アジア経済
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セミナー報告 ――『アジア経済』への招待――
セミナー報告② 現役編集委員が語る掲載への道(座談会)
有田 伸粕谷 祐子澤田 ゆかり岩﨑 葉子
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2018 年 59 巻 4 号 p. 73-88

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座談会にあたって自己紹介

岩﨑 みなさん,こんにちは。今日は本当に暑いなかをお集まりいただきまして,ありがとうございます。

私はアジア経済研究所の岩﨑葉子と申します。今,『アジア経済』誌の編集委員をやっていまして,専門はイランの経済です。『アジア経済』誌はあまり中東関係の投稿がないのですが,こういうセミナーを機会にどんどん増えてくれればいいなと思っています。

さきほど,佐藤章委員から非常にためになる投稿の極意が示されました。私も『アジア経済』に投稿することがありますので,初心に戻ったような気持ちです。今日は,現在『アジア経済』誌で編集委員をつとめていただいている外部の3人の先生方をお招きした座談会という形で,どちらかというと先生方の個人的な経験なども参考にしながら,査読付きジャーナルに投稿するということ,それから『アジア経済』の魅力などを語っていただきたいと思います。

それでは最初に先生方をご紹介します。一番向こうから,東京外国語大学の澤田ゆかり先生,慶應義塾大学の粕谷祐子先生,そして東京大学の有田伸先生です。よろしくお願いします。お一人ずつ,ご専門の分野,方法論,フィールドにされている国,地域,それから今,関心をもって取り組まれている研究テーマについて,ごく簡単にご紹介いただけますでしょうか。

澤田 私,専門分野は地域研究と自負しています。対象地域は中国,とくに香港を中心とする華南地方です。手法は社会政策論に傾斜しています。興味をもっているのは,社会保障制度の改革と人口の移動です。

粕谷 今日はよろしくお願いします。私の専門は,大きい括りでいうと比較政治学で,これは世界各国の国内政治を比較の観点から分析する政治学の一分野です。地域的には東南アジア,理論的には政治制度や政治体制変動の問題に興味をもっています。現在は,植民地から独立した後にでき上がる政治体制の類型についてアジア全域を対象に研究しています。

有田 有田です。よろしくお願いします。専門は大きくいうと比較社会学で,社会学がバックグラウンドになります。もともと大学院では,地域研究として韓国研究をやっていました。その後,もう10年くらい前からになりますが,日本と韓国の比較研究に手を染め始めまして,最近では韓国を比較対象とした日本研究をやったりしています。

具体的な研究テーマは,一般的にいうと格差や不平等の問題で,社会経済的な地位やポジションというものが,それぞれの社会において格差を伴いながらどのように構築され,それが人々の生活にどのような影響を及ぼしているのか,というような問題に関心をもっています。

有田伸氏

査読付きジャーナルに論文が掲載されることの意義

岩﨑 それでは,先生方にお話をうかがっていきたいと思います。まず一般論としてうかがいます。『アジア経済』誌を含めてですけれども,査読付きジャーナルに自分の論文が掲載されるということは一人の研究者のキャリアにとってどのような意味をもつか,例えばご自身を振り返られてどうだったかということについて,粕谷先生,いかがでしょうか。

粕谷 単著や依頼論文ではなくて,査読のあるジャーナルに論文を書くことを自分のキャリア形成や研究者アイデンティティのどのあたりに位置付けるかは,研究者としての「社会化」がどこで行われるかに大きく影響されるのではないかと思います。私はアメリカの大学院で博士号をとったのですが,先生方はもちろんのこと周りの院生も査読付きジャーナルに論文を投稿することは当然のことと考えていました。そういう環境にいたので,私自身も大学院生のときに査読付きジャーナルに何本か投稿していて,ラッキーにも掲載されています。日本で就職先を探す際にもそれが業績としてある程度評価されたのではないかと思います。また,最近のことでいうと,ついこの間,大学の方から査読付きジャーナルに論文を掲載して引用数を増やす努力をしてほしいと伝えられました。これまでそのような直接的なプレッシャーはなかったのですが,とうとう来たかという感じです。ここにいる若いみなさんが就職活動に直面する際にはその圧力はもっと強くなっているのではないかと思います。

岩﨑 日本では,なにがなんでも査読付きジャーナルに載せなければいけないというプレッシャーが高くなかった時代もあったと思いますが,だんだんそれが変わってきているのではないかということですね。澤田先生はいかがでしょうか。

澤田 私は粕谷先生とは対照的にずっと国内の大学院,研究所で過ごしてきましたので,若いときはあまりプレッシャーを感じないまま,研究者としてのキャリアを重ねていました。ただ,あるときから「査読付き論文の重要性」を痛感することになりました。それは勤務先の大学で,准教授から教授に昇進する審査がきっかけでした。それまでは研究成果を単行本の形でまとめることが研究者のゴールのように思っていたのですが,昇進人事の業績評価を左右するのは大著の有無や著作点数ではなく,査読付き論文が何本あるかだということを思い知らされました。またいろいろな補助金や助成金を申請するときにも,「査読付きの論文」の扱いが重くなってきたように感じます。

