アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
書評
書評:Pedro Miguel Amakasu Raposo de Medeiros Carvalho, David Arase and Scarlett Cornelissen, eds.,Routledge Handbook of Africa-Asia Relations.
London: Routledge, 2017, xxi+ 483pp.
山本 めゆ
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2019 年 60 巻 3 号 p. 81-87

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Ⅰ はじめに

ハンナ・アーレントは,1970年に行われた対談において「第三世界」の連携について懐疑的な見解を披露しながら,アフリカと中国との関係に言及している。それによれば,第三世界とは実在(リアリティ)ではなくイデオロギーに過ぎず,ヨーロッパやアメリカと比べて低開発国であるという共通点があるに過ぎないという。そのうえで,アーレントはこう言い放つ。「機会があったら中国人に向かって,あなたはアフリカのバンツー族とまったく同じ世界に属しているのだといってみてごらんなさい。きっとびっくり仰天するようなことになりますよ」[アーレント 2000,205-206(注1)。21世紀の到来とともに,アフリカとアジアとの間にこれほど緊密な関係が築かれることになろうとは,当時のアーレントには想像もつかなかっただろう。

アフリカとアジアとの関係は,20世紀中葉のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)や非同盟運動で蒔かれた種が,冷戦体制終結以降に開花し,アフリカ開発を主題とするアフリカ開発会議(TICAD)や中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC),韓国・アフリカフォーラム(KAF),インド・アフリカフォーラム・サミット(IAFS),あるいはアジア・アフリカ戦略的パートナーシップ(NAASP)などの会議をとおしていっそうの深化と進歩を遂げてきたといわれる。1955年に開催されたのちに長らく中断していたバンドン会議も,2005年には50周年記念会議,2015年には60周年記念会議が開催されるなど,アフリカ・アジアという枠組みは21世紀に入って再び活性化しつつある。

こうした関係緊密化のなか,2017年に刊行されたのが,ペドロ・ラポウズ(関西大学),デヴィッド・アラセ(ホプキンズ南京センター),スカーレット・コーネリセン(南アフリカ・ステレンボッシュ大学)によって編まれた本書である。全483ページに29本の論文を収録した大冊で,執筆者は歴史・経済・政治・国際関係・開発・社会・宗教・教育など多様な専門家36名が参集した学際的な論集となっている。

アフリカ・アジア関係研究は,「アフロ・アジア関係研究」,「アフラシア研究」など呼称はさまざまだが,近年飛躍的な前進を遂げてきた。重要な成果のひとつとしては,Mazrui and Adem[2013]がある。大規模な学術研究ネットワークや国際研究集会も,オランダのライデン大学やドイツのフランクフルト大学などヨーロッパの研究機関主導のプロジェクトが先行しているものの,この数年で急速な広がりを見せている(詳細はIwata[2014]参照)。日本においても,2018年に「Japan Society for Afrasian Studies」が発足した。本書はこうした蓄積のひとつの到達点といえるだろう。

峯陽一が指摘しているように,100年後には世界の人口の約8割がアフリカとアジアの地域に居住していると見込まれており,これはアフリカ人とアジア人との対話の質がここから数百年の未来を左右することを意味する[峯 2017,245-250]。本書も,学術研究における大西洋中心主義によってときには等閑視されてきた両地域の関係を再評価するとともに,新たな世界像を次世代に手渡すことを目指して編まれている。

第Ⅱ節では編者たちのねらいを短く紹介したのち,全体の構成を概観する。第Ⅲ節では本書の意義と課題とともに,日本におけるアフリカ・アジア関係研究の歴史やそれと深く結びついた取り組みを振り返り,今後の展望へとつなげたい。

Ⅱ 本書の背景・構成と概要

1. 本書の背景

本書の筆頭編者であるペドロ・ミゲル・アマカス・ラポウズ・ドゥ・メダイルス・カルバーユは,日本の対アフリカ開発援助政策の研究で知られる経済学者で,著書にRaposo[2013;2014]がある。ラポウズは2014年の秋に出版社から依頼を受け,次に2人の編者が加わった。アラセは日本の対外援助戦略に加え,中国の対アフリカ開発援助についても検討を進める国際政治学者である。コーネリセンはアフリカとアジアとの国際関係・外交政策を専門とし,ジェトロ・アジア経済研究所の客員研究員を務めたこともある。

