アジア経済
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書評
書評:瀬川昌久編著 『越境者の人類学 ――家族誌・個人誌からのアプローチ――』
古今書院 2018年 ⅷ + 156ページ
工藤 正子
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2019 年 60 巻 1 号 p. 83-86

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 はじめに

本書は,越境をめぐるリアリティにライフストーリーの聞き取りを手法とした家族誌・個人誌からアプローチしたものである。執筆者はおもに東北アジア地域を研究のフィールドとする人類学者たちであるが,本書はその地域的特色にとどまらず,人の移動について次のような視点を提起した点に特徴がある。まず,「はしがき」で編者の瀬川昌久が述べるように,国境を越える人の移動の要因を理解するうえで,既存研究の多くが国家政策や政治経済的な諸要因を強調してきた。これに対して,本書ではそこから見逃されてきた個人や家族の個別の経験や戦略に目を向ける。その試みはマクロなレベルよりも日常のミクロなレベルを観察の焦点としてきた人類学的アプローチの特徴ともいえる。しかし,さらに本書は,人類学が社会や人間を捉えるうえで「民族」や「コミュニティー」という概念に大きく依拠してきたことを批判的に捉え,そうした既存の枠ではなく,個別の生から社会や人間像を立ち上げていく可能性を模索する。副題に「民族誌」ではなく「家族誌・個人誌」とあるのは,そうした本書の特色を強調するものである。評者は地域的には専門外であるが,越境をめぐる個人と社会の動態について関心を共有するという立場から,各章の内容を紹介したうえで,本書の意義と課題について考察したい。

Ⅰ 本書の概要

第1章(李華)は,中国朝鮮族の韓国への移動を家族のライフストーリーから捉える試みである。それによれば,韓国への朝鮮族の移動では1990年代以降,複合的な諸要因を背景に,個人単位の移動が主流になり,そのことがトランスナショナルな家族を生み出してきた。さらに,そうした越境行為の継続が,親族内のケア(子育てや老親の介護)のありようを再編し,そのプロセスで伝統的な父系観念が交渉されつつ再生産され,結果として多様な老親の扶養形態が出現している。

第2章(兼城糸絵)は,中国福建省から日本に向かう不法移民のライフストーリーをもとに,人々が海外に向かう理由の複雑性を照射する。単純労働力の移動についてはとくに,国家間の経済格差やそれによる経済的動機から説明がなされがちであるが,本章の越境者の語りからみえてくるのは,移動をめぐる出身地の社会的言説を含め,人を移動に駆り立てる,より多面的なコンテクストである。また,日本滞在中の収入が,不法移民としての生活の安全を保障するための社会関係の構築にも投資されることが示されるなど,「故郷への送金に終始する出稼ぎ者」というステレオタイプをこえた越境者の姿が浮かび上がる。帰国後の苦難と,その結果としての海外への再移動も明らかにされ,そこからは,本国での成功に必要な社会的資源を持たない者が多方向に移動するメカニズムが映し出される。

第3章(リーペレス・ファビオ)は,2人の若者のライフストーリーから越境の軌跡における自己形成のプロセスを「民族」や「エスニシティ」といった枠組みをこえて捉えようとする。1つ目の事例では,日本人を父に,韓国人を母にもつ若者が,留学先の南アフリカにおいて白人社会に同化しようと試みるが,その後,人種的により多様な学校に移り,黒人の友人との関係形成を経て新たな人種観を獲得していく。白人主体の学校で日常の重要な部分を占めるスポーツをめぐっては,人種の階層性に,階級の差異や男性性をめぐる理念が交差していることが浮かび上がり,白人社会もまた均質的かつ固定的なものではないことが示される。こうして,揺れ動く集団のカテゴリーの境界を生きる個が多面的な自己を形成していくプロセスをみてとることができる。

第4章(上水流久彦)では,第2次世界大戦後に中国から台湾に移動した人々とその子孫である外省人が中国に「戻らない」理由の複雑性が照らし出される。とりわけ興味深いのは,外省人が中国との間で繰り返す常態的移動が,故郷中国を相対化し,そこに戻らない理由の1つになっていることである。さらに,彼ら彼女らが多様な要素を抱えもつ一方,台湾社会に貢献してきたという自負の感情が,台湾社会の構成者であるというシティズンシップや帰属の感覚を形成している。移動する個人が社会で自己を位置づけていく複雑な過程を理解するための事例として重要であろう。

