日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 115
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旧鉱山都市における産業遺産の保存と活用
愛媛県新居浜市を事例として
*森嶋 俊行
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抄録


1.はじめに
 1970年代以降,先進工業国において産業構造の大転換が進む中,にわかに注目を浴びるようになったのが産業遺産である.これは,古い工場や鉱山跡地など建造物や土木構造物,機械類,これらに関連する社会活動のために使用された場所などを指す概念で,脱鉱工業化の進んだ欧米各都市において,脱鉱工業化後の「まちづくり」や,主にヘリテージツーリズムに活用することによる地域振興のために活用されている.
 日本においても,1990年代以降,政府及び地方自治体がしばしば「産業遺産」という用語を取り上げ始めるようになり,現在では「産業遺産の保存と活用」を政策の柱に掲げる地方自治体も存在する.
 この産業遺産は,文化財の一種とみなすこともでき,国,地方自治体,そして,地域住民はこれをアイデンティティのよりどころの一つと考え,保存運動や観光化の流れの中で様々な価値付けを行おうとする.この中にあって,産業遺産がその他の文化財に比べて持つ大きな特徴は,「近代」との深いつながり,そして,上に述べた主体に加え,「企業」と言う主体が,そのあり方に深く関わってくる点である.
 今後,先進国工業の再編が進み,経済の中で第三次産業の比率が高まるにつれ,企業と地域,特に地域住民の関係はより多様化し,企業の地域への関わり方についての議論はより深められるべきものであると考える.本稿では,産業遺産のあり方が,地方自治体と住民,企業の産業遺産に対する考え方によって規定されることを示し,これらの関係について論じたい.
2.研究対象事例
 本稿の研究事例,愛媛県新居浜市はかつての別子銅山が位置した鉱山都市である.江戸時代に「旧別子」と呼ばれる山間部にはじまった別子銅山は採掘が進むとともに,1973年の閉山に至るまで,何度かより標高の低い地区に採鉱中心地を移動させ,これに付随して鉱山町も移転していった.
 1990年代以降,新居浜市は産業遺産を用いた地域振興策を試みる.その中心は,20世紀前半に採鉱本部のあった地に新たに建てられたレクリエーション施設である.かつて鉱山を経営してきたグループ企業は,これに一部出資し,また土地を貸与しているものの,経営に関わることはない.
 さらに標高の高い江戸時代の採鉱中心地は既に無人の地区となっている.新居浜市は産業遺産を巡るルートにこれらの廃墟を組み込む一方,かつての経営者はここに植林事業を行い,自然に帰そうとしている.
 海に近い平野部にも「産業遺産」とよばれる物件は存在し,新居浜市とかつての経営者は博物館を運営している.一方で,市街地の中にあるこれらの物件の中には,社宅や工場など,現在に至るまで利用されている物件も多く,これらを活用したいと考える市と現在の利用を鑑みてこれを産業遺産とみなさないかつての経営者の間に,産業遺産に対する考え方の齟齬が見られる.
3.おわりに
 今後,近代を再評価する,と言う試みがますます盛んになるとともに,産業遺産への関心はさらに高まると考えられる.この時,現実に産業遺産を所有し,経済的な活動を行っている企業の考え方は,産業遺産の保存と活用を行う上で,その方向性を巡る重要な要因となるであろう.産業遺産の保存と活用の動きは政府,地方自治体と住民,企業の関係を与える上で重要な視角を与えることになると考える.

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© 2008 公益社団法人 日本地理学会
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