日本地理学会発表要旨集
2003年度日本地理学会春季学術大会
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明治時代における土地利用と肥料生産量の変化
旧阿見村を例として
*岩崎 亘典スプレイグ デビッド
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p. 000024

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抄録

1.はじめに
 伝統的な農業形態の中で,森林や草地は肥料や生活資材の供給源として重要な意味を持っていた(守山 1997).
 茨城県の稲敷台地は,小椋(1996)が指摘しているように,明治初期には広大な草地が見られた地域であった.しかし,これらの草地はほとんど現存せず,加えて明治期に開墾などにより畑地などに転用された事が知られている.さらに,「茨城縣肥料經濟調査」(茨城縣農會 1915)には「山林原野ノ開墾セラルヽト共ニ自給肥料ヲ採取スルコト事困難ニシテ自家ニ必要ナル分量ヲ集積スルコト能アタワサルコト」と記述されており,森林・草地の開墾にともなう肥料供給量の減少が,農業経営上の問題とされていたことが読みとれる.
 そこで本研究では,茨城縣稲敷郡の旧阿見村を対象として,明治期の土地利用変化を文献資料および迅速測図より把握し,それに伴う自給肥料の生産量の変化を推定する.

2.研究方法
 本研究では,大正三年に発行された「稲敷郡阿見村村是」(阿見町史編さん委員会,1979)を用いて,1910年代の旧阿見村における土地利用面積および肥料生産量および消費量を把握した.
 明治初期の土地利用ついては,迅速測図の復刻版である「明治前期手書彩色関東実測図」(迅速測図原図復刻版編集委員会 1991)の「茨城縣常陸国信太郡荒川沖村」,「茨城縣常陸国新治郡土浦信太郡大岩田村」,「茨城縣常陸国信太郡若栗村竹来村」の3枚をArc/Infoをもちいてベクトルデータ化し把握した.なお,土地利用変化の空間的分布を把握するために,大正10年発行の1/5万旧版地形図「土浦」を補足資料として用いた.自給肥料の生産量については,「阿見村村是」の肥料生産量より森林・草地の面積当たりの肥料生産量を算出し,迅速測図より復元した土地利用より肥料生産量を推定した.また,「茨城縣肥料經濟調査」(茨城縣農會 1915)に基づき,農地に投入される窒素,リン酸,カリの量を求めた.

3.旧阿見村における土地利用変化
 迅速測図の発行された1880年代と,「阿見村村是」の発行された1910年代の土地利用を表1に示す.肥料の供給源である樹林地と草地に注目すると,樹林地面積はほぼ同じであるが,草地の面積は1880年代において1910年代の約10倍,面積にして400 ha以上多かった.一方,肥料の消費地である畑と水田に注目すると,水田は1880年代においてわずかに多かったが,畑・果樹園は1910年代で256 ha多く,1880年代の約1.6倍であった.また,迅速測図と旧版地形図との間を比較すると,1910年代に畑として利用されている地域の約40%が1880年代には草地として利用されている地域であった.すなわち,旧阿見村においては,明治期を通して草地を中心とした開墾が進み,草地の減少と畑の増加が起きたと考えられる.

4.肥料生産量および消費量の変化
 1880年代および単位面積当たりの肥料生産量より推定された1910年代の肥料生産量と窒素,リン酸,カリに換算した場合の単位面積当たりの投入量を表2に示す.1880年代の自給肥料生産量は5580.6 tonと推定された.これは1910年代の堆肥・厩肥の生産量の約2倍であった.さらに,農地10a当たりの肥料供給量に換算した場合,1880年代には760.7 kgと推定され,1910年代の293.1 kgの約2.6倍であった.すなわち,1880年代には,1910年代に比べ,肥料の供給源である森林・草地が広いため自給肥料の生産量が多く,さらに消費先である田・畑が少なかったため,単位面積当たりの肥料供給量が多かったと推定された.
 また,単位面積当たりの窒素,リン酸,カリの投入量(kg/10a)をみると1910年代の最大投入量がそれぞれ1.48,2.42,2.41,1880年代の最小投入量が1.37,2.37,3.37であり,大きな違いは認められなかった.すなわち,明治初期の旧阿見村においては,山林・草地を利用した自給的な農業が可能であったと考えられる.

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