アジア経済
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書評
書評:金富子・金栄著『植民地遊廓――日本の軍隊と朝鮮半島――』
吉川弘文館 2018年 ⅺ + 225 + 13 ページ
小野沢 あかね
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2020 年 61 巻 1 号 p. 72-75

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近代日本の性売買(いわゆる売買春のことを近年ではこのように呼ぶ)管理策は公娼制度であった。一定の区域に限って性売買を公認する制度である。営業者を貸座敷,人身売買されて性を売らされていた女性たちを娼妓と称して公認し,娼妓に対する性病検査を強要する制度であった。しかし,日本に占領される以前の朝鮮半島にはこのような制度は存在しなかった。朝鮮では性売買は禁止とされており,公娼制度は日本によって導入されたのである。本書は,この公娼制度が朝鮮に対する軍事的支配と深くかかわって展開し,朝鮮社会における性売買を拡大させたことについて,先行研究を丁寧にフォローして研究の現段階を示すとともに,新たな史料や聞き取りを用いていくつかの都市の遊廓について明らかにすることをその課題としている。まず本書の要点とその意義を確認し,そのうえで論点を提示したい。

Ⅰ 本書の内容

本書は,まず序章で朝鮮への公娼制度の導入と発展の概要を述べたうえで,第一部で朝鮮半島南部,第二部で北部の諸都市を扱っている。序章では,日本の朝鮮侵略に伴って形成される遊廓を,①「居留地遊廓」(日清戦争前まで),②「占領地遊廓」(日清戦争~),③「植民地遊廓」(1916年~)と時期区分し,それぞれの時期の特徴について,おおむね以下のように整理している。①の時期には総領事館が「貸座敷営業規則」などで管理したが(仁川(インチョン)を除く),②の時期には,貸座敷を特別料理屋と改称した。そして③の時期は韓国駐箚軍の設置を大きなきっかけとしており,1916年に統一的な「貸座敷娼妓取締規則」が制定され「特別料理店」は再び貸座敷と改称された。軍事占領下で都市そのものが日本軍の駐屯を目的に形成されるなかで遊廓が設置され,憲兵警察制度の管理下におかれたことが植民地的特徴である。しかも,同規則における娼妓の境遇は,日本内地の娼妓取締規則よりもいっそう劣悪であった。そして,植民地遊廓での買春客は,圧倒的に軍人を含む日本人男性であり,娼妓は当初は日本人女性であったが,やがて朝鮮人の娼妓も増加し,1939年に,朝鮮人娼妓数が日本人娼妓数を上回る。

第一部では,京城(ソウル)の遊廓について多くのページが割かれている。京城では,日露戦争期の日本軍の占領・朝鮮駐箚軍司令部の常駐化による性病問題の発生にともない,1904年,新町遊廓が設置され,性病検査も強制されるようになった。しかしここで注目されることは,総領事館は遊廓を「国辱」であるとしてその設置に反対したにもかかわらず,居留民団の強い要望によって,1904年,新町遊廓設置に至ったということである。居留民団は財源の確保,とりわけ京城府学校組合の財源として遊廓設置を強く要望した。その後,朝鮮人接客業女性も「妓生団束令」「娼妓団束令」(「団束」とは取締という意味である)などで取締下におき,新しく桃山(弥生町)遊廓なども設置された。これらの遊廓の土地は,朝鮮人の土地を詐欺的手法で買い叩いて入手された。そして,朝鮮軍が配備されたことが決定的な契機となり,1916年に,貸座敷娼妓取締規則が制定される。本書で強調されていることは,貸座敷娼妓の許認可と性病検査には,憲兵警察制度が大きくかかわったことである。また,1917年には,朝鮮在来の性を売る女性たち蝎甫(カルボ)らが,新町遊廓に隣接する土地に集められ,朝鮮人遊廓も設置された。日本人男性の差別的まなざしをとおしてであるが,著者は雑誌記事から,日本式の性売買とは様子の異なるカルボについての記述を探し出している。妓生も芸妓に分類され,呼び出されて接待する料理店方式へ変更し,ソウルの妓生組合は日本式の券番へ変化させられていった。

