アジア経済
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書評
書評:塩野﨑信也著『〈アゼルバイジャン人〉の創出――民族意識の形成とその基層――』
京都大学学術出版会 2017年 xiv + 420ページ
前田 弘毅
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2019 年 60 巻 3 号 p. 73-76

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本書は19世紀末から20世紀初めにかけてのアゼルバイジャンの国家・民族形成に関する本邦初の本格的な研究書である。英語やロシア語のほか,現地語のアゼルバイジャン語とともにペルシア語にも通暁する著者は,現在我々がアゼルバイジャン共和国と呼んでいる地域が国を形成するに至ったきわめて複雑な事情を,事細やかに検討し明らかにしている。多言語史料の高い処理能力もさることながら,副題にもあるように,著者は一貫して単なる言説分析を超えた「基層」に関心を寄せており,その意味でも単なるネイション形成・ナショナリズム論にとどまらない深く優れた成果を本書は内包する。その一方で,大きなテーマゆえに議論のまとまりや他の研究との接続に不十分な点も感じた。以下,はじめに本書の概要を紹介したうえで,いくつか気になる論点について若干の感想を述べていく。

I 本書の概要

著者はまず,序章において,当該地域の複雑な地理や民族といった概念を整理して解説し,先行研究を紹介する。次いで,本書の主題である主要な3つの論点が述べられる。それらは,アゼルバイジャンの地理的一体性の形成過程,アゼルバイジャン人という名乗りの定着過程,民族意識形成の基層の究明である。以下,上記の課題解明のためにアゼルバイジャンにおける代表的な知識人たちの言説に注目して分析が進められていく。

第1章「南東コーカサス略史」では,古代イラン世界の一部を形成した時代からイスラーム化,テュルク化,シーア派化と時代を下る形で地域住民の宗教的民族的変容が紹介される。そして,ロシア帝国の一部に組み込まれた後,油田産業の勃興などの近代化からソ連を経て現在の独立共和国に至るまでの略史が述べられる。

第2章「〈アゼルバイジャン〉とは,どこか」では,そもそも「アゼルバイジャン」という言葉の語源からイスラーム地理書やペルシア語辞典類に見えるこの言葉の示す範囲について,図表も用いて詳細な検討がなされる。そして,現地住民の視点として,現地で著された地方史や詩人たちの作品を用いて「アゼルバイジャン」の範囲や「ふるさと」意識について分析が加えられる。また時代が下るにつれて地理的アゼルバイジャンが拡大した一方,郷土意識の向けられる特別な含意は見えないことを指摘する。なお,補論としてペルシア語史料における「アゼルバイジャン」の範囲や「カフカース」名称の普及,オスマン語,西欧語,ロシア語史料における「アゼルバイジャン」の地理範囲が述べられる。

第3章「新たな帰属意識の模索」では,近代歴史学の祖として19世紀前半を代表する知識人バキュハノフの地理および歴史認識について,その代表作『エラムの薔薇園』に詳細な分析が加えられている。彼の作品中に近代的な「民族(ネイション)の要素はほとんど見られない」ことや,アラス以南の「アーザルバーイジャーン」との領域的な一体性が意識されていない一方,言語的共通性が認識されていたことを明らかにする。

第4章「近代的民族意識の萌芽」では,アゼルバイジャンとイランの両国で国民文学の父とされているアーフンドザーデの著作が取り上げられる。「イラン民族主義」や「イスラーム」意識,後進性や文字改革について詳しく検討がなされ,アーフンドザーデが偉大な古代ペルシア人の末裔たる「イラン民族」としての誇りを抱きつつ,より「イスラーム民族」を好んだことなど,興味深い指摘がなされる。さらに「カフカース」,「タタール」,「アゼルバイジャン」をめぐる地理認識と帰属意識について考察が加えられる。また,補論では19世紀ヨーロッパにおける「民族」の理論としてフィヒテ,ミル,ルナンの民族観が紹介される。

