はアムハラ語だが、各連邦州は自らの使用言語を決定することができ(第5条)、その文化を奨励し、歴史を保存する権利を認められている(第39条(2))。

まず、この憲法が施行される前ではあるが、1993年にエリトリアは住民投票を行って独立を果たしている。憲法施行以降は国家としての独立はないものの、いくつかの民族集団が、住民投票によって、新たに自決権を持つ民族として、その民族のための行政区の設定を認められている。例えばグラゲの下位集団とされていたスルテが、2001年の住民投票によって自決権のある民族として認められ、南部諸民族州に新たな行政県(Zone)を設立したことが挙げられる[Ismagilova 2004]。最近では、2019年11月に、行政県であったシダマにおいて住民投票が行われ、暫定結果では圧倒的多数が州としての独立に賛成したと報道されている[Al Jajeera 2019]。

これまでの民族間の関係や民族政策を考えると、エチオピアが現在民族ごとの連邦州を導入したことは不可避であったといえる。しかし、EPRDFによって連邦制が導入されてから25年間が経過し、さまざまなほころびが顕在化している。

3. オロミヤ州とアムハラ州における抗議運動

EPRDFは上述の通り、4つの民族政党による連合政党であったが、その権力の中枢はもともと指導的な立場にあったTPLFに握られていた。1994年から2012年まで首相として政権のトップにいたメレス・ゼナウィ(Meles Zenawi)はTPLF所属のティグレであり、年10%前後の経済成長を維持する一方で、反対勢力に対して強圧的な政策をとることで国内の安定を保ってきた。特に総選挙前には徹底した反政府勢力への弾圧を行ってきた[Bahru and Pausewang 2002]。

2012年にメレス逝去によって首相に就任したハイレマリアム・デサレン(Hailemariam Desalegn, SEPDM所属)は、南部諸民族州の少数民族ウォライタの出身である。TPLFは全人口の6.1%を占めるに過ぎないティグレの政党であり、他民族のティグレに対する反感に考慮して違う民族出身の首相を選出したといえる。ハイレマリアム首相はメレスの政策を踏襲した形で政権運営を行い、強圧的な政治姿勢も維持した。その結果野党の弱体化が進み、2015年5月24日に行われた国会下院の総選挙では、国会の議席すべてをEPRDFおよび協力関係にある諸政党が占め、EPRDF側の圧勝という結果になった[児玉 2015]。

野党やマスメディアの活動を徹底的に抑圧する政治体制は、「国民の声」を反映させたものとはいえず、人々は政府への不満を表明する合法的な手段を奪われた状態にあった。そのような状況下で人々の不満が表面化したのが、2014年以降各地で起きたEPRDF政権に対する抗議運動である。特に抗議運動が頻発していた地域はオロミヤ州とアムハラ州である。エチオピアにおける最大民族であるオロモと第2位のアムハラがそれぞれ多く居住するこの二つの州では各地で多数の抗議運動が行われ、それに対して政府側も武力行使を含めた強圧的な鎮圧で対応するなど、政治的に不安定な状況となった。これらの抗議運動の直接的な原因はオロミヤ州とアムハラ州では異なるが、どちらも土地問題が関係している。

オロミヤ州については、2014年4月に発表されたアディスアベバ拡張計画(Addis Ababa Expansion Master Plan)によってオロミヤ州の一部をアディスアベバに併合することに対する抗議が大きな要因の一つである。最初の抗議運動は、アディスアベバから125km西に位置するアンボ(Ambo)で同年4月26日に行われたもので、47名が治安部隊によって殺害されたという[BBC 2015]。その後も抗議運動は拡大していき、その沈静化のために2016年1月13日にはOPDOが計画撤回案を議会に提出し、承認されている[Government of Ethiopia 2016]。しかし、政府への抗議運動の拡大は続き、その矛先はアディスアベバ拡張計画だけでなく、オロミヤ州で活動する外資系企業にも向かった。2016年9月に外資系企業に対する暴力を伴う抗議運動があったことが報道されている。これら抗議運動について、参加者は、「政府が小農に対して適切な補償もなく土地を明け渡させて、外国人に土地を渡したため」抗議運動を行ったと語っている[van der Wolf 2016]。筆者が2019年に訪問したオロミヤ州のバラ農園でも、当時は抗議運動のために活動を一時停止していたという。オロミヤ州の抗議運動は、アディスアベバの拡張計画に対するものだけでなく、中央政府が誘致した外国投資による土地の収奪という、より大きな問題へと争点を拡大させたのである。オロミヤ州での抗議運動は、結果的に、合計400人以上の死亡者、何千人もの負傷者、そして万単位の逮捕者を出す事態となった[HRW 2016

