2019 年 60 巻 2 号 p. 73-76
2014年にヒンドゥー・ナショナリスト政党であるインド人民党(BJP)のナレンドラ・モディが首相に就任して以降,ヒンドゥー・ナショナリズムの影響が政治分野のみならず,社会全体に及んでいる。BJPの支持母体である民族奉仕団(RSS),世界ヒンドゥー協会(VHP)などのヒンドゥー・ナショナリスト組織がかかわっているとされる「牛保護団」活動,ヒンドゥー教への改宗運動(Ghar Wapsi)の展開により,ムスリム,クリスチャンおよびダリトなどのマイノリティを暴力で排除しようとする動きがインド各地で顕在化している。1990年代後半以降,州を越えて波及する大規模暴動は減少しつつあるが,地域限定的な暴動は増加している。アムネスティやHate Crime Watchの調査結果によれば,宗教マイノリティを標的にした憎悪犯罪の件数は,2013年から増加傾向にあり,モディ政権になって著しい増加を示している(2013年:9件,2014年:18件,2015年:30件,2016年:42件,2017年:75件,2018年:92件)(注1)。暴動発生の傾向として,特定の州(グジャラート州,マハーラーシュトラ州,ウッタル・プラデーシュ州)に集中していること,さらに都市部の暴動発生率は,農村部のおよそ7.7倍と高いことが本書で指摘される(34,35ページ)。このような地域的偏差が生じる背景として,ヒンドゥー・ナショナリスト政党が州政治を掌握してきたこと,ムスリムの人口比が全国平均よりも高く,宗教祝祭時にヒンドゥー住民との日常的対立が生じやすい,地域の貧困が暴力を引き起こすなどのさまざまな要因が先行研究で論じられてきた。
本書は,ヒンドゥー・ムスリム間の暴動に対して,「コミュニティ・ポリシング」と呼ばれる地域住民と警察を連携させる犯罪予防,生活改善を目的とする活動がどのような効果をもたらしてきたのかを地域の異なる7事例から考察している。
コミュニティ・ポリシングとは,犯罪が増加していた1980年代のアメリカにおいて,犯罪予防研究で打ち出された概念,アプローチである。「警察と地域住民が,住民の生活改善を目的として,地域における犯罪予防,秩序維持のために共に活動すること」と定義される(iページ)。警察は自らも住民の代表と認識し,倫理観や説明責任を高めることを意図した警察の内部改革の取組みともいえる。一方,住民の日常生活では,警察の介入,関与が増す。また,コミュニティ・ポリシングは住民に法執行機関としての警察力を付与することを目的としていないことが特徴である。「警察と地域住民が共に活動する」と定義されているが,本書を読み進めていくなかで,実際には警察(退職者含む)がおもなアクターであることが理解できる。
インドにおけるコミュニティ・ポリシングの導入提言,制度化の動きは,2000年から本格的に表れ始める。しかし,連邦レベルの法制化には至っておらず,一部の州や自治体に限定して関連法や活動組織が個別に立ち上げられているのが実情である。警察不信の回復と住民との友好関係の構築を掲げて,コミュニティ・ポリシングを推進してきたマハーラーシュトラ州,デリー連邦直轄領,タミル・ナードゥ州,西ベンガル州,マディヤ・プラデーシュ州,ケーララ州のうち,州政府から財政支援を受けているのが確認されるのはタミル・ナードゥ州とケーララ州に限られる(7,8ページ)。このようにインド国内でも地域的差異が著しいなか,社会的歴史的にも大きく異なるアメリカ発の犯罪予防アプローチをインドでどのように適用させるのかは,実践的で興味深いテーマである。本書はこれに挑戦し,暴動の原因や発生過程を扱ってきた既存のインド暴動研究とは一線を画した研究手法といえよう。
本書の構成は以下のとおりである。
第1節 現代インドにおける宗教対立の捉え方
第2節 宗教対立とコミュニティ・ポリシング
第3節 本書の構成
第1節 インドのヒンドゥー・ムスリム間の暴動をめぐる状況
第2節 インドにおける暴動ベクトルの導出
第3節 コミュニティ・ポリシングに関する先行研究
第1節 インド警察の創設
第2節 インド警察の構造的欠陥
第3節 暴動時の機能不全
第4節 インド警察の構造改革の動き
第1節 ムンバイーにおける暴動の発生
第2節 モハッラー・コミッティ・ムーブメント・トラストの創設
第3節 コミュニティ・ポリシング活動への住民の参画
第4節 グジャラート虐殺事件時の予防の効果
第5節 モハッラー・コミッティ・ムーブメント・トラストへの評価
第1節 ビワンディーにおける暴動の発生
第2節 警察のリーダーシップによる創設
第3節 バーブル・モスク破壊事件時の予防の効果
第4節 モハッラー・コミッティへの評価
第5節 暴動の再発と活動の瓦解
第1節 警察代替型
第2節 活動放任型
第3節 目的特化型
