アジア経済
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書評
書評:Peter Drake, Merchants, Bankers, Governors : British Enterprise in Singapore and Malaya, 1786-1920.
Singapore: World Scientific, 2018, xii + 194pp.
川村 朋貴
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2019 年 60 巻 3 号 p. 69-72

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はじめに

本書は,英領海峡植民地や英領マラヤの発展において,それに深くかかわったイギリス人たちがどのような未来像を描いたのか,そして彼らがいかにマレー半島の植民地化に熱心であったのかを論じた物語である。ここでいうイギリス人とは,具体的には商人・商社,銀行,植民地総督を指している。そして本書では,ペナンが建設された1786年から,第一次世界大戦後の1920年までの約150年が時間軸に設定されている。

本書で使用している史資料は,シンガポール貿易や海峡植民地に関する既知の2次文献に加えて,植民地省文書や英字新聞等の1次史料を主体としているが,植民地企業の経営史に関する会社内部文書も多く含まれる。所蔵先や資料番号のような史資料情報が記載されていないのは実に残念である。

著者は,戦後東南アジアの開発経済学,とくに貨幣・金融システムとその政策論を専門とし,「余剰の捌け口論」や「ステイプル理論」を参考にして,長期的な対外債務には頼ることなく天然資源依存型の持続的成長を実現させるという,低開発国の経済開発モデルを探求していた。同時に,著者は経済史的研究にも関心を向け,1850年から1920年までの英領マラヤ経済史研究を深め,開発経済学へのリンケージを試みていた。本書をその一環としてとらえるならば,海外直接投資には多くを依存しないイギリス植民地商社の自立的成長を明示することが,著者の真の意図であったと容易に推測できるであろう。

本書の第1章から第4章,そして第6章は,いわば東南アジアにおけるイギリス帝国の通史である。その叙述は発展段階に沿って展開し,英文も平易に書かれ,物語の大きな流れと劇的な変化を把握しやすくなっている。

第1章では,ペナンの建設(1786年)を契機に,シンガポールの建設(1819年),そしてマラッカを加えた海峡植民地の成立(1826年)というイギリスの東南アジア植民地化の創世期が,カルカッタやロンドンの有力商社と取引をする海峡商人たちの成長と自立性という観点から描かれている。

第2章では,1850年代から1870年において,海峡植民地がインド支配のくびきから解放され(1867年),その結果,本国政府(植民地省)の直轄植民地となって再編される過程が描かれている。そして,同時代の帝国支配体制が,イギリス商人・銀行と華人商人とのさまざまな交渉と関係をとおしてマレー半島にも徐々に浸透していったと論じられる。

続いて第3章では,マレー干渉政策直前期における海峡植民地の政治・財政・通貨・移民問題が取り上げられている。この時期でとくに注目されている点は,海峡植民地貿易を成長させる諸要素,すなわち蒸気船時代の到来,スエズ運河の開通,そしてシンガポールでの経済基盤整備である。

第4章は,イギリスとペラ王国とのパンコール条約(1874年)の締結を機に,海峡植民地政庁によるマレー干渉政策が積極的に展開されていく過程を概括する。著者によると,当該期は,スズ産業の発展を通じてマレー半島がイギリス資本と華人資本の投資・開発事業に開放された時代であった。スズ利権をめぐる混乱・闘争が激化し,スズ鉱山労働者としての中国人人口も激増するにつれて,海峡植民地政庁はますますマレー支配体制を強化する必要が出てきた。加えて,他の列強諸国からの脅威もあった。それらへの対応の着地点が,クアラルンプールを首都とするマレー連合州の成立(1896年)であった。

第6章では,1896年~1914年における急激な経済成長による変化として,海峡植民地政庁による港湾事業と灌漑事業の推進,ゴム産業の誕生,マレー人小農への政府貸付の強化,イギリス資本による資本集約的なスズ開発とその興隆,その主役である英系企業の組織的革新と経営多角化などが取り上げられている。