ただ考えてみますと,「査読付き論文が高く評価される」という傾向自体は,かなり昔から存在していました。30年も前になりますが,私が最初に『アジア経済』の存在を知ったときに,編集の方が「うちは査読付きだから」と誇らしげにおっしゃったことを覚えています。むしろ変化したのは「査読付き」よりも「査読なし」論文に対する評価のほうかもしれません。紙媒体の時代は,手書きの論文を活字にすること自体のハードルが高かったので,査読がない雑誌での掲載であっても一人前の業績として評価されました。ところがインターネット空間での発表やオンライン出版が可能になると,論文掲載のためのコストが劇的に下がりました。その結果,世に出る論文の数が爆発的に増えて,新しい選択の指標が必要となった。そのひとつが「査読の有無」ということではないでしょうか。この流れのなかで「査読なし」論文の扱いが,どんどん軽くなっているように思えます。

澤田ゆかり氏

実際に自分が研究用に読む論文を探す場合も,査読付きのジャーナルに掲載されたものかどうかを気にするようになりました。ユーザーとしても,ネットで短時間のうちに多数の雑誌にアクセスできるので,読むスピードのほうが追いつかない,という事情があります。とくに中国研究の場合は,中国現地の学術論文の電子化が日本以上に進み,同時に粗製乱造の論文も山のように出てきた。それらに埋もれて,読むに値する論文までなかなかたどり着けないという悩みに直面しました。そこで,活躍中の中国の研究者にどう対応しているのかをたずねたところ,「信用できるランキングの学術雑誌に載ったものしか読まない」と言われました。ランキングの低いジャーナルに掲載された論文は,最初から眼中にないということですね。

この言葉から,すでに基準は「査読付きか否か」ではなく,「どの雑誌」に掲載されるかのほうが重要であることがうかがえます。ですので,自分が所属する大学の紀要だけではなく,できるだけ学外や海外の雑誌に投稿するのが大事だと思います。というのは,大学の紀要のなかには,自学の大学院生に発表の場を確保するという役割を担っているものもあります。教育面から見るとたいへん有意義な場なのですが,そのために査読は厳しくないものと思われがちです。

岩﨑 なるほど。なかなか厳しい時代に差しかかってきた感じがします。要するに今,研究者として,これからキャリアを積んでいこうという場合には,やはり査読付きジャーナルに1本,2本掲載されることが不可欠といえそうです。

厳しいコメントが返ってきたら

岩﨑 とはいえ,いかなる分野であっても査読がある以上,ハードルは低くないですね。その辺はいかがでしょう,有田先生。

有田 まさに今,粕谷先生と澤田先生がおっしゃったように,大学を巡る状況というのはどんどん厳しくなっているので,「だから査読誌に書かなければいけない」という必要性ももちろんあるのですが,まだまだ夢をもっていらっしゃる若い方々に,そうでない部分からのお話をしたいと思います。

確かに査読のプロセスというのは大変ではあるのですが,自分自身を振り返ってみても,やはりそれは学問的に成長するための非常に大事な過程だったように思います。先ほど佐藤章委員もおっしゃっていたように,査読誌に投稿して非常に厳しいコメント,例えば「だからなんなんだ」とか「なにを主張しているのかわからない」というようなコメントが戻ってくると,やはり心が折れたりすることもあるわけです。

ただ,振り返ってみると,以前は「なんでここまで厳しいことを言われるのだろう」などとしょげていたのですが,ある時期から少し考え方が変わってきました。どのように変わったかというと,確かにこの査読者は厳しいことを言っているけれども,自分の論文がこれから出会う読者の一人であることは間違いないのだろう,と。すなわちこれから自分の論文が雑誌に載ってみなさんに読んでもらったとき,そのように,ここは足りない,ここはわからない,と否定的な感想をもつ読者が必ず一人はいるということなんだな,と思ったのです。そうすると,そのような読者に対して,自分が言いたいこと,考えていることをうまく伝えるためにはどうすればいいだろうか,と考えるようになりました。もちろん書き方の問題もあるでしょうし,どのような文献をどのように参照するか,など,いろいろなことが考えられるわけですけれども,査読のプロセスを通じて,そのように自分の論文と想定される読者,これから出会う将来の読者との関係を少し上から眺めてみて,どうすればその読者に納得してもらえるものが書けるだろうか,と考えるようになったときに,研究者として少し壁を越えたのかな,という気がしています。

岩﨑 私自身も今まで何度も査読誌に投稿して非常に厳しいコメントが返ってきたことがあります。その晩は悔しくて眠れない,心が折れるというのもありますけれども,そこは乗り越えていかなければなりません。どうでしょう,粕谷先生,非常に厳しい査読が返ってきたときの対処法といったものをなにかおもちですか。

粕谷 投稿する側としての私自身の経験から申し上げると,今の有田先生のコメントとはちょっと違って,何回もリジェクトされることを繰り返しているせいか,査読は「運」の要素も大きいなあと思います。同じ論文に対して査読者によってかなり評価が違う場合もあるので,ひどいコメントが返ってきても今回は運が悪かった,次の雑誌に投稿しよう!というふうにするのも自分の心の健康を保つには大事かなというふうに思います(笑)。

