アジア経済
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書 評
書評:Liang Tang, China's Authoritarian Path to Development: Is Democratization Possible?
London and New York: Routledge, 2017, xii + 263pp.
林 載桓
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2018 年 59 巻 4 号 p. 92-95

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はじめに

持続的な経済成長による国力の増大により,今後中国が「大国」としてより積極的な対外政策を展開していくことは確実である。しかし一方で,中国の大国としての性質を決するであろう国内政治の動向について,その将来を予想することは決して容易でない。はたして中国は,今後も持続的な経済成長と社会の安定を達成できるだろうか。そうであるならば,それは中国政治に何をもたらすのだろうか。また,仮にそれに失敗すれば,そのとき中国政治はどのような変化をみせるのだろうか。

本書は,現代中国の近代化への軌跡を再検討することで,これらの問いへの答えを探っている。著者の主張を簡単にまとめれば,とりわけ改革開放以降の中国が歩んできた道は,経済発展を目標に掲げた権威主義統治の道である。こうした「権威主義的開発主義」(authoritarian developmentalism),つまり中国版の開発独裁は,結果として経済成長と社会発展を実現させ,もしこれまでの成果を維持することができれば,長期的には中国政治を安定した民主化の道に導いてくれるはずである,と著者は主張している。

本稿では,こうした本書の観点と主張が有する意義を評価しつつ,やや批判的な観点からその問題と限界について論じてみたい。議論の主たる対象となるのは,分析概念としての「権威主義的開発主義」の有効性,そしてそれに基づいた中国政治の現状理解と将来予測の妥当性である。最後に,現代中国の政治発展をどのような視点からみるべきかについての私見を加え,むすびとする。

Ⅰ  中国における近代化と開発独裁

まず,本書の構成は以下の通り。

序章:Preconditions and patterns of democratization

< Part1:China’s political institutions and modernization>

第 1章: Chinese model of modernization under one-party rule

第 2章: Evolution of China’s political institutions

< Part2:The Chinese government’s strategiesfor reform>

第 3章:China’s developmental strategy under authoritarianism

第 4章:Political reform from above

第 5章: Media reform, information transparency, and the transmutation of the authoritarian system

< Part3:China’s middle class, civil society, and democratization>

第 6章: Rise of the middle class and development of civil society

第 7章:Rights protection in the low-tide period of the democracy movement

結章:Authoritarian developmentalism and China’s democratic future

次に,本書の主張を整理しよう。一般に近代化(modernization)は,経済と社会,政治の領域で同時進行する。通常,近代化を通じて国家が追求するのは,経済成長,社会発展,民主化という3つの目標である。とはいえ,近代化の経路(進行の順序)や戦略は一様でなく,その実質を決めるのは,国家の採用する政治経済システムの特質である。そして中国の場合,近代化の「制度的道具」(institutional instrument)となったのは,「権威主義的一党制」(authoritarian one-partysystem)(一党独裁という表現を著者は用いない)と混合経済の組み合わせである。要するに中国版の開発独裁体制であり,これが本書の中心概念である。

こうした中国特有の体制は,近代化推進のためのユニークな戦略と政策,過程を生み出してきた。具体的には,西欧の近代化モデルが民主化と市場化を優先するのに対し,中国は経済成長を優先し,次に社会発展を追求するという道を選び,民主化は後回しにされてきた。それぞれの段階の始まりと終わり,次の段階への移行を決めるのは,経済発展のレベル,大衆の要求,そして国家と社会の力関係である。たとえば,経済成長が優先されるのは,社会の貧困とそれによる社会的不安定の結果である。

では,中国における開発独裁体制の形成とその成功はいかに説明すればいいのだろうか。著者によれば,社会主義から開発独裁への移行をもたらしたのは――すなわち経済成長を近代化の最優先課題にしたのは――当時の貧困の度合いと,それによる社会の不安定である。そしてこうして形成された開発独裁体制が経済成長を成功させたのは,2つの条件が備わっていたからである。ひとつは高い政治的結束力(political cohesiveness)であり,もうひとつは強い社会的動員力である。換言すれば,中国の場合,近代化戦略の転換にあたり「強い国家」がすでに存在しており,それが新戦略の実行に大きく貢献したということである(第1章)。