一方、アムハラ州の場合は、EPRDF政権になってからティグレ州に含まれることになったウォルカイトの人々が、1991年以前のようにアムハラ州への帰属を求めてアムハラ州北部の都市ゴンダールで2016年7月12日にデモを行ったことが始まりである。8月6日のゴンダールでのデモでは7名、8月7日のアムハラ州州都バハルダルでのデモでは少なくとも30名が警察によって殺害されたという[Amnesty 2016]。

この時期に、筆者はバハルダルやゴンダールから東に約100キロメートル離れているアムハラ州農村部に調査のため滞在していたが、ゴンダールやバハルダルでの発砲事件のニュースは届いていた。ゴンダールでの発砲時の音声が、それが本当にそのときのものなのかは不明だが、携帯電話を経由して広まっており、調査地でもその後デモが行われた模様である。このときの現地の人への聞き取りでは、ウォルカイトは本来アムハラ州に帰属するものであるということは共通認識としてあった。興味深いのは、ティグライ州とアムハラ州の州境問題ではあるが、非難すべきはティグライ州のティグレではなく、境界を定めた中央政府であるという意見が聞かれたことである。

権力の中枢にティグレによるTPLFがあり、オロミヤ州のオロモやアムハラ州のアムハラが激しい抗議運動を行っているという構図は民族対立として語られがちである。しかし、その抗議の原因は、中央政府による地方自治への侵害に対する反発としての性格もあるといえよう。

4. アビイ首相の就任と政治改革

中央政府は、各地で頻発する抗議運動を鎮圧しきれず、2016年10月9日に非常事態宣言を出した。第1回目の非常事態宣言は2017年8月まで続いた。このような事態を招いた責任をとる形で、2018年2月にハイレマリアム首相は辞意を表明した6BBC 2018]。ハイレマリアム首相の辞任表明後には2度目の非常事態宣言が出されるなど政治的に不安定な状況にあった7

このような状況の中で3月に開かれたEPRDFの中央執行委員会での投票の結果、首相に選出されたのがアビイである。アビイ首相は、1976年生まれの42才で、オロミヤ州ジンマ出身のオロモであり、ペンテコスタ信者である[Gardner 2018]。父はオロモのムスリム、母はアムハラでエチオピア正教の信者であり、妻はアムハラ州ゴンダール出身でペンテコスタ信者と、エスニック・グループや宗教に関して複雑なバックグラウンドを持つ。エチオピアにおける政情不安の中心がオロミヤ州であるため、オロミヤ州出身のアビイが首相になることで事態の鎮静化を期待されての選出であった。ただし、OPDO、ANDM、SEPDEMの支持のもとアビイが選出されたが、TPLF党員はアビイに投票せず他の候補者に投票していたという。そのため、アビイの首相就任がこれまでのTPLF主導の政治体制に変化をもたらす可能性は当初から報じられていた[Addis Standard 2018; Liyat and Tsedale 2018]。

アビイ首相は就任後、矢継ぎ早に政情安定のための政策を打ち出した。このような政策によって、アビイ首相はエチオピア国民から広く支持されていたという[Dereje 2019]。最初の政策は、数千人の規模で政治犯を釈放したことである8[Fick 2018]。この恩赦によって、特にオロミヤ州では政治的な緊張が緩和されたという[Al Jazeera 2018]。また、テロ組織として非合法化されていたグンボット・セブン(Ginbot 7)、オロモ解放戦線(Oromo Liberation Front: OLF)、オガデン民族解放戦線(Ogaden National Liberation Front: ONLF)の活動禁止を6月に撤廃した。これによって、アメリカなどに亡命していた反政府指導者たちが続々とエチオピアに帰国し、合法的な政党として活動を開始した[HRW 2019, 213; Addis Fortune 2018]。

また、汚職の摘発なども積極的に行っている。例えば国営の軍産複合体である鉄鋼エンジニアリング会社(Metals & Engineering Corporation: METEC)の汚職事件は、創業者でもあるCEOと27人の職員および36人の警察・軍関係者が2018年11月に逮捕される大きな事件となった[Aalon 2018; Fasika 2018; Engidu 2018]。

ただし、このような民主化政策がすべてプラスに働いているわけではない。象徴的なのが、2019年6月のクーデター未遂事件である。アムハラ州で州知事とその側近らが射殺され、同時に首都アディスアベバでは軍部トップらが殺害されるという事件が起きた。その首謀者であるアサムノウ(Asamnew Tsige)は、恩赦によって釈放された政治犯の1人であり、それを不問にしてアムハラ州軍事トップに就任していた人物であった。すぐに鎮圧されたものの、民主化が容易なものではないことを示す事件であり、アビイ首相による性急すぎる政治改革が事件を招いたのではないかという批判もあった[East African 2019]。

