アジア経済
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論文
イランにおける同業者組合制度――競争制限的な事業者団体の不在と市場の公正性――
岩﨑 葉子
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2019 年 60 巻 4 号 p. 2-26

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《要約》

イランの同業者組合制度は,行政府の側がばらばらに活動する国内の事業者を積極的に束ね,みずから組織化することを義務付けているという点で,競争法を通じて事業者団体による競争制限的な行為を禁止し,市場の公正性を担保しようとする今日の世界的趨勢においてきわめて例外的な事例である。こうした制度が敷かれている背景には,企業間関係が希薄であるがゆえに,相対的に大きな企業による寡占はおろか,事業者による集団的な競争制限行為も生まれにくいというイラン独自の産業組織のあり方が大きく関連している。この意味では同業者組合制度はむしろ,営業活動上における事業者間の非協調的傾向から生じる市場の非効率や混乱を改善する働きが期待できるものである。

Abstract

The Iranian government has introduced a trade association system that requires collaboration among traders and manufacturers who operate independent businesses in the domestic market to organize themselves into trade associations. This is a unique move considering the current global trend of governments enforcing antitrust legislation in an attempt to guarantee fair trade by prohibiting trade associations from participating in competition-restrictive activities. The introduction of this system is strongly related to the particular characteristics of Iran’s industrial organizations. In Iran,relationships between businesses are usually very weak. Collective competition restrictions are rarely endorsed by traders and manufacturers,let alone by an oligopoly of relatively large businesses. In this context, Iran’s trade association system is expected to remedy the inefficiency of its market and disorder caused by uncooperative business tendencies among traders and manufacturers.

 はじめに

Ⅰ イランにおける事業者団体とカルテル

Ⅱ イランにおける同業者組合制度の法的な枠組み

Ⅲ 同業者組合制度の実態――テヘラン・アパレル産業を事例として――

 おわりに

はじめに

今日多くの国・地域には,商工会議所や同業者組合,各分野の業界団体など,その設立趣旨や名称,構成員の属性などがそれぞれ異なりつつも,複数の事業者(企業)が共通の目的をもって結成する組織が多数存在している。本稿では,こうした組織を日本の「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」(以下,独占禁止法)における定義を用いて「事業者団体」とよぶものとする。独占禁止法第2条は「事業者団体」を「事業者としての共通の利益を増進することを主たる目的とする2以上の事業者の結合体又はその連合体」と定め(注1),しかし「営利を目的として商業・工業・金融業そのほかの事業を営むことを主たる目的と」するものは(すなわちそれは事業者そのものであるから)除く,としている。

事業者団体は近来,いわゆる競争法的な観点から活動に制限を受ける対象となっている。たとえば日本では,公正取引委員会が独占禁止法の趣旨にもとづいて「事業者団体の活動に関する指針」(注2)を定めているが,その枢要は事業者団体による価格,数量,参入,販路などに対するあらゆる営業実務上の制限行為を禁ずる点にある。競争法は,産業革命期の英国における産業資本家のクラブのような「特定の産業における競争を鈍らせ,生産量・価格・賃金・信用条件などを統制することを目的とした」[Ashton2009, 103]企業の結びつきを源流とする,いわゆるカルテルや私的独占,不当な取引を禁止し,市場経済における公正な競争を促す目的で先進工業化諸国を中心に発展してきた法制度である。競争法が規制対象とするようなカルテルなどの競争制限的な企業の共同行為は,あらゆる国・地域において産業の発展や市場の拡大とともにしばしば表出する現象であるが,経済のグローバル化にともない競争法の施行される国が増加しつつある今日(注3),市場の公正性を担保するために事業者団体の活動が一定程度の制限を受けることは自然と考えられている。

こうした今日の世界的趨勢に鑑みると,本稿が取り上げるイランの同業者組合制度はまさに異彩を放っている。

イランでは,「全国商工業者制度法」(Qānūn-eNezām-e Senfī-ye Keshvar,以下,商工業者法)第21条によって一定の地域内における同業種の商工業事業者たちに組合を結成することが義務付けられている。現在イラン全国でおよそ8,300の同業者組合(ettehādīye-ye senfī)が組織され,その下で300万近くの事業者(事業所)が商工業活動に従事している(注4)。今日のイランで合法的に事業を行うためには,その規模のいかんにかかわらずすべての事業者がこの同業者組合を結成し,そこから「営業許可証」(parvāneye kasb)を取得することが必須であるため,全国の商工業者がかなりの程度まで網羅的にこの同業者組合制度の下に登録されている。この制度を通じて,事業者団体に対する規制はおろか,後節で詳述するようにむしろ「参入資格」や「価格統制」を徹底すべく,ばらばらに活動する国内の事業者を積極的に束ね,みずから組織化することを行政府の側が義務付けているのである。

近代的工業化が開始された時期も早く,旺盛な消費市場を背景に民間の企業活動が活発に行われてきた中東における域内大国であるにもかかわらず,イランでは包括的な競争法もいまだ施行されていない(注5)。同国においてあえてこうした同業者組合制度が敷かれ,いわば企業の結団が促進されていることは,事業者団体の存在をあたかも公正な市場経済の阻害要因であるかのごとく規制対象とする同時代の諸外国に比していささか奇異な印象を免れない。この政策の背景はどこにあるのだろうか。また制度の実態として,イランの同業者組合はいかなる機能を果たしているのだろうか。

本稿ではこれらの点について考察するために,商工業者法の立法意図に鑑みつつ同法とそれにもとづく同業者組合制度を詳しく検証し,国内の商工業事業者たちの組織化の実態を明らかにする。その際,こうした制度が必要とされる背景としてのイラン独自の産業組織・企業間関係のあり方の特徴について,とくに注意を払いたい。また繊維・アパレル産業を具体的な事例として,法の運用の実態と現実の商工業活動への影響についても考察する。

具体的事例の検証にあたっては,テヘランでの筆者によるフィールド調査(2011年1月,2016年10月,2017年10月)の結果を利用した。全国の同業者組合を統括するイラン事業会議所(Otāq-e Asnāf-e Īrān),テヘラン市内の繊維・アパレル関連の2同業者組合,および私設の1事業者団体,同業者組合に加入する1事業者を対象に,ペルシア語による聞き取り調査を行った(注6)

本稿の構成は以下のとおりである。

第Ⅰ節では,いわゆる事業者団体の社会経済的機能についての一般的な議論をふまえつつ,これまでイランの商工業者組織をめぐって行われてきた先行研究での議論を概観する。第Ⅱ節では,商工業者法の制定の経緯と,現行法の規定について,日本における商工業者組織との比較をまじえつつ詳解する。第Ⅲ節では,テヘランでの聞き取り調査をもとに現在のイランにおける同法の運用実態を明らかにし,商工業者組織の果たしている実質的機能を分析する。

Ⅰ イランにおける事業者団体とカルテル

1. 事業者団体の活動と規制

複数の事業者(企業)が共通の目的をもって結成する事業者団体は,その設立趣旨や名称,構成員の属性などがそれぞれ異なりながら,さまざまな国・地域に存在していることは上に述べた。事業者団体の機能は時代や地域によって異なり,厳密な定義は難しい。有力事業者による市場独占のための業界内調整を主たる機能として発足したものから,共同事業の遂行を目的とするものなど,その存在意義は多様である。

いずれの類の事業者団体についても,古くから競争法的な規制の進んでいた米国(注7)に続くかたちで第二次世界大戦後に先進工業諸国で法整備が進んだのちは,事実上の参入障壁となりがちな加入制限や基準認証制度などを中心に規制が行われるのが一般的となった。

日本おいては越後[1977, 7-9]が独占禁止法施工後に国内で発展したさまざまな事業者団体をいくつかに類型化したのち,1970年代半ばの時点ですでにそれらに共有される機能について次のようにまとめている。すなわち,第1に「情報機能」(構成員の事業に有益な情報の収集・配布・交換など),第2に「調整機能」(情報の共有を通じた構成員の協調行為の促進),第3に「経営資源の開発援助」(構成員に対する教育訓練,経営指導など),そして第4に「事業活動の環境・条件の維持改善」(製品規格の設定や宣伝,ロビー活動など)である。