京城の日本人居留民社会は「性にまみれた社会」であった。居留民社会における娼妓の割合は内地と比べて高く,日本人居留民男性の性病罹患率も極めて高かった。内地の遊廓同様,娼妓たちは人身売買された女性たちであったが,1920年代半ばになると結束して待遇改善を警察署に訴える娼妓たちも登場した。『朝鮮新聞』の記事によれば,1925年には,公課金は楼主と娼妓の折半とする,娼妓の全稼ぎ高の2分の1が楼主の収入となる,娼妓は残りの額から借金や必要経費を払うことになり,年季に関係なく前借金を返済するまで稼業を継続しなければならない,などのことが決められたとされる。1929年の『廓清』では,全道25カ所の楼主の6割が日本人,遊興人員の8割は日本人,遊興費の9割が日本人とあるが,遊廓によってその割合は異なる。

そして新町遊廓の楼主,赤荻與三郎が京城府議会議員に当選したことからもわかるように,楼主が居留民社会の名望家であることは珍しくなかった。しかも,遊廓の土地のかなりの部分が京城学校組合の所有であり,遊廓からの収益は日本人居留民社会の教育を支えていた。しかし,1920年代になり,独立運動が活性化すると,公娼制度は,女性の経済的弱点につけこんで男性の横暴な享楽を許容する悪制度として批判されるに至る。

第一部では,そのほか馬山(マサン)・鎮海(チネ)の遊廓が分析されている。馬山は伝統的な商都でありながら,日本軍が駐屯した都市であり,鎮海は日本が建設した軍事都市である。注目されることは,馬山では朝鮮人が多く居住する地域に遊廓が設置された特異なケースであって朝鮮人娼妓が多く,鎮海では日本人娼妓が多かったということであるが,その背景については,今後一層深める必要がある。

第二部では,朝鮮半島北部の4都市,羅南(ラナム),会寧(フェリョン),咸興(ハムン),慶興(キョンフン)がとりあげられている。いずれも軍隊が駐屯した軍事都市であり,遊廓は当初から軍人相手を目的とする傾向の強いものである。今日の朝鮮民主主義人民共和国に位置するため,史料も少なく,現地調査も困難な地域であるが,著者は引揚者からの証言と現地調査から得られた貴重な情報をつなぎ合わせて,これらの都市における遊廓と慰安所の状況を明らかにした。なかでも,とくに貴重と思われるのが慶興についてである。

慶興は,中ソとの国境地帯に位置し,国境守備隊と憲兵隊が駐屯していた小さな町で,住民のほとんどが軍人であった。若い頃ここに住んでおり,引き揚げてきた中村登美枝氏は,朝鮮人の女性たちがいる板塀で囲まれた建物の前に,行列を作って順番待ちをしている日本兵たちを目撃した。男といえばほぼ軍人しかいなかったことを考慮すると,この建物は慰安所と考えられるという。しかも重要なことは,著者が2017年に,朝鮮民主主義人民共和国の朝鮮日本軍性奴隷及び強制連行被害者問題対策委員会に慶興の調査を申請した結果,現地で93歳になる証言者キム・ヨンスクがみつかったことである。この情報を得て現地で著者が慰安所のあった場所として案内されたところは,まさに中村の証言した場所と一致したという。キム・ヨンスクは13歳のとき(1938年),慰安所の女性を初めてみたと証言した。しかも,現地の他2人の証言者も,親からその建物が慰安所だったことを聞いているという。国境付近の中国側の国境守備隊に慰安所があったという証言は多数あることからしても,豆満江ひとつ隔てた朝鮮内の慶興の軍基地にも慰安所があったことは十分考えられると著者はいう。

Ⅱ 本書の意義

植民地の遊廓に関する研究は,日本軍「慰安婦」問題の解明をきっかけとして本格化した。日本軍が多くの女性たちを朝鮮から徴集できた背景を探求する過程で,慰安所に先立って存在していた公娼制度の問題が浮上し,日本軍が設置した遊廓が軍隊と密接な関係にあったことに注目が集まったのである。