ラポウズによれば,企画の方向性は編集を進める過程で明瞭になっていき,あえていえば,アジア寄りだった企画がアフリカ寄りへと移行していったという。たとえば,出版社から依頼を受けた際の仮タイトルは「アジア・アフリカ関係」だったが,編者の提案により「アフリカ・アジア関係」に変更された。また表紙に使用されている図像についても,当初準備されていた写真は国際会議の一場面で,そこにアフリカ人の姿はなかったが,数度の検討の結果,最終的にアフリカとアジアの要人計30名が肩を並べて整列する写真が採用された(2018年10月31日聞き取り)。国際社会におけるアフリカの役割に期待する,編者たちの思いが反映されているといってよいだろう。

2. 構成と概要

本書は,ラポウズによって執筆された序論と結論を除き,3つのパートと9つのセクションで構成されている。29章の内容は多岐にわたるうえ,各章を個別に論じていくことはできないため,以下にごく簡潔にその概要を紹介していきたい。

序論では,植民地支配の記憶を媒介に「第三世界」という概念が生まれるずっと以前から,アフリカとアジアは1000年にわたって独自の交流を行っていたことが強調される。18世紀以降,近代の牽引者を自認する列強によってアジアが従属的な地位に置かれ,アフリカが分割されるなか,早くも20世紀初頭にパン・アフロ・アジア主義の萌芽が現れる。たとえばアメリカにおけるパン・アフリカニズムの指導者であるW・E・B・デュボイスは,すでに1928年に出版した小説のなかでパン・アフロ・アジア主義の台頭に言及していた。ラポウズは知の生産という観点から,アフリカ・アジア関係の再評価が西欧中心主義の相対化につながると主張する。

第1部「アフリカとアジアの初期の接点」は,植民地化以前と植民地期前期,植民地期後期,ポストコロニアル期という3つのセクションに分けられる。おもな関心は,人の移動,宗教的交流,反植民地主義的なレジスタンスやナショナリズムなどである。

第1章(Samuel Ojo Oloruntoba and Sabelo Ndlovu-Gatsheni)は,ディアスポラ研究においてもしばしば軽視されてきたインド洋を越えた人びとの移動史について検討する。アフリカのアジア人は経済的,政治的重要性を持つこともあったが,その逆はほとんど見られなかった。これはかつての人種主義的な序列化のもとで,アフリカ人の方が劣位に置かれていたためとみられる。第2章(Daniel B. Domingues da Silva)では,16世紀よりポルトガル人を中心とするイベリア半島の商人が,アフリカとアジアをつなぐ役割を果たしたことが示される。彼らは両地域にキリスト教や西欧の文化をもたらしただけでなく,これらの地域を大西洋の経済に接続することを手伝い,さらにアジアに奴隷貿易を拡大させた。第3章(Kwame Nimako)では,著者は領域・シティズンシップ・国際法の文脈という3つの主権に注目し,ヨーロッパ中心主義的な歴史記述に挑戦する。アメリカ大陸の植民地化の経験がアフリカとアジアの植民地化を後押しし,さらに第二次世界大戦によるヨーロッパの弱体化を経由してアジア・アフリカの主権回復・獲得へと至る連続性が描出される。第4章(Iqbal Akhtar)は,南アジアのムスリムの人びとが過去2世紀にわたって東アフリカに定着したことにより,受入地はいかなる影響を受けたのかを論じる。イスラームが過激派と同一視されるような敵対的な政治環境にもかかわらず,東アフリカのアジア系コミュニティの存在はムスリムコミュニティを支える役割を果たしてきたと著者は結論づける。第5章(Jörg Haustein and Emma Tomalin)では,開発学においてさかんに論じられている宗教と開発に関する実践との交差について,過去に目を向ける必要があることを示す。宗教と進化に関するヨーロッパの思想は,宣教師たちの「文明化の使命」と,入植者たちの経済的利益創出の両方にイデオロギー的正当性を与えた。進化や宗教に関するオルタナティブな展望を開くためには,ヨーロッパの介入の歴史を等閑視することはできないと著者たちは論じる。第6章(Christopher J.Lee)は,植民地期からポストコロニアル期にかけての,アフリカとアジアにおけるナショナリズムの出現やその系譜が論じられる。ナショナリズムは反植民地運動や国連等をとおして強化されたが,独立を果たしたアフリカとアジアの多くの国々はアメリカやソ連との関係を維持したために,ナショナリズムという語はレトリカルなものになっていったという。