日本でこうした事業者団体の活動規制に大きな注目が集まるようになったのは外資系企業の進出が進んだ1990年代以降である。日本の場合はもともと所管官庁と事業者団体との関係がきわめて密接であることや,業界による自主規格というかたちをとりながら事実上は強制的な規格の採用が求められる閉鎖的な体質などが,きわだつ特徴として指摘されていた[石井ほか 1993, 15-18]。しかもこれ以前には,主要産業における寡占構造や企業間の非市場的調整の存在について,重複投資や過当競争を防止するため必要だとする論調すら見られ,とりわけ中小企業については情報収集や生産・価格調整機能が弱いため,事業者団体の機能強化が主張されることもあった[越後 1977, 9-10]。経済のグローバル化にともないその改善が課題として認知されたのである。

各国の事業者団体のあり方はしばしば当該社会の経済発展の程度や文化的背景を反映するため,たとえば米国と日本とではいわばカルテルの様態も大きく異なっていた。したがってひとくちに事業者団体の機能といっても,それぞれの性格を見極めつつ競争制限的共同行為の有無やその実態を把握することがきわめて重要といえる。

2. イランにおけるカルテルの不在

一方これまでのイラン研究においては,上述のような市場の独占を可能たらしめるカルテルの主体という観点から国内の商工業者組織が分析されたことはほとんどなく,とりわけ近代以降は,以下に示すように政治的に動員される一大社会勢力としてのそれにもっぱら光が当てられてきた。

イランの伝統的な都市空間には,イスラーム教の宗教施設やそれに付随する寄進建築物などとともに,ペルシア語でバーザール(bāzār)とよばれる常設市場が併設されているのが一般的であった。そこでは,さまざまな業種の職人や商人がみずからの工房や店舗で操業し,地域の生産と物資供給における中心的機能を果たしていた。彼らはセンフ(senf,複数形はアスナーフasnāf)とよばれる同業者集団を形成し,近世期以降,為政者から営業の権利を与えられた見返りに労役や供物を上納する半「自律的」職能集団であったことが知られている。

バーザール内に拠点を置くこうした商工業者の集団は,19世紀末から20世紀後半のイランにおいて生起したいくつかの大きな政治変動の際に,そのいずれにおいても(事件に相前後する流動的な時期において)重要な政治的動員を担ったイランのウラマー(イスラーム法学者)とともに一定の役割を果たした。「イラン立憲革命」(1905~1911年),「石油国有化運動」(1951~1953年),「イラン革命」(1979年)などにおいて,大都市部のバーザール内に店舗を有して商品の製造・販売を行った伝統的なイランの商工業者たちが主としてイスラーム法学者たちの政治的主張を支持し運動を支援した。彼らは「バーザーリー」(bāzārī)(注8)や「バーザール商人」といった呼称を与えられ,多くの先行研究中に言及されている(注9)

本稿が取り上げる商工業者法によって設立されたイラン事業会議所(Otāq-e Asnāf-e Īrān,後に詳述する)の誕生の経緯が概観されたAshraf[2011]においても,立憲革命期以降,バーザールに拠点を置く有力商人などが先導する商工業者の集団が,つねにイラン政府あるいはその反対派による政治的動員の対象であり続けたことが強調されている。

しかし一方で,イラン近現代史の重要な諸局面における商工業者たちの政治的影響力に研究上の中心的な関心が集まりがちであったために,既存研究においては,もっぱらこの政治的アクターとしての商工業者集団が(主として宗教層との結びつきを通じて)イラン社会のなかに強固な紐帯をもって存在し続けている事実のみが強調され,その「組織」としての実態や経済的機能が深く掘り下げられることはほとんどなかった。

たとえば,この時期の商工業者どうしのつながりがいわば事業者団体とよび得るものであったのか,彼らによって明示的な参入規制や談合は行われていたのか,あるいはバーザールに拠点を置く商工業者らが市場における優位性を維持するための排他的カルテルとして組織化されていたのか,などについては実証的に検討されていない。また時代とともに変化しているはずの,バーザールとその周縁,もしくはバーザールとより広域に分散する商工業者らとのつながりについての検討も不十分であった。

唯一,1979年のイラン革命前後の時期におけるバーザールの変容を明らかにすることにより「バーザーリー」論をよりつぶさに展開しようと試みたKeshavarzian[2007]では,バーザールが,革命政権のマクロ経済政策と貿易事業の独占によって政府のクライエンタリズムに取り込まれ,内部の自律的・協調的ガバナンスならびにその政治的動員力を失ったことが論じられ,カルテルの主体としての「バーザーリー」が示唆されている。しかしKeshavarzianによるパフラヴィー朝期(1925~1979年)までのバーザールの「相対的自律性」の議論は,カルテルを通じた市場コントロール機構としてではなく,むしろある種の文化的共同体としてのバーザールを浮き彫りにしている(注10)

これより以前の時代に関する先行研究中にも,バーザールに拠点を置いたイランの商工業者組織アスナーフが近世以降,価格統制や人事への介入を含む中央政府による監理の対象であったことを窺わせる記述こそ散見されるものの,それらが市場独占を目指す自発的なカルテルの一類型であったことを明確に示したものは,管見のかぎり見当たらない(注11)

したがって先行研究において,イランの商工業者(企業)らによる競争制限的な結びつきを明示的に指摘したものはない。

3. 今日のイランにおける企業間関係

競争法的な観点から問題視されるようなカルテルの事例がおおよそ観察されないという傾向は,今日のイランにおいてもじつは同様である。これまで筆者は,限られた産業分野ではあるがイランの産業組織や企業間関係の特徴について,現地でのフィールド・ワークにもとづき検討を重ねてきた。そこでは,製品の生産から流通へ至るさまざまなプロセスにおいて,そこに介在する諸企業が,ごく零細な資本規模でありながらほとんど他企業との資本・人的統合をせず,もっぱら独立経営を維持している様子が明らかになった(注12)

たとえば,イランのアパレル製造業では産業の主たる担い手の大部分が就労者数10人未満の中小零細企業であるにもかかわらずそれぞれ独立した生産活動を展開し,より大きな企業の下請けとして囲い込まれることがない。企業同士の連携は希薄で,とりわけ生産から流通へと至る垂直的な事業および人的資本の統合関係がほとんど発展していない(注13)

また,出版・書籍流通でも,日本のような大手の取次は存在せず,それぞれきわめて多数の出版社・(パフシュ pakhshとよばれる)卸売業者・書店が縦横無尽に契約関係を結びながらきわめて零細な規模で営業しており,市場支配力をもつ寡占企業が存在しない[岩﨑 2003, 2017]。生産者・(卸売・小売含む)流通業者がともに零細でいずれかによる寡占が起こりにくい状況は,生鮮品を扱う青果流通においても同様であった[岩﨑 2004b]。さらに,技術をもつ職人やサービス業者についても,未熟練技能者を含む多数の零細業者が希薄な企業間関係の下に独立経営を維持する「低組織化」の傾向が同じように観察された[岩﨑 2015]。

製造業のみならず他のさまざまな産業でもこうした傾向が著しいことは,それが単に特定の産業やアイテムにかかわる短期的な交易条件や経済政策のみならず,より広範なビジネス環境の流動性によって規定されていることを窺わせる。決済や係争処理などに用いられる公的インフラの脆弱性や恣意性,またそうしたリスクを前提とした人々の行動パターンとして理解することも可能であろう。

この点の詳細な検討は本稿の取り扱う範囲を超えるためここでは立ち入らないが,こうした「低組織化」の結果として,いずれの分野でも事業者の新規参入は比較的容易である一方,財やサービスの質に関する業界内の標準が存在せず,良質な商品とそうでないものとが市場に無秩序に供給される傾向がある。

またそれぞれの経済活動分野において個々の企業は,他社と無数の「一対一」の契約・協力関係を結んでいる一方で,複数の企業からなる合同や集団的連携はほとんど見出されないため,企業は一般に大規模化しにくく有力企業による競争制限的な秩序作りも行われない(注14)

こうした傾向がイラン民間部門におけるすべての分野で支配的であると軽々に断言することはできないものの,その零細性にもかかわらず資本・人的統合が進みにくく,(有力寡占企業による囲い込みも含め)継続的で強固な企業間関係が存在しないという点は,現在のイランの産業分野における特徴のひとつとして指摘できよう。したがって今日のイランにおいてもやはり,競争法の規制対象とされてきたような競争制限的な企業の共同行為の温床となるような経営文化がはなはだ希薄であるということができる。