第4節 インドにおけるコミュニティ・ポリシング活動の特徴と課題
序章では,現代インドにおけるヒンドゥー・ムスリム間の対立や暴動の現場で,インド警察が機能不全に陥ってきた問題を指摘し,警察内部の改革志向の表れとしてコミュニティ・ポリシングに着目する本書の問題関心が提示される。第1章では,インドの暴動に関する先行研究レビューをふまえたうえで,従来のアプローチではあまり焦点化されてこなかった暴動地域の警察と住民の断絶を指摘する。警官による市民への無差別発砲,不当逮捕,暴徒に加担する警官の抑圧的なふるまいは,警察不信の回復を著しく困難にしている。
第2章では,暴動を悪化,拡散させるアクターとしてのインド警察の問題を歴史的,構造的観点から検討している。インド警察は,インド大反乱後に制定された1861年警察法に基づいて創設され,イギリス植民地政府は支配の強化を目的として,監視や抑圧といった治安維持活動に比重を置いた。独立後に再編されたインド警察も同法の規定を継承しているために,抑圧的な体質が残っている。上位ポストを占める連邦政府管轄のインド警察職とその下に置かれる州政府管轄の州警察という二重構造は,指揮系統の分権・対立を招く事態になり,コミュニティ・ポリシング活動の現場で障壁になることが確認される。さらに警察官の宗教構成に関して,ヒンドゥーが警察官ポストを独占・寡占してきた状況が,組織の反ムスリム偏向を強めていると著者は述べる。統計から明らかなように,警察官の採用時にムスリムの人口比は考慮されていない。2001年と2011年のインド全体におけるムスリム警察官数と人口比較をみると,2001年のインド全体の警察官に対するムスリム警察官の割合8.39パーセント(インド人全体に対するムスリム人口比13.4パーセント)と比較して,2011年は6.53パーセント(同14.23パーセント)と減少傾向にある(86,87ページ)。警察官におけるヒンドゥーの寡占状態が,暴徒への加担や不作為,暴動の頻発に影響を及ぼすとの議論には妥当性があるように思われる(89ページ)。暴動抑制の一助として,アメリカのように,マイノリティの留保措置を警察官の採用システムに導入することを検討する必要があるだろう。そのほか警察内の課題として,ムスリムに対する根深い偏見をなくす意識改革が進んでいるとは言い難い。法制度の取組みにおいても,2011年コミュナル暴力予防法案はVHPやBJPの反対勢力によっていまだ可決に至っていない。
続く第3章と第4章では,コミュニティ・ポリシングが「成功」および「失敗」した事例として,暴動頻発州のマハーラーシュトラ州から2つの組織活動が紹介される。いずれもが,現役の警察次官によって創設されている。まず本書が成功例として評価するモハッラー・コミッティ・ムーブメント・トラスト(MCMT)の特徴は,「警察と住民が情報を共有し,対等に対話する場として機能していた」(121ページ)として,警察と住民の対等性,および財政面での独立性(寄付金を募る)により行政からの介入度合いが低く,住民の主体性が促進された「住民参画型」としてモデル化される。他方,本書が失敗例とみなすモハッラー・コミッティ(MC)では,祝祭時の暴動を未然に防ぐための監視・巡回が活動の基礎にあったが,1990年代以降に暴動のリスクが減少するにつれて,その活動は徐々に形骸化していった(180ページ)。2006年に小規模暴動が再発してしまう。この失敗例は,創設時から一貫して警察が活動を主導してきたことにより,住民メンバーは市警察の補佐にとどまっていること(185ページ),住民の主体的な参加が促されないことでMCの組織化が十分になされず,監視・巡回活動の不徹底に陥った「警察主導型」と類型化される。
第5章は,先の「成功例」「失敗例」の枠組みを応用しながら,デリー,タミル・ナードゥ州,ケーララ州のコミュニティ・ポリシング活動事例から共通点を導き出している。その結果,コミュニティ・ポリシングの成否を決める5つの要素――創設時点の明確な目標設定,州政府からの公認,住民説得の準備期間の確保,活動の開放性(会合の設定),情報公開による活動の可視化(報告書の作成)が活動の持続と住民の主体的な参加促進において重要であると結論づける。
本書の骨子は,アメリカの犯罪研究で打ち出されたコミュニティ・ポリシング概念をインドの文脈に置き,ヒンドゥー・ムスリム間の暴動予防に向けて,地域に根差したコミュニティ・ポリシング概念の発展と政策提言を行うことであった。本書の特徴について,以下2点を指摘したい。
