日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 203
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ウィーン市ブルンネン地区における都市再生と住民参加
*川田 力
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抄録


 1980年代後半の東ヨーロッパ諸国の政治改革、1995年のオーストリアのEU加盟、2004年のEUの東方拡大は、かつての東西ヨーロッパの境界に近接するオーストリア最大の都市であるウィーン市に様々な影響をもたらした。とくにEUの拡大による中央ヨーロッパ地域の再編は国際的な都市間競争や都市間連携を促進する方向に展開しつつあり、こうしたなかで、ウィーン市は中央ヨーロッパ地域の中核的地位を維持・獲得するために都市開発や都市再生プロジェクトを積 極的に展開している。
 また、上述の社会情勢の変容はウィーン市の人口動態にも変化をもたらした。1980年代前半に12万人前後で推移していたウィーン市の外国人人口は1990年代前半にはほぼ倍増し、2005年には30万人を超えた。この過程で、公的な住宅政策の対象外となる外国人の居住地分離が進展し、ウィーン市の内部市区を取り囲むギュルテル(Guertel)と呼ばれる環状道路の付近の1900年代初頭に建設された労働者向け集合住宅が密集している地区などで外国人居住者の割合が高くなっている。こうした地区では、建物自体や設備が老朽化しているばかりでなく、部屋が狭小かつバスルームがなくトイレも共用の物件となっているなど居住環境が劣悪なため改修・改築が不可避な集合住宅が多く、さまざまな都市再生プロジェクトの対象地域となっている。しかし、上述のようにこれらの地区ではエスニック集団によるコミュニティが形成されていることが多く、事業実施にあたってそれらのエスニック集団への配慮が必要となる。
 本研究の目的は、ウィーン市のブルンネン地区を例に、ウィーン市の都市再生プロジェクトの動向を確認するとともに、プロジェクトへの住民参加とその過程におけるエスニック集団の関与の実態を明らかにすることである。
 ブルンネン地区はギュルテルの外側に隣接する16区(Ottakring)の東端に位置する。当該地区には東西方向には3路線の路面電車が、南北方向には地下鉄6号線が走っており交通の利便性が高い。また、地区の中心を南北に貫くブルンネン通り(Brunnengasse)は週日は食料品や衣料品などを扱う市がたつ商業地区となっている。当該地区は1984年に老朽化した建築物が多いことから再開発地区に指定されたが、90年代に入るとスラム化傾向が確認される地区として1996年からのEUの補助金を受ける都市再生プロジェクトURBAN Wienの重点整備対象地区の一部に組み込まれた。2001年からはURBAN Wienの後継プロジェクトとして、ウィーン市が指定したURBAN Plusプロジェクトのなかで住民参加型の地区再生計画が検討・立案された。
 再生計画立案においては公共空間の有効活用、建築物の更新、市場の整備などが重点課題とされた。計画案は、ウィーン市・16区・ブルンネン地区の3段階で平行して検討されたが、ブルンネン地区ではエスニック集団を基盤とする非公式な商業者組織およびその代表者が一定の役割を果たした。また、広報紙の配布・郵送等を通じて非公式な参加を促進するためにブルンネン地区ネットワークが組織され情報公開が図られた。
 当初のプロジェクト立案から住民参加による地区再生計画の立案まではスムーズに進展したが、計画の実現に際しては現実的課題が残された。また、商業者組織を通じてエスニック集団の参加がなされたものの、深刻な問題を抱えている外国人居住者の参加はあまりみられず、行政当局および地区ネットワークのより積極的な広報活動が求められる。

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