第2部「近代におけるアジア-アフリカ交流」では,1840年代から冷戦の終焉ごろまでが論じられる。外交関係,政治・経済的関係,そして社会や市民レベルの関係という3つのセクションに分かれる。西欧のヘゲモニーに対するアフリカやアジアの挑戦,ナショナリズムや経済開発,教育とジェンダー,市民社会やNGOの役割などが論じられる。

第7章(Kweku Ampiah)は,「脱亜論」の検討を手がかりに,明治期以来の日本とアフリカとの距離について分析が行われる。西欧列強の仲間入りを目指して近代化を進めた日本にとってアフリカは軽視してもよい地域と考えられ,20世紀後半までそのような姿勢は続いた。1990年代以降,TICADなどを通じた建設的な関係構築が始まっているが,そこでは中国の対アフリカ政策が意識されている。第8章(Hyo-sook Kim)は,冷戦期における韓国のアフリカ援助を検討している。エチオピアとの親密な関係で知られる韓国だが,朝鮮戦争後に北朝鮮との外交競争が展開されるなかで対アフリカ援助がその道具となった。1980年代以降,アフリカに対する援助のアプローチは南南協力へとシフトしていった。第9章(Sanjukta Banerji Bhattacharya)は,20世紀後半におけるアフリカとアジアとの連携について,1960年代に始まった非同盟運動やG77,1970年代のNIEO(新国際経済秩序)をとおして連携の種が蒔かれていたものの,効果的な南南協力へと転換させることができたのはごく最近であることが示される。著者によれば,反植民地主義や反レイシズムにおける指導者であったはずのインドの役割も限定的なものだった。第10章(Seifudein Adem and Darryl C.Thomas)は,20世紀にアフリカとアジアとの距離を縮めた3つの要素,すなわち人種的連帯,文化的連帯,反帝国主義的連帯を検討しながら,バンドン会議の精神は60年以上を経て,BRICSにとって替わられたのか否かを問う。第11章(Alicia Garcia-Herrero and Carlos Casanova)は,中国・アフリカの貿易関係史を振り返りつつ,アフリカの商品輸出が中国に対する依存を深めていることに注目,中国経済の減速はアフリカの国々に深刻な影響を与えかねないとして,アフリカ諸国が地域内貿易を促進し輸出先を多様化する必要があることを指摘する。第12章(Evelyn S. Devadason and V.G.R. Chandran Govindaraju)では,冷戦後期以来のマレーシアとアフリカとの関係が評価される。今日の両者の関係を理解するためには,コロニアリズムの遺産に目を向ける必要があるとしたうえで,新興国としてのアイデンティティを緩やかに共有するマレーシアとアフリカとのつながりは,アセアン・アフリカの結びつきのなかで,高度な戦略的パートナーシップへと進化していると論じる。第13章(Ross Anthony and Yejoo Kim)は,南アフリカ・台湾(中華民国)・中国の3者関係のダイナミクスを分析する。アパルトヘイト期の南アフリカは中華民国を承認し,親密な関係を築いていた。1998年の中華人民共和国との国交樹立とともに,中華民国との外交関係は途絶したが,現在も通商関係は維持されている。中国は中華民国との経済的統合を進めるなか,それと引き換えに中華民国と南アフリカとの関係に寛容な立場を示しているという。第14章(Takuo Iwata)は,日本・中国・インド・韓国におけるアフリカ研究の足跡と,アジアにおけるアフリカ研究者の国際ネットワーク形成に向けた試みを示す。比較対象として「学際研究のためのアフリカ・ヨーロッパのグループ」(AEGIS)の取り組みが紹介され,ヨーロッパの研究機関や研究者たちが長期的なヴィジョンのもとで学術ネットワークを育ててきたことが提示される。第15章(Yoichi Mine)は,「アフラシア」を汎アフリカ主義と汎アジア主義という2つの汎民族主義が出会う空間として定義づけ,アフラシアの汎民族主義者としてラビンドラナート・タゴールや岡倉天心,孫文,エメ・セゼール,ジュリアス・ニエレレ,スティーブ・ビコが紹介される。またアフラシアの未来像として,現在のTICADやFOCACのような国・地域間の会議が,将来的には地域・地域間の会議に再編され,よりダイナミックで対等な交流に発展するという期待が示される。第16章(Mayke Kaag)は,長らくアフリカとアジアの出会いの源であり媒体となってきたイスラームの役割に注目,イスラーム的な人道支援と開発支援について論じる。著者によれば,9.11以降,イスラームの救援組織はイスラムの原理主義やテロリズムとのつながりを疑われ,彼らの活動は著しく阻害されるようになっている。第17章(David M. Potter)は,おもに南アジアとサブサハラアフリカにおける市民社会とNGO/非営利/ボランティア・セクターについて検討する。アフリカとアジアの市民社会はグローバルな市民社会の成長とともに発展したが,異なる経路をたどってきた。外部のドナーへの財政的依存といった構造的問題ゆえにNGOはグローバルノースや旧宗主国との間に緊密な関係を維持しており,相対的にアフリカ・アジア間の交流は脆弱であるという。第18章(Emefa Juliet Takyi-Amoako)は,サブサハラアフリカを舞台にした南北や南南パートナーシップとそれらのジェンダーと教育への効果を検討する。生産能力の向上・雇用創出・格差問題への取り組みを目指した開発のためのパートナーシップが失敗に終わったことで,この地域の教育におけるジェンダー平等の達成に向けた努力は弱体化したという。著者はジェンダーや教育のための政策推進のためには,その地域固有の文化や知の利用が必要であると論じる。

