日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 816
会議情報

発表要旨
深圳における越境通学児童の発生要因と現状
*柴田 陽一
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

Ⅰ はじめに
  2017年には3万人に達した越境通学児童(中国語では「跨境学童」)は,いついかなる要因で発生したのか.いかに通学しているのか.越境通学するメリットとデメリットは何か.越境通学という現象が意味するものは何か.本報告は,2017年8月に実施した現地調査に基づき,これらの問いに答えようとするものである.

Ⅱ 現地調査の概要
 中山大学大学院生の呉寅姗氏と共に,越境通学児童の母親たちに聞き取り調査を行った.インフォーマント探しは,深圳出身である呉氏の母親のネットワークを利用した.そのため,事例の代表性については問題なしとしないが,代わりに濃密な話を聞くことができた.聞き取りをした13人のうち,10人が越境通学児童の母親だ.子どもの数は2~4人.主婦も働いている人もいる.
 加えて,6つの口岸(羅湖=1887年建設,沙頭角=1985年,皇崗=1991年,文錦渡=2005年,深圳湾=2007年,福田=2007年)で越境通学児童のための専用施設の有無を観察したり,サポート機関であるNGOや学習塾を訪ねて話を聞いた.

Ⅲ 越境通学児童の発生要因
 越境通学児童が発生した要因は大きく三つある.一つ目は,一人っ子政策が第二子以降に課していた罰則(超過出産費の徴収,社会養育費の徴収など)の存在である.二つ目は,2001年7月19日に出た「荘豊源案」判決により,両親とも香港籍・香港居住権を持たず(「双非」と呼ばれる)とも,香港で産まれた子どもは香港居住権の資格を取得できるようになったことである.それ以降,第二子出産により罰則を受けるくらいなら,香港に越境して出産しようとする人々が急増した.2012年4月に公立病院が,翌年1月には私立病院も中国本土の妊婦の受け入れを中止したが,それまでの10数年間に生まれた子どもの数は約18万人に上る.
 ところで,香港居住権を持つ子どもであっても,両親と深圳に居住しているのであれば,付近の学校に通うという選択肢もある.その場合,越境通学児童とはならない.しかし,越境通学児童数は,2007年度(中国は9月から新年度開始)は5,859人,2010年度は9,899人,2014年度は24,990人,2015年度は28,106人と増え続け,2017年度に3万人を突破した.今後は2018年度にピークを迎え,その後は減少すると予想されている.2012-13年の妊婦受け入れ中止がその理由である.
 では,なぜ越境通学をするのか.香港居住権を持つ子どもには,香港永久住民と同じ権利と義務が付与されている.そのため,香港の義務教育を無償で受けることができる.逆に,居住地である深圳の公立学校に通うには,香港居住権が仇となり,手続きが厄介であったり,余計に教育費を徴収されたりしてしまう.しかも,中国本土と香港における教育内容には違いがある.聞き取りによると,前者が詰め込み式の教育,後者が自主性を尊び,自分で考える力を育てる教育だという意見が多かった.こうした点が三つ目の要因である.なお,実は深圳にも香港人学校が2校あるものの,教育費が高いため越境通学を選ぶ人が多いようだ.

Ⅳ 越境通学の方法とその問題点
 越境通学児童のいる家庭の朝は早い.深圳側で自宅から口岸まで,香港側で口岸から学校までの移動をせねばならないからだ.そのため6時半には家を出るという家庭も少なくない.移動手段は両側とも徒歩・公共交通機関・スクールバスという選択肢がある.深圳側ではそれに自家用車が加わる.
 スクールバスの会社は数多くあるが,サービス内容から越境バスと当地バスに大別できる.越境バスは,バスから下車せずに越境できるもの(利用口岸は沙頭角・皇崗・文錦渡)とそうでないもの(深圳湾)にさらに分けられる.便数は,2014年度は170,2015年度は207,2016年度は223と増加傾向にある.
 当地バスは,あくまで深圳側の羅湖・福田口岸までの移動をサービス内容とする.口岸を越えた後は,また別の移動手段で学校を目指す.口岸の両側には,越境をサポートするスタッフを配置し,児童の安全を確保しているようだ.
 居住地区とサービス内容により料金は異なるが,いずれにせよスクールバスの費用は家計の大きな負担である.通学時間も通常より長くなる.さらに,香港の教育を受けるには,広東語・繁体字・英語も学ばねばならず,学習塾に通う例も珍しくない.

Ⅴ 越境通学が意味するもの
 では,この越境通学という現象は,一体何を意味するのか.発表当日は,聞き取りで得た「生の声」と,本土側・香港側の両者から見た境界(border)の作用とに注目して,詳しく考察する.

著者関連情報
© 2018 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top