2019 年 60 巻 3 号 p. 92
中国に中間層が生まれ,彼ら消費者の新たなる需要はより高品質の製品を欲している。国内で高まりを見せた教育水準に,さらに国際経験を加えた新世代の企業家たちは,新領域を切り開こうとする。2010年代,国内市場に加えて世界市場もまた広大である。政府は大衆こそが創業を通じて国家と生活を豊かにできると励まし,資金を供する。阿里巴巴(アリババ)と騰訊(テンセント)がつくりあげた現金不用かつ低コストの決済網は,14億人の社会で,人びとの社交と情報を集約しつつ,新事業の基盤となった。
本書は,昨今注目を集める中国での新興企業の創出とイノベーションの進展を,7名の専門家が解説するたいへんに時機を得た書物である。
改革開放期における経済発展は,産業構造の面では第三次産業の成長をもたらし,可処分所得の増加は大衆消費社会の到来をもたらした(第1章)。新時代の到来を予感させる民営企業主導の情報産業の台頭の裏には,引き続き低効率性を温存する国有部門,たとえば鉄鋼産業が併存する。地方の鉄鋼メーカーが受け取った政府補助金リストは生々しい(第2章)。中国政府が掲げてきた野心的なる産業構想「中国製造2025」は「製造強国」を目指し,その詳細は重点分野ロードマップに落とし込まれている。しかし実のところ,政策の具体的効果は明瞭ではない(第3章)。
中国は新興企業のなかでも未上場かつ企業価値の大きなユニコーン企業を多数輩出しつつある。その背後には大手IT企業の投資基金を核とした新たな社会体系が存在し,政策的には「先放後管」(まずは規制を緩く,後で管理を強化)とも表現される市場実験と試行錯誤を許容している(第4章)。なかでも注目を集めてきた広東省深圳市では,製造業の集積と活発なるベンチャー投資に加えて,高度人材の誘致政策が新興企業を支える。国家の千人計画に呼応した地方の人材政策も現金で精鋭たちを引きつける(第5章)。
産業別に目を向けてみると,自動車産業では外資企業に依存する傾向はいまだに続く。同時に新エネ車の生産を求める点数制度が始まり,またここでも水平分業化した産業構造が新規参入をもたらしている(第6章)。かねてから中国経済のなかで問題視されてきた農業分野においても,有機野菜の需要が高まっている。農業における経営の大規模化と効率化を担う協同組合(合作社)が受け皿となり,農業機械の普及が一段と進みつつある(第7章)。
このような新たな変化に日本企業も積極的に取り組んでいる。三菱電機や日立製作所,そして富士通が製造業の情報化の面で自社サービスを提案している(第3章)。農業機械ではクボタが事業拡大を進め,イオンモールには有機野菜が並び,現地で有機栽培の果実や根菜を生産する日本人経営者もいる(第7章)。
米中摩擦や技術覇権といった大文字の空中戦が繰り広げられるなかで,地に足をつけて現場で観察される多様なる事例を積み上げ,それを必要かつ平易な形で読者に届ける本書のような取り組みがもっと必要である。