第3部「現代のアフリカ-アジアの関係」は,経済・開発協力,セキュリティとガバナンス,そして難民・移民と環境問題という3つのセクションに分かれる。ここでは1989年から現在までの両地域について,BRICS経済の台頭,南南協力と開発のパートナーシップ,土地・水・食糧・エネルギーの結びつき,鉱物資源と持続可能な開発,人の国際移動にともなう地政学的課題などが論じられる。

第19章(Ian Taylor)は,BRICS台頭がアフリカに与える影響について,人権の視角をとおして検討する。著者によれば,アメリカ的な新自由主義を常に批判するBRICSの国々だが,経済成長のために新自由主義的政策を採用しており,新開発銀行はその好例である。BRICSによるアフリカへの関与においては,必然的に人権に関する課題が後景に退く。第20章(Zhang Chun)では,中国の対アフリカ政策に関する,おもに西欧社会からの誤解とそれに基づいた批判への反論が行われる。アフリカにおける中国の役割を真に理解するためには,それがけっして経済的関心のみに基づいているのではなく,平和維持・治安維持活動などにおいても大きな貢献が行われてきたことを理解しなければならないという。第21章(Carmen Amado Mendes)は,日本・インド・韓国・中国というアジアの主要国とアフリカのポルトガル語圏の二国間関係に注目する。アジアの国々は西欧のドナーとの差異化を図ってきたが,その対アフリカ政策に対する批判的評価も,南南協力や互恵的パートナーシップといったレトリックによって不可視化されてきたという。第22章(Annette Skovsted Hansen)は,アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)や新たなアジア・アフリカ戦略的パートナーシップ(NAASP)などに注目し,アフリカ・アジア間の地域パートナーシップと南南協力における緊張を孕んだ競合関係がいかにそれらの関係を後押ししてきたのかを検討したうえで,地域横断的な経済・社会・技術協力の活性化を展望する。第23章(Shalini Chawla)は,G7,G8からG20へという移行が象徴するようなグローバルサウスへのパワーシフトと,中国とインドの台頭と両国のアフリカへの取り組みが持続可能な開発目標(SDGs)の達成をいかに促進しうるかを検討する。第24章(Jeffrey Haynes)では,国際政治における宗教の両義的な役割が描かれる。宗教は,紛争と平和構築双方の源となりうるため,とりわけ新興国のグッド・ガバナンスに関する課題との関連で影響力を増しつつある。事例として,スーダンの民族イスラーム戦線と,仏教とヒンドゥー教のアクターが深く関与したスリランカの紛争が論じられる。第25章(Larry A. Swatuk)は,土地・水・食糧・エネルギー問題が絡み合う複雑な作用を重視しながら,おもに中国・日本・韓国・マレーシア・シンガポールなどの国有もしくは国が支援する民間企業の関与がアフリカに与えた影響を検討する。著者によればこれらの活動はアフリカの多くの人びとの困難を増幅させることになった。第26章(Laura C. Ferreira-Pereira and Alena Vieira)は,ポルトガルの国際関係論の研究者たちが,EUとアフリカとの関係の進化を論じる。