以上の通史をさらに深く理解するために,第5章では英系国際銀行,第7章と第8章では英系老舗商会が取り上げられ,経営史的観点からイギリスのマレー半島進出史が検証されている。

第5章では,チャータード銀行と香港上海銀行の諸活動をとおして,海峡植民地・マレー半島の通貨・金融問題に迫る。ここでは,チャータード銀行は欧米系大手商社を主要な顧客とした国際貿易金融に従事したが,同時に,有力なチェッティヤールや華人商人を相手に資金を融通するという取引関係を日常的にもっていた側面が明らかとなる。香港上海銀行はチャータード銀行に少し遅れてマレー半島に進出したが,国際銀行間での熾烈な為替取引競争を展開し,ジョホール・サルタンとの取引やゴム・スズ産業への投資にも深くかかわるようになった点も指摘されている。

第7章では,1821年よりシンガポールを拠点にし,東南アジアの英系貿易商会を代表するガスリー商会とそのマレー半島進出が取り上げられている。ガスリー商会は,設立当初から華人,チェッティヤール,さらにマレー人商人との親密なビジネス関係を築き,そうした関係を利用しながら19世紀末にマレー半島での事業を拡大させていった。そして,同商会はとくにゴム産業へ関与するなかで,純粋な貿易商会から多業種にかかわる経営代理商会へと変容していった過程が描かれている。

第8章は,1828年にシンガポールで開業し,ペナンやロンドンにも店舗をもったボウステッド商会のマレー事業を検証している。ボウステッド商会は,ガスリー商会とちがって,東南アジア産品や欧米製品を取り扱う貿易業にかなり集中したと指摘されているが,それと同時に,同商会はドックや新聞社等を創設したという特徴も見逃していない。

最後の第9章では,植民地総督とイギリス人行政官,銀行と金融業者,英系・アジア系商人らの各役割や複雑な相互関係性が本書の主たる結論としてまとめられ,彼らこそマレー世界におけるイギリス植民地支配体制の成立・維持・運営の主役であったという著者の問題関心が披露されている。

以上の概要を踏まえて,本書について3つの視座から論点を提示し,より大きな議論に結びつけたいと思う。

第1の論点はイギリス帝国史研究との関連である。その研究者の多くは,19世紀にグローバル化したイギリス帝国主義の基本原理を,ランカシャー産業資本が主導する「自由貿易帝国主義」の世界展開によって解釈してきた。とくに1840年以降に頻繁に起きた非公式支配から公式支配(領土併合)の帝国政策への変更理由については,植民地・従属地域側あるいはその内部の「非経済的」諸条件とその変動にもとづいて説明するのが主流で,一般的に「周辺理論」と呼ばれている。第4章や第6章において,局地的な「非経済的」危機に乗じたイギリス勢力のマレー半島進出が強調されている点から類推すると,本書も「周辺理論」の延長線上に位置づけてよいであろう。

しかし,そうはいっても,著者の眼中に他のヨーロッパ植民地との経済関係が一切入っていないというのは,理論上,決定的な盲点となる。なぜならば,「周辺理論」では,非ヨーロッパ地域での国際関係的要素も,「非経済的」諸条件のひとつとして考えられているからである。とりわけ,海峡植民地との関係が強い蘭領東インドへの配慮は,イギリス商業・金融利害の東南アジア展開を考えるうえではきわめて重要な要素である。たとえば,評者は,英系国際銀行のひとつであるマーカンタイル銀行の東南アジア活動規模が,とくに1875年以降に急拡大したという事実を示したが[川村 2017],この点は第4章と第5章ともシンクロする。注目すべきは,1875年ではシンガポール店とバタヴィア店の活動規模がほぼ同じであり,1880年代には両植民地間貿易の金融も日常的に行なっていたことである。そのペナン店も,シンガポール店と同様に,蘭領東インド,とくにスマトラ島に事業を拡大させ,複数の蘭系大手タバコ企業を顧客としていたのである。他方,チャータード銀行も,とくに1870年代~80年代のバタヴィア店の活動が顕著であったことが明らかにされている。

