日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 921
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発表要旨
近代日本における朝鮮地誌の出版とその系譜
*米家 泰作
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抄録

近代日本の地理学と植民地の関わりは,近年,様々な視点から検討されている。しかし地理学の制度化が進んだ大正期以前の地理的な営みに関しては,外邦図など軍事的なものを除き,研究蓄積が少ない。特に,植民地の地理に関して民間で流通した知識については,個別の事例を検討するだけでなく,全容を把握する基礎的な作業が必要だろう。 そこで本報告では,植民地旅行記の研究に引き続き,明治大正期(1868~1925年)に日本人向けに刊行された朝鮮半島の地誌的な文献について,出版の動向を捉える。これまで,櫻井(1979)が地誌類の目録を提示し,また矢津昌永や田淵友彦の地誌や旅行記に注目した研究があるが,個々の文献の紹介・分析にとどまっている。本報告では出版ブームの波や内容構成の変化に留意して,傾向の変化や系譜を把握する。その要点は次の4点にまとめられる。
 (1)   地誌を含む地理的な出版物の点数は,政治的・軍事的な出来事の勃発時に急増し,併合(1910年)後は地方誌が漸増しながら刊行点数が維持された(図表参照)。その著者・編者の多くは,近代的な地理学との関わりに乏しく,地理的知の需要に応じて機敏に参入した人々であった。
(2)   江華島事件(1875年)を機に,江戸期の古い文献・地図に依拠した文献が出され,次いで近世朝鮮で編纂された地誌や地図の利用が始まる。日清戦争(1894年)時にも幾つかの地誌的書物が編纂されたが,なお近世的な地誌の影響が強く,陸軍参謀本部の『朝鮮地誌略』(1889年)が活かされることもなかった。
 (3)   日露戦争(1904~05年)は拓殖や地理教育に関わる知的需要を喚起し,矢津や田淵,野口保興らが,近世的な地誌に代わる自然・人文地理を意識した構成を模索した。ただし,そこには地理的な論点を用いた植民地化の正当化があり,その端緒は『朝鮮半島の天然と人』(1900年)に遡る。
 (4)   日韓併合は,行政や拓殖に有益な『朝鮮誌』(1911年)のような詳細な地誌の出版を促したが,『朝鮮史』編纂事業とは対照的に,総督府による公的な地誌編纂の試みはなく,またアカデミックな地理学者による本格的な朝鮮地誌の試みも生まれなかった。
東京地学協会が地誌編纂に関わった台湾や樺太,あるいは地政学の関心の的となった「満洲」と比較して,朝鮮の地理に関しては,学術的な地誌編纂の取り組みに乏しいことが,むしろ特色であった。その背景として,民間からの地誌的書物の出版によって「実用的」な需要が満たされていたこと,また地理教育において新領土の地誌をカバーする動きが早かったこと,さらにアカデミックな地理学者の関心が植民地化された地域でなく,その次なる候補に向かったことが指摘できる。アカデミックな地理学の外側ないし周縁で,地理的知が政治情勢を後追いする形で生産ないし流用され,近代日本の植民地主義を支えたことについて,さらなる検討が必要であろう。

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