EUの対アフリカ政策はかつて貿易や援助に限定されていたが,今日では安全保障を含めたより広範なものになっており,それらはEUの対アジア政策とも切り離せないという。第27章(Pedro Miguel Amakasu Raposo de Medeiros Carvalho)は,前近代から現代までのアフリカとアジアにおける移動について,西欧諸国が果たした役割に留意しつつ,奴隷貿易から年季契約労働者の移動なども視野に収めて検討する。アフリカとアジアの地政戦略学的な関係や経済,人口や開発が,これからもグローバルな人の移動にインパクトを与えると見込まれている。第28章(Thomas Feldhoff)は,中国やインドとアフリカ諸国とのパートナーシップが,国際社会におけるアフリカの地位をいかに押し上げてきたのかを論じる。著者によれば,アフリカとの関与について,アジアと西欧の国々は異なるアプローチをとっており,その多様性はアフリカの国々に主体的な選択の機会を提供している。第29章(Pablo Shiladitya Bose)は,世界の難民発生国の上位10カ国のうち,6カ国がアフリカ,3カ国がアジアの国々が占めていることを踏まえ,両地域における難民や国内避難民の原因とその帰結について検討する。グローバルな難民問題に取り組むためには,紛争のみならず,開発(水力発電の開発や石油採掘)や環境(保護活動や気候変動)に関連した強制移住にも目を向けなければならないと著者は主張する。

以上見てきたように,本書の議論の射程は多岐にわたり,アフリカとアジアとの結びつきの重層性を包括的に把握することを目指して編まれている。現代のアフリカ・アジア関係についても,素朴な楽観主義にも悲観主義にも与することなく,多様な見解が提出されている。

Ⅲ 本書の意義とアフリカ・アジア関係研究の展望

1. 本書の意義と課題

ここからは本書の意義と課題について簡潔に指摘したい。Mazrui and Adem[2013]の終章が中国とアフリカとの関係をめぐる言説の分析に当てられていることからも明らかなように,アフリカ・アジア関係への関心を駆動してきたのは,直接的には中国の対アフリカ政策とそれに関する言説の氾濫だったといってよいだろう。アフリカにおける中国の役割をめぐっては,アデムの表現を借りれば,中国・楽観主義(sino-optimism)から中国・実用主義(sino-pragmatism),中国・悲観主義(sino-pessimism)まで議論百出し,ときには過度にセンセーショナルな言葉が重ねられてきた[Adem 2013, 371-388]。しかし,本書が示したのは,アジアはアフリカ開発のパートナーか新たな侵略者かといった論争さえ,実際にはごく限定的な文脈のなかで登場した問いにすぎないということだった。

ポストコロニアル研究やグローバルヒストリーの果実を引き継いだ2000年代以降の人文学や社会科学においては,従来ヨーロッパのなかで内発的に誕生したと考えられてきた出来事や概念が,メトロポールと植民地という垂直的な連関,あるいは植民地どうしの水平的な連関のなかで協働的に生成されてきたことが暴かれ,ヨーロッパが掌握してきた知のヘゲモニーが大きく揺さぶられることとなった。アフリカ・アジア関係という視座からの新たな知の生産を目指した本書も,そのような潮流の一角に位置づけられよう。

