アジア経済
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書評
書評:林采成著『飲食朝鮮――帝国の中の「食」経済史――』
名古屋大学出版会 2019年 ⅸ+ 309 + 67 ページ
岩間 一弘
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2019 年 60 巻 4 号 p. 67-70

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本書は,独立後の韓国への歴史的連続性を展望しながら,植民地期の朝鮮における食料産業の再編・移植過程を,実証的な数量分析に基づいて考察した歴史研究である。

本書の特長として,第1に,これまで米など一部の食糧に限られていた経済史分析の範囲を,牛,牛乳,紅蔘,りんご,明太子,焼酎,ビールなどユニークな食品群にまで広げて,植民地朝鮮と本国日本との食文化交流を支える産業・財政的基盤の全体像に迫ったことである。第2として,それらの食料の生産過程だけではなく,流通過程,さらには消費構造までも視野に入れたフードシステムの形成・再編を明らかにしたことである。そして第3に,定量的方法を通じて経済実態の長期的推移を観察するだけでなく,市場と政策の両面を視野に入れて企業経営・業界組織・植民地政策の紆余曲折をも丹念に跡づけたことが挙げられるだろう。

以下では若干の所感を交えながら,各章の要点の一部を紹介していきたい。

序章では,研究課題・先行研究・分析視角・全体構成が要領よく示される。とくに既存研究については,近代化論と収奪論の論争がとりあげられて,両者は植民地経済の歴史像をめぐって相容れず,そして折衷もできないものとされている。しかし,評者のみたところ本書の基本姿勢とは,統計データから帝国日本の植民地朝鮮に対する食資源の収奪的状況を確認するのと同時に,実証不足や統計誤用などを指摘しながら収奪論的見解の虚構性を明快に批判していくものでもある。実証的な分析から近代化論と収奪論の双方をバランスよく展開していることは,本書の最大の特長ともいえるだろう。

第Ⅰ部「在来から輸出へ」の第1章「帝国の朝鮮米――“colonizing the rice”」は,植民地鉄道網の発達が朝鮮の米穀の大量輸送を可能として,各地域の局地的米穀市場を統合し,さらに京城と東京の米価の平準化をも促したことなどを明らかにする。そして,朝鮮内の米穀の消費が抑えられて輸移出に回されて,朝鮮内ではそれを補うために(満洲粟よりも)麦類が中心に消費されていたことを統計的に確認している。そのうえで,朝鮮における穀物・雑穀・豆類・薯類を含んだ1人1日当たりの熱量指数を算出し,それが1910年代から1935年まで長期的に低下したことを確認して,帝国内の食料調達の分業構造はやはり日本内地を優先する栄養の再配分であったと論じている。ただし,市場統合を論じるには価格差の縮小だけでなく価格変動の同調も示される必要があるだろう。また,米輸移出の要因分析の計量モデルでは,説明変数がダミーを除いて5つと多いにもかかわらず,観測数がわずかに34と少ないので精度の高い結果を得るのは難しいだろう。

第2章「帝国の中の『健康な』朝鮮牛――畜産・移出・防疫」は,第一次世界大戦期の好況から朝鮮牛の日本への移出が急増し,日中全面戦争が勃発して中国山東牛の輸入が途絶するとさらに拡大し,畜産拡充政策を展開する満洲国にも毎年1万頭以上が輸出されて,朝鮮牛が「半島の牛」から「帝国の牛」になったと論じる。その反面,朝鮮では畜牛頭数の増加は日本に比べて停滞し,さらに朝鮮牛の体高・体重が一貫して低下傾向であったことを明らかにして,朝鮮牛は日本牛の増殖のための補給源に過ぎなかったと結論づけている。朝鮮牛の体格に着目した分析は独創的で興味深い。

第3章「海を渡る紅蔘と三井物産――独占と財政」は,紅蔘業に介入した朝鮮総督府と紅蔘の独占販売を担った三井物産との相互依存・負担関係を分析した。耕作改良,専売局の保護策,そして三井物産の支援によって,紅蔘耕作1反当たり経常収支をみれば,紅蔘業は危機に瀕した1930年代中頃から資材価格と労賃が急騰した戦時期まで,一貫して黒字経営を達成し,紅蔘専売が朝鮮総督府財政を支え続けたことが明らかにされている。紅蔘専売業における三井物産の役割の評価は,今後の議論の余地が残るだろう。