第5章「変化していく『我々』の輪郭」では,1875年にバクーにおいて創刊された初のテュルク語新聞『種蒔く人』について詳しい検討がなされる。創設者かつ編集長・主筆も務めたゼルダービーの生涯の紹介からはじまり,帰属民族意識としてのムスリム,西洋に倣おうとする啓蒙意識,さらにすでに「ふるさと」として「カフカース」住民意識が定着しており,「カフカースのムスリム」という自意識が醸成されていたことなどを明らかにする。

第6章「〈アゼルバイジャン人〉の出現」では,1880年代当時ロシア帝国のコーカサス支配の中心地であったティフリスでテュルク語出版活動を主導した,ジェラール・ウンスィーザーデの活動に焦点が当てられる。とくに彼が創刊したテュルク語・ペルシア語・アラビア語新聞『ケシュキュル』から民族名としての「アゼルバイジャン」の採用とその理由について考察している。また,1880年代から1890年代にかけてのロシア帝国当局の言論締めつけ政策などについても取り上げられている。このほか,補論として,19世紀前半の著名な学者アレクサンドル・カーゼム=ベクによる言語名としての「アゼルバイジャン語」の採用や,言語と民族主義の関係について述べられる。

第7章「祖国〈アゼルバイジャン〉の形成」では,1906年から1931年まで続いた『モッラー・ネスレッディーン』誌を取り上げ,祖国,民族,言語の呼称として「アゼルバイジャン」が定着していく過程を明らかにする。汎テュルク主義的傾向や「アゼルバイジャン民族主義」ともいうべき言説がすでに生まれていたこと,また,その背景としてザカフカース師範学校(通称「ゴリ師範学校」)の影響にふれたうえで,その卒業生でもあるメンメドグルザーデによる『モッラー・ネスレッディーン』誌での言論活動の紹介とその分析が行われる。

終章「ニザーミーとハターイー」では,ソ連期におけるニザーミーやサファヴィー朝国家の評価を取り上げ,アゼルバイジャン民族の大詩人や英雄として歴史を遡って称揚され,冠されていく過程と史学史的展開について探求がなされる。さらに独立後の歴史概説書と教科書の記述も詳細に検討されている。

結論では,領域・言語・民族の呼称としての〈アゼルバイジャン〉の成立・普及定着過程に関するふたつの図表を用いて,本書の成果についてわかりやすくまとめられている。

このほか,付録として,19世紀の南東コーカサスで著された歴史書・地誌の紹介,ロシア帝政期南東コーカサスにおけるテュルク語定期刊行物の紹介,バキュハノフ『エラムの薔薇園』前文および序章の邦訳,新聞・雑誌記事抄が収録されている。

Ⅱ 評価

以上のように,本書は19世紀から今日に至るまでの「アゼルバイジャン」を形作ってきた代表的な言説を網羅しており,分析も堅実で読み応えのある著作である。細かな表の数々や詳細な図版から,まさしく万華鏡のようなアゼルバイジャン国家の成り立ちを手に取るように見て理解することができる。その意味で,今後のわが国におけるアゼルバイジャン「国」史研究の出発点として高く評価できよう。

そうした本書の価値を確認する一方で,伝統的な東洋学の手法を尊重しながら「国民意識」形成を考察することの難しさもまた,本書を通読して感じる。詳細な検討から学ぶところは多い一方,理論的な切り込み方や議論の広がりにはやや物足りなさも読後感として残る。本書については主題である国名・言語名・民族名に関する北川誠一氏による充実した書評がすでに発表されている[北川 2018]。アゼルバイジャン・ネイション形成史としての本書にかかわる論点はそこで議論されているので,本稿では他の研究との接続の問題について,比較を含めた地域的広がりの問題と,時代や各論掘り下げについての感想を以下に若干述べることにする。

