日本地理学会発表要旨集
2019年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P053
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発表要旨
完新世後期の青森平野南部において生じた急激な地形環境変化
*小野 映介小岩 直人
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抄録

Ⅰ.はじめに
 青森平野の臨海部には浜堤列が発達しており,その内陸側には堤川(荒川)をはじめとする諸河川によって形成された地形が認められる.当地における最終氷期以降の地形発達の特徴としては,1)十和田火山の火砕流による埋積と大河川がないことにより沖積層下に明瞭な埋没谷が形成されなかった.2)それにより縄文海進の時空間的広がりが小さかった.3)海岸部に浜堤列が形成される一方,内陸部では湿地が形成された.といった点が挙げられる(久保ほか2006).このように,青森平野の地形発達の概要が明らかにされるとともに,流入河川の上流域の地質が平野の地形発達に影響を及ぼしたことが指摘されている.しかし,海岸部に認められる浜堤列の詳細な形成時期や,堤川などの河川の動態(平野内でどのように土砂を運搬・堆積させたのか)については十分に解明されていない.
現在,筆者らは上記の問題を明らかにするために調査を進めており,浜堤の形成時期に関する研究成果の一部は髙橋ほか(2017)で公表した.また,これまでほとんど情報が得られていない平野南部の地形環境変遷を明らかにするための手がかりとして,2016年から2017年にかけて青森県埋蔵文化財センターが実施した篠塚遺跡の発掘調査に参加し,地質調査を実施するとともに周辺の地形の特徴についての検討を行ってきた.
 本発表では,篠塚遺跡周辺の地形・地質調査の結果を提示するとともに,完新世後期の青森平野南部において急激な地形環境の変化が生じた可能性を指摘する.
Ⅱ.篠塚遺跡周辺の地形
 主に平安時代~中世の遺構・遺物が検出されている篠塚遺跡は,青森平野南部の堤川と牛館川の合流点のやや上流側に位置する.遺跡周辺の地形は,堤川沿いの現氾濫原面と遺跡が立地している段丘面に大別され,両者の比高は約5 mである.現氾濫原面には小崖や旧河道が認められ,堤川は同面を約2 m下刻して流れている.一方,段丘面は堤川の右岸と左岸で様相が異なる.遺跡が立地する前者には,幅が狭く直線状の侵食谷の発達が複数個所でみられ,それらは堤川の現氾濫原面へと連続する.また,後者には現氾濫原面との境界部に自然堤防やクレバススプレーの発達が認められる.
Ⅲ.篠塚遺跡における地質調査結果
 遺跡範囲内で行われた深掘り調査では,地表面下1.7 m(標高10.6 m)以深に黒色~灰色の極細粒砂混じり泥層が広範囲に堆積していることが明らかになった.同層の最上部に挟在した木片について放射性炭素年代測定を実施したところ2,955-2,790 calBP(2σ: Beta-454462)の値が得られた.
 黒色~灰色の極細粒砂混じり泥層は,主に褐色や暗褐色を呈する泥層・砂層・砂礫層によって不整合に覆われている.これらの泥層・砂層・砂礫層には火山性の物質が多く含まれ,遺跡範囲内で複雑な指交関係を呈しながら堆積しており,砂礫層においては明瞭なフォアセットラミナが確認された.なお,平安時代~中世の遺物包含層は地表面下の浅部に認められ,また,同層には縄文時代の遺物も混在する.
Ⅳ.篠塚遺跡周辺における地形環境変遷
 2,955-2,790 calBP以前,篠塚遺跡では有機物を多量に含む細粒物質が堆積する環境であった.その後,当地では泥層・砂層・砂礫層が「蛇行河川システム」(斎藤2003)のもとで堆積する環境へと変化した.篠塚遺跡の立地する段丘面では,完新世後期(2,955-2,790 calBP以降)における堆積物の垂直累重が認められる.したがって,堤川による下刻,すなわち現氾濫原面と段丘面の分化は上記の年代値以降に生じたと考えるのが妥当であろう.
 篠塚遺跡における層相・層序や堤川左岸の段丘上における自然堤防やクレバススプレーの存在は,完新世後期における段丘化の直前に大量の土砂供給が生じたことを示唆する.一方,堤川の下刻にともなう現氾濫原面の形成や,遺跡周辺の段丘面を削る直線状の谷の存在からは,相対的な土砂供給量の減少と侵食基準面の低下が生じたことが推定できる.このように,当地における完新世段丘の形成要因は,河川による土砂供給量の増減によるものと考えられる.なお,土砂の増減を生じさせた要因については,今後の検討課題とした.また,篠塚遺跡周辺で生じた土砂供給量の増減は,堤川下流部(青森平野北部)の地形発達(内湾の埋積や浜堤列の形成過程)に影響を及ぼした可能性がある.今後は,その点を念頭に調査を進める予定である.

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