第5章(太田心平)は,近年の韓国から欧米諸国を中心とする国々に向かう若者を事例に,政治経済的レベルのみに収斂されない移動の動機を,とりわけ母国への感情や情動から解き明かそうとする。韓国では,国外への移動をめぐり,政治経済的に閉塞した韓国社会からの突破口という説明が社会的言説としても,また学術的研究においても主流となってきた。これに対して,本章はとくに高学歴,専門職の若者への聞き取りをもとに,韓国社会の文化変容の速さや感覚の世代ギャップからくる,上の世代への苛立ちや不満の感情も若者を移動に駆り立てているとする。

第6章(川口幸大)では,中国広東省殊江デルタの村落のある家族の事例から,過去1世紀にわたる移動の軌跡とそのパターンの変容を明らかにしたうえで,若い世代の多くが,「故郷(の村)を出ても,故郷から離れない」生き方を選択していることが示される。そのおもな理由には,故郷やその近くにとどまることで,育児や仕事に血縁や地縁ネットワークを動員できることがあげられる。若い世代への聞き取りからは,近隣圏のネットワークを基盤とするケアや共食などを介した日々の親密なやり取りの様子が臨場感をもって示されている。

第7章(李斌)では,在日中国人技能実習生の生活戦略や社会的ネットワークのありようを明らかにしている。メディアや多くの研究が,技能実習生を人権侵害に苦しむ弱者としてのみ捉えがちであるのに対し,本章は彼ら彼女らを,自らの置かれた構造に制約されつつ,多様な生活戦略を切り拓こうとする能動的エージェントとして捉え直す。たとえば,制度の枠内で受動的に移動しているように見える実習生もまた,親族や友人からなる社会関係資本を動員して自らの将来を切り拓こうとしている。本章ではそのことが帰国前のおみやげの準備という行為の描写をとおしてリアルなかたちで示されている。

最終章(瀬川昌久)は,越境者の生を捉える方法としての「民族誌」のあり方を批判的に省察したうえで,2編の華僑文学を例に,フィクションの可能性と限界について論じる。これらの小説について著者が評価するのは,小説という媒体ならではの越境をめぐるリアリティへの迫真性や,それを感性や心性のレベルで読み手に伝える力である。書くことで現実を結晶化する作業では,データを取捨選択し,一定の枠組みをとることは避けられない。ただ,研究においては,越境者の生がアカデミックな考察の枠内で結論づけられ,ときに過剰に意味づけられてしまうのに対し,小説では,読み手の多様な解釈に開かれていると著者は指摘する。事例のうち1編は,研究対象としての移民に長年寄り添ってきた人類学者によって書かれた小説である。その意味で本章は,研究者がフィールドで得た他者の生への共感を原動力に,既存のアカデミックな手法だけでは描き切れない現実の複雑性を表現する方法を模索する試みともいえよう。

Ⅱ 本書の意義と課題

これら東北アジアをおもな起点とする越境の事例に通底しているのが,移動から定住という一方向的パターンではない,(相対的に短距離の)循環的または多方向的な「常態的移動」のかたちである。これまでも,移住先への定着ではなく,複数の地点を往還するトランスナショナルな移動から移民を捉え直すことの重要性が指摘されてきた[Basch, Schiller and Blanc 1994]。さらに,社会や人を定住ではなく,移動を前提に捉え直すという視点の転換の必要性も提起されている[川上・三宅・岩崎 2018]。本書の第1の意義は,グローバル化の深化で顕在化してきた,移動を常態とする生をめぐるリアリティを,東北アジア地域という個別のコンテクストにおいて捉え,描き出した点にあろう。

第2に,移民研究が越境する/せざるをえない人にのみ焦点を当てがちであるのに対して,本書は,移動しない/できない人を含め,移動をめぐって多様な立場にある人々の経験を捉えようとしている。国家の境界の自明性が揺らぎつつある現代において,国境移動の監視は,国家の存在意義を顕示する主要な手段となっており[森・ルバイ 2014,13],そのことは,近年の先進諸国における反移民の機運と極右の台頭に顕著に表れている。こうした状況において,本書が全体として不法移民や一時滞在者を含め,越境をめぐり多様な立ち位置にある人々を視野におさめている点は特筆すべきであろう。一方で,ほとんどの章がそのいずれかの立場の人々に焦点を当てていることから,異なる立場にある人々相互の関係性は見えにくい。今後の課題の1つとして,個人の語りから,社会の多様化における相克や新たな共同性,その帰結としての社会の再編のプロセスを捉えることがあるだろう。