Ⅱ イランにおける同業者組合制度の法的な枠組み

前節の第1項に見たように,これまで一定程度の自由な市場と活発な企業活動が存在する国・地域では,複数の事業者(企業)が結託し,競争を抑制して既得権益を守ろうとするカルテルの試みが数多く存在してきた。だからこそ,市場の公正性を担保するため競争法等によってそうした事業者団体活動への規制が必要と考えられてきたのである。

しかしイランの場合,先行研究においてそうした明らかに競争制限的な事業者団体の事例は報告されていない。そればかりか現在のイランでは,後述するように本稿の取り上げる同業者組合制度を通じて,むしろ公的に事業者団体が作り出されている。イランの同業者組合は,企業間関係が希薄で産業全体の組織化のレベルが低い同国にあって,例外的に大きな企業の連合体を出現せしめている。

そこで本節では,イランではなぜこうした「上からの事業者団体作り」があえて行われているのかについて,商工業者法の立法過程および同業者組合制度の法的な枠組みを明らかにしながら検討する。

1. 商工業者法の制定

前節でふれた近世から近代にかけての職能集団センフ(複数形はアスナーフ)は,長らく徴税の単位としても機能していたが[Keyvani 1982,101-121],19世紀以降のヨーロッパ工業製品の大量流入によるイラン国内製造業の衰退にともない著しく弱体化した。イラン政府は1927年3月から従来267業種に細かく分類されたセンフごとに行っていた課税を廃止し[Rūz-nāmeye Rasmī-ye Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Īrān 2009a,195-197],商工業者らについて個人単位の課税制度を導入した(注15)。これによってレザー=シャー(在位1925~1941年)期には国内の商工業者を包括的に把握し得るような税制(もしくはそれに準ずる登録制度)はなくなった(注16)

第二次世界大戦を経て1950年代後半になるとイラン政府は「同業者組合結成および商工業者 業務調整に関する規則」(Āyīn-nāme-yeTashkīl-e Ettehādīye-ye Senfī va Tanzīm-e Omūr-eAsnāf va Pīshevārān)を制定した(注17)。「同一の職業に従事する商工業者の一団」という趣旨でセンフの語がここでも用いられている(上の下線部エッテハーディーイェイェ・センフィーは「センフの組合」の意)。この規則は後に詳述する同業者組合制度の原型といえるもので,それぞれの地方・職種ごとに組合が作られ,行政府の下にある審議会に代表を送った[Binder 1962, 186]。Ashraf[2011]によれば,この下で有力産業資本家がみずからの政治的影響力の増強と営業上の利益拡大のためこの制度に積極的に参画したという。

同業者組合制度が本格的に導入されるのは,1971年の商工業者法制定時である[Rūz-nāmeye Rasmī-ye Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Īrān 2011,4698/2-4704/2]。同法は,イラン革命後の1980年[Rūz-nāme-ye Rasmī-ye Jomhūrī-ye Eslāmī-yeĪrān n.d., 302-323],2003年[Rūz-nāme-ye Rasmīye Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Īrān 2004, 2215-2243],および2013年にそれぞれ改正されている[Rūznāme-ye Rasmī-ye Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Īrān 2014,234-254]。

この同業者組合制度のねらいはなににあったのか。以下に,同法制定時の議会における審議内容を見てみよう。

1970年7月(イラン暦1349年ティール16日),第22国民議会第202会議において商工業者法の法案が提出され(注18),関連する6委員会からそれぞれ選ばれた議員によって構成される特別委員会が設けられたのち翌年まで数カ月をかけて法案検討が行われた(注19)。法案提出時に提案者である国務省次官は「福祉および国民生活の向上に大きな影響をもつアスナーフ」の成員間の関係,および彼らが責任を負う職務と国民との関係はしっかりとした法規の下になければならない,と述べた。

この発言の真意は,一連の法案審議過程から次のような状況を指していることが読み取れる。すなわち国内の商工業者たちを束ねるような同業者組織が存在しないことが,各種の財やサービスの質・価格のはなはだしいばらつきを生み,たとえ消費者がそのために不利益を被ってもそれを訴える先がない。たとえば1971年2月21日(1349年エスファンド9日)の第231会議(注20)における特別委員会委員長のモハッザブ(Mohazzab)議員の発言である。

「何年かのちには,アスナーフについての人々の困りごとが解決すると期待しています。配管工はきちんと店頭に,3等級の配管技術で,賃金はたとえば時間あたり50リヤールですと書く。消費者は誰と契約しているか,どんなサービスが受けられるか,どれくらいお金を払えばよいのか,それを書く……家電修理などという看板を出している店にテレビやラジオを出したら壊されて,訴える場所もないなどということがあってはなりません」

彼はさまざまな業種の商工業者たちの営業を規制・監督する法規が存在しないために,彼らの(職務上の)行状について国民のあいだに不満があることを指摘しながら,法案はこれを解決するための有効策であると評価している。

さらに同会議で,この法案が「立憲革命期前からこれまで常に営業上の混乱状況に陥っていた」アスナーフと職人(pīshevar)たち自身の秩序を求める要求の結実である,というルースター(Rūstā)議員は次のように続けている。

「これまではそれが生産であれ,売買であれ,あるいは肉体的・精神的サービスであれなにか経済活動の一分野に投資する個人や法人は,(自分で)立ち上げた営業場所で他人の監督もなしに活動しておりました。というのも,彼らと,市民と,政府とのあいだにはなんら明確な法規が存在しなかったからです……とりわけ物価の安定や衛生問題,技術・美観保全など市民生活への配慮に関する商工業者たちの義務ははっきりしていなかった。そのために彼らは市民の満足を得ることができなかったのです」

また1971年3月18日(1349年エスファンド月27日)の第242会議では,修正提案を受けて再度提出された法案の各条項が読み上げられたが,「営業許可証の取り消し」に関する条項部分については,アッバースミールザーイー(ʻAbbāsmīrzāʼī)議員が「これまで商工業者に関しては,サルゴフリー(注21)や営業許可証,居住権,業務の範囲といった諸問題についてとくに定めた法律は存在しなかった」ものの,同法の制定によって商工業者の諸権利が確立したことは喜ばしいと述べている[Edār-ye Tond-nevīsīva Matbūʻāt va Tanqīh-e Qavānīn 1971, 46(注22)

1971年5月10日(1350年オルディベヘシュト20日)に行われた同法案についての第5元老院(majles-e senā)第159会議での審議(元老院でも国民議会同様に特別委員会が設けられた)でも,消費者の立場にもとづいたアスナーフの積極的な組織化と一定程度の規制が必要だという政府提案に同調する意見が出されたほか,各条項の検討のなかで「仲介業者の排除」や「適切な職業訓練の義務付け」の具体策について質疑も行われるなど,国民議会と同様の論調が展開されている(注23)

このように,議会における法案賛成派は概ね商工業者の提供する財・サービスの質の向上と業界秩序の確立という観点から討論を行っている。審議プロセスからは,商工業者法の制定は,同業者組合制度の導入によって国内の商工業者(職人や労働者を含む)が供給する拙劣な商品,営業をめぐる綱紀衰退,消費者とのトラブルなどを防ぐという点に第一義的な目的があったことが見て取れる。パフラヴィー朝の初期に徴税単位としてのセンフが消滅したことは前述した。同業者を束ねる職能集団としてのセンフが弱体化したことにより,労働市場における職業訓練や技能伝播の機会,価格形成機能が大きく損なわれたことが窺われよう。

一方で,議会での審議において法案に対する強い反対意見も示された。次節以降で明らかにするとおり,商工業者法に定められた同業者組合制度では,商工業者たちが組織する同業者組合はその上部機関である事業会議所に代表者を送り,かつそれを監督委員会(komīsyon-e nezārat)とよばれる行政府関係者からなる独立の委員会が監督する。前出の第231会議でアーメリー(ʻĀmelī)議員は,民間の商工業者個人や彼らが集まって結成する同業者組合,および事業会議所がどのような権限をもつか,いかなる行為が違法となるか,などについての法律上の規定が明確でなく,しかもその合法性を審理する機関が司法省ではなく地方行政府であることを問題視し,「このような組織は民主主義的な基準に則っておらず,政府機関に過ぎない」と法案に対する批判的見解を主張した。この批判の妥当性については,のちに同業者組合制度の詳細をふまえ再検討したい。