第Ⅱ部「滋養と新味の交流」の第4章「『文明的滋養』の渡来と普及――牛乳の生産と消費」は,京城のほうが東京に比べて牛乳価格がおおむね2倍も高く,牛乳消費量も少なかったことなどを示すが,分析の中心は搾乳業者およびその生産販売組合においている。朝鮮の搾乳業は,仁川・釜山など居留地の日本人を中心に始まり,洋種乳牛を飼育する本格的な業者が増えたが,朝鮮人業者は廉価な朝鮮牛を代用する零細規模であり,日本人中心の事業構造が続いたという。

第5章「朝鮮の『苹果戦』――西洋りんごの栽培と商品化」は,植民地期において急激な事業展開が行われた朝鮮のりんご農業を,日本・青森県のりんごとの競争と利害調整に注目しながら考察した。朝鮮におけるりんご果樹園の経営は,日露戦争後に日本人の農業移民によって始められ,その輸移出量は1941年に植民地期中の最高水準に達した。良質の朝鮮りんごは輸移出され,運賃の制約で大部分が西日本で消費されたが,青森県が価格競争をしかけると朝鮮りんごの移出は一時頓挫したものの,1930年代には価格競争力をもった。朝鮮と青森のりんごの競合は,知られざる興味深い史実である。

第6章「明太子と帝国――味の交流」によれば,明太子は朝鮮在住の日本人に知られ,第一次世界大戦頃から彼らの出身地である西日本を中心に消費され始めた。朝鮮での明太子の製造量は,1910年代後半に増加し,1930年代に急増して戦時下でも増えた。明太(スケトウダラ)に比べて明太子の価格が一貫して上昇したことが,日本人を含む製造業者の参入を促した。日本人による機底底曳網漁業の導入が,明太の大量漁獲および明太子の市場拡大を可能にした。

第Ⅲ部「飲酒と喫煙」の第7章「焼酎業の再調合――産業化と大衆化」は,工場生産の酒精式焼酎に関する統計を修正しながら,それが植民地期朝鮮の焼酎醸造業や総督府財政に与えた影響を考察した。1916年の酒税令は「賤業酒造より工業酒造へ」の急激な転換をもたらした。1920年代までに鉄道網に沿って焼酎流通の全国的ネットワークが形成され,酒精式焼酎が大衆化すると,在来式焼酎業者は垂れ歩合のよい黒麹を利用して対抗したが,三井物産の働きかけによって酒精式焼酎業者が1931年にカルテルを成立させると,在来式焼酎業者に対して優位に立った。しかし,日中全面戦争の勃発後,とくに台湾からの糖蜜移入が急減・消失すると,朝鮮の焼酎業界は減産を余儀なくされた。

第8章「麦酒を飲む植民地――舶来と造酒」は,朝鮮麦酒・昭和麒麟麦酒を中心に分析して,朝鮮におけるビールの現地生産の開始が遅れた理由などを探っている。1924年の朝鮮における人口当たりのビール消費は日本内地の6.4パーセントにすぎなかったが,1920年以降30年代前半までに朝鮮のビール価格が6割程度に下がったことが消費を振興し,30年代には植民地工業化が進展して朝鮮内の購買力も上昇した。さらに1931年の満洲事変は大陸への市場拡大のチャンスとなり,33年に大日本麦酒が朝鮮麦酒,麒麟麦酒が昭和麒麟麦酒の工場を永登浦(現在のソウル市内)に開設した。こうして二社体制に再編されたビール事業の拡張は,1934年から総督府のビール酒税収を急増させたが,戦時下では原料難と公定化価格制度によって経営が悪化した。

