1. はじめに 大谷崩は安倍川源流の大規模斜面崩壊で,その主因はCE1707(宝永四年)宝永地震(M8.4)とされることが多いが,多量の土砂供給はそれ以前に始まっていたとの指摘もある.演者らは大谷崩の地形発達を再検討し,未報告の堰き止め湖・氾濫原堆積物(LD)を安倍川支流で見いだした.本発表では,CE1707以前から安倍川本流が土砂で埋積され,支流にLDが生じていた可能性を改めて指摘する. 2. 調査地域の地形・地質 LDが発見されたタチ沢(草木沢)は安倍川左支で,赤水滝直下に合流点がある.合流点一帯に厚い岩屑から成る堆積・侵食段丘面群が発達する.安倍川上流地域には砂岩・頁岩が広く分布するが,タチ沢流域に限り玄武岩と石灰岩も露出し,岩屑の供給域判定に有用である. 3. 方法 一般踏査と14C年代測定を行った. 4. 堰き止め湖・氾濫原堆積物の産状と層位 本流合流点から約0.5 km上流のタチ沢右岸露頭を記載した.露頭直下の現河床に砂質シルト層(SL)が露出し,その上に層厚4 mのシルト・砂礫互層(SG)が整合で載る.SGは玄武岩や石灰岩の礫を含み,明らかに草木沢由来である.さらに,SGには厚さ3 mの不淘汰粗粒岩屑層(DF)が整合で載る.DFは砂岩と頁岩の岩屑だけで成り,玄武岩や石灰岩を含まない.またDF上面は露頭上端の侵食段丘面である.この面のさらに高位(北側)にも別の段丘面が数面あり,それらのうち最高位の面は赤水滝周辺の本流性高位面と一連である.DFとこれらの本流性段丘面を成す岩屑は層相が酷似し,礫種も同一である.DFは大谷崩崩壊物質を主とし,本流を流下した土石流堆積物と判断される.また現河床のSLは砂層を挟み,河床下3.90 m深まで続くことをハンドオーガー掘削で確認した(下限未詳). 5. 堆積年代 SLの現河床下2.82 m深(試料A)と0.80 m深(B)の木片は,それぞれCE1646以降とCE1444~1620を示す(IntCal20;2σ).SLの現河床付近の2点の木片(C/D)は,それぞれCE1479~1635とCE1644以降である.SG最上部の木片(E)はCE1660以降である.A~Eの年代が逆転した原因は検討中であるが,新しい値であるAやD,Eを採用するとSLやSGはCE1600年代半ば以降の堆積物とみなせる.ただしSLやSGの年代がCE1707の前か後かは14C法の原理と年輪数の制約により判別できず,DFからも試料は見いだせなかった. 6. 安倍川本流の埋積と大谷崩の初生タイミング SLとSGは位置・高度や層相(上方粗粒化),礫種からみて,安倍川本流への出口が塞がれタチ沢に生じた堰き止め湖・氾濫原堆積物(LD)と判断される(堰き止めを生じさせうる局地的斜面崩壊は露頭と合流点間やその周辺に存在しない).またLDを直接覆うDFは本流沿いに発達する高位面の構成層と同一である.DFがCE1707に流下したとしても,その下位の厚さ7.9 m以上のLDの存在はCE1707以前から安倍川本流の埋積とタチ沢の閉塞が始まり水域が形成されたこと,すなわち本・支流の河況に著しい影響を及ぼす大谷崩の初生時期はCE1707以前であることを示す.赤水滝上流では安倍川左支三河内川の現河床下にも砂層や粘土層が伏在する.タチ沢のLDがこれらと同時代かどうかも含め,さらなる検討が必要である.演者らは本露頭とは別に,タチ沢の数地点で別のLDを確認した.また別の支流(コンヤ沢)でも本報と同様の解釈ができるLDを発見した.いずれも機会を改め報告する.