重要なのは,こうした初期条件の存在が,開発独裁のなかでも中国の事例をとりわけ特殊なものにしている点である。その根源は中国の一党制にある。一党制は,軍事政権や個人支配と異なり,政治エリート集団の凝集性が高い。加えて中国共産党のようなレーニン主義政党の場合,社会の統制と動員は組織原理として重視される。著者は必ずしも明示的に論じていないが,中国における「強い国家」は,開発独裁体制に特徴的な社会からの自律性だけでなく,社会との緊密な関係をその強さの源泉にしていたのである。

このように,本書の提示した中国の開発独裁モデルは,中国の近代化のプロセス,そしてその成功を理解するうえで,かなり有効な視点を提供しているように思われる。しかし,より詳細に検討していくと,このモデルのみでは,現実の重要な部分が十分に説明されずに残ってしまうことに気づく。

第1に,このモデルでは,中国における開発独裁の成立,正確には改革開放への移行と近代化戦略の転換を説明できない。上述したように,著者は転換が行われた時期(1970年代後半)の社会の貧困状態とそれによる不安定性の高まりに理由を求めているが,なぜこの時期にかぎって政治エリート(共産党指導部)が社会の要求に敏感に反応したのかは,本書の説明だけでは釈然としない。この点は,著者が指摘しているように,もし当時の中国においてすでに「強い国家」が存在していたならば,なおさら疑問である。

第2に,このモデルでは,中国の開発独裁が生み出したもっとも重要な成果である経済発展のプロセスを十分に説明できない。たとえば,中国の開発独裁体制を特徴づける混合経済の成立(市場経済の導入)は,様々な試行錯誤を経つつ,きわめて漸進的に進行したものであり,公式の方針として打ち出されたのは1990年代初めになってからである。つまり本書のモデルからは,1980年代における近代化の試みと成果の説明ができなくなるのである。事実,中国における経済発展のメカニズムは,改革開放以降の各時期においてかなり異なっており(たとえば,梶谷[2011]),本書のモデルによりそうしたバリエーションをとらえることはできない。

このように,本書のモデルが改革開放の展開を十分に説明できないのは,モデルの中に開発独裁の形成と帰結に作用した変数の関係が想定されていないからである。もちろん,中国における近代化推進の制度的要素,およびそれが機能するための条件については議論しているが,それぞれの要素がどのような変化のメカニズムを有しているかは明らかでない。実際,政治制度の「進化」を取り上げる第2章では,制度規定の変遷を跡づけているものの,「進化」を生み出す因果メカニズムの議論は欠落している。

もっとも,こうしたモデルの問題や限界は,著者による現実観察の不足や誤りに由来するものではない。厳密にいえば,開発独裁という概念自体,権威主義体制下での経済成長という現象をとらえるために導入した「了解モデル」または「理念型」であって,仮説や観察可能な含意を生成するために構築された理論ではない。この意味で,そもそも本書のモデルに高い説明能力を求めるのは,ないものねだりの誹りを免れないかもしれない。

Ⅱ  中国的開発独裁の現在と将来

つぎに,中国政治の現状と将来に関する本書の分析と展望についてである。中国の開発独裁体制は現在どのような状況にあり,今後どのような変容を示していくのだろうか。

まず,体制の現状については,近代化の3つの目標のうち,経済成長と社会発展の目標を一定程度実現し,その成果を確立,深化させるための方針と政策を打ち出している段階にあるとされる。背後にある,「権威主義的一党制」に支えられる強い国家は,社会からの自律性はもちろん,社会統制のための多様な政策手段を保持している。他方で,もうひとつの構成要素である混合経済の原則も,経済発展の局面変化にもかかわらず,大枠においてなお堅持されている(第3,4章)。

