日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 915
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要旨
鷲使いと環境共生観の物語
カザフ騎馬鷹狩文化のイヌワシ捕獲術と産地返還の現状評価
*相馬 拓也
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抄録

1.  はじめに
モンゴル国西部アルタイ地域で受け継がれる騎馬鷹狩文化では、メスのイヌワシ (Aquila chrysaetos daphanea)のみが鷹狩用に馴致される。鷹匠(以下、鷲使い)たちは巣から幼鳥ヒナワシを捕獲するか、成鳥を罠や網で捕獲し、狩猟伴侶のイヌワシを訓育する。しかし近年、イヌワシ交換や取引が、ワシを求める鷹匠や地域の遊牧民にとっての「現金収入」「生活資金源」となりつつある。また、イヌワシ馴化や飼養に未熟な鷲使いやデモンストレーターたちが増え、イヌワシの病死事故も増加傾向にある。本発表では、野生動物保護と、騎馬鷹狩文化の存続を表裏一体の現象ととらえ、(R1) 鷲使いたちによるイヌワシの捕獲頻度、飼養期間、離別の実数とその理由、(R2) イヌワシの入手経路と地域間取引・交換、の知見をあきらかとした。また予備的に地域の鷹匠たちによる伝統的なイヌワシ捕獲術と、65地点の鷹取場のローカルな名称を記録した。 本調査では、2014年9月20日~10月5日までの期間、バヤン・ウルギー県各地に在住の42名の鷹匠から構成的インタビューにより集中して情報を収集した。  

2.  結果と考察
R1. イヌワシの入手/離別履歴とその理由: 鷲使いによるイヌワシ入手履歴222例/離別履歴167例を調べ、1960年代から現代までの入手/離別方法の割合と特性を詳説した。もっとも古い入手事例1963年から2014年まで、51年間の履歴(合計n=222例)が特定された。イヌワシの年齢別で見てみると、全体の48.6% (n=108)が1歳齢(バラパン)の入手となり、年齢が1歳増すごとに、入手件数は半減する傾向にある。とくに1~3歳齢での入手が全体の86.0%を占め、4歳齢以降のワシの馴致は全体の14.0%以下となった。7歳齢以降の老齢のワシはほぼ馴化段階では選択されない。 イヌワシとの離別では、自然へと放つ「産地返還」の習慣が全体個体数の43.7%にとどまり、廃れつつある現状が見うけられる。また「死別」(16.2%)と「逃避」(19.8%)が全離別個体の36.0%を占めており、馴化と飼養の技術継承や伝統知の喪失が危ぶまれる結果が提示された。ただし、「産地返還」と「逃避」を合わせると全離別個体の63.5%を占め、くしくも技術不足での高い逃避率がイヌワシ全体の自然回帰率を押し上げている。 R2. イヌワシの地域間取引の現状: 産地の特定できているイヌワシ222例のうち、地元での捕獲個体が61.7% (n=137)、他地域からの引取個体が38.3% (n=85)の結果となった。他地域産の受入個体は、アルタンツォグツ(48.0%)、サグサイ(46.8%)、ツェンゲル(42.9%)で多く、ウランフス(30.8%)、アルタイ(29.0%)でも受入が行われている。一方、トルボ(18.8%)、ノゴンノール(5.6%)、デルーン(0.0%)となり、地元産の捕獲個体を飼養する割合が高い。このことから、バヤン・ウルギー県ではとくに県北の各村で、イヌワシの活発なやりとりが行われている。それらイヌワシ個体の多くは、県南から県北への移動や委譲の傾向がうかがわれる。 イヌワシ入手/離別履歴からカザフ騎馬鷹狩文化を鳥瞰すると、鷲使いの人口と新規参与者が減少傾向にあるにもかかわらず、イヌワシの入手件数は増加傾向にある。とくに1990年頃を境に増加傾向にあり、2003年には入手件数が激増した。これは1990年以降の民主化により、伝統文化への規制がなくなったことが背景にある。また2000年および2002年に相次いで開始された、カザフ民族文化の祭典「イヌワシ祭」の顕著な影響と考えられる。  

3.  今後の展望
本論は、カザフ騎馬鷹狩文化のイヌワシの入手/離別に特化したエスノグラフィを、構成的インタビューの結果から描きだした。カザフ鷲使いたちのこうしたイヌワシの取引が、イヌワシの繁殖や個体数にどの程度の影響を与えているかは、現時点では把握できていないため、今後の課題として環境アセスメントの必要性を強く提示する。イヌワシの捕獲や取引にかんする実効力のある法規制や制度は、モンゴル国内では現時点では存在しない。しかし、自然資源の保護と鷹狩文化の保護は表裏一体であり、今後行政レベルでも踏み込んだ対応が求められるといえる。

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