日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 826
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発表要旨
近代日本のコロニアル・ツーリズムと哈爾浜
帝国の前線と「ロシア」体験
*米家 泰作
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抄録

文化史や教育史,文学史,そして地理学から,近代日本のコロニアル・ツーリズムに関する研究が進んでいる。報告者は,植民地となった朝鮮半島や,それに準じる中国東北部(満洲)への旅行記の検討を踏まえて,前者が「過去の日本」として,そして後者が「帝国の前線」として体験されたことに,関心を寄せてきた。本報告では後者の点を検討すべく,20世紀前半の哈爾浜(哈爾賓)を取り上げる。
 日露戦争後,鮮満旅行が実業家や教育者の間で次第に盛んになったが,哈爾浜がその主要な訪問地となるのは1920年代半ば以降である。特に,「満洲国」が1932年に成立し,1935年に新京(長春)以北の北満鉄路(東清鉄道)をソ連から買収すると,多くの日本人旅行者にとって,哈爾浜は鮮満周遊の北端となった。1937年には哈爾浜観光協会が設立され,日本人旅行者への観光案内を主導した。
 日本人旅行者は,一方ではロシアの近代的な計画都市・哈爾浜を高く評価しつつも,ロシア(ソ連)への対抗を意識し,伊藤博文暗殺や日露戦争(諜報員銃殺)に関わる場所を積極的に訪問した。ロシアの影響力が失われた後も,ロシアが築いた教会や墓地,百貨店,レストランなどは,ヨーロッパ的な風景や情緒を体験できる場所として,観光コースに組み込まれた。さらに男性旅行者にとっては,歓楽街で接客するロシア人女性が,ヨーロッパへの憧憬をかきたてると同時に,ヨーロッパに対する優越感を与えてくれるアンビバレントな存在となっていった。
 近代日本の旅行者にとって,哈爾浜とは,ロシアとの帝国主義的な争いと、そこでの勝利を象徴する都市であり,「夜のハルピン」は歪んだオクシデンタリズムを掻き立てる場所となった。中国東北部の他の都市や地域の検討については,今後の課題としたい。

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