反対意見はありつつも,結局,元老院でのいくつかの修正提案を加味して1971年6月6日(1350年ホルダード月16日)に商工業者法は制定された。この最初の商工業者法は65カ条からなり,96カ条ある現行法に比較して簡素であったが,1979年にイラン革命が勃発したのちも数次の改正を経てそのまま施行され続けた。2013年に改正された現行の商工業者法は,法の趣旨としては1971年法を踏襲しており,営業許可に関連する諸組織が地方ごとに設置されているほか,事業者の違反行為に関する罰則が設けられるなど,制度がより強化されている(注24)

そこで以下に,現行の商工業者法に定められたイランの同業者組合制度の法的枠組み(図1を参照)を見ていこう。

図1 同業者組合等の組織

(出所)商工業者法をもとに筆者作成。

2. イランにおける同業者組合制度の概要

(1) 同業者組合(ettehādīye-ye senfī)

所管するのは工鉱商業省(vezārat-e sanʻat, maʼdan va tejārat)である。同法は国内の「生産,交換,売買,分配,サービス,技術的サービスなどの諸活動」においてそのいずれかに投資を行うすべての自然人もしくは法人」を「事業者」(fard-e senfī)とし(商工業者法第2条),活動の性格が単一の種類であるとみなされる事業者の一団を「センフ」(senf)と規定している(同第4条)(注25)

各事業者は,事業をはじめるにあたって(それが一時的であれ,恒常的であれ)当該センフの組合に届け出て「営業許可証」を取得しなければならない(同法第5および12条)。技術職の場合はこれとは別に,事業者がそれぞれのセンフの技術的業務を遂行できることを証明した免許証等が必要となる(同法第6条)。

営業許可を取得した事業者には,毎年自身の帰属するセンフの組合に組合費を納入することのほか(同法第14条),消費者に対して商品・サービスの価格を明示すること(同法第15条),所定の事項を明記した領収証を発行すること(同法第15条注1),不適正な広告を出さないこと(同法第17条注2),などの事業者として果すべき義務が課されている。

個々の事業者が加入する非営利の同業者組合は制度の根幹を支える重要な柱であり,その設立要件は当該地域の人口規模に応じて細かく定められている。たとえばテヘランであれば同一のセンフに属する事業所(vāhed-e senfī)が300存在すれば組合結成が認められる。これに対して人口50万人未満の県(shahrestān)(注26)であれば 50,人口50万人以上100万人未満の県であれば100といったぐあいに,人の少ない地方でも一定程度の数が集まれば同業者組合を結成することが求められている(同法第21条)。また,あるセンフの事業所の数が上の定足数に満たない場合でも,州(ostān)や全国といったレベルでは地域横断的に組合が結成される。組合の理事会(heiʼat-e modīre)は組合員のなかから選挙で選ばれる。大きな組合であれば専従の職員を置くことも可能である。

すなわち,イラン国内で合法的に商工事業を行おうとする者は,すべからくいずれかのセンフの組合の組合員となり営業許可証を取得せねばならず,制度上はいかなる漏れもないよう設計されている。

ちなみに法的には,同業者組合には主として(ア)営業許可申請の受付と審査・発行,(イ)営業許可の取り消し・事業所の閉鎖,(ウ)組合員間の係争の処理などが義務付けられている一方で,商品・サービスの価格や,当該事業(の環境改善)についての提案を後述する事業会議所のような上部機関へ提出する権利が認められている(同法第30条)。

(2) 事業会議所(Otāq-e Asnāf)

各県の事業会議所は,上記の同業者組合の組合長らから構成されるその上部機関である。またこれらの県事業会議所の重役からなる会がさらにその州の代表者を送り込んでイラン事業会議所とよばれる全国組織が構成され,ここには各州から別途選抜された事業者も参加している(同法第42条)。

これらの事業会議所は同業者組合のいわば監督機関であり,組合に任されている営業許可証の発行や係争・苦情処理といった業務が法令にのっとって適正に行われるよう監督する責務が課されている。ただし県の事業会議所が各同業者組合の財務における会計監査機能を有し,組合間の調整や,あらたな組合の設置・組合の統廃合にも権限を与えられているのに対し,イラン事業会所は,より広範な事業環境についての政策的な提言やシステムそのものの改善に資することが期待されている。したがってその意味では一般の事業者にとってイラン事業会議所よりも県の事業会議所のほうが関係の深い組織といえる。とはいえ一般の組合員にとって彼らの日常的な営業において重要なお墨付きを与えるもっとも身近な存在は当該センフの組合であり,彼らがなんらかの問題について事業会議所に直接的に照会することは稀である。

ちなみにイラン国内の(中小零細を含む)事業者を束ねているという意味で,事業会議所は日本における各地の「商工会議所」「商工会」の機能に類似しているが,イランにおいて商工会議所(Otāq-e Bāzargānī-ye Īrān)とよばれる組織は,これら事業会議所とは別のものである。イラン商工会議所はもっぱら輸出入事業を行う国内企業を束ねた組織で,貿易事業に必要な許可証を発行する。

(3) 監督委員会(komīsyon-e nezārat)

同業者組合および事業会議所は,本項(1)で述べたようにセンフの事業者たちが組合員になることによって成立する民間組織のいわば連合体であるが,これとはまったく独立したかたちで監督委員会とよばれる組織が設置され,各州の県ごとに関連の官庁・税務署・警察・知事・議会の議長そのほかの関連諸組織が参加して構成する(同法第48条)。

これは事業会議所の決定に問題がないかどうかを監督する,商工業事業者関連の諸規則を作成する,などを主たる業務としており,このほか組合の理事会選挙の統括(同法第22条),事業会議所の予算・決算の審査・承認(同法第45条)も行う。また,事業会議所の決定に不服の組合がその旨を監督委員会へ申し立てたり(同法第26条),一般の事業者が営業場所の閉鎖など自身の帰属する組合の決定について,監督委員会に直接訴えることもできる(同法第28条)。

県の監督委員会の上にはさらに最高監督委員会(heiʼat-e ʻālī-ye nezārat)とよばれる上部機関があり,閣僚や国会の議長などがその構成メンバーである(同法第53条)。ここには同業者組合や事業会議所の選挙の取り消し,事業会議所の役員会の罷免などを含むいっそう大きな権限が与えられている(同法第55条)。

監督委員会の機能のうちもっとも重要なものは,事業者らが提供する財・サービスの価格の決定に関するものであろう。最高監督委員会が特定の物品・公共サービス・補助物資などの「価格統制が必要である」と判断すれば,その指示にしたがって各監督委員会が県の事業会議所へ,県の事業会議所は同業者組合を通じてその旨を事業者に告知する。価格の決定がイスラーム議会(国会)や政府によってなされた場合も同様である。国内の事業者らは一定の期間この価格を遵守しなければならない(同法第51条)。

(4) 事業者らの違反行為の取り締まり

監督委員会は事業者や事業所の監督のために視察官(bāz-ras)や監督官(nāzer)を選任し,違反行為があれば当該のセンフの組合に調査を行うよう通告することができる(同法第72条)(注27)。商工業者法に規定された事業者による違反行為は,多岐にわたっている。高値売り(同法第57条),売り惜しみ(同法第58条),買い占めや投機(同法第60条),密輸品の供給・販売(同法第62条),抱き合わせ販売(同法第64条)などに加え,価格の非表示(同法第65条),領収証の無発行(同法第66条),キャッシュレジスターの不使用(同法第71条)といった細かな経理事務に関する違反行為も列挙されている。いずれについても罰金,営業許可の停止,免税の取り消しなど具体的な罰則がある。また警察や自治体が取り締まりの執行機関(sāzmān-e taʻzīrāt-e hokūmatī)と連携する義務を負っている(同法第72条)。

3. 立法のねらいと制度設計

以上のように,商工業者法に意図されたイランの同業者組合制度の要諦は,民間部門の事業者らによって人事や係争処理などにおける一定程度の自律性を備えた同業者組合を組織させつつ,営業許可証の発行を通じてみずから当該センフの規模を把握し,事業者らを監理させるという点にある。

しかも,前述のように同業者組合(もしくは事業会議所)には監督委員会が必要と認めた財・サービスの価格を遵守する義務(同法第51条)や事業者の違反行為についてその有無を調査し警察などと連携する義務(同法第72条)が課されている。行政府から監督委員会を通じてなんらかの指示が出された場合には,それが事業会議所を通じて各同業者組合に徹底され,業者間の調整が行われる。