第9章「白い煙の朝鮮と帝国――煙草と専売」は,植民地期朝鮮の煙草専売の経済効果を戦時期まで視野に入れて分析する。総督府は当初煙草税によって税収を確保し,三・一運動後の1921年に煙草専売を始めた。総督府の「一般財政」における煙草専売損益比率は,14~20パーセントの水準で推移し重要な位置を占めた。戦時下では葉煙草の収納賠償金(政府買取金)の引き上げが不十分で煙草栽培は赤字となったにもかかわらず,農家の犠牲の上に煙草栽培の産地拡充が進められた。朝鮮からの両切紙巻煙草の輸移出は1938年以降に激増し,そのほとんどが中国占領地と軍隊への供給であったが,他方で内外需要を満たせずに朝鮮内で「煙草飢饉」が発生して,1945年までに煙草配給制の実施を余儀なくされた。本章は,フードシステムを論じた本書においては補論的な位置づけになるのだろう。

終章「食料帝国と戦後フードシステム」では,日本帝国圏への朝鮮の編入が朝鮮の食料から帝国の食料へというプロセスを進展させたこと,植民地期の近代産業の発展は在来産業の縮小をもたらさなかったこと,専売や酒類等の税収が朝鮮総督府財政に寄与したこと,朝鮮の食料増産は不十分で朝鮮人および朝鮮牛の体格が劣化したこと,戦時下の総督府は業界の自律的統制に加えて国家統制も実施して需給調整を図ったことなどが強調される。そして,嗜好品に近い高級食材については「生産者と消費者の分離」が著しく進み,そうしたフードシステムが日本帝国内および中国にまでも広がって「食料帝国」が成立した。さらに戦後にも植民地期の制度的枠組みが強く残り,アメリカの援助や闇市場に刺激され,植民地期以来の「産業化」,「近代化」,「西洋化」が加速したと論じる。

このように近代化論と収奪論,市場と政策の分析,そして経済と文化の考察をバランスよく織り交ぜた本書は,間違いなく植民地期朝鮮の飲食に関する代表的な研究書になるはずである。むろん本書は食経済史の研究書であるので,食文化史の観点からみれば,「料理」(cuisine)や「味」(taste)が論じられていないなどという,物ねだりはできるだろう。とくに,朝鮮の「植民地食品」(colonial food)が帝国・帝都の料理にどのような影響を及ぼしていたのか,朝鮮においても「植民地料理」(colonial cuisine)といえるものが形成されていたのかどうかについては,今後に取り組みたい課題になる。

また,味覚の「西洋化」(洋風化),「近代化」を論じるのであれば,食品に対する認識と実態を同時代の料理評論などから読み解いていく作業も必要になる。たとえば,乳製品やビールの味は,欧米,日本,朝鮮・台湾でまったく同じだったのか。ビールは高級な「洋酒」であり続けたのか。植民地における味覚の「西洋化」が,じつは「日本化」を意味していたこともありえるのだろうか。

とはいえ本書からは,食の文化交流史の観点からも,興味深い知見をいくつも見出すことができた。たとえば,今では韓国ドラマでもよくみかける廉価な酒精式焼酎(소주(soju))は,植民地期に大量生産されて広まり,朝鮮半島の飲酒習慣を大きく変えていたことがわかる。すなわち,酒精式焼酎の出現によって,酒類の購入は家の不名誉でなくなり,夏季だけでなく一年を通して飲酒するようになり,庶民層がおもに濁酒を飲用した朝鮮南部でも焼酎が飲まれるようになったという。

ほかにも,私たちになじみ深い明太子は,朝鮮在来の食べ物であり,日本帝国が植民地の水産資源(明太=スケトウダラ)だけでなく,食文化それ自体(明太子)も吸収して,朝鮮の味が帝国の味となったという。食文化の伝播をめぐって,宗主国から植民地への影響は大きく,植民地から宗主国への影響は小さいと考えられることが多いが,日本での大量消費が1980年代まで遅れたキムチの場合と異なって,明太子は植民地朝鮮の食文化が帝国日本で普及した好例ということになる。ただし,戦前・戦時期までに明太子は「帝国の味」といえるほどまで日本で普及していたのかは疑問が残る。また,朝鮮在来の明太子と今の日本でおにぎりやパスタに入れられる明太子は,どこまで同じものなのだろうか。福岡の辛子明太子が「開発」であったのか「伝播」であったのかを評価するには,辛子明太子の調理方法(まぶし型/漬け込み型など)や味覚の「現地化」についても検討する必要がある。

