主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2022年度日本地理学会春季学術大会
開催日: 2022/03/26 - 2022/03/28
I 研究の背景と目的
現代日本の中山間地域における主要な問題の1つに,自家用車の自由な利用ができない者の移動手段や移動機会の確保の問題がある.公的部門は,事業者に対する補助金を交付してサービスレベルや路線の維持を図る,自身を運行主体とする代替の交通サービスを提供するなど様々な対策を行ってきたが,根本的な問題解決には至っていない.
中山間地域のローカルな公共交通の問題に対しては,個別の事例に対する研究が進められ,一定の社会的貢献をしているものの,全国で同時多発的に発生している問題の構造にアプローチして問題の解決に導こうとする試みは不足している.本研究では,中山間地域のローカルな公共交通に関する問題への対応政策を正当化する根拠を導出し,政策実践に批判的考察を加える枠組みを作ることを試みる.
II 日本における規範的議論
現行法制においては,中山間地域のローカルな公共交通の問題に関して,特定の規範に基づいて政策を実施するという動きは弱い.しかし過去日本において交通に関する規範を打ち立てようとする動きが試みられたことがある.
第一の動きは,憲法解釈から「交通権」という独立した権利を導出し,請求権を伴うものとして確立しようとするものである.こうした主張は日比野(1983)を皮切りになされたものである.協調する論者は「交通権学会」として結集し,国鉄問題をはじめとする交通諸問題に対する運動を展開していくが,十分な成果を上げたとはいえない.
第二の動きは交通に関する基本法に移動に関する権利を書き込もうとする取組みである.21世紀初頭,交通関連の法律が多数存在する中で基本法が存在しない状況を民主党と社民党が問題視し,2002年と2006年の2度にわたって議員立法として交通政策に関する基本法案を国会に提出した.両法案では,第2条第1項において,日本国憲法第25条の生存権と結びつけて移動に関する権利の保障を掲げたうえで,同条第2項において,日本国憲法第22条に準じる形で移動の自由を書き込んだ.民主党と社民党が2009年に政権を奪取すると,移動の権利を明記する交通基本法の制定に取り組んだ.しかし制定過程において,権利保障義務を負う主体として自治体が不作為を問われるのではないかという慎重意見が噴出し,2011年に提出された交通基本法案では移動の権利は明文化されなかった(山越 2011).
III アクセシビリティと交通の衡平
交通に関する規範を生存権から導出する場合,交通は手段であり,交通改善による生存権の保障をその他の手段による生存権の保障より上位に位置づけることはできない.こうした手段として交通を唱える潮流がアクセシビリティである.規範としてのアクセシビリティは,Moseley(1979)が「達することが可能な(get-at-able)」程度として概念化して以降,学術面で様々な貢献がなされた.また,「第三の道」を説くイギリス労働党ブレア政権(1997年~2007年)において,アクセシビリティを中心に据えた分野横断的政策実践がなされるなど,政策にも取り入れられてきた(Farrington 2007).
一方で,アクセシビリティ概念を採用し政策化する際には,確保すべきアクセシビリティの具体化という課題に直面する,この課題の解決に資するのが政治哲学や経済哲学などの規範的議論を基にあるべき交通の姿を探る「交通の衡平(transport equity)」という潮流である.
詳細な説明は当日行うが,生存権保障のための交通という考えは,「平等な基本的諸自由からなる十分適切な枠組への同一の犯すことのできない請求権」を軸とするRawls(2001)の第一原理から擁護できる.
IV おわりに
生存権保障のための交通を最低限保障すべきという規範は,明文化に失敗したとはいえ比較的広範な理解が得られている.また,Rawlsの規範的議論より擁護できるものである.以上より,生存権保障のための交通が最低限保障されることが正当であると結論付けられる.なお,これはあくまでも必要条件であり,他の要素から要請される交通政策を否定するものではない.本研究は議論枠組みの構築を目的とするものであり,今後はこうした規範に沿って実証的研究を進めていきたい.