第Ⅰ節で見たように,欧米や日本における事業者団体もかつては業界ぐるみの参入規制を敷き,事実上メンバーシップを取得しなければ自由な営業が保証されないような事例が多く観察されたが,時代とともにそうした制限行為の競争法による排除が進んだ。しかしイランの同業者組合制度は,そうした各国の事業者団体に対する規制とはまったく逆に,価格統制・相互監視・業者間調整をむしろ促進するよう作られていることがわかる。

加えてそれは,諸外国とはまったく異なるイランの実情をふまえて導入されたことが,商工業者法の立法過程から窺われる。すなわち,かつてのセンフのような職能集団がなく,流動性の高い労働市場を通じてばらばらに参入する商工業者(および労働者)たちによって提供される各種の財やサービスの質・価格がはなはだしく不均等である。しかも,たとえ消費者がそのために不利益を被っても,業界を統制する組織がないためにそれを訴える先がない,といった状況である。制定当時は職能集団による排他的メンバーシップや財・サービスの供給独占が形成されないため,各業界への参入障壁が相対的に低く抑えられていた。商工業者法の制定は半世紀近くも前のことでありながら,こうした状況が現在のイランでもしばしば観察されることは前述のとおりである。

商工業者法によって,ほんらい民間部門の商工業者が構成する同業者組合(および事業会議所)に,あたかも行政府の「執行機関」のごとき役割が与えられている。次節で明らかにするように少なくとも一般の組合員にとってそれらは自発的な企業の連合体であるどころか,より行政側の意を迎えた性質の組織となっていることは疑いがない。その意味では本節の第1項においてアーメリー議員が述べた「同業者組合はあたかも政府機関である」とする批判は相応の妥当性をもっているといえる。

ちなみに,今日の日本においてその構成員の営業規模・性質という観点からイランの同業者組合(および事業会議所)と比較的近いと考えられる事業者団体のひとつに商工会議所がある。表1に示すとおり,両者の主要な機能を比較することによってイランの組織の制度上の趣旨がより明確になる。

表1 イランの同業者組合・事業会議所とわが国の商工会議所との比較

(出所)関連諸法をもとに筆者作成。

表1に見るように,両者のもっとも顕著な違いはその設立が必須か,任意かという点にある。イランの場合,当該地区内に同業者組合を結成するに足る事業者数が存在しないときには,定足数に満たない状態でも当該地区内に組合を発足させるか,もしくはいくつかの地区をあわせてひとつの組合を発足させるなどして,かならず事業者がいずれかの同業者組合に加盟し営業許可証を取得しなければならないとされている。一方,日本の商工会議所法では当該地区(市もしくは都区)内において30人以上の有資格者による発起を設立要件として定めている(商工会議所法第8条,24条)。

イランと同様に日本の商工会議所の事業内容には「商事取引の紛争に関するあっ旋,調停または仲裁」が含まれるものの(商工会議所法第9条),個々の事業者に対する監督責任はイランのほうがかなり重いといってよい。

一方,事業者から政府に対する建議は,イランの事業会議所・日本の商工会議所ともに認められており,また職業的訓練や技能検定の実施といったより広い意味での産業振興策もあわせて行われている点は共通している。そのかぎりにおいて両者は,事業者の利益を代表する企業の連合体という性格を帯びている。

このように,イランの同業者組合(ならびに事業会議所)を,日本における商工会議所とその法制度上の機能から比較すると,イランのそれが民間の事業者団体というよりもむしろ行政府による中小零細事業者監理のための機構としての性質を色濃くもつものであるという点がいっそう明確になろう。

Ⅲ 同業者組合制度の実態――テヘラン・アパレル産業を事例として――

前述のような大義を帯びたイランの同業者組合制度は,はたして実際の企業活動および市場にどのような影響を与えているのだろうか。本節では,このような制度設計の下に導入されたイランの同業者組合制度の実態を,テヘランの繊維・アパレル業界におけるいくつかの具体的事例をひいて明らかにする。

1. テヘランにおける同業者組合

現在テヘラン市には商工業者法にもとづいて設立されたアパレル製造および販売に関連する4つの同業者組合(生地取り扱いを除く),すなわち「アパレル生産者販売業者(toulīdkonande-gān va forūshande-gān-e pūshāk)組合」,「シャツ縫製業者・シャツ販売業者(pīrāhandūzān va pīrāhan-forūshān)組合」,「テヘラン婦人服・紳士服仕立て業者(khaiyātān-e zanāne va mardāne-ye Tehrān)組合」,「テヘランニット製品・靴下生産者・販売業者(toulīd-konande-gān va forūshande-gān-e kālā-ye kesh-bāf va jūrāb-e Tehrān)組合」がある(注28)

第Ⅰ節で述べたとおり,テヘランのアパレル製造関連の生産企業や流通業者は企業間の資本統合や企業グループ化がほとんど進んでいない。したがってイラン最大の産地であるテヘラン市内には有力企業の下請けとして系列化されたり,その傘下に組織化されるなどしていない中小・零細企業群がいくつかの集積地に雲集し,それぞれ独自の経営方針にもとづいたビジネスを展開している。いわば産地内にアパレル製造ないし流通企業が無秩序に分散するかたちになっており,市場の需給動向は製品の集散地としての機能を備えたいくつかの卸売店舗集積地で集合的に把握され,諸外国のアパレル産業の事例とは異なり生産事後的に製品供給の調整が行われる。

しかし一方で,こうした中小・零細企業の大部分は上記のうちいずれかの同業者組合に加盟して営業許可証を取得している。それぞれが零細でありながらも独立した資本であるイラン企業にとって,同業者組合への加入と営業許可証の取得は操業の法的裏付けを得る唯一の手段であり,事業を合法的に維持するうえできわめて重要なステップと考えられている。もっとも,イラン事業会議所での聞き取り調査によれば,実際には零細企業・町工場といった事業者のなかに「未加入」も少なくない(イラン事業会議所は,営業許可証を取得したうえで操業する事業者が全業種を通じて220万余り,正規に営業許可証を取得せずになんらかの事業に従事する者がおよそ75万と推計している)(注29)

上記の同業者組合のうちから,「アパレル生産者・販売業者組合」および「テヘランニット製品・靴下生産者・販売業者組合」にそれぞれ聞き取り調査を実施した。組合員数はそれぞれ2万(2018年9月時点),4,500(2017年10月時点)である。もともとアパレル製造関連のセンフとしてシャツやズボンなどアイテムごとに組合が分かれていた時期もあったが,今日では統合が進み「アパレル」製品としてより包括的な組合が結成された(注30)。とはいえ実際には,たとえば「テヘランニット製品・靴下生産者・販売業者組合」のなかには12種類ほどに分かれた生産部門のセンフや販売部門のセンフのグループがそれぞれ残されている(注31)

上記2組合からの聞き取り調査にもとづくと,現代の同業者組合の日常的な機能として事業者からもっとも重要視されているのは,第1に営業許可証の発行,第2に事業者間の係争処理である。営業許可証はほんらい事業者個人(もしくは法人)に対して発行されるもので,事業所の確保は許可の取得後に行われる。営業許可証はたんに国内での操業を合法化するだけでなく,商用などで事業者が海外に赴く場合の渡航手続きに際して所属する同業者組合からのレターが関連省庁に送られるなど,事業者にとって全般的な「身分証明」の役割を果たしている(注32)。営業許可証なしに操業する事業者について告発があった場合には,当該の同業者組合がその未加入事業者を召喚ししかるべき手続きを踏むよう勧告するが,聞き入れられなければ警察などを通じて活動を停止させねばならない。地域内でのこうしたいわば監視活動も同業者組合に課せられた責務といえる。

同業者組合による係争処理は,当事者が組合に申し立てることで,通常の訴訟手続きよりも簡略かつ迅速な解決が見込まれるため,組合員からは重視されている機能である。組合のなかに設けられている調停委員会が審理を引き受け,違反行為を告発した側・告発された側双方の召喚を経て解決が目指されるが,違反の程度が甚だしかったり,当事者間の折り合いがつかない場合には事案が所管の行政機関へ送られることになる。

