日本地理学会発表要旨集
2005年度日本地理学会秋季学術大会
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農業構造調整下における中国河北省鄭章村の生薬生産
*王 岱
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p. 47

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抄録

_I_ はじめに1978年から、生産責任制が中国の農村地域に導入されたことによって、農民の生産意欲が引き出され、農業生産性の向上につながった。しかし、現在においても、農民の収入は依然として低水準にとどまり、都市と農村の所得格差は顕著である。また、2001年、中国のWTOへの加盟以降、輸入農産物の増加による打撃を防ぐため、中国政府は競争力をもつ農業の育成に努め、全国的規模で地域農業再編を推進し、農民所得の増加を目指す農業構造調整を実施してきた。農業経営の領域において、主に穀物を中心とした食糧作物から適地適作の原則に基づく工芸作物(繊維作物、油料、果実、薬材など)への転換調整が急速に展開されてきた。 本研究は、華北地方に位置する河北省鄭章村を取り上げ、1978年の改革開放政策の実施以来、特に、1999年以降の農業構造調整下における生薬の生産と加工の実態解明を目的とする。_II_ 鄭章村の概要 鄭章村は中国を代表する漢方生薬の生産および集散地として古くから知られている河北省安国市の中部に位置し、首都北京市と重要商業都市天津市との距離はともに約250kmである。2005年4月時点で、鄭章村の人口は3,990で、農家戸数は997戸である。一人当たり約8.7aの耕地を均分に割り当てられ、農家の家族員数の違いによって、各戸の自作地面積は、相当のバラつきがある。現在、鄭章村における農業生産は小麦やトウモロコシなどの食糧作物と薬用作物が中心となっている。主に生産されている生薬は約50種類であり、生薬の出荷と関連加工品の販売は農家の重要な収入源となっている。_III_ 生薬生産の発展過程と土地利用の現状鄭章村における生薬生産は建国(1949年)以前から行われていた。しかし計画経済時代(1956_から_1982年)には、食糧作物以外の農作物の生産・加工・流通は厳格に制限されていた。改革開放以降、特に1999年から、特産品として生薬の栽培が積極的に行われるようになり、また、付加価値の向上を目的に、ほぼ全ての農家は生薬の加工業を経営してきた。農家は自作地だけではなく、他農家から耕地を賃貸し、生薬の栽培を行ったり、他地域から加工原料として生薬を買い付けたりするなど、様々な手段を利用し、収益の向上を図ってきた。土地利用においては、生薬関連産業の発展にともない、生薬の栽培面積が拡大する傾向にあった。また、生薬は頻繁な管理作業が必要であるため、主に住宅地の近辺や道路の両脇など通耕が容易な場所で栽培されている。しかし、近年、生薬市場変動の激化や農業従事者の高齢化によって、鄭章村における生薬の生産量は減少傾向に転じた。特に、2002年から、中国政府による食糧作物の生産者価格調整によって、食糧作物による安定収入を求め、食糧作物の作付け比率を引き上げる農家が目立つようになった。 _IV_ まとめ鄭章村における農業の変容、とりわけ生薬生産の発展は、中国政府の農政転換による影響が大きい。農業構造調整が提唱されることを受け、国内における最大規模の“安国市漢方生薬専業市場”に近接する地理的優位性を発揮し、長年の栽培経験を有する生薬生産は村民の農業収益の増加をもたらした。しかし、それとともに、労働力の都市的産業への流出、2001年以降の生薬加工制限による収入格差の拡大などの問題点も現れている。

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