以上の点から,本書でも蘭領東インドの形成と領域拡大,そしてそれと英領植民地との帝国間相互関係に多くの注意を払うべきであったと強く感じる。英系商社・銀行は,マレー半島の方ばかりを見て営業していたわけではない。多くの研究者,とくにイギリス帝国史研究者は,マラッカ海峡に設けられた歴史認識上の鉄のカーテンを開放し,より広い視座をもたなければならない段階にきているのではないだろうか。

第2の論点には,アジア経済史研究との関連が挙げられる。本書は,英系商社・銀行の視座からのユーロセントリックな成功物語であるという厳しい批判は免れないが,華人商人やチェッティヤールたちの商業・金融業にも,残念ながら「脇役」ではあるが,随所で言及している点は一定の評価を与えることができる。というのも,希少価値の高い1次史料を駆使する直近の国際銀行史研究でさえも,彼らのようなアジア系有力商人・金融業者と欧州系国際銀行との密接な関係の解明には十分に応えているとはいいがたく,文化的かつ社会的にあまり関連のない両者間の経済的接触と相互作用を理解するには未だ至っていないからだ。この異文化交流こそが,植民地世界という環境のなかで新たな「交易の機会」をつくり出すダイナミズムの源泉であったと思われ,本書ではその一端が垣間見えたという意味で貴重である。ただし,華僑・華人研究が相当に進んでいる現段階では,英系銀行と取引をするシンガポールやペナンの華人商人たちが,どのようなアジア・ネットワークのなかで活動していたのかを,もう少し詳細に紹介してほしかったところである。

近年のアジア地域経済史研究は,アジア系商人・金融業者たちが,「西洋の衝撃」のもとで,自らが長年築いてきた経済活動のさまざまな制度や組織を再編させ,「アジア間貿易」や「バザール経済」のなかで確固たる地位を占めていたことを明らかにしている。水島[2003]は,南インドを本拠地にしたナットゥコッタイ・チェッティヤールたちのマレー半島での活動を分析し,きわめて高度な金融システムと商業ネットワークを有していたことを明らかにした。彼らのようなアジア系商人・金融業者らは,自らの地縁・血縁・民族・宗教等を通じたひとつの「まとまり」を形成し,そのなかで有益な経済情報を共有するとともに,シンガポールやペナンのような「場」において,ヨーロッパ系商人・銀行との関係も深めながら活動範囲を拡大させていったのである。

本書では,誰でもアクセス可能な経済活動の「場」の重要性が顧みられることはないが,アジアにおけるイギリス植民地支配体制の成立・維持・運営という近代史への複眼的思考と,アジア在来金融業と植民地金融業との関係史へのさらなる論究の必要性を示唆しているといえる。

第3には,東南アジア貿易史に関する論点がある。近年の研究では,19世紀前半の東南アジア各地(とくに島嶼部)が,植民地化と世界経済への統合の流れのなかで伝統的な交易網が破壊されたのではなく,「局地的な独自性」を保ちながら「域内貿易圏」として再編されていた過程に注目が集まっている。この背景には,「国民国家」単位でバラバラに分析されてきた貿易史を統合し,「地域的まとまり」としての東南アジアの歴史像を提供しようという研究目標が含まれているのである。

そうした最新の研究動向を念頭に置くならば,本書でも,東インド会社支配時代における海峡植民地3港市の貿易データにもとづきながら(pp.5-6,10-14,17),とりわけシンガポールの貿易規模,取引商品,その担い手等が分析されているのは,大いに評価に値する。ここでは,シンガポールの貿易相手について,1861年までにはいくつかの外的要因によってインドの比率が相対的に縮小し,その分,東南アジア近隣諸国(おもにジャワとマレー半島)の比率が拡大したという重要な特徴が強調されている。その割合の圧倒的大きさは19世紀シンガポールの輸出入貿易最大の特徴であり,20世紀に入るとその割合は全体の50パーセントを超えたという事実も付言しておきたい。