粕谷祐子氏

あと,ほかの雑誌で編集長をやった経験や,周りの研究者仲間から聞いた話などからいうと,査読レポートでどう見ても理不尽だと思える指摘があったら,編集長に相談してもいいと思います。私の知り合いの場合,査読者はリジェクトと評価したけれども,編集長がいい論文だと判断して編集長権限で掲載に至ったそうです。私自身の経験でも似たようなことが過去にありました。「ポークバレル」というのは利益誘導型の公共事業を政治学では意味するのですが,フィリピン政治におけるポークバレルのことを英語の論文にして投稿したら,ポークという言葉はフィリピンのイスラム教徒に対して失礼だから使用をやめろという査読コメントがきて,これはどう見ても理不尽なので編集長に掛け合ったところ,その部分は無視してもいいということに落ち着きました。政治学系の英語のジャーナルの場合には,最近投稿数が飛躍的に増えてきたこともあって,博士課程の院生にも査読を依頼することが増えているそうです。若い人は「とにかく批判する」という態度になってしまう傾向があって,あまり建設的でない査読レポートが返ってくることも増えているようです。ですので,投稿する側としては,どういう人が査読しているのかということも行間から読み解くようにすることと,編集長といい関係を作れるようにすることも大事だと思います。その観点からいうと,ちょっと手前味噌になってしまいますが『アジア経済』には素晴らしい編集委員長と編集委員のメンバーがいるので,査読レポートに対する著者リプライは,自分が適切だと判断したら査読者のコメントに対して反論するのも場合によってはありかなと思います。

岩﨑 そうですね。私は編集委員会にいますので,その辺の内部事情はよく存じ上げているのですが,先ほど佐藤章委員からも話がありましたように,修正稿を出すときに,どこをどういうふうに直しましたと査読者に対してお返事を書いていただくのですが,そのときにもちろんなにがなんでも全部査読者の言うことを聞かなければいけないということはありません。論文は,あくまでも論文を書いた人のものですから。もちろん的確な指摘には真摯に対応する必要はあるのですが,ここを変えてしまったら自分の真意がまったく伝わらないというようなところを変えろと言われてしまったとか,違うテーマにしてみたらどうかみたいなことを言われることも稀にはあるので,そういうときは,まずは真摯に査読者の方に自分としてはこういうことがやりたいんだと返事を書いてみるというのもひとつの手かもしれません。それで有益なコミュニケーションが生まれることもあるかと思います。

査読プロセスの乗り切り方

岩﨑 澤田先生は,非常に厳しい査読が返ってきたときの対処法はおありですか。

澤田 やはり不採択は悲しいですけれども,感情的なつらさについては,おいしいものを食べたりよく寝るといったような普通の憂鬱対策をするだけです。また理不尽な査読コメントに対しては,少し間を置いてから返答を書くことですね。すぐ書くと逆切れ状態での反応になります(笑)。一晩たっぷり寝てから,第三者の心境で対応するのがおすすめです。

また論文の至らない点をビシビシ指摘する査読に対しては,ある意味ラブレターをもらったようなものと思ってはどうでしょうか。メーカーに「この製品,ここがおかしいよ」とわざわざクレームを入れてくる人は,その製品が嫌いなのではなく,実は熱心なファンであることが多いといわれます。

査読者も忙しいので,本当に面白くなかった論文には,ろくにコメントしてくれません。言葉遣いは丁寧であっても,単に「掲載できる水準に達していない」で終わり。一番の冷たい対応は,こんな感じです。逆に的確に論文の弱点を突いてくる査読は,興味をもって読み込んでくれた証拠です。

ですから,痛いところを指摘されてハートがズキンとしたら,「これは私(の論文)が気になるのだわ。いわばラブレターよね」と思うことにする。査読への応答も,そっけない最低限の修正ではなく,真剣に受け止めて「本当の私(の論文の意義)をわかってほしい」という気持ちを込めて対応する。誠実な対応には,しばしば誠実な結果が返ってくるものです。そういうやりとりが査読者とのあいだでできれば,指導教員よりも丁寧な論文指導を受けられることもあります。

逆に査読者の立場からいうと,査読コメントにまともに向き合ってくれない修正は,少々つらいですね。苦労してその論文の改善すべき点を説明したのに,「じゃあ,ここは削除します」といわれて,がっかりすることもありました。ラブレターがこじれると,採否がなかなか決まらなくて編集者が泣くことにもなります。ですから,厳しい査読ほど改善のチャンスだと思って,愛をこめて対応するのがよいかと思います。

岩﨑 有田先生は,大学院生のときに厳しい査読が返ってきて腹を立てたことがあるとおっしゃっていましたが。

有田 本当に腹が立って,なんでわかってくれないのだろう,などと思いましたけれども,20年以上経ってみると,やはり自分のほうが間違っていたな,と今は思うので(笑),まあ,そういうものなのかもしれません。

