日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P012
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発表要旨
上高地・明神岳南面で発生した岩盤崩壊とそれによる明神池の形成
*苅谷 愛彦森田 真之
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抄録

はじめに  上高地の明神池周辺には起源不明の巨礫群が存在する.本研究ではこれらの巨礫群について分布と礫種を明らかにし,巨礫群の供給域と供給プロセスを推定した.そして巨礫群が近傍の急斜面で発生した岩盤崩壊に由来すること,および明神池の形成に関与したことを論じた.
地形・地質:<地形>明神池は一之池と二之池から成る.二之池の西に湛水凹地があり,三之池と俗称される.明神池の北に明神岳(2931 m)がそびえ,無名沢A,B,Cの沖積錐が張り出す.また池の南には梓川とその氾濫原が広がり,東西には下宮川谷とワサビ沢の沖積錐が張り出す.二之池と梓川氾濫原の間に小池沼が存在するが,それらは人工開削されたものである.<地質>明神地区の梓川右岸は第四紀の前穂高岳溶結凝灰岩層やカルデラ壁崩壊角礫岩層,古第三紀-白亜紀末期の奥又白花崗岩,ジュラ紀の砂岩泥岩互層とこれを母岩とするホルンフェルスから成る.同左岸はジュラ紀の砂岩泥岩互層から成る.他に崖錐堆積物や沖積錐(小扇状地)堆積物が分布する.
方法:空中写真や1 m-DEM(松本砂防事務所)傾斜量図・陰影図による地形判読,野外における巨礫(長径≧2 m)の分布・礫種調査および地質記載を行った. 結果:巨礫の分布と礫種 巨礫群は二之池をまたぐように,図の破線内に限り分布する.巨礫群は周囲より数10 cmから数m高い微高地を成し,穂高神社や嘉門次小屋は巨礫群の分布限界に接して建てられている.一方,一之池や三之池の周辺および梓川左岸に巨礫群は分布しない.梓川右岸の侵食崖では,巨礫群の地下に粗砂や細礫を基質とする層厚4 m以上の礫層(角礫・亜角礫)が存在する .巨礫群(以下,この語は上述の礫層も含めて用いる)は全量が前穂高岳溶結凝灰岩層の岩屑から成り,他の礫種を含まない.巨礫群の現存面積は約7.2×104 m2で,平均層厚を5 mとした場合の巨礫群全体の体積は約3.6×105 m3となる.
議論1:巨礫群の推定供給域と移動プロセス  分布形状(図)からみて,巨礫群は明神岳南面の岩壁から供給されたと考えられる.特に,無名沢Bと同Dの上部には馬蹄形の急崖が2つ確認できる.このうち急崖Bには砂岩泥岩互層とホルンフェルスのみが露出する.一方,急崖Aには前穂高岳溶結凝灰岩層のみが露出し,一帯は南西に傾く(N35°W37°S)平滑なスラブを成す.これらの事実に基づくと,巨礫群の供給源は急崖A一帯と判断するのが合理的である.   急崖A付近において,傾斜した前穂高岳溶結凝灰岩層中の葉理面がすべり面となり,岩盤崩壊が発生して岩屑が供給・移動したと考えられる.巨礫群が河川成か氷河成であれば,礫の円磨度や礫種はここに示した事実と異なるはずである.なお,これと同様の岩盤崩壊は明神地区の北約3.5 kmの前穂高岳北尾根東面(前穂高岳溶結凝灰岩層)でも発生し,大量の岩屑が梓川谷底・左岸に達している.
議論2:巨礫群と明神池  一之池は巨礫群が梓川や無名沢Aの河道を堰き止めて生じたと考えられる.二之池は河道を堰き止めた巨礫群が後に侵食・運搬されて生じた微凹地を起源とする可能性もあるが,巨礫群をほぼ完全に侵食・運搬する能力がこれらの河川にあったかどうかは疑わしい.むしろ斜面を急速に移動した岩屑が在来の氾濫原を浅く穿ち,それが湛水したことも想定される.崩壊発生期は未詳である.しかし穂高神社はAD1693に明神池畔に存在したとされるので,江戸時代初期かそれ以前に遡るのは確かであろう.

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