しかし,海峡植民地に属したペナンの「局地的な独自性」について,本書では部分的に言及される(pp.21-22)だけで,その内容全体がもっぱらシンガポールの視座に寄っている点は注意する必要があろう。ペナンの商業的発展は,シンガポールの繁栄にけん引されていた一方で,いくつかの重要な点においてかなり異なった形をとっていた。たとえば,19世紀前半のペナンは,とりわけスマトラ,マレー半島西海岸,ビルマ,インド沿岸各地との強い結びつきをもちながら,インド洋交易圏に直結するネットワーク・ハブとして機能していた特徴がある。ペナン商業会議所が,インド省から植民地省へ海峡植民地を移管する政策に強く反対した理由も,そのような文脈から考えていかなければならないのである。海峡植民地といっても,商人・金融業者たちの自己主張,経済利害,政治的関心,そして世界観は多様であり,ペナンとシンガポールそれぞれから見える景色はまるで違うものであった点をわれわれは改めて認識すべきであろう。

最後に,全体的な印象について述べておきたい。本書は,イギリス帝国史や東南アジア経済史を専門にする読者にとっては既知の研究史上の常識を覆すほどの新規な内容ではなく,正直にいえば,物足りなさを感じざるをえないであろう。著者の専門分野がそもそも開発経済学であったことを勘案すると,本書がどのような真意をもって何を示そうとしているのかを,間違った印象と評価に結びつかないように多少の紙幅を使って丁寧に説明してほしかった。本書を一読するだけでは,独自の経済開発モデルの構築という隠れた問題意識を行間から読み解くことは容易ではないというのが,率直な感想である。

しかし,そうした印象は本書の存在価値を否定するものではない。IIで指摘したように本書は幅広い多様な研究動向とも呼応し合っており,その学術的貢献はきわめて大きなものと考えられるからである。膨大な銀行資料群からアジア商人に関する貴重な知見を提供したことは,評者も関心をもつ国際銀行史研究に多大な貢献をしているし,今後,関連分野での新たな研究成果に結びついていくと期待される。

これに加えて,本書の現代史的意義にも簡単に触れておこう。2017年の日本国外務省貿易統計によると,東南アジア諸国連合(ASEAN)の輸出・輸入とも20パーセント強がASEAN加盟国間貿易であった。一方,それ以外の域外貿易では,輸出入ともに中国,EU,米国,日本が大きな構成比を占める。そのASEAN貿易総額のうち,シンガポールの貿易総額は最大の割合(31.1パーセント)を占め,その貿易相手国の第1位がマレーシアである。他方,マレーシア貿易はASEAN貿易総額の第4位を占め,その貿易相手国の第1位がシンガポールであった。シンガポールとマレーシアの両国は,脱植民地化時代の苦難を互いに経験したにもかかわらず,その経済的紐帯を強化させ続け,同時にタイやインドネシアとの経済関係も強めている。こうした現在のアジア経済事情や東南アジア認識の歴史的コンテクストも,本書から学ぶことができる。歴史学を専門としない研究者や実務家にも勧めたい1冊である。

文献リスト
  • 外務省アジア大洋州局地域政策参事官室 2017. 『目で見るASEAN——ASEAN経済統計基礎資料——』https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000127169.pdf(accessed 28 Oct.2018).
  • 川村朋貴 2017. 「南アジア地域経済圏におけるイースタン・バンクの 『関所資本主義』 (1860~90年)」 『人文学報』 (110) 253-283.
  • 北林雅志 2014. 「チャータード銀行 1858-1890年」 西村閑也・鈴木俊夫・赤川元章編著 『国際銀行とアジア1870~1913』 慶應義塾大学出版会.
  • 水島司 2003. 「イギリス植民地支配の拡張とインド人ネットワーク——インド人金融コミュニティーと東南アジア——」 秋田茂・水島司編 『世界システムとネットワーク(現代南アジア6)』 東京大学出版会.
 
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