少し見方を変えて,なぜ査読者が厳しいコメントをするか,例えばここが駄目だとか,ここが欠けているとか言うかというと,もしかすると,なにか家族関係がうまくいっていないとか,人生よくないことが続いてムシャクシャしているという可能性もまったくなくはないとは思うのですが(笑),ほとんどの場合は,それぞれの方の学問的な責任感にもとづいてのことなんですね。今の学問的コミュニティーを維持して,さらにそれを発展させていく役割を担っている立場上,この欠けている論文をそのまま通すのは,やはり自分の責任感の問題として,査読を適切に行っていないことになってしまうのではないかと思う,だから厳しいことをあえて言う,と。澤田先生もラブレターとおっしゃいましたけれども,ある意味で,そういうことだと思うのです。ですので,そのコメントに対しては,もちろんきちんと対応するというのが基本だと思います。

ただ,どうしても対応できないという問題が一部にはあります。データがこれしかないとか,調査がこれしかできなかった。そこからやり直して書き直すと2年も3年もかかってしまうというケースで,この場合はどうするか。多分ひとつの方法は,粕谷先生がおっしゃったように別のところに投稿することでしょう。

もうひとつ方法があるとすると,こういうものかもしれません。あくまでコメントに真摯に対応したうえでの話ですけれども,どうしても対応し切れない問題が残る。査読をする側から見て,それでもどういうときにわれわれは,「これなら通してもいいかな」と思うかというと,これこれこういう問題があるのは自分でもわかっている,と。けれども今回は,データや調査がこういう状況にあり,どうしてもこれ以上の対応は難しいので,その点は今後の課題としたい,というように書かれると,私個人としては「問題を問題としてわかっているのであれば,通してもよいかな」という気になってしまう部分はあります。これはあくまで,どうしても解決できないという問題だけなので,それ以外に自分で努力して改善できるものに関しては,きちんと対応するべきですが。

岩﨑葉子氏

岩﨑 査読者の先生方も基本的には毎日忙しいなか,時間を割いてみなさんの論文を読み込んで,あのくわしい査読票を書いてくださるわけですから,それなりにシンパシーをもって,思い入れが出てきてというような相乗効果もあると思います。ですからやはり査読のプロセスをすごく嫌なもの,つらいものと考えるだけではなくて,自分にとって非常に有益なものというふうに捉えるように努力するということでしょうか。

論文を投稿し続けるコツ

岩﨑 査読付きジャーナルに投稿するのは大事で,投稿して掲載されればたいへん励みにもなる,キャリアにとってプラスにもなるわけですが,ずっとそういう論文を書き続ける,査読付きジャーナルに何歳になっても投稿し続けるのは,実は大変なことだと思います。(聴衆の)みなさんはまだお若いからそんなことはないかもしれませんが,年を取ってくると本当に息切れして,今年はちょっとこれでお茶を濁そうかなといった気分の年もあるのですが(笑),そうではなくて,やはり自分にむち打って続けるコツ,ノウハウみたいなものはあるのでしょうか,粕谷先生。

粕谷 いくつか申し上げたいことがあります。1つ目は,中央大学で教えてらっしゃった政治学者のスティーブン・リード先生が,現在ダートマス大学教授の堀内勇作先生に対して堀内先生が博士号を取り終えた直後にアドバイスしたこととしてうかがったことなのですが,就職したら自分の「パイプライン」(リサーチプロジェクトのラインアップ)に少なくとも2本の査読中論文を常にもっているようにするのがよいという指摘です。研究をするというのは金融投資と似ていて,いくつかのプロジェクトを同時に走らせる「ポートフォリオ」的なものを作っておくといいのではないかなと私自身も思います。関連した研究テーマでいくつかの論文プロジェクトを同時進行で走らせておくと,ひとつの論文の分析がうまくいかなかったり,理不尽な査読レポートが返ってきても「次があるさ」と気が楽になります。というわけで,自分なりの研究ポートフォリオを作るというのが研究者人生を続けていくうえで大事かなと思います。

もうひとつのアドバイスは,これは分野によっても違うのかもしれませんけれども,政治学では最近共著の論文が非常に増えていて,共著者をもつことも研究を続けてゆくいい刺激になります。私自身も現在何件か共著論文のプロジェクトをやっていますが,共著者になる相手は自分とリサーチ上の補完関係があるので,いろいろと勉強になります。また共著者として一緒に論文を書こうという人は基本的に自分とウマが合う人なので,一緒に論文を書いていても楽しくて,モチベーションが上がります。そういうことを続けていると,自然と研究し続けるようになるのではないでしょうか。

もう1点お伝えしたいのは,すでにほかの方も言っていますけれども,自分の研究に対するフィードバックを大切にするということです。専門家からのアドバイスはもちろんですが,ちょっとした世間話でのリアクションに至るまで,それらにはなんらかの学ぶべきメッセージがあるので,フィードバックが得られる場になるべく多く身を置くのがいいと思います。「たこつぼ」にこもって誰ともコミュニケーションを取らないでいた人があるとき急に提出する博士論文が傑作になるということは,政治学分野ではちょっと考えられないです。なるべくいろいろなところで自分の研究に関する話をして,フィードバックを活用しながら論文を磨くようにするといいのではないかと思います。