本書の著者の2人は,2010年に出版された『軍隊と性暴力朝鮮半島の20世紀』(宋連玉・金栄編著,現代史料出版)の著者でもあり,日本軍「慰安婦」問題,植民地朝鮮における遊廓,解放後の米軍基地村の性売買等の第一線の研究者である。本書の意義はまず,「慰安婦」問題の解明から発展した問題意識を一貫して持続している2人の著者が,朝鮮の遊廓に関する先行研究を丁寧にフォローして研究の現段階を示したことにある。さらに,新資料と新証言の分析を加えて,下記の事実を明らかにした点に重要な意義があるといえよう。

第1に,朝鮮支配の軍事的特徴と遊廓の設置が深い関係にあることをいっそう明らかにしたことである。この点は,先行研究においても指摘されてきたが,本書はさらに踏み込んで,京城における遊廓の設置が韓国駐箚軍設置に伴う性病増加問題と関係があること,1916年の「貸座敷取締規則」の制定が,朝鮮軍(第十九師団)の設置と深くかかわり,かつ憲兵警察制度が貸座敷営業に対して絶大な権限をもっていたことを問題提起した。さらに,朝鮮北部の諸都市において,軍人の買春比率の高い遊廓や,慰安所が存在した新事実を,引揚者からの聞き取りや,困難な現地調査から明らかにしたことには画期的な研究史上の意義があるといえよう。

第2に,植民地朝鮮における日本人居留民社会に関する先行研究を使用して,遊廓の設置と繁栄について,軍事的理由だけではなく,日本人居留民社会の側からの強い要請があったという背景を,京城について打ち出したことである。総領事館は遊廓の設置を拒んだものの,むしろ日本人居留民社会が遊廓設置を望んでこれを推進し,教育費などに貸座敷からの利益を使用したのであり,また,楼主が府会議員になるなど,遊廓は居留民社会の中で大きな比重を占めていた。植民地遊廓研究が今後居留民社会研究と密接にリンクしながら行われる必要があること,遊廓を切り口とすることで,特徴的な植民地社会論を展開できる可能性を示したといえよう。

第3に,主として居留民社会で発行されていた雑誌の記事から,日本人・朝鮮人娼妓の待遇,買春客の実情,もともと存在していた朝鮮人の性売買女性が日本の娼妓取締り規則に組み込まれていくことを指摘した点である。史料的限界により,娼妓の待遇を明らかにすることはなかなか困難であるが,本書は,雑誌・新聞を丹念に調査し,遊廓について実は多くの記載があることを見出した。

Ⅲ 論点と課題

ただし本書からは,今後深めるべき課題もみえてきたように思う。ここでは2点ほど論点を提示したい。

1点目は,各都市の政治経済社会と遊廓との関係についてである。本書のもっとも強い主張点が朝鮮支配の軍事的特徴と遊廓との関係であり,その点が今後もいっそう深められるべきであるのはいうまでもない。しかし本書も,遊廓が「日本人植民者や朝鮮駐屯日本軍との関係のなかで,どのように具体的に展開したのかを朝鮮人も含めて検討する」(ⅳページ)ことを課題としている以上,日本人植民者の政治経済活動と遊廓との関係をより深めることは必須ではないかと思われる。どれほど日本軍の力が強くとも,遊廓は日本軍だけでは成立しないのであり,買春客や妓楼経営者はもちろんのこと,芸娼妓の周旋をする人々,あるいは遊廓と商売することで利益を上げる人々(たとえば料理屋,呉服店,寝具販売,髪結い,娼妓が使用する小物類の販売者等)の活動があってはじめて成り立つ。そして,遊廓との取引に依存する人々が増えるに従い,遊廓は地域経済にとって不可欠の存在となり,それゆえ楼主が政治的権力をもつことがしばしばある。