こうした機能に加え,同業者組合が果たすいまひとつの重要な役割として財やサービスの価格決定に一定程度の発言力をもつ点が挙げられる。イランでは現在,工鉱商業省内にある生産者・消費者保護機構(sāzmān-e hemāyat az toulīdkonande va masraf-konande)が国内の物価統制を行っており,この機構内で値上げの必要性を認めた財やサービスについて先に述べたように最高監督委員会,事業会議所および同業者組合を通じて,それが全国の事業者に告知されることになっている。この際,経済成長やインフレ率などと併せて,参考価格として各同業者組合が事業会議所を通じて政府に提示する価格のリストが,機構の意思決定に影響すると考えられているのである(注33)

同業者組合には税金や公的サービスの利用料を(行政府に代わって)徴収しその手数料を得る権利(商工業者法第29条)も与えられているものの,聞き取り調査では組合が徴税を代行する事例は聞かれず,納税は個々の事業者に任されている(注34)。ただし,わが国のように詳悉な確定申告制度の敷かれていないイランでは,同業者組合が事業者に対して適切・適当な納税額を指導・助言する場合があると指摘があった(注35)

以上のように事業者にとっての同業者組合は,日常の業務にきわめて密接な関係をもち,営業の後ろ盾となるものである。テヘランのような大都市ではおおむねすべての業種に同業者組合が結成され,個別の事業者からの照会に応えているが,地方によっては市内に当該の同業者組合が存在しない場所もあり,その場合はより広域を統括する(県の)事業会議所がこうした業務を代行する。

いずれの事業者も同業者組合の事務所には頻々と顔を出し,理事会のメンバー(役員は専従職員を除き組合員の選挙によって選ばれる)の顔触れなども見知っていることが多い。ただし事務所への接触は営業許可証の更新などを含む経営上の事務手続きのためであり,同業者組合を通じてなにか自発的な集団行動がとられるためのものではない。たとえば販売業者は季節終盤のセール実施について同業者組合に届け出をするのが通例であるが,これも価格統制の一環として事実上義務付けられているもので,業者間の協議によって行われているものではない。

ちなみに同業者組合・事業会議所ともに工鉱商業省からは財政的にまったく独立した民間組織でありながら,これまでに見てきたように行政府から課されている任務が多いため,理事会役員はいわば「奉仕」とみなされ,中央官庁との政治的なパイプを重視する業界の有力企業からの立候補が一般的であるとされる。

以上のような実態に鑑みるに,商工業者法にもとづいて組織された同業者組合がカルテルを懸念させるようなものではないことは明らかである。第Ⅱ節で見たような立法過程における議論を加味しても,むしろイランの同業者組合制度は,商工業者たちが未組織であることによって惹起される諸問題を軽減し行政の指導を直接的に行き渡らせるために作られた全事業者対象の登録制度であるといえよう。

ただし,イラン事業会議所や同業者組合での聞き取り調査からは,事業者側のニーズにもとづいた政府への働きかけの窓口としてこの同業者組合制度を大いに活用しようという事業者側の野心も垣間見られる。イラン事業会議所会頭によれば,会議所は現在「非石油製品輸出振興機構」や「税制委員会」といった政府の政策策定にかかわる会議のメンバー(非公式含む)となっており,今後もこうした参画を重視する方針だという(注36)

2. 私設の事業者団体

同業者組合制度に体現されるような行政府による介入的事業者監理政策の背景には,今日のイランにおける希薄な企業間関係がその一因として存在することは繰り返し述べた。しかしその一方で,以下に挙げる事例は,少なくとも今日のイランにおいて自発的に組織された事業者団体がまったくないわけではないことを示している。引き続きアパレル産業の事例を取り上げよう。

目下,イランのアパレル産業には商工業者法にもとづく「公的」な同業者組合とは別に,「イラン繊維・アパレル産業生産者・輸出業者組合」(ettehādīye-ye toulīd-konande-gān va sāderkonande-gān-e sanāyeʻ-e nassājī va pūshāk-e Īrān)や「イラン繊維産業協会」(anjoman-e sanāyeʻ-e nassājī-ye Īrān)など,まったくの任意で結成される民間の非営利業者団体が存在している。任意加盟の民間団体である以上,会員企業の入退会は自由である。前者は1981年,後者は1960年に設立され(注37),2018年9月時点でそれぞれ約150社,450社の会員企業を擁している。このうち「イラン繊維・アパレル産業生産者・輸出業者組合」の元書記(専従職員)(注38)への聞き取り調査にもとづき,私設の業者団体の具体的業務を以下に明らかにしていこう。

会員企業はアパレル製造および輸出を手がける法人化した国内の民間企業であり,すべて商工業者法にもとづく同業者組合(たとえば前出の「アパレル生産者・販売業者組合」など)の組合員でもある。設立目的として17項目ほどが掲げられているが,政策決定過程への参加,国際市場における競争力強化のための製品の品質向上・監理,教育・研究活動の実施といった優良企業によるマーケティング戦略に直結する事業が目立つ。同業者組合に課された営業許可証の発行や税務の補助といった「準」行政的な役割はない。

前述のように事業者の「低組織化」状態が通常であるイランのアパレル産業において,行政府からの強制に拠らずこうした自主組織が結成されていることは注目に値する。「イラン繊維・アパレル産業生産者・輸出業者組合」などのような事業者団体はNPOとして工鉱商業省に登録することもできるが,財政的にはもちろん,人事や経営はまったく独立である。参加企業はおおむね一定以上の生産力を有する優良企業が主体であることから,関連の同業者組合とは直接に連携することなく,事業上の要請事項を政府に働きかけることを主目的としたロビー団体としての性格が強い。

近年,「イラン繊維・アパレル産業生産者・輸出業者組合」の働きかけによってアパレル業界からのいくつかの要請が実現した。たとえば同業者組合の専従職員(非事業者)による価格統制の硬直的な運用(末端の市場での値上げに罰金が科されるなど)を見直させる,国内に複数店舗をもつアパレル・メーカーの営業許可証発行事務を一元化・簡素化する,などの改善措置である。

こうした任意の事業者団体が結成され,全体からすればその影響力は限定的であるとはいえ独自の活動を推進していることは注目に値する。この背景として次のような点を指摘できる。上に見たように同業者組合や事業会議所は目下組織として,政府の政策決定過程における一定程度の発言力を確保することを目指しており,それは同業者組合制度が事実上公的権力を背景としていることによって強化される可能性がある。しかし,同業者組合の運営には監督委員会を通じての政府による介入の余地が残されているため,さまざまな陳情活動において私設の業者団体にくらべ慎重さが求められる。

たとえば財・サービスの価格統制緩和についてはイラン事業会議所でもその必要性が認識され,働きかけが行われているが,前述のように事業会議所はようやく近年政府の政策決定の場におけるメンバーとなることが許されたにすぎない。これに対して私設の事業者団体は,より具体的な提案をまとめ,政府の担当者と直接交渉するなど迅速な対応ができたため上述のような措置を勝ち取ることができたのである。優良企業が主体となって結成される私設の事業者団体は,相対的な「大手」企業の自主的な連合体であるという業界内での地位を背景に,そのロビー活動の有効性を保っている。

もっともこうした「自主的な連合体」は容易に形成されるものではない。「イラン繊維・アパレル産業生産者・輸出業者組合」での先の聞き取りによれば,同組合は「民間部門で影響力をもてるように」さまざまなサービスを提供して企業に加入をよびかけており,組合員の確保はつねに重要な課題である。ロビー活動における実績は企業にとって重要な判断材料といえるが,全組合員に裨益する内容でないかぎり訴求効果はさほどなく,むしろ組合費の負担を嫌っての退会も少なくないという(注39)

こうした実態に鑑みると,私設の事業者団体についても,その構成員は異なりつつも同業者組合同様にカルテルを誘発するような組織とは性質を異にしていることは明らかといえよう。

おわりに

以上が,今日のイランにおける同業者組合制度の概要およびその運用の実態である。本稿の冒頭でも述べたとおり,同制度は,競争法を通じて事業者団体による競争制限的な行為を禁止し,市場の公正性を担保しようとする今日の世界的趨勢から見ると,きわめて例外的な事例といえる。

同業者組合制度はイラン国内のほぼすべての事業者・企業の活動に法的裏付けを与える役割を果たし,したがって制度設計上,同業者組合およびその上部機関である事業会議所は,イランの商工業者の日常的な営業活動に対するいわば生殺与奪の権を有しているという意味できわめて支配的な立場にある事業者団体といえる。また行政府がそれらを監督し,必要に応じて組織の決定や人事に介入する権限が与えられている。したがって同業者組合はイラン最大の企業の連合体ではあるものの,けっして自発的に組織された事業者団体ではない。