岩﨑 孤独に耐えながら一人で頑張らないほうがいいということですね。仲間と励まし合いながらやったほうがいい。澤田先生は,いかがですか。論文を書き続ける,出し続けるコツとしては。

澤田 私はおそらくこのなかで一番年長なので,年取っても続けられる方法という視点から申し上げると,若い人と付き合うことですね(笑)。これは未知の世界に対する好奇心を維持する,という意味です。上の世代はすでに業績が出ているし,同年配は共通の理解が多い。よくも悪くも「なじみの空間」です。しかし若い世代の新しい見方や感性に接することで,好奇心が刺激され,これまで書いてきた論文のテーマに別の意味が見えてきたりします。そういう意味で,社交性というのは非常に大事です。海外の学会に参加するときも,ただ自分が報告したり他者の報告を聴くだけではもったいなくて,実はその後の懇親会が本番ですね(笑)。

また交流はギブ・アンド・テイクですが,重要なのはギブが先にくるという点です。テイクの部分つまり「評価してもらいたい」という気持ちが先走りがちですが,テイクを増やす最も効率的な手段は,ギブすることです。自分が評価してもらいたければ,人の論文にコメントしたり書評したり,あるいは発表に対して積極的に質問すると,それだけで同業者の輪が広がります。みなさんが将来『アジア経済』に投稿する場合,隣に座っている人たちが査読の候補者になる可能性は高いですよ。

自分が最近体験したことですが,日本学術振興会から中国系ニュージーランド人の若い研究者を2年間受け入れる気はないか,という打診が昨年ありました。受け入れるためには研究できる環境が必要ですが,うちの大学はスペースが不足しているので,自分の研究室を半分に割って,机や本棚を老骨に鞭打って移動させ,なんとか研究環境を整えることができました。

私がドタバタしているのを見て気の毒がる同僚もいましたが,これはけっして私が「心優しい親切な先生」だからではなく,身近に優秀な若手がいると,自分も研究への意欲が湧き上がるからです。この「下心」は,今のところたいそう報われています。その方は,ものすごいペースで論文を書いては投稿し,採択されれば大喜びし,ときどき「次の論文構想にアドバイスして」と言ってくる。これは刺激を受けますね。おかげさまで,彼が来てから,行き詰まっていた論文を2本仕上げることができました。

というわけで,面倒な仕事をやらないかと言われたときが,実はチャンスです。周りは大変だなと同情してくれるうえに新しい世界が開けます(笑)。研究会への参加も同じで,連絡役や幹事になると,人とのネットワークができますし,飽きても欠席しなくなります。そして研究会は,継続が大きな力になります。若いときからずっと参加している研究会があると,そこはあなたのホームグラウンドになり,荒削りな論文を報告できる最初の場になるでしょう。

岩﨑 今,澤田先生がちらっとおっしゃったことで思い出したのですが,粕谷先生が前に「投稿している自分自身も将来,査読者として活躍する,そういう立場になる可能性があるわけですから,常によき市民として振る舞いましょう」というようなことをおっしゃっていて,本当にそうだなと思いました。もちろん論文の中身で勝負するわけですけれども,査読に対するリプライの仕方など,やはりお互いにある程度のマナーをもって真摯に対応し合うことでぐっと評価が上がるということもありますので,気をつけたいところだと思います。

『アジア経済』誌の利点,持ち味

岩﨑 さて,ここまでは一般論です。今日のセミナーは,ぜひみなさんに『アジア経済』誌へ投稿していただきたいという励ましのための企画ですけれども,先ほど佐藤章委員からも少し紹介がありましたが,先生方が編集委員として『アジア経済』の企画,編集に携わってこられて,うちの雑誌には,ほかのジャーナルにはないこういう利点がある,こういう持ち味があるという感想などはおもちでしょうか。澤田先生からお願いします。

澤田 まず「査読料がない」という経済的な利点を挙げますね。例えば学会誌に投稿するには,学会に入る必要があり,そのために学会費を払うわけですが,これが3つ4つ5つと増えていくと,院生の方にとってはバカにならない出費になります。『アジア経済』への投稿は一銭も要らず,すべての経費を出版元負担で掲載してもらえます。誰でもいつでも投稿できる,というのは,それだけオープンであるということです。

それから,査読者が学会などのメンバー限定ではないので,幅広いジャンルに対応できるというのもよい点です。理系の方が文理融合型の論文を投稿すれば,理系部分を評価できる査読者を引っぱってくる。それが歴史文献の解題でも,同様に対処できます。ですから,新しい領域や非主流の議論であっても,発展途上地域に関するものであれば『アジア経済』に投稿して評価を受けることができます。

有田 私は,やはり『アジア経済』というのは地域研究,途上国研究の雑誌でありながらも対象地域を限定しないという点がすごく大きな特徴だと思います。もちろん地域別の学術誌,たとえば韓国なら韓国研究の雑誌もありますし,場合によっては,そちらのほうが前提条件をみな了解していますし,書きやすかったり話が通じやすかったりするのですが,あえて違う地域の人も読む雑誌に投稿すると,査読の段階からそういった異なる地域からの視点が入ってきます。そうすると,自分の研究対象である韓国のこういうところは当たり前だと思っていたけれども,実はほかの地域と比べてみると,こういう特徴があったんだな,ならば,この辺りをもっと強調して,論旨のなかに組み込んでいけばいいな,あるいはもっと説明したほうがいいな,とほかの地域の読者にも自分の対象地域の面白さが伝わるような論文を書くことにつながるんですね。明らかにこれは,皆さんの研究成果が今後より広い読者を得るために必須の過程かなと思います。

