アジア経済
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Print ISSN : 0002-2942
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紹介:高倉浩樹編 『寒冷アジアの文化生態史』
古今書院 2018年 viii + 120ページ
地田 徹朗
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2019 年 60 巻 1 号 p. 101-102

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本書は東北アジア地域における環境と生業のあり方の相互関係の変遷について考察した5本の論考を収めた論文集である。各論文が取り上げている時間の幅には差があるが,長いものでは数万年単位というタイムスパンを扱っており,短期的かつパーソナルなヒストリーを扱う論考も数世紀単位での変化を意識して議論を展開している。さながら,フェルナン・ブローデルの長期・中期・短期持続を意識しているかのようである。編者は冒頭で「本書は東北アジアの狩猟採集民や牧畜民の歴史を,環境と文化の相互作用として読み解こうとする試み」(iiiページ)だと述べつつも,執筆者に歴史学者はおらず,考古学,文化人類学,社会人類学をバックグラウンドとする執筆陣の構成になっている。歴史学の研究成果があまり参照されていないのは,狩猟採集民や牧畜民の歴史を史資料から記述することの難しさと歴史学の側の研究蓄積の浅さゆえのことだろうか。執筆陣は,むしろ自然科学の研究成果をより取り入れようとしている印象がある。

第1章の鹿又喜隆論文は,北東アジアでの細石刃石器による狩猟の展開により,最寒冷期の寒さに人類が適応したことを,広域に及ぶ発掘調査等の考古学の研究成果から明らかにしている。細石刃はごく少量の石材で加工が可能で,新たな石材入手が困難なシベリアの地域特性に合っていた。また,軽量なため長距離移動する大型哺乳動物の捕獲に適していた。気候の寒冷化にともない,大型哺乳動物が南下すると,細石刃石器も南に(今日の日本だと北海道まで)広域拡散していったという。これは環境変動にともなう人類の長距離移動の証しだとしている。

第2章の大西秀之論文は,近世(江戸時代)のアイヌの社会構造の歴史的変遷について,社会生態史と政治史とをクロスさせた論考である。大西は,明治期以降(つまり,植民地化されて以降)に記述された民族誌を過去に遡及させて論じようとするアプローチに批判的な検討を加えている。交易の担い手としての「怱大将/怱乙名」といったアイヌのリーダーは,民族誌的な理解では最上位の社会政治的な単位とされてきた「川筋集団」よりも広い地域に対する社会政治的な影響力をもっていた。あくまで江戸時代中期までの話ではあるが,豊富な水産資源や高級品の交易により,狩猟採集が主な生業であったアイヌの社会は階層分化し,首長制への発展可能性があったことを指摘した。

第3章の高倉浩樹論文は,東シベリア・レナ川中流域のアラース地形(永久凍土上での皿状草原と湖沼)でのサハ人によるウシ・ウマ中心の牧畜に注目し,環境変化による生業適応の選択肢は歴史や文化に依拠するという,単純な「環境決定論」とは異なる「歴史可能主義」的な視座を提示している。酷寒の冬季に畜舎と干し草を必要とするウシ飼養からより寒冷地に強いトナカイ牧畜になぜ移行しなかったのか,牧畜を主な生業としつつも狩猟や漁撈も維持したという生業のあり方はいかに形成されたのかなど,常に変動する「動的自然」(67ページ)の下で,人間の生業適応の仕方は環境・歴史双方の要素によって「可変的・可塑的に形成される」(66ページ)ということが著者による強いメッセージとして提示されている。

第4章の大石侑香論文は,西シベリア森林地帯でのハンティによる漁撈と牧畜との関係性について,人間と動物(ここではトナカイ)との関係性をふまえながら論じた社会人類学的研究である。ソ連時代,農業集団化によりトナカイ牧畜,狩猟,漁撈は専業化され,著者のフィールドでは,専業牧夫による計画経済に沿ったトナカイの食肉生産が行われていた。しかし,ソ連解体後,魚をトナカイ牧畜に活用するなど,湖での漁撈を前提としたトナカイ牧畜へと生業が大きく変化した。狩猟や採集も行うが,副次的な位置づけである。このような生業のあり方は,経済混乱のなかで,村などの人口密集地での現金収入源の多くが絶たれたことで現出したと指摘している。

第5章の平田昌弘論文は,西アジアとの比較のなかで,北アジアでの「牧畜の型」とその成立・展開について論じている。西アジアでヒツジの家畜化と搾乳・乳利用が始まり,それが中央・北アジアへと伝播してゆくなかで,乳利用のパターンが西アジアでの発酵乳型から,中央・北アジアでの冷涼気候下での乳酸発酵の進行の遅さゆえのクリーム分離型に変化していった。また,北アジアでは,家畜を宿営地の近くに留める方法として,冬季は「給水」と「防寒」が大きな役割を果たしているという。このように,「牧畜の型」は地域の生態環境に大きな影響を受けているわけだが,乳加工技術において地域内で多様性があるように,その具体的な展開については人間の意思により選択されてきたと指摘している。

以上から分かるように,各論文は,時間(長・中・短期),空間(地域間比較,東北アジア全域,東北アジア内部のミクロな地域),気候変動や環境変化の扱い方(動態的・静態的)について違いがある。また,短期的な気候変化(つまり,災害に相当するもの)に対する生業の対応・適応については,「文化生態史」が本書の課題であるためスコープに入っていない(高倉論文で,近年の温暖化の影響について若干の言及はある)。とはいえ,今後の環境変化への対応・適応を考えるうえで,過去の人々による適応のあり方を長期・中期・短期に分けて歴史的に考察することは,今まさに環境変化にさらされている,あるいは,さらされようとしている人々のレジリエンスを高めるうえで非常に重要な作業である。

他方で,時代が新しくなればなるほど,人々の生業がいわゆる「近代化」という人為的な影響をこうむることは避けられない。現に,気候変動などの環境変化に対して主権国家体制や現代の土地制度は非常に折り合いが悪いように見える。かつて,狩猟・採集や移動牧畜を営む人々にとって,環境変化に対する対応の仕方は「別の場所にまとまって移動すること」だったはずである。しかし,「近代的」な制度はなかなかそれを許してくれない(ように見える)。「近代化」以前と以降での環境変化への人々の対応・適応の仕方の違いについて整理するという作業が必要だと感じる。

評者はここ数年,中央アジア・アラル海周辺の沙漠地域でのラクダ牧畜について重点的に調べている。そして,2018年8月,パミール高原を訪れてヤク牧畜について聞き取りをする機会も得た。そこで考えたことなのだが,寒冷地でのトナカイ牧畜も含めた自然環境や気候条件が厳しい地域でのこれらの種の牧畜は,より疎放的で広大な空間利用を行うという生業上の特徴の類似性だけでなく,環境変化に対するより強い耐性という共通点があるのではなかろうか。我々はどうしても農耕文化を中心に物事を考え,牧畜だとウシ中心の発想になりがちなのだが,気候変動や環境変化への耐性という視点からだとまた別の画が見えてくる。本書はあくまで東北アジア地域を中心に扱ったものだが,第5章平田論文のような広域比較を扱う論考も収められている。地域を越えて類似の研究を積み上げ,研究交流と活発な議論・比較を行うことが,今後の文化生態史や環境史の発展を考えるうえで非常に重要だと言えるだろう。全地球規模で環境史研究を統合する学会や学術誌等のプラットフォームは日本に存在しないのでなおさらである。本書は環境史研究の1つの未来像を示している。

 
© 2019 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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