Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Book Reviews
Book Review: Miwako Shiga, The People and Elites in Modern India: Struggles of Nationalism, Communism and Non-Brahminism (in Japanese)
Takako Inoue
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2020 Volume 61 Issue 1 Pages 80-84

Details

Ⅰ 本書の位置づけと各章の論点

本書は,南インドにおける労働運動の展開を,民族運動,非バラモン運動,共産主義運動の関係に焦点を当てて分析することを目的としている。南インドの労働運動において,指導者と労働者の関係が労働問題にいかなる影響を与え,労働運動をどのように変化させたのか。それが州レベルの政策に反映され,全インドレベルの政治にまで影響を及ぼしていく可能性について考察している。

近代インドのナショナリズムの時代を特徴づける政治運動については,さまざまな角度から研究が蓄積されてきた。しかし,南インドの労働運動を軸とし,ナショナリズムとの関係に焦点をあてながら論じた研究は,それほど多くない。本書の最も重要な特徴は,民族運動と共産主義運動の全インド的な展開を視野にいれながら,南インドの「非バラモン運動」,とくにペリヤールの「自尊運動」と共産主義とのかかわりについて論じていることである。さらに,南インドの労働運動の展開を,運動にかかわった組合指導者ばかりでなく労働者の行動について詳述しつつ,民族運動や共産主義運動などの政治状況とのかかわりから分析を試みている。

本書は,以下のとおり3部9章構成をとっている。第1部は,1910年代後半から20年代前半までの民族運動,非バラモン運動,労働争議を対象としている。第1章では,ガンディーを中心とした大衆的民族運動組織への道を歩み始めたインド国民会議派と,それに対抗するかたちで開始された南インドの非バラモン運動について概観し,その運動の特質や社会的影響について論じている。第2章では,マドラス州の近代工業の発展と主要な労働争議について「労働者の覚醒」という視点から論じている。

第2部は,共産主義勢力に焦点をあてている。第3章では,1920年代前半までの共産主義グループの動向について概観し,とくに南インドの共産主義者シンガーラヴェールの活動がとりあげられている。第4章は1920年代