もちろんディシプリン系の雑誌という選択肢もありますけれども,ディシプリン系の雑誌は通常,対象地域のリアリティにあまりこだわりがないので……。しかし『アジア経済』にはそれがあります。だから背景条件から全部説明して100枚書いていいですよ,という話でもあるので,そのうえでほかの地域の読者も想定しながら書けるということは,とてもよいチャンスですし,みなさんにとってとてもいい学問的発展の機会になると思います。

岩﨑 私もイランに関する論文を『アジア経済』に投稿したら,査読者から「これは固有名詞ですか。普通名詞ですか」といった,ペルシア語のテクニカルタームなどを書くとそういう質問がきたりしました。要するに読者層が幅広いですから,なるべくそういうのを排除してすっと読めるようにするという,そういう訓練になるかと思いますね。

粕谷 私は政治学系のジャーナルの編集委員や編集長をほかでやっているのですが,それらとの比較でいうと,『アジア経済』は査読者のプールとクオリティが本当に素晴らしいと思います。先ほども佐藤章委員から説明があったように,編集委員会のミーティングで誰に査読を依頼するかを決めていますが,アジア経済研究所という日本が世界に誇る途上国研究のシンクタンクがもっているネットワークを駆使して適切な査読者を見つけています。また,提出される査読レポートも非常に建設的な指摘が多くて,投稿者にとってとてもいい勉強になると思います。

岩﨑 ありがとうございます。査読者選びというのは,なかなかたいへんな作業です。お二人のブラインド・レフェリーを選ぶわけですけれども,時と場合によりますけれども,やはりまずディシプリンに精通されている方,それから,ある地域,対象地域があれば,その地域に精通されている方というのを大体2人1組で選ぶというような感じで進めていくことが多いですね。

『アジア経済』誌に載った優れた論文

岩﨑 『アジア経済』誌には創刊以来いろいろな論文が掲載されていますが,初期の頃のものを読むとすごく牧歌的な感じの報告もあったりして,当時日本はまだ海外に行くこと自体が大変な時代ですから,「行ってきました,見てきました」みたいな論考も載っていることがあります(笑)。もちろんそれもたいへん貴重な業績ですが。先生方,これまでに『アジア経済』誌に掲載された論文のなかでご自身の印象に残っているというようなものがあれば。

澤田 私は,牧野百恵さんが2006年に出された「パキスタン労働集約的産業と流入する中国製品との競争――製靴産業の例――」(第47巻第6号)を挙げたいと思います。これは中国研究者ではないパキスタンの専門家から見た「中国の製靴産業」の分析で,中国からの輸入製品がパキスタンの靴市場を席巻する現象を読み解くものでした。パキスタンのほうが中国よりも賃金が低い,材料である皮革も質が高くて安い。生産要素ではパキスタン製のほうに比較優位があるはずなのに,なぜ中国製品が競争力を発揮できるのか,という問いかけを,理論と現地調査の両面から実証しています。パキスタンの視点から中国を見ると,日本や中国現地から観察するのとは異なる「地域の姿」が浮かび上がってくるのが,非常に新鮮でした。特定の地域から第2,第3の地域を分析する多層な地域研究であり,『アジア経済』らしいよい論文だと思いました。

有田 私は振り返ってみると大学院生の頃から『アジア経済』を読んでいたわけですけれども,同じ大学院生という立場でありながら,こんなに面白く,いい論文が書けるんだな,と瀬地山角先生の「韓国・台湾の主婦と女子労働――女性の社会進出の行方を占う――」(第31巻第12号)が印象に残っています。

それから,きょう最初にごあいさつされた川中豪委員長が『アジア経済』誌が季刊化になる際に組まれた「発展途上国研究の方法」という特集(第53巻第4号)があります。途上国研究や地域研究では,そもそも研究をどう行っていくのかに関する方法論やディシプリンがあまりありません。そのなかで,どのように途上国研究を行っていく道があるのか,方法があるのかということを考えられた非常に興味深い特集ですので,関心のある方はぜひとも読んでもらえるといいかと思います。

岩﨑 ありがとうございます。みなさんも機会があれば『アジア経済』のバックナンバーをひもといていただくと,自分とは直接関係なくてもなかなか面白いもの,それから切り口やアプローチの仕方が自分と近いと感じられる他地域のものなどを見つけられると思いますので,ぜひ探してみてください。

若い投稿者へのアドバイス

岩﨑 だんだん時間が押してまいりました。若い投稿者のみなさんがこれから『アジア経済』誌に投稿してくださるものと期待しますが,先生方は今までに編集委員会でいろいろな若者の投稿論文というのを見ていらっしゃるわけですが,なにか気付いた点はありますでしょうか。これから掲載を目指したいというみなさんになにかアドバイスがあれば,お一人ずつお願いします。