さらに本書は,朝鮮産食品の対中輸出をめぐって,帝国日本と中国大陸との知られざる食文化交流が論じられている。成人病予防・滋養強壮薬として高値で中国に輸出された紅蔘は,日本帝国のものとして認識されて,満洲事変・上海事変後に日中関係が悪化すると中国人の日本製品ボイコット運動の影響を大きく受けたという(87~100ページ)。朝鮮を代表する伝統的産品の高麗人参の最高級品が,1930年代には日中関係の悪化の影響を受けて中国への輸出が一時滞ったという史実は興味深い。

また,朝鮮産の西洋りんごは満洲のほかに,1920年代に上海航路が開設されると上海および青島の市場を開拓して,1926年には対中輸出が日本内地輸出を上回った。日本人を含めた外国人および「上流中国人」が消費者となり,朝鮮産りんごの輸出は満洲国樹立後にさらに拡大したという。洋菓子に準じる高級デザートであった西洋りんごが,植民地期の朝鮮を生産地として中国・日本で広く消費されたことは,近代東アジアの洋食文化の形成に少なからず影響したであろう。そしてこれらの事例からは,上海などの開港場を中心とする華商・欧米商の生産場と流通ネットワークと,日本帝国圏のフードシステムとの間の競合・補完関係へと興味が広がる。

このように本書から得られた知見に刺激を受けて,食文化史研究にとって意義ある課題をみつけ出すことが多かった。たとえば,本書では「朝鮮米はインディカ種の台湾米に比べて帝国の商品として注目された」(22ページ)とあるが,植民地期に台湾米の主流はインディカ米からジャポニカ米(蓬莱米)に変わった。台湾からは砂糖など米以外の重要食品が調達しやすかったために,米の重要性があまり目立たなかったものとも考えられる。

すなわち,近代日本には日本米を頂点とし南京米(中国米)を底辺とする「コメのヒエラルキー」があったとされるが[山内2008],朝鮮米と台湾米を含めた米のヒエラルキーが日本帝国でどのように形成されたのか,それにはどのような地域差があったのかについては考察したい課題になる。さらに,日本国産牛・朝鮮牛・山東牛,青森りんごと朝鮮りんご,日本国産ビールと朝鮮ビールなど,ほかの飲食品における「地域」別のヒエラルキー,あるいは朝鮮や台湾といった「地域」ブランドの形成史についても知りたいところである。そして,本書で論じられた朝鮮産のりんごや明太子の消費が西日本にほぼ限定されていたように,日本の食文化の東西格差は,朝鮮や中国との距離と関係して近代以降にも拡大する局面があったとする作業仮説を立てることも意味があるかもしれない。

ほかに,植民地と宗主国の関係に比べて,植民地間の関係は考察しにくい。しかし,本書で追究された朝鮮の経済的特徴は,朝鮮よりも15年早く日本の植民地となった台湾との比較によってより深く理解できるだろう。むろん本書はこの課題にも自覚的であり,たとえば,日本・台湾に比べて朝鮮の農民は対抗作物の収入が低いことから,煙草の政府買取額が低く抑えられて,朝鮮専売局の煙草販売価格がもっとも安くなり,「帝国圏」の煙草供給地となったことなどが論じられている(264ページ)。

とはいえ,たとえば搾乳業について,台湾の乳牛も雑種が中心で高価な洋種の導入が緩慢であったこと,1919年に近代的な台湾畜産株式会社が設立されて各種乳製品の製造を始めたものの,1920年代の1人当たりの牛乳消費量は日本内地に比べておおむね8分の1程度であったことなど[洪2011],朝鮮に近い状況が明らかになりつつある。また,ビール醸造については,1919年に台北に設立された高砂麦酒が経営不振から脱するのは,1933年の専売制導入以降のことであり[一ノ瀬2015],その年はちょうど朝鮮に朝鮮麦酒・昭和麒麟麦酒の工場が開設された年にあたった。朝鮮と台湾のビール醸造業の発展は,さらに密接に関連づけて論じることができるかもしれない。

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© 2019 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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