また、中央レベルで民主化を進めているものの、各地で生じている民族紛争については有効な解決策を講じることができていない。大規模なものとしては2017年後半に始まったオロモとソマリの間の民族対立(国内避難民推定140万人)、2018年4月に始まったオロモと南部諸民族州のゲデオとの民族紛争(同100万人)が挙げられる[Jeffrey 2017; 2019; Doctors Without Borders 2019; Shewangizaw 2019]。2018年7月には、ベニシャングル・グムズ州とオロミヤ州で土地の強制退去によって何千人もの規模でアムハラが追放されたという報道もある[Conversation 2018]。これらの民族紛争は、中央対地方というよりも、潜在的な民族間の対立関係が顕在化したものである。なお、2019年10月に出された国際移住機関(International Organization for Migration: IOM)による報告書では、国内避難民の数は2019年1-2月にピークとなる248万人に達した後、IOMとエチオピア政府による帰還事業によって減少傾向にあるものの、7-8月の調査でも依然として109万人が国内避難民となっている[IOM 2019, 5]。

2019年10月にノーベル平和賞を受賞した後でも、アビイ首相はメディアに対して抑圧を示唆するような発言をしている。たとえば、上述のオロミヤ州における大規模な抗議運動について活発に発信していたオロミア・メディア・ネットワークの創設者の1人であるジャワル・モハメッドに対して、首相が弾圧を示唆する発言をしたことが、エチオピア国内で注目を集めることとなった。この発言に反応したジャワル支持者の若者たちが、2019年10月にジャワルを守るために彼の家の周辺に集結したが、反ジャワル派との対立の結果、86名の死者をだすという事態になった。事件の詳細は不明であるが、民族対立が原因であったと報道されている[Salem 2019; Reuters 2019a]。首相の言動によって人々の対立が生まれるという事態を招いたのである。

おわりに

民族単位の連邦州制度については、導入されてから30年近くがたち、その限界について言及されることがエチオピア国内でも増えてきている。しかし、民族が地域によって偏在していることから、行政区画は民族の分布に合わせた形にならざるをえない。たとえ民族ごとの連邦制度を廃止し、新たな連邦制度もしくは行政区画を導入したところで、現在生じている民族紛争を解決することは困難であろう。

これまでEPRDF政権の中枢を担っていたTPLFが繁栄党への不参加を決定したことから、政局が大きく変化することは間違いない。EPRDF時代は、各民族政党が少なくとも公式には同等の権利をもっていたからこそ、アビイ首相の選出や繁栄党の結成が、TPLFの意向に反したものであったにもかかわらず、投票によって決定できたのも事実である。しかし、民族政党を解消して表面上民族単位での行動を否定し、一つの党に統合したときに、その意思決定がどのように進められるのかは、現段階では不明である。多数決のみでものごとを進めれば、首相の出身民族であり数的優位にあるオロモの意向が、強く反映されることになる。アビイ首相の提唱するメデメル哲学のもと、各民族が自分たちの利益のみを追求するのではなく、エチオピア全体の融和と発展を望んで行動するという理想が実際の政局の中で実現できるのかについては、現時点では不明である。2020年8月29日に予定されている総選挙9の結果によって政局が大きく動く可能性があり、各政党や政治団体の動向を注視する必要がある。

本文の注
1  アビイ首相側は、TPLFに繁栄党に参加するよう説得を試みていた[Addis Fortune 2019]が、TPLFは、2020年1月6日に繁栄党への不参加を正式に表明した[Daniel 2020; Ezega News 2020]。

2  レンマは、防衛大臣就任前にはオロミヤ州州知事を務めており、その時期に行った政治・経済改革によってオロミヤ州で支持も高く、次期首相候補として名前も挙がっていた[Economist 2018]。しかし当時議員ではなかったため、オロモ民主党党首をアビイに譲り、アビイが首相となったという経緯がある[Liyat and Tsedale 2018]。

3  同時にオロモ語版も出版されており、その本のタイトルはIDA’AMUUである。オロモ語の辞書の定義では「増加」(increase)となっている。

4  アビイ首相は、2019年10月11日にノーベル平和賞を受賞した。ノルウェー・ノーベル委員会は、その具体的な理由として、エリトリアとの平和協定締結、国内における民主化改革、アフリカの角地域の周辺国の抱える国内外の紛争の調停者としての役割の3つを挙げている[Nobel Peace Prize 2019]。

5  1982年にEPDMは結成された。EPDMはもともと汎エチオピア主義を標榜していたが、1993年のアムハラ民族民主運動(Amhara National Democratic Movement: ANDM、現ADP)への名称変更と共に民族政党という位置づけになった[Vaughan 2003, 188]。

6  公式な任期は、アビイ首相が就任する4月2日までとなる。

7  二度目の非常事態宣言は、2018年2月からアビイ首相就任後の6月まで続いた[Al Jazeera 2018]。

8  ただし、政治犯の恩赦については、アビイ首相就任前の1月に発表され、2月にはすでに開始していた[Fakude 2018; Munaita 2019]。

9  総選挙は当初2020年5月に予定されていたが、エチオピア選挙管理委員会は総選挙を8月29日に行うことを発表した(National Election Board of Ethiopia 2020)。

参考文献
 
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