澤田 第三者にまず読んでもらいましょう。本日の演者のみなさんが何度も言っていることですけれども,自分一人で完結せずに,人にまず一回は読んでもらってから投稿しましょう,ということです。

もうひとつ,若い方の論文でよくあるのが,先行研究を義務的に並べているものが目立つということですね。自分の研究対象に関連する先行研究を機械的に並べて紹介しているだけなので,それらと比べて投稿論文がどう位置付けられるのかが不明確なのです。その結果,重箱の隅をつつくような些細な点で「私の論文はここが新しい」と主張せざるをえなくなっています。これでは,独自性の弱い論文と見られてしまいます。

「今まで誰もやっていません」と言われても,別の地域では散々分析されて結論も出ている,というのはよくあるお話です。それらを無視して,単に「地域が違うから」「時代が違うから」という根拠で独自性を宣言する前に,2回目の先行研究サーベイを行うことをおすすめします。論文を書き進めて結論が見えてきたら,その結論にかかわる先行研究を改めて調べ直すのです。そうすれば,研究の位置付けを意識した先行研究レビューが書けます。

粕谷 今の澤田先生のお話とも関連するのですが,問題設定の部分をきちんと考え抜いたうえで論文を書くことが大事だと思います。政治学分野の日本語で書かれた論文は,伝統的なスタイルとしては事実の記述や随想的な文章が多かったせいか,最近の論文でも,扱っている問題がどのように重要なのか,これまでの分析と比べてどこに付加価値があるのか,というようなことを明確にしないままのものをよく見ます。今日の佐藤章委員の説明のなかでもあったように,査読の重要なポイントのひとつは問題設定の明確さや新規性なので,この点をおろそかにしないでほしいと思います。

もうひとつは,日本語の文章の問題です。これをどこまで気にするかは人によって様々かとは思いますが,私は英語で書く論文の場合はネイティブ・スピーカーでないので当然英語の校正サービスに出しますが,日本語の論文を出版するときもプロの校正の人に日本語をチェックしてもらっています。『アジア経済』への投稿論文には,日本語としての推敲が十分されていないなあと思う原稿が少なからず存在します。自分の書く日本語が,雑多な解釈をなるべく許さない語彙を選んでいるか,読みやすく構成されているかなど,十分注意していただきたいです。

有田 私は大学では地域研究の大学院を担当していまして,そこの授業やゼミで必ず院生さんに言うことがあります。みなさん地域研究をやっているので,それぞれの地域のそれぞれのトピックに関心をもって,それが面白いと思って研究をやっていらっしゃいます。そういう院生さんたちに言うのは,みなさんは,この地域のこのテーマをすごく面白いと思っていらっしゃるけれども,残念ながらほかの人はそこまで関心をもっていない,という前提で研究を行うといいのではないか,ということです。もし,ほかの人もその地域のそのトピックに興味をもっていたとすれば,みながその地域の研究を行うはずなので,そうでないということは,みんなそれぞれ違う地域の違うトピックを面白いと思っていて,それが興味深い,大事だと思っていることになります。このように,自分がやっている地域やトピックの面白さや興味深さをほかの人は必ずしもわかっていないので,それをなんとか言語化して,これこれこういうところが面白い,重要だということを,論文でもきちんと示していければ,割といい方向に進むのではないかと思います。

岩﨑 ありがとうございました。そろそろ座談会の時間も終わりに近づいてきているのですが,みなさん,いかがでしたでしょうか。先生方の非常にビビッドでためになるお話だったと思います。私自身も実は今,『アジア経済』に1本投稿していまして,査読票が返ってきて直している最中です。なんとなく逃げていたのですが,今晩からまた頑張ります(笑)。私にも大変参考になることばかりでした。どうもありがとうございました。(拍手)

質疑応答

佐藤 査読のプロセスについての質問をフロア全体に対して回答させていただきます。質問票では9点質問をいただきました。順に私からご回答いたします。適宜,外部委員の先生にもご回答をお願いさせていただきますので,どうぞよろしくお願いします。

最初のご質問は,「なぜ投稿受付数が近年低減しているのでしょうか。これは『アジア経済』に特徴的なことでしょうか。あるいはほかの本邦ジャーナルでも同様の傾向があるのでしょうか」というものです。

これはなぜでしょうか。私も理由を知りたいです。どうやったら投稿数が増えるのか,本当によくわかりません。私が所属している学会は複数ありますけれども,いずれの学会でも投稿数が非常に少ないということを耳にします。大学院生の方が増えていて,要するに研究の裾野は広がっているはずなのに,なぜ投稿数は減るのでしょう。率直によくわからないとしかいいようがない状態です。

2番目の質問です。「投稿している方々のなかで,社会人,修士,博士などの大まかな割合を教えていただきたいと思います」。本当にこれは様々ですね。特徴的な傾向はとくに思いつかないのですが,任期のないポストにある方もいれば,任期の付いたポストにある方もいれば,ポスドクの方もいますし,あとは在野でアカポスではないところにつとめていらっしゃる方が投稿して採用になるということもあります。博士・院生の方からは,やや少ないなという印象は受けます。積極的に投稿していただきたいですね。