社会学の立場から南アフリカ研究を行なってきた評者から見て物足りなさを感じる点があるとすれば,アフリカとアジアの人びとの出会いが織りなす社会関係への関心がやや乏しいことかもしれない。たとえばアフリカにおいてアジア系住民とアフリカ人との関係は必ずしも常に調和的なものではなく,ときには葛藤・衝突を含んだものだった。近年の例として思い起こされるのは,ガンディーをめぐる評価の対立である。ガンディーは1893年からの21年間を南アフリカで過ごし,それゆえアフリカとアジアとの遭遇と友情の象徴としてしばしば言及されるが,近年ではある時期までのガンディーが白人優越主義を受容し,ときには植民地支配に対するアフリカ人のレジスタンス闘争を弾圧する側に立っていたことがさかんに論じられるようになった[Desai and Vahed 2015]。ガーナ・アクラにあるガーナ大学では,インドのムカルジー首相来訪時に寄贈されたガンディー像に対する撤去要求運動が起こり,2018年12月に撤去されるに至っている。さらにマラウイでも,建立予定のガンディー像に対する反対運動が起こっていることが報じられた。アフリカ・アジア関係の検討において,社会レベルの関係もけっして軽視すべきではないことをこの事例は物語っている。

2. 日本におけるアフリカ・アジア関係研究と今後の展望

本書では触れられていないものの,日本におけるアフリカ・アジア関係研究の嚆矢としては,西野照太郎,岡倉古志郎や野間寛二郎などの仕事が知られている。岡倉は岡倉[1953; 1962]を皮切りに多数の著書を世に送り,1961年には東京に「アジア・アフリカ研究所」を設立している。また,野間寛二郎は1963年にタンガニイカ・モシで開催されたアジア・アフリカ人民連帯会議からの帰国後に,「南アフリカ問題懇話会」(のちに「アフリカ問題懇話会」に改称)を設立した。日本において,すでに1960年代にこうした研究や実践に取り組んだ先駆者たちがいたことは特筆に値するだろう。

1990年代以降は,グローバル・アジアとグローバル・アフリカへの関心に基づく新たな地域研究の試みと学術交流もいっそう活発になった。冒頭に示したように,2018年には日本においても「Japan Society for Afrasian Studies」(代表:サリ・ビック・ルクワゴ,愛知学院大学)が発足しているが,その起点は2012年設立の「The Association for Asian Studies in Africa」(A-ASIA)の運営委員会にコーネリセンと峯が名を連ねていたことにある。長年にわたり日本とアフリカとの通商関係史を研究してきた北川勝彦がそこに加わり,2013年に南アフリカのステレンボッシュ大学でアフリカ・アジア地域研究の国際シンポジウム「Africa and Asia Entanglements in Past and Present」が開催された。このシンポジウムは2014年(於同志社大学),2015年(於関西大学),2017年(於関西大学)と回を重ね,そこで培われたネットワークを母体として,在日アフリカ人研究者のイニシアティブにより学会へと成長した[北川 2017]。

また,学術界におけるアフリカ・アジア関係の深化を体現するような実践として,アジアにおけるアフリカ研究の国際ネットワークも誕生している。2011年ごろより「Asian Africanists Network」のアイデアが共有され,2012年には韓国の韓国外国語大学校において第1回「Africa in Asia & Asia in Africa」が開催された。この会議は2018年に第7回を数えるまでに成長している。また,2014年には日本アフリカ学会創立50周年記念の国際シンポジウムとして「African Studies meets Asian Studies」も開催されている。次世代育成のためのプロジェクトとしても,2017年より若手研究者の交流を目的とした「Young Asian Africanist Camp」が開催され,韓国・中国・インド・日本の学生や若手研究者のネットワーク形成が進んでいる。これらの取り組みにおいては,韓国のチャン・ヨンギュ,日本の岩田拓夫,重田眞義,北川,峯らが重要な役割を果たしてきた。