本書はこうした点について,京城に関しては先行研究を用いながら,遊廓と学校・教育費との深い関係,楼主が府会議員となっていた事実など,いくつかの興味深い指摘をしている。しかし,そのほかの都市についてはこうした分析が及んでいないたとえば馬山は朝鮮人の多く居住している地域に遊廓ができた特異な事例だということだが,この遊廓の買春客は朝鮮人か日本人か,遊廓は朝鮮人の経済社会文化にどのような影響を与えたのかに注意が払われるべきではないだろうか。

遊廓と地域の政治経済社会との関係性を分析することは,一見女性やジェンダーの問題と無関係にみえるかもしれないが,評者はそうは思わない。遊廓で働いた女性たちがとらわれていた抗しがたい構造を,より広い視野から詳細に明らかにすることにつながると考える。また,地域の政治・経済における遊廓関連業者たちの役割の分析は,後の日本軍「慰安婦」徴集過程の分析にも厚みを加えることになるのではないか。

2点目は,朝鮮の在来社会における性売買と,日本式遊廓における性売買とはどのように異なっており,後者は前者をどのように巻き込んでいったのだろうか,という点についてである。本書は,日本式遊廓が設置されたことによって性売買が拡大し,朝鮮人性売買女性も日本の取締規則に組み込まれていくとする。しかし,制度や取締規則のみをみているだけでは,本当に組み込まれて日本式に変わったのか,組み込まれていく際の軋轢などはわからない。

ちなみに,近代公娼制度確立以前から,日本では「家」の困窮や没落に際して娘を身売りさせることは当たり前の慣習であった。人身売買の代金を意味する身代金は,近代では前借金と名称を変え,これを返済するために娼妓稼業を行うという建前になったが,その実,前借金返済をほとんど不可能にするからくりが仕込まれていた。娼妓の稼ぎの半分以上があらかじめ楼主の取り分となり,残りの娼妓の取り分を諸経費と借金返済に充てなければならなかったため,借金は減るどころか増額していくことがしばしばだったからである。そして,遊女屋(貸座敷)はもとより,女性を売り買いする女衒(芸娼妓周旋業)が存在していた。新聞記事の記述を引用して朝鮮での日本式遊廓の仕組みを説明する本書の内容からは,本書の著者が朝鮮の日本式遊廓における性売買の仕組みと,内地の遊廓のそれとは基本的に同様の構造と認識しているように思われる。

では,朝鮮の在来の性売買はどのような仕組みだったのだろうか。朝鮮の家族制度とどのように関係しており,やはり人身売買が行われていたのだろうか。そして女衒も存在したのだろうか。それとも,日本式遊廓の設置をきっかけとして,日本人の女衒が朝鮮社会へ入り込んでいって,はじめて女性の人身売買が始まったのだろうか。本書は,日本人の目に映った「カルボ」の様子を紹介する記事に「カルボ」の女性たちは一家内にあって性売買をしているなどと記述されていることを紹介している(77ページ)が,それらの記述からは彼女たちの背景を読み取ることは難しい。もちろん,こうした点を実証するのはきわめて困難であるが,日本による公娼制度の導入が朝鮮の性売買や性意識を大きく変えたとする本書の主張により説得力を増すためには,この点について見通しを示していくことが望まれるのではないか。

Ⅳ おわりに

以上みてきたように,本書には課題もあるものの,性暴力という一貫した視点から,朝鮮近代史を俯瞰しようとした意欲的な著作であることは間違いない。このことと関係して,本書の「あとがき」では,かつての植民地遊廓の多くが,朝鮮解放後も性売買集結地として継続し,それらの場所では現在も日本式遊廓の慣習が残っていて,日本人男性が多く買春していること,しかし,現代韓国のフェミニズム運動の目覚ましい進展により,これらの性売買集結地は閉鎖に向かっていることが指摘されている。

こうした歴史認識は,性暴力の問題に長年取り組んできた著者たちならではのものであり,本書の現代的意義を十分に感じさせるものである。本書の歴史認識を受け継ぎ,植民地遊廓はもとより,現代韓国の性売買とこれに抗するフェミニズム運動の研究も進展すること,日本の植民地支配責任に関する豊かな認識が定着することを願ってやまない。

 
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