日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: S1307
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発表要旨
都市近郊の小規模ブドウ産地にみる観光農園経営の意義
-岐阜市長良地区を事例に-
*林 琢也
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抄録

1.研究目的
観光農園とは,都市住民を対象に農業者の生産した農産物の収穫体験や鑑賞,直接販売等を行うために整備した農園を指す。農村の自然環境と農業生産をレクリエーションの対象として利用している点に特徴がみられ,農村空間の商品化を体現する典型的な農業経営といえる。本研究では,岐阜市長良地区のブドウ狩りを例に観光農園経営の展開を検討し,その有効性と課題について考察することを目的とする。

2.「長良ぶどう」の誕生と発展,ブドウ狩りの衰退
岐阜市長良地区のブドウ栽培は,山梨県より移住した窪坂宗祐氏らが1922(大正11)年に長良河畔の農地にブドウを植栽したのが始まりである。当地域では,当時,養蚕が盛んで,桑園が広がっていた。ブドウの栽培が面的に拡大していくのは,昭和に入ってからで,高度経済成長の最中の1961年8月にブドウ狩りは開始された。最盛期の1964年には「長良川畔観光園芸組合」の会員数は54戸に達した。名鉄と提携し,市や農協,観光協会,バス会社等の支援を受け,大々的に行われていた。しかし,ブドウ狩りの人気は長くは続かず,集客力の低下した1970年代半ば以降は,沿道でのブドウの直売の方が販売方法の主流となっていった。さらに,生協との取引や農協の運営する直売所への出荷,住宅地への近接性を活かし,庭先や農地に幟を立てた簡易型の直売などの方法を重視する農家も増えていった。その結果,1990年代にはブドウ狩りに対応する農家は6戸となり,2017年現在,「長良ぶどう部会」には39戸が加入しているものの,ブドウ狩りを行う農家は2戸となっている。

3.ブドウ狩りの再興
1980年代~2000年代にかけて観光農園数は減少し続けたものの,その間も一定程度の需要は存在していた。こうしたなか,2008年以降,ブドウ狩りの入園者数は増加傾向に転じ,再び活況を呈するようになった。この変化に大きな影響を及ぼしているのが,同年より開始されたタウン誌への割引券の添付である。これによって,身近な地域の住民に「長良ぶどう」を再認識させるとともに,新たな観光需要を喚起することが可能になったのである。こうしたタウン誌は地元の飲食店や観光・レクリエーションに関する情報が多数掲載されているため,小さな子どもをもつ親や孫の手を引いた祖父母の入園を促すことに効果を発揮した。また,旅行専門雑誌にも長良地区のブドウ狩りの記事が掲載されている。こうした雑誌への掲載は,岐阜市および周辺地域からの入園だけではなく,「一宮」や「名古屋」ナンバーに代表される愛知県北部からの自家用車での訪問も増加させている。インターネットやSNSを通じて全世界に情報を発信可能な時代ではあるものの,長良地区のブドウ狩りは,岐阜・愛知周辺の住民が日常的に目を向ける多種の情報誌を上手く活用することで,身近な地域の潜在的な観光需要を実際に入園してくれる現実の観光客に転換させることを可能にしたのである。

4.長良地区における観光農園経営の意義
岐阜市長良地区のブドウ栽培は市街化区域内に多くの農地が包摂されているため,規模も小さく,ローカルなブドウ産地に過ぎない。ただし,周辺には競合するブドウ産地もなく,岐阜市から名古屋市に至る地域に居住する都市住民の観光レクリエーション需要を一手に引き受けることが可能なため,農園数やキャパシティ(受け入れ可能人数)に比して,需要過多の状態にある。ただし,現時点で観光農園経営に新たに参入する意思をもった農家はおらず,需要はあるのに,供給が足りないという状況に陥っている。これは,市街地に近接し,就業先にも恵まれ,通勤も容易なことから農家子弟にとって,農業での利潤の最大化を追求する必要性に迫られていないことも影響していよう。その一方で,沿道や庭先で直売のみを行う農家直売所では,販売量が停滞傾向にある農家も少なくない。
両者の差異はどこにあるのだろうか。ここでは,ブドウの生産現場を訪問し,ブドウを自ら収穫し,その場で消費するという行動自体に依然として大きな需要が存在し,それが,新鮮な農産物の購入や生産者との交流を目的とする直売や朝市よりも代替のきかない重要な存在となっていることを示している。
その意味では,日本において人々の生活や日常から農業にまつわる活動が縁遠いものとなっていることが,観光農園のニーズを高めているといえるが,根本的には,担い手の問題等が改善しなければ,人々の求める農業生産(物)や農村景観を維持することは難しく,観光農園による農村空間の商品化自体も刹那的なものになりかねないといえる。農村空間の商品化という視点は,単なる余暇やレクリエーション需要への対応のみならず,都市住民に「農」の価値を考えてもらうきっかけづくりの場としても機能させていくことが重要である。

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