アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
紹介
紹介:Anne Booth, Economic Change in Modern Indonesia: Colonial and Post-colonial Comparisons
Cambridge: Cambridge University Press, 2016, x + 261pp.
東方 孝之
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2019 年 60 巻 1 号 p. 99-100

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本書は,30年以上にわたって蓄積されてきた研究を土台に,植民地期から現代までのインドネシア経済を俯瞰すべく編まれた単著である。著者が注目するのは,1人当たり所得(支出)や死亡率,教育水準という基礎的な厚生水準の推移である。そして,その推移のメカニズムを探るべく財政状況(歳入・歳出水準)や産業構造にまで焦点を広げて解説している。ここでインドネシア経済についての標準テキストであるHill[2000]と比較するならば,本書は網羅性には欠けるものの,1930年代以降の膨大な先行研究をもとに具体的なデータを示しながら丁寧に説明していることから,読者はある分野,たとえば教育のある一時期の状況について,その歴史的位置づけを学ぶことができる。また,Hill[2000]がスハルト政権期までの分析にとどまっているのに対して,本書が2014年のユドヨノ政権期の終わりまでをカバーしていることの意義も大きい。

では本書の内容について簡単に紹介しよう。本書は全10章から構成されている。目次では明示的となっていないが,序章でも説明されているように本書の内容は2部構成となっている。第1部に該当する第2章から第6章までは,時系列に沿って物語られる。第2章では,強制栽培制度に代表されるオランダ植民地期(1800年代~1941年)の政策の影響をまとめる。第3章では独立からスカルノ政権が倒れるまでの混乱期(1942~1966年)を整理し,その保健・教育面での実績を指摘する。独立後には栄養面の改善を背景に平均余命が伸びたことや,独立直前の1940年時点ですでに適齢期児童の半分ほどが就学していたことなどを具体的数値とともに紹介している。第4章は,目覚ましい経済成長を記録したスハルト政権(1967~1996年)の評価である。1980年代に入って日本や韓国などで通貨高が進み,これによって比較優位が変化して国内に労働集約的製造業企業が移転してきたこと,そして,海外からの援助に支えられた独特の均衡財政政策のもとで,インフラ整備が進み,初等教育就学率も上昇したことなどが示される。他方で,スハルト政権は必ずしも盤石な体制にあったのではなく,1970年代半ばから1980年代初めにかけての時期には危機に直面していたことを指摘する。この点については第7章でも触れられる。第5章では1998年のアジア通貨危機の発生からメガワティ政権期まで(1997~2004年)を扱う。通貨危機の原因や影響,そして政治制度が大きく変化したなかでの経済状況について短くまとめている。第6章はユドヨノ政権期(2004~2014年)の経済の評価にあてられる。経済環境の変化にともなう資源輸出増に支えられた時期であったことや,農業部門に注目した節では,オイルパーム栽培の展開と森林伐採問題の顕在化を指摘する。財政面では,特にインフラ整備に民間投資を活用しようとする政策に対しては,過去の事例を紐解き,国内の法規制面での不確実性が投資振興を阻害していると解説し,問題の根深さを当のインドネシア政府はどれだけ理解しているのか,と疑問を投げかけている。ここまでが第1部の内容である。

第6章までを5本の縦糸になぞらえるならば,続く3つの章は横糸に相当する。テーマごとにオランダ植民地期からユドヨノ政権期までの変遷をまとめて,本書の内容に厚みを加えている。第7章では経済ナショナリズムと市場指向型の合理主義との相克をまとめる。大きくは民族問題と資源の国有化という問題に集約される。前者は,華人系対現地系という対立軸にみられる問題である。第4章でも触れられたように,かつて政治的脅威につながる可能性が低いために,華人系企業とスハルト政権との間に密接な関係が生じた事例などが紹介される。後者は,憲法は天然資源の国有化を意図しているのか,という条文の解釈をめぐる議論や,資源がもたらす利益を国内の企業や国民が享受できるように意図した政策の実施にみられる問題である。後者の資源国有化への指向が海外からの投資を阻害しているという点については,第6章の内容をふまえてあらためて解説されている。第8章では長期的な貧困・不平等度の推移について,統計庁が定期的に収集している大規模家計調査である社会経済調査(Susenas)の問題点を具体的に指摘しつつ,議論を整理している。本章は,特に同個票データを用いた定量的な分析に関心ある研究者に強く一読を推奨したい内容となっている。第9章は,インフラ整備や教育・保健といった公共サービスを提供する政府の役割の変化について,財政面に注目してまとめている。過去の比較から,国内総生産比でみて歳出額が少なくなっている点を指摘し,予算以外の収入源をどのように確保するのか,という点を今後のインドネシアの課題として挙げている。以上を受けて最後にまとめの章が置かれている。

本書を通読後に評者の脳裏に真っ先に浮かんだのは2019年4月に実施される選挙であった。本稿執筆時点で,インドネシアは5年に一度の総選挙・大統領選挙の選挙運動期間に入った。世論調査などをみる限りでは,現職の大統領が続投するとみられているが,それでも前回同様,最後まで目が離せない展開になるとの見方も強い。現職と対立候補との選挙運動の駆け引きのなか,今後どのような政策案が出てくるのか,そして実際にどのような政策が実施されるだろうか。特に経済ナショナリズムは,いつ,どのようなかたちで発現することになるだろうか。本書を片手に今後の成り行きを注意深く見守ることにしたい。

文献リスト
  • Hill, Hal 2000. The Indonesian Economy. Cambridge : Cambridge University Press.
 
© 2019 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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