第3の本書の意義として,政治経済的な構造といったマクロなレベルの要因をおさえつつ,そうした構造へのミクロなレベルでの個人の応答や戦略の多様性を照射し,その相互作用や,そこから生み出されるダイナミズムを捉えている点が挙げられる。たとえば,第1章では中国朝鮮族の韓国への移動を例に,国家の政策といったマクロなレベルの変化が,人々の親密圏における伝統的な観念や実践というミクロなレベルの営みに作用し,それがさらに常態的移動に結びつくという連関関係が示されている。

ミクロレベルのデータに関連して,多くの章が,越境をめぐる感情や情動に着目している点にも注目したい。単に「内面的なもの」としてかたづけられてきたこれら諸側面を概念化し,社会的ダイナミズムの力学に位置づける試みは人類学を含む多様な分野で始まっている[西井 2011]。移民研究においても,個人の感情を単に移動に付随するものとしてだけでなく,移動を生み出す力として捉え直すことの重要性が指摘されている[Skrbiš 2008]。こうしたなかで,本書が移動の経験と,感情や情動との交差に着眼している点は興味深い。今後求められるのは,感情や情動を社会の構造や動態と関係づけ,移動を読み解く概念として鍛えていくことであろう。たとえば,第1章では,中国の朝鮮族の女性たちの「情緒面」が言及されているが,それは父系親族における女性の地位や権力構造とどうかかわり,その連関が新たな移動のかたちといかに結びついていくのだろうか。

なお,ジェンダー視点の重要性は第4章の注でも指摘されていることであるが,越境行為と多地点でのジェンダーによる権力構造や規範がいかに相互に作用するのかについても,さらに議論を深化させていく必要がある。本書では各所にジェンダー関係にかかわる興味深いデータが断片的に示されているが,それらをとおして越境をめぐる社会的動態と個人の関係の複雑性を照射していくことが求められよう。また,これに関連して,本書では副題に「家族誌」と「個人誌」が並記されているが,家族が常に調和的な単位ではありえず,成員間のジェンダーや世代などによる力関係が働く空間であることを考えれば,個人誌と家族誌の関係についての議論が最初にあるべきではなかったかと思われた。

第4の本書の意義として,「マジョリティ」(ホスト社会)対「マイノリティ」(移民)という二項対立的な構図に収まりきらない越境者の姿が捉えられている点も特筆しておきたい。すなわち,第3章で事例とされているような,既存の集団(「〇〇人」)の言説の枠に収まらない個人,または,そうした言説による名指しと自己規定が合致しない個人である。もっとも,これまでの移民研究でも,「エスニシティ」や「マイノリティ」を実体として捉えてきたわけではなく,それら集団のカテゴリーをめぐる言説が,政治経済的な構造や権力関係のなかでいかに構築され,多様な位置にある個人がそうした言説にいかに応答するのかを問う試みがなされてきた[Anthias 2002]。第3章が提示するような複数の境界を生きる個人の語りは,人々の生に依然としてリアリティをもちつづける「〇〇人」という言説の生成,変化のメカニズムを理解し,個がそうしたカテゴリーに応答するなかで立ち上げていくアイデンティティの様相を捉える切り口となりうる。単一のエスニック集団や国家に帰属しない人々は,周縁化の経験や多重の権力関係が交差する現実のなかで,自己像をいかに交渉し,社会的ネットワークを構築していくのだろうか。その試みは,社会の多元化における人々の生を理解するために,「エスニシティ」に替わる分析概念を構築していく可能性にも通じるであろう。第4章の導入で提示されている「モザイク型の個人」は,そのような複数性を生きる人間像を理解する試論として興味深い。しかし,複数性やハイブリッド性という概念には,それを構成する各カテゴリーを本質化,固定化してしまうというジレンマがある。モザイク型個人のモデルは,それをいかに打開し,さらには,複数のエスニシティをハイフンでつなぐだけでは表現できない,個の複雑性や動態を把握する枠組みとなりうるだろうか。

以上述べてきたように本書にはいくつかの課題があるが,そのことは本書の意義を損なうものではない。東北アジア地域から発せられた,これらライフストーリーは個が生きる社会的なコンテクストを捉えつつ,その現実の複雑性や細部の豊かさを伝え,当事者の語りが越境の物語を書き替えていく力となることを示している。越境をめぐるライフストーリーの蓄積と理論的発展が,排外主義が高まりをみせる現代において,他者の生を想像し,新たな共同性の構築に結びつくことを期待したい。

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