3番目の質問は,「『アジア経済』で英語での投稿を受け付けないのにはなにか理由があるのでしょうか」です。私どもは日本語誌ということでやっています。それから,アジア経済研究所には『The Developing Economies』という英文誌がありまして,英語での投稿はそちらで受け付けているという役割分担となっています。

4番目の質問です。これは外部委員の先生方にもちょっとお知恵があったらおうかがいしたいのですが,「ほぼ同じ内容の論文を英語など他言語でほかの国のジャーナルに投稿しても二重投稿と見なされますか」ということですが,これはいかがでしょう。

粕谷 見なされます。

佐藤 見なされるということです。これはやはり注意が必要だということですね。研究者としてのスタート地点で研究不正を行ってしまいますと,本人には知識がなく,意図的に不正を働く気がなかったのだとしても,「あの人,ああいうことあったんだよね」ということが研究者コミュニティーのなかで記憶され本当にハンディキャップになります。ぜひ細心の注意を払っていただければと思います。

次の質問です。これもできれば,外部委員の先生のどなたかにおうかがいしたいのですが,「卒論・修論を見直したものを投稿する際の注意点について,もう少し具体的におうかがいしたいです」ということですが,どうでしょうか。

澤田 修論の場合ですと,学位論文として審査にかけられているので,そのときに審査員からコメントをもらっているはずです。それを反映するよう書き直すのは,当然ですよね。できれば,その後にもう一度指導教員に見てもらって,修正版が投稿に耐えるかどうか相談してみてください。『アジア経済』ではなく別の学会誌の事例ですが,査読者の不満として「査読者は指導教員の代役ではない」というものがあります。論文の知見自体は優れていても,周辺で初歩的な間違いがあまりに多いと,そのような不満が出てきます。在籍中(あるいは研究室を出たばかり)でしたら,依頼しやすいと思います。

それから,先ほど演者のみなさんが言いましたように,研究会や第三者の目を通してコメントをもらって,書き直しを2サイクルしてから出されると完成度が上がるので,採択の可能性も格段と高まります。せっかくのいい論文を形式的な面や完成度が低過ぎるというだけで却下されるのはもったいないので,それはぜひやってください。

佐藤 ありがとうございます。その次の質問ですが,これは先ほど粕谷先生からのお話にもあったと思いますが,「一度リジェクトされたものを修正のうえ,他誌に投稿するのはよいのか」ということですが,これはよいですよね。ぜひやってくださいということでしたね。

それから次の質問,「編集長などが代わることで採択される論文の傾向が変わることはあるのか」ということですが,海外の主要ジャーナルなどですと結構ありますね。ただ,本誌の場合ですと,そういうことは基本的にはありません。編集委員が結構長くつとめて,編集委員会としての基準をみんなで共有しようという形で運営していますので,基本的にはあまり変わることはありません。

それから,「論文と研究ノートの違いはなにか,査読のレベルが異なってくるのか」という質問をいただきました。これはちょっと悩ましい質問ですけれども,完成度の問題が問われるということはもちろんあります。論文としては認められないけれども,学術的に意義が認められるので研究ノートとして掲載するという,論文の水準ないし格の問題としての違いにもとづくケースがあります。

また,当誌の場合ですと,論文の定義を「実証して結論まで導いているもの」,研究ノートの定義を「仮説の提示にとどまるもの」というように,おおまかではありますが定めております。これは水準や格とはやや異なる,書き物としての性質の違いといったことですね。このような点に照らして,審査のなかでジャンルの決定がなされる場合があります。

ちなみに,お一人の査読者の方が論文としたけれども,お二人目の査読者の方が研究ノートというふうに区分が分かれてしまった場合が頻繁に発生します。その場合,『アジア経済』では,基本的には査読プロセス全体を見ている編集委員のなかから区分決めの最終的な判断を担当するレフェリーを任命し,その方に区分決めをしていただくという手順を採用しています。

それから,「編集部はどのように査読者を選ぶのですか。例えば,イントロダクションや先行研究で引用されている論文や本の著者に依頼するということはありますか」。それから同様の質問で「査読者は同一地域の研究者が1名選ばれるなどといった傾向はあるのでしょうか」というご質問です。これも先ほど外部委員の先生方からのお話にもありましたけれども,『アジア経済』の場合は基本的には地域を専門とする方がお一人,もう一人の方はディシプリンないしは計量手法など非常に高度なものを使う場合は,その手法に通じた方といったような組み合わせのバランスを考えて選定をしています。

それから,「レビューに対する修正のコメントは査読者別に返すものなのでしょうか」という質問もいただきました。これも基本的には,お二人の査読者がいたら,それぞれのレフェリーに対して指摘事項にどう対応したかを指摘対応票で個別に報告していただくことになります。先ほどラブレターになぞらえたお話もありましたが,本当に一対一の関係性を作るというような形で書いていただけるといいかなと思います。

いただいたご質問に対する私のほうからのご回答は以上となります。ご質問どうもありがとうございました。

 
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