日本地理学会発表要旨集
2015年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 814
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発表要旨
沖縄県本部町におけるカツオ漁の衰退と餌料採捕漁場の変遷
*吉村 健司
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抄録

沖縄県本部町は、県内でも有数のカツオの水揚げの地として名を馳せてきた。しかし、近年は衰退傾向にある。燃料価格の高騰や後継者不足の問題などの社会問題に加え、南西諸島域のカツオ漁の独特の問題として餌料確保の点が挙げられる。カツオ漁では、キビナゴなどのイワシ系の小魚を撒きながら漁を行う。そのため、餌料の入手は、カツオ漁の操業の可否決定要因の一つである。  本報告で対象とする沖縄県本部町のカツオ漁では、2010年にカツオ一本釣漁船団の「第十一徳用丸」(徳用丸)が解散した。徳用丸は餌料採捕班とカツオ釣獲班による船団内分業を採用する、沖縄に古くから存在した形式を保持した船団であった。ところが、徳用丸も餌料採捕の問題を含む冒頭に挙げた諸点を理由に解散した。現在では5名体制から「第二黒潮丸」が操業しているものの、規模は徳用丸と比べ、小さく漁獲量も少ない。餌料は自ら採捕しているものの、安定的に採捕できていないのが現状である。本部町のカツオ漁において餌料採捕の状況がカツオ漁の盛衰とは無関係ではない。そこで、本報告では本部町のカツオ漁の衰退要因として挙げられる餌料採捕の状況について、その変化について報告を行う。  現在、本部町におけるカツオ漁は、水産業に占める生産額、水揚量のうち約3割を占める主力漁業となっている。カツオ漁に用いる餌料採捕では、古くから「四艘張網」と呼ばれる集魚灯と敷網を用いた漁法が用いられてきた。集魚灯により魚を集魚し、4艘の船を四方に配置し、網を張り、そこに魚を誘導する漁法である。この漁法は1970年以降、沖縄県では本部町のみで行われてきた漁法である。現在も集魚灯によって魚を網に誘導する漁法であるが、かつてのような四艘張網ではなくなっている。この漁法は集魚灯の明かりによって魚をおびき寄せるため、沖縄で多く流出する赤土は、集魚効果を減少させるため操業の疎外要因となる。また、同様の理由で月夜には操業ができない 1970年台には本部町のカツオ漁における餌料採捕漁場は、運天港(今帰仁村)、瀬底島(本部町)、名護湾(名護市)というように、本部半島一帯を利用してきた。特に運天港は最大の漁場で、本部町のカツオ漁の歴史において欠かすことのできない漁場といえる。その後、本部町周辺では、埋め立てや橋梁建設などが相次ぎ、本部町沿岸域、特に瀬底島周辺の利用が減少し、利用の中心は運天港に集中することとなった。名護湾は、旧暦の9月過ぎに吹き始める季節風であるミーニシ(新北風)が吹き始める頃に利用する、補完的な漁場であった。これは本部半島の山々が風を遮るため、操業が行いやすいためである。逆に、運天港では風の影響を受けるため操業が困難となる。現在は、母港である渡久地港の地先のみを利用しているのが現状である。渡久地港地先では運天港と違い、カツオ漁の出漁に耐えうるほどの餌料を採捕できないことも多々あり、餌料採捕漁場としては、決して十分とはいえない。  本部町のカツオ漁の餌料採捕漁場は、カツオ漁の衰退とともに、利用してきた漁場が縮小していった。カツオ漁の出漁可否の決定要因は餌料にあることから、大規模漁場の運天港の利用こそが、カツオ漁の安定操業に重大な貢献を果たしてきたことがわかる。 

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