最後に今後の展望として,アフリカ・アジア関係研究の担い手がけっしてアフリカのアジア研究者とアジアのアフリカ研究者にとどまらないということにも触れておきたい。台湾交通大学の陳光興は,アジアにおけるカルチュラル・スタディーズの泰斗であり,アジアの研究者の連携を目指す活動として「Inter-Asia Cultural Studies」を牽引してきたことでも知られる。この学会では,2015年にバンドン会議60周年記念の活動として杭州でフォーラムを開催し,アフリカからはマムフード・マムダニや故サム・モヨも参加した。陳によれば,モヨは彼らを「アフリカ社会科学研究発展評議会」(CODESRIA)の会議に招待し,さらに自身の足跡を振り返って,CODESRIAがなければモヨやその仲間たちの活動はグローバルなインパクトを持ちえなかっただろうと語った。アジアから参加したメンバーは,CODESRIAのパン・アフリカニズム――アジアの学術界に欠けているもの――から大きな刺激を受けたという。モヨが他界する直前には両地域間の翻訳プロジェクトや大学院生の交換プログラムの提案もあり,アフリカ側の研究者たちがアジア研究から学ぼうとしていたこともうかがわれる[Chen 2016]。これらの萌芽的実践は,アジアのアジア研究者とアフリカのアフリカ研究者もまた,アフリカ・アジア関係研究の新たな担い手となり得ることを示している。

第1回のTICAD開催から四半世紀が経過した現在,日本の読者にとっても,アフリカ・アジア関係研究のコレクションが届けられた意義は大きい。21世紀のアフリカ・アジア関係研究の原点として,本書は長く読まれることになるだろう。

(注1)  アーレントのアフリカ観とアフリカ人に対する抜きがたい蔑視について,日本のアフリカ研究者からの指摘としては高橋[2010]がある。

文献リスト
  • アーレント,ハンナ 2000.山田正行訳『暴力について——共和国の危機——』みすず書房(Hannah Arendt 1972. Crises of the Republic: Lying in Politics, Civil Disobedience, On Violence, Thoughts on Politics and Revolution. New York: Harcourt Brace Jovanovich) .
  • 岡倉古志郎 1953.『第三勢力——中立と平和——』要書房.
  • 岡倉古志郎 1962.『アジア・アフリカ問題入門』岩波書店.
  • 高橋基樹 2010.『開発と国家——アフリカ政治経済論序説——』勁草書房.
  • 峯陽一 2017.「アフラシアを夢見る——アフリカとアジアの架橋を目指す国際関係論——」遠藤貢・関谷雄一編『社会人のための現代アフリカ講義』東京大学出版会 224-268.
  • Adem, Seifudein 2013.“Conclusion: Toward Sociology of Discourse on Sino-African Relations.” In Afrasia: A Tale of Two Continents. eds. Ali A. Mazrui and Seifudein Adem, Lanham, Md.: University Press of America.
  • Chen, Kuan-Hsing 2016.“Introduction:‘Bandung/ Third World 60 Years’: In Memory of Professor Sam Moyo.”Inter-Asia Cultural Studies 17(1): 1-3.
  • Desai, Ashwin and Goolam Vahed 2015. The South African Gandhi: Stretcher-Bearer of Empire. Stanford, Calif.: Stanford University Press.
  • Iwata, Takuo 2014.“Network Formation Challenges for African Studies in Asia.”『立命館国際研究』27 (1) 95-115.
  • Mazrui, Ali A. and Sefudein Adem 2013. Afrasia: A Tale of Two Continents. Lanham, Md.: University Press of America.
  • Raposo, Pedro Amakasu 2013. Japan’s Foreign Aid to Africa: Angola and Mozambique within the TICAD Process. London: Routledge.
  • Raposo, Pedro Amakasu 2014. Japan’s Foreign Aid Policy in Africa: Evaluating the TICAD Process. New York: Palgrave Macmillan.
  • 北川勝彦 2017「関西大学国際活動事例集アジア・アフリカ地域研究国際シンポジウムとAASG(関西大学アジア・アフリカ研究グループ」(http://www.kansai-u.ac.jp/Kokusai/data/11kitagawa.pdf).
 
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