第1に,インド警察研究の新たな視座を提示している。本書は資料調査やインタビュー,参与観察にもとづいて,インド警察が抱えてきた構造的欠陥,機能不全の問題を明らかにし,さらにインド警察を地域住民との関係構築のあり方から具体的に検討している。一般にインドで警察のイメージは悪く,とりわけ社会経済的に弱い立場に置かれた人びとであるほど,警察官による威圧的な態度,罵倒,賄賂の強要などを日常的に経験している。女性が警察所にひとりで行くこともためらわれる。著者はそのような難しい環境で,インタビュー調査を行なってきた。評者の知るかぎり,インド警察の問題を正面から扱った日本語の研究書は少なく,本書は貴重である。インド地域研究,政治学,そして憎悪犯罪や暴動予防の専門書・一般書として幅広い読者に読んでいただきたい。
第2に,本書を読むことで,イギリス植民地政府によって創設された近代的制度としての警察の意味を考えさせられる。本書の事例で紹介されるコミュニティ・ポリシングは,暴動予防に向けた監視・巡回,祝祭時の交通整理のみならず,住民の生活に直結する生活改善(街頭の電球交換,清掃,就職支援活動)や福祉の増進(献血キャンプ,HIV検査)など多岐の活動に従事していることが読者の目を引く。本書の第2章で論じられているように,18世紀のイギリスでは警察を民主的な法執行活動を遂行する行政機関として位置づけており,法秩序の維持のみならず,警察が住民の信頼と協力を得るために民主的な法執行活動を行う必要性を主張していた。19世紀半ばには,警察が交通,医療,消防,経済,衛生といったコミュニティ・ポリシングの祖型ともいえる住民サービスをすでに提供していたという(75,76ページ)。法秩序の維持という今日の「警察」のようには限定されない,幅広い任務を管轄していた。しかしながら,植民地のインドでは住民サービスの課題が重視されることはなかった。イギリス植民地政府は支配の強化を目的として,1861年警察法によりインド警察を法的に位置づけて創設したからである。監視や抑圧といった治安維持活動に比重を置いた警察組織の歴史的経緯が理解できる。
以上の特徴を認めたうえで,本書の議論に関して課題を3点ほど記したい。第1に,事例検証の妥当性についてである。著者はコミュニティ・ポリシングの成功要因として「住民のリーダーシップ」「コミュニティ・ポリシングの実施における警察と住民の対等性」を指摘し,一方の失敗要因として「警察主導型」「住民参画が受動的」であることを主張しているが,成否の要因を住民と警察の関係性(対等/従属)に単純化してはいないだろうか。その他の要素も検討することが望まれる。たとえば,事例で紹介されるコミュニティ・ポリシング組織は,警察官僚のエリートであるインド警察職(Indian Police Service)出身者によって創設されている。著者も第2章で指摘しているように,インド警察は連邦政府管轄下のインド警察職と州政府管轄下の州警察の二重構造に支えられており,明確な上下の指揮系統が存在する。この二重構造が,警察官のあいだに少なからず溝を生みだし,コミュニティ・ポリシング活動の遂行に際して,障壁となってきた(78ページ)。インタビューでこの問題を掘り下げることができれば,コミュニティ・ポリシングの成否について,より適切な評価が可能になるのではないだろうか。
第2に,事例検証の妥当性と関連して,著者が評価の根拠としているインタビュイーは活動関係者にほぼ限定されているように思われる。たとえば,MCMTの事例で決行された「路上の清掃に伴う,物乞い,薬物の売人,売春婦を一掃するクリーン作戦を決行した。このクリーン作戦の結果,不法分子の放逐が行われ,徐々に地域の安全が改善されるようになっていった」(128ページ)の聞き取りは,組織メンバーの発言を参照しており,活動を多角的に評価するためには,路上生活を追われた人びとの声も拾いあげる作業も重要ではないだろうか。警察や住民ファシリテーターの目線からは捉えにくい,非メンバーの活動に対する見方を読者に提示することができれば,当該地域に根差した議論がいっそう深められるように思われる。
第3に,「多文化的共生」の定義がやや不明瞭である。事例を検証する第3章以降で頻繁に登場する言葉だが,コミュニティ・ポリシングの住民メンバーにヒンドゥー,ムスリム,クリスチャンなどの宗教別および性別構成において多様性が考慮される状況を指していると思われる。たしかに,警察官の宗教構成がヒンドゥーに偏っていた事実をふまえて,宗教や性別のバランスに意識を向けることは重要である。しかし,コミュナルな対立問題においてはカースト出自も重要な要素と考えられるため,警察,住民メンバーのカーストや学歴,職業などの詳細な情報を示すことができれば,各地域の独自性を浮き彫りにできるかもしれない。いうまでもなくインド社会は多様で地域差が大きく,事例の一般化を試みる際には慎重さが求められる。以上は本書の議論に刺激を受けて評者自身が関心を持った課題である。同テーマの現地調査には困難がともなうことを承知しつつも,インド警察研究を切り拓いた著者による研究のさらなる進展に期待したい。