しかもこの制度は,競争制限的な行為の禁止どころか,むしろ価格統制,相互監視,業者間調整を促すことによって,財・サービスの質の向上や業界秩序の確立を目指していることが明らかとなった。

こうした制度が敷かれている背景には,イラン独自の産業組織のあり方が大きく関連している。前述のとおりイランでは,生産から流通へ至るさまざまなプロセスにおいて,そこに介在する諸企業が,ごく零細な資本規模であっても他企業との資本・人的統合をほとんどせずもっぱら独立経営を維持している。ほんらい企業間関係が希薄であるがゆえに,相対的に大きな企業による寡占はおろか,事業者による集団的な競争制限行為も生まれにくい。競争法が想定するようなカルテルの素地はきわめて脆弱であるといわざるを得ない。

興味深いことにイランにおいては,このように事業者間の非協調的傾向が強いことは市場にとって望ましいこととは受け止められていない。むしろそのために業界内秩序が未確立であり,結果として資源配分の非効率や,財・サービスの供給者および消費者間における著しい情報の非対称性が生み出され,健全な市場が阻害されていると考えられている。だからこそ,商工業者法によって同業者組合制度が導入されているのである。商工業者法の立法過程における議論では,こうした状況から生じた商工業者自身の経営の困難や,消費者の不利益などが指摘されていたことを想起されたい。イランのような中小零細企業が主体の市場においては,事業者団体は法の規制対象であるよりもまず,先述した越後[1977, 9-10]が紹介するような「事業者団体の肯定的機能」の議論が大いに妥当性をもち得る組織ということができよう。

またこれは先行研究において看過されてきた視点と関係していることを指摘しておきたい。これまでAshraf[2011]をはじめとする先行研究中では,一部の有力商人やウラマーによって政治的に動員される商工業者たちの動向に光が当てられてきたことは述べた。そうした流れのなかで同業者組合制度を眺めると,あたかもそれが,旧アスナーフの解体後,再び商工業者たちを行政府の直接的監理下に置き,懐柔・統制するための新しい政治装置としてのみ存在するかのように考えられがちである。

しかし本稿が論じたようなイランにおける競争制限的な事業者団体の弱体もしくは不在という観点からそれを眺めれば,政府の真の意図がどこにあるかにかかわらず,この制度が営業活動上における事業者間の非協調的傾向から生じる市場の非効率や混乱をいくばくかでも改善する働きをももつことが浮かび上がってくる。本稿が明らかにしたイランのような事例から,市場の実質的公正性を担保するための法制度は,かならずしも現在の競争法的な立場からの規制のみならず,事業者団体による秩序の確立の促進といった脱競争法的な立場からも整備され得るという観点を排除しないことが肝要であろう。

最後に,本稿での考察を終えて残された課題についてふれる。

目下,イランにおける事業者団体としての同業者組合(および私設の事業者団体)が,行政府から課せられた任務を別として,なんらかの役割を果たすのはそのロビー活動においてである。対政府請願については集団的に行われるほうが有利であることはいうまでもないが,こうした事業者(企業)どうしの横のつながりが今後経営的な統合や共同事業へつながる可能性があるのかどうか,現時点では明らかでないもののその動向には注意が必要である。

また現在の同業者組合制度には,政府が統制・監理する商工業者組織と,その中間に配された事業者代表が両者の利害調整を任されるという構図が見て取れ,それはあたかもサファヴィー朝期の中央政府によるアスナーフ監理にも通底する施策であるかのようである。こうした希薄な企業間関係,および相対的に流動性の高い労働市場は,はたしてイランにおいてなんらかの歴史的継続性をもってきたものと考えるべきだろうか。前述のように,先行研究では明らかなカルテルの事例は報告されていない。しかしたとえばAshraf[2011]からは,商工業者集団が特定の政治勢力を支持することによって彼らの経営上の利益を追求したことが窺われる。そうしたプロセスが,たとえば参入規制や価格談合といったカルテルの母体となり得なかったのか,あるいはロビー活動以外の集団的協調行動はなされなかったのか,よりつぶさに史料を分析し,実証的に検証していく必要があるだろう。

[付記]

本稿は,2016-2017年度にアジア経済研究所が実施した「イラン「経済自由化」政策の変容とインパクト――産業,市場,経営環境――」研究会の成果の一部である。

(アジア経済研究所開発研究センター,2018年3月15日受領,2019年3月8日レフェリーの審査を経て掲載決定)

(注1)  1953(昭和28)年改正法により定義され[公正取引委員会事務総局 1997, 111],現行法においても同様。

(注2)  公正取引委員会による「事業者団体の活動に関する独占禁止法上の指針」(2010年1月改正)を参照。

(注3)  高橋[2005, 11-13]は世界各国で導入された競争法を経済発展の段階および経済構造の違いをふまえ2類型に分けて論じている。第1のタイプは経済のグローバル化(貿易・投資の自由化)にともなう国際的な競争と取引のルール形成の基礎として機能し,第2のタイプはとくに政府主導の産業育成政策が行き詰まりをみせた1990年代以降のアジアにおいて,自立した自国産業の育成と国際競争力強化の目的で導入されたとされる。著者によれば後者は「取引当事者の一方が圧倒的に中小零細企業である経済社会を前提として,中小零細企業と大企業との取引における公正な競争の秩序を形成する」ことを重要な課題としている。

(注4)  イラン事業会議所(Otāq-e Asnāf-e Īrān)中央事務所において会頭および役員から筆者による聞き取り(2017年10月9日)。ちなみにイラン全体の就労人口(10歳以上の就労可能人口のうちなんらかの経済活動に従事している者の数)はおよそ2,600万人と推定される(2016/17年現在)[Markaz-e Āmār-e Īrān 2018,132; 193]。

(注5)  目下イランで,公正な市場取引を担保する目的で施行されている法律としては2008年に制定(2011年改正)された「イラン・イスラーム共和国第4次経済・社会・文化発展計画法の諸条項修正および憲法第44条の原則にもとづく基本的諸政策実施に関する法(Qānūn-e Eslāh-e Mavādī az Qānūn-e Bar-nāme-ye Chahārom-e Touseʻe-ye Eqtesādī, Ejtemāʻī va Farhangī-ye Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Īrān va Ejrā-ye Siyāsat-hā-ye Kollī-ye Asl-e Chehl o Chahārom-e Qānūn-e Asāsī)」の第9節(同法第43~84条)部分が挙げられる。しかし退蔵や不当廉売,虚偽広告などを禁止するほかは,これらを監督する「競争評議会」(shourā-ye reqābat)の設置について多くの条文が用いられており,競争法としてはきわめて簡易なものである[Rūz-nāme-ye Rasmī-ye Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Īrān 2009b, 446-487]。

(注6)  聞き取り調査の主要な調査項目はそれぞれの事業者団体の規模,性格および日常的な業務内容,政府の産業政策に対する発言権の有無,各団体の棲み分け,加入のメリット・デメリットなどに関するものである。調査はインフォーマントがある程度自由に回答できるよう「半構造化インタビュー」のかたちをとり,聞き取りの過程で筆者が不明点・疑問点について追加的な質問を挿入しながら進めた。内容はすべて許可を取ったうえで録音し,それを文書におこして保存したものを調査結果として利用した。

(注7)  Galambos[1988, 121-138]によれば,19世紀にはごくローカルで排他的であった米国内の事業者団体は,「反トラスト」政策の下,20世紀に入って以降の競争激化に促されて主要産業ごとの利益団体へと発展した。Pengilley[1981, 10]はそうした米国の事業者団体の主たる機能として産業内交流や技術訓練などのほか,連邦議会との連携窓口としての役割を挙げている。

(注8)  語義は「バーザールの人」。今日においては,伝統的常設市場バーザール内で営業する商工業者をはじめとして,バーザール内諸施設の従業員や荷運び人などバーザールで提供されるさまざまなサービスの提供者を含む概念となっている[岩﨑 2004a, 96-102]。