しかし,それでは中国の開発独裁体制がまったく安泰な状態にあるかといえば,必ずしもそうではない。持続的な経済成長による階層の分化,とくに中産階級の形成と拡大は,政治的自由化への要求を高める要因になるからである。ただ著者によれば,中国の新中間層は,社会の安定を害しかねない政治的自由の追求には慎重な姿勢を示している。加えて,こうした潜在的な抵抗勢力を取り込むための社会政策が所期の成果を得ることができれば,体制の耐久性はさらに強化できる。とくに社会保障制度の拡充は社会内の対立を緩和し,体制の正当性を高めるうえで有効な方策である(第6章)。

とはいえ,長期的にみれば,近代化の進行はいずれ中国を民主化の途上に導いてくれる,と著者は展望する。もとより,現体制が民主化の可能性を織り込んだ政治改革を自ら推進するはずはない。しかし,政治変動を,経済と社会の動向を含む,よりダイナミックかつ包括的な視点からとらえれば,肯定的な要素が存在するのも事実である。それはたとえば,経済成長と政治改革の好循環であり,結果としての国家と社会の力関係の変容である。もちろんこれは,改革開放の歴史が示すようにきわめて漸進的なプロセスになるだろうが,絶望する必要はない,と筆者は主張する。むしろこうした道のりにこそ,安定した民主化の条件が潜んでいるからである(結章)。

では,こうした中国政治の現状と将来に関する本書の指摘は妥当なのか。現に行われている経済成長モデルの修正,および社会政策の重視は,近代化戦略の中国的展開に関する著者の知見におおむね符合する。なかでも,格差是正のための様々な方策は,社会の潜在的対立とその噴出の可能性に体制側がいかに鋭敏に反応しているかを示す好例であろう。

他方で,政治改革の現状と展望はどうか。民主化シナリオの主役を務めるはずの中産階級の成長について,著者はまだ否定的である。だが,政権側による自発的体制転換の可能性がほぼない状況の下,期待できるのはやはり国家・社会の力関係の変容,またそれによる社会からの民主化要求である。ただし,どのような条件が整えば国家・社会関係は後者優勢に転じるのか,またいかなる要因が社会側,とりわけ中産階級の政治的覚醒を促すのか,といった肝心な問題に本書は検討を加えていない。はたして中国は,外的要因の介在なしに,体制転換を果たすことができるのだろうか。体制転換の内生的契機があるとすれば,それはいかなるものだろうか。

Ⅲ  現代中国政治への視点 ――民主化論を超えて――

以上述べてきたように,本書が提示した中国政治の分析モデルと現状理解は,一定の有効性と妥当性を有するものの,その説明には明確な限界がある。さらに,中国政治の将来として提示された民主化の可能性は,具体的な因果経路の検討が欠如しており,単に近代化論を機械的に適用している印象さえ与えている。

あえていえば,本書が議論の土台としている近代化論に対しては,すでに様々な批判が寄せられてきており,とりわけ経済成長と民主化の関係については様々な角度から異論が提示されてきた。一方で比較政治学の動向はどうかといえば,「移行学の終焉」といわれるように,体制移行への関心そのものが希薄になり,代わりに焦点となってきたのは,個々の権威主義体制の制度基盤の解明である[加茂・林 2017]。つまり関連研究の現状からすれば,本書の議論はすでに「流行」を過ぎたものである。

とはいえ,近代化論や開発独裁論のもつ包括的な視点の重要性そのものを否定することはできない。むしろこうした観点に立ってみれば,近年の権威主義体制の研究は,分析対象があまりに狭小で,分析手法はあまりに個人主義的であり,肝心の「全体像」の把握に至らないという批判も可能であろう。近年の比較政治研究において,アイディアや文化の影響が改めて注目を集めているのは,おそらく同様の問題認識によるものであろう。

しかしながら,評者の私見を付け加えれば,民主化論,とくに新たな因果メカニズムの抽出と検証をともなわない民主化論は,現代中国政治の分析にはもはや大きな効用をもたなくなっているように考えられる。これは,単に最近の中国政治の変化が民主化の可能性をまるで否定するかのような動きを呈しているからだけでない。中国政治の現状と将来は,終着点として民主主義から逆算できるものではなく,本書のタイトルが示唆するように,中国政治がこれまで歩んできた道への綿密な再検討を通じてようやく評価できるものだからである。

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