日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: S1202
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要旨
ヒマラヤにおける氷河融解水の利用
*朝日 克彦
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抄録

1.はじめに コモンズとしての氷河の利用は多方面に及ぶ.氷河そのものがツーリズムのデスティネーションであり,アルプスや南米では氷河が世界自然遺産に登録されている.アルプスではスキーのフィールドでもある.氷河の融け水は急峻な山地の源流の水として,規模の大小を問わず水力発電に利用されている.一方ヒマラヤの氷河はとりわけ急峻な山地を起源とし,氷河の下半分は大量の岩屑(デブリ)に覆われており,アルプスなどの典型的な氷河景観とは異なる様相にある.ツーリズムの対象たり得ているとはいい難い.また水力発電も開発の余地が大いに残されている.   2.氷河融解水の灌漑利用 氷河の利用にあっては,氷河融解水の農業利用という側面もある.カラコルム(パキスタン)やチベット,ネパール中北部のムスタン地方では,氷河融解水を灌漑設備を通して農地に引水している.これらは年降水量が250mmを切る非常に乾燥した地域であり,農業には灌漑が必須である.とりわけカラコルムでは雨季は冬季であり,乾燥した夏季には氷河の融解水が農業に不可欠な存在である(例えば,Kreutzmann, 2000; Mayer et al., 2010).氷河の融解水は「グレーシャーミルク」と呼ばれるほど濃く白濁している.これは氷河が破砕した岩石を融解水が大量に含んでいるからである.したがって単純に氷河融解水を農地に散水すると,有機物を含まない大量の粘土で畑表面を覆うことになり,農業利用ができなくなる.またそもそも水温が低く,利水するに相応しくない.そこで,数キロに及ぶ長い灌漑水路で加温し,さらに多数のピット(水溜)を設置して,氷河融解水の懸濁物質を沈殿させる特殊な設備を備えている(図1).   3.ネパール東部での氷河融解水の利用 上述の地域とは対照的に,エベレスト山を源流とするネパール東部,クンブ地方では氷河融解水を利用した灌漑設備は皆無である.そもそもネパール東部は夏季モンスーンにより降水量が多く,農業高距限界(4300m)付近でも500mm以上の年降水量があり,じゃがいもやオオムギの栽培は天水で十分にまかなえるからである.また乾季は気温が十分に低く,氷河が融解しないので氷河からの融解水の供給はない.Fürer‐Haimendorf (1964)では当該域のオオムギ畑で灌漑を利用した農業が行われているとの報告があるが,氷河融解水ではなく湧水起源であろう.「乾期こそ氷河融解水に依存する」という言説は乾燥地にこそあてはまる事象である. 灌漑が高度に発達したヒマラヤ山麓ではどうか.河川は氷河起源とされる.しかし流域面積に占める氷河の割合は5%程度しかない.ガンジス水系で氷河融解水の占める割合は3%程度との水文モデル計算もある(Miller, 2012).河川の最源流域が氷河であったとしても,それをもって河系全体が「氷河起源」にはあたらない. このように,降水量の多寡(図2)を背景として,ヒマラヤの東西で氷河融解水の利水状況は大きく異なる.したがって,ヒマラヤを大観して「氷河融解水に依存している」とするのは誤りといえよう.

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