(注9)  たとえばKeddie[1981, 32]は,19世紀イランにおける社会経済的条件を議論しながら「……ウラマーはバーザール階級(the bazaar class,ペルシア語ではバーザーリー〔bazaaris〕とよばれる)と強固な紐帯で結ばれていた。そのうちには,長距離・国際商業に携わるエリート商人と,ギルドに組織されていた大多数を占める職人・商店主たちの両方が含まれた。……」と述べる。またCottam[1979, 44]は,石油国有化運動を支えたナショナリスティックな社会集団のひとつとして「(より)小規模のバーザール商人たち(the bazaar merchants)」を挙げ,彼らが「カーシャーニー師などによって率いられるナショナリズムの宗教系勢力」と密接な関係にあったことを指摘している。Abrahamian[1982, 433;533]はイラン革命に先立つ時期(1950~1960年代)に「……(およそ100万世帯を数えた中産層の)コアの部分を構成したのはバーザール共同体(the bazaar community)であった。そこにはおよそ50万の商人,商店主,貿易業者,工場主がいた。次には,バーザール(the bazaars)の外への投資を主として行う都市部の比較的裕福な実業家の一団がいた。……」とし,前者の伝統的中間層がウラマーとともに「ホメイニーの運動を支えた」と分析している。

(注10)  彼はテヘラン・大バーザールにおいて行われた社会人類学的調査(実施時期は不明)にもとづくThaiss[1971]らの知見に依拠しつつ,1960~1970年代の(おもに)テヘラン・大バーザールを事例として,商人間における紛争処理,相互的信用供与,宗教儀礼の共催,婚姻関係の締結などを通じてそのメンバーたちのあいだに強固なネットワークが構築されていたことなどを「自律性」の議論の前提としている。

(注11)  たとえばLambton[1954]は中世イランのアスナーフについて,内部の係争処理のみならず折々の宗教的・儀礼的催事など集団のアイデンティティを強化する機能ももち合わせてはいたものの,一部の例外(特定のセンフにはhaqq-i bunīchaとよばれる営業上の権利があり多くの場合世襲されたが,部外者がこれを購入して参入することもあった)を除いて,彼らが中世ヨーロッパのギルドのように実質的な参入規制を敷いて事業・経営を集団的に独占していた事実を確たるものとする史料は見出されないと述べている。またKeyvani[1982, 115-121]によればサファヴィー朝期にはむしろ,政府がセンフ内の要人たちを通じて事実上の価格統制を敷くなどのいわば「官民一体」システムが一部機能していた。

(注12)  製造業を例にとると,2015/16年時点で民間部門における就労者数10人以上の製造業の事業所は全国におよそ13,000社余りあり,このうち7割近くが就労者数50人未満の企業である[Markaz-e Āmār-e Īrān 2018, 319]。業種では非金属鉱物を用いた製造業および食品・飲料製造業が比較的大きな割合を占めている。イラン統計センターは2002/3年を最後に就労者数10人未満の企業数を公表していないが,それ以前までの傾向に鑑みるにおそらくはいまだ全体の9割以上をこうした零細企業が占めると推定される。

(注13)  一般にアパレル製造業では,消費者にもっとも近い流通業者が製品を企画し,外部の生産者を囲い込むなどして市場への迅速な商品供給を達成するための統一的な生産・販売システムが構築されていることが多い。そうしたシステムのなかでは,流通業者がその傘下に相対的に零細な縫製業者や仕上げ業者などを集めてもっぱら自社の製品生産に当たらせるべく,多数の生産者の組織化が行われる。また主導的な流通業者と組織される生産者との関係は一定程度まで継続的である。これに対してイランの場合,製品を企画して生産者を組織化するような流通業者は存在せず,独立しかつ零細な生産者が独自の経営判断によって生産した製品を流通業者のもとへ持ち込んで販売網に乗せている。資本や人的統合はおろか,両者のあいだで(あるいは同業者同士のあいだで)生産に先立って市況や流行に関する情報交換すら行われることは稀である[Iwasaki 2017]。

(注14)  もちろんこうした「低組織化」状態にあっても,それを前提として中小零細企業群の経営を維持し,かつ末端の消費者までスムーズに商品を届ける目的で発達してきた業界のさまざまな慣行,装置が機能している。詳細についてはIwasaki[2017]を参照。

(注15)  アスナーフに対する課税は依然として(実態と乖離した)古い統計にもとづいて行われていたため,この時期には商工業者たちによる減免税を求める請願が後を絶たなかったことが報告されている[Shīrīnbakhsh 2017]。

(注16)  Binder[1962, 185-186]は,20世紀前半には商工業者組織(guild organization)が徐々に解体したが「ある種のギルド的協調(guild cooperation)は維持され,裕福で影響力のあるメンバーが政府に対する彼らの不満を代表した」としている。

(注17)  ただしBinder[1962, 186]は同規則(āyīn-nāme)が1336(西暦1957)年メフル月に制定されたとしているが,議会で承認された法規を集めた法令集には収録されていない。政府の下に設置されていた委員会等において別途定められた規則である可能性はあるが,筆者は現時点で原本を特定できていない。

(注19)  すでに原型となる規則が存在していたとはいえ,政府による原案の準備には数カ月がかけられ,また特別委員会における修正提案の検討にも時として1日9時間を費やしたことが議会議事録に記されている[Edār-ye Tond nevīsī va Matbūʻāt va Tanqīh-e Qavānīn 1971,46]。

(注21)  賃貸用店舗の用益権を指す伝統的な呼称。1960年制定のマーレキ・賃借人関係法(Qānūn-e Ravābet-e Mālek o Mostaʼjer)によって店舗賃借人(すなわち商人)に帰属する権利として法的枠組みが定められているので,この発言は一部誤りといえる。サルゴフリーについては岩﨑[2018]を参照。

(注22)  この議員は過去十年間の医療費の増加などを指摘しながら雇用者(kār-farmā)が労働者の社会保険料支払いを怠った場合には営業許可証を無効とすべきと主張し,法案にもそれが反映されていた[Edār-ye Tond-nevīsī va Matbūʻāt va Tanqīh-e Qavānīn 1971, 46-48]。

(注24)  1971年法第61条では(個別の登録制度を有していた)医師,弁護士,新聞記者,公証役場所有者,保険・金融機関の所有者などは同法の適用外とされていた[Edār-ye Tond-nevīsī va Matbūʻāt va Tanqīh-e Qavānīn 1971, 54-55]。現行法においても第2条注において「個別の法を有するセンフについては適用外」とされている。

(注25)  商工業者法に明示的な規定はないが,国有企業や政府系営利団体はこれらの同業者組合ではなく所轄官庁の下に組織されるため,同法が対象とするのは民間部門の事業者・事業所である。

(注26)  イランの行政区分のひとつで,州(ostān)のすぐ下位の単位。ひとつの州は複数の県からなる。

(注27)  一般の消費者も同業者組合へ事業者らについての苦情を申し立てることができる

(注28)  テヘラン事業会議所ウェブサイト(http://www.otaghasnaftehran.ir/)より(2018年1月27日閲覧)。

(注29)  イラン事業会議所から筆者による聞き取り(2017年10月9日)。

(注30)  アパレル生産者・販売業者組合にて組合長から筆者による聞き取り(2011年1月18日)。

(注31)  テヘランニット製品・靴下生産者・販売業者組合にて事務局長から筆者による聞き取り(2017年10月10日)。

(注32)  テヘラン手織り絨毯商組合(ettehādīye-ye senf-e forūshānde-gān-e farsh-e dast-bāf-e Tehrān)の組合員である事業者Mから筆者による聞き取り(2017年10月6日)。

(注33)  テヘランニット製品・靴下生産者・販売業者組合から筆者による聞き取り(2017年10月10日)。

(注34)  イラン事業会議所会頭はこれについて「税務署と同業者組合との合意があれば代理徴税は可能」との見解を示している。

(注35)  イラン繊維・アパレル産業生産者・輸出業者組合から筆者による聞き取り(2017年10月8日)。

(注36)  イラン事業会議所から筆者による聞き取り(2017年10月9日)。

(注37)  前身組織はイラン綿・人造繊維産業企業団体(sandīkā-ye sanāyeʻ-e nassājī-ye panbeī va alyāf-e masnūʻī-ye Īrān)。

(注38)  2017年10月8日に筆者による聞き取り。インフォーマントは2016年10月まで書記として在職していた。

(注39)  イラン繊維・アパレル産業生産者・輸出業者組合から筆者による聞き取り(2016年10月3日)。2006年頃には同組合に加入するアパレル製造企業の数は400社ほどであったものがこの時点では150社ほどに激減していた。

文献リスト
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