まず,比較の問題についてであるが,たとえば著者は冒頭(3ページ)で民族名をめぐる巧みな比喩話で本書の記述を始めている。これはアゼルバイジャンの語を現代的な意味での民族名に採用した『ケシュキュル』誌の記事とのことだが,まさにここで問題になっている民族名に関する問いの逸話は,19世紀の東欧や近東各地でも話題になっていた逸話・論法である(西欧人が民族名を尋ねても「宗教名」しか答えられない)[マゾワー 2017, 86; キング 2017, 315]。しかし,禁欲的な著者は東欧・バルカンはおろか隣国グルジア(ジョージア),アルメニアの経験についてもふれていない。グルジアの自意識形成などについては,単なる名付け論を超えた境域の独自性など,挑戦的な研究が欧米の人類学や文学研究者を中心として近年出版されている[Manning 2012; Grant and Yalçin-Heckmann 2007; Ram 2004]。著者の堅実な言論分析とは異なる潮流であるが,学知の形成や影響力といった観点からは接続が可能であると考えられる。また,前述の北川[2018]でも指摘されていることだが,コーカサスにおけるナショナリズムと歴史認識の問題について,精緻な研究を行ったシュニレルマンの仕事[Shnirelman 2001]に言及がなされていない。ロシア帝国統治下の他のムスリム地域を含めて当時のイスラーム主義などとの関係も不明であり,その意味ではこれまでの近代化・国民主義の言説をなぞっているという指摘がなされるかもしれない。また,イランにおける「アゼリー」人,すなわちテュルク語話者が多数を占めるイラン・アゼルバイジャン問題(もうひとつのアゼルバイジャンと表現できうるか)[Atabaki 2000]についてもとくにふれていない。無論,本書の価値は現在のアゼルバイジャン共和国の内側・地元からの観察に徹底的にこだわるところに特徴があり,こうした指摘はないものねだりに等しいが,問題整理の見取り図について望蜀之嘆が残る。

また,知識人の言説にこだわる著者の姿勢は充実した成果をもたらす一方で,政治史への言及や社会史・土地制度史・民族関係史などは言論界や知識人の生涯にかかわらないかぎり,あまりふれられていない。そのために社会的背景についても断片的にしか知り得ない。「自国意識」の追求と政治的オリエンテーションの絡み合いや,帝国の知識人としての通訳官や学者の位相など,連関する研究は存在する[前田 2012]。ニザーミーの民族化(298ページ)などは,同時代のグルジアやアルメニアの事例の参照が有益であろうし,ソ連の文化政策のなかでも検討されるべきテーマでもある。バルトリド(304ページ)などロシア史学,ソ連史学,近代学問の恣意的なフォロー・踏襲・読み替えを的確に指摘しているので,著者はむろんこうした問題に無自覚ではない。残念ながら大きなテーマを長い射程でとらえた研究ゆえに,どうしても名前論・名称論の側面が大きく浮かび上がってしまったようにもみえるが,今後個別のテーマとして発展させていくべき課題ともいえる。

約20年前,イラン北西部トルコ語地域の主邑でサファヴィー帝国の最初の都が置かれたタブリーズを訪れた評者は,街中でほぼトルコ語が用いられており,若いタクシー運転手がトルコ語の単語をただペルシア語に置き換えただけのペルシア語(すなわち本来のペルシア語の語順とは全くさかさま)を話す様子にたいへん驚いた。その意味では,巷間から掬い上げた領域と民族名称を公定の歴史に定着させてきたアゼルバイジャン共和国の歴史はたいへん興味深い。そもそも上記の感想は400ページを超える著作に対して,ないものねだりの誹りを免れないだろう。本書を出発点として,アゼルバイジャンをはじめとするコーカサス諸民族や東欧バルカン,あるいはウイグルなどユーラシア各地の民族「名称」の歴史認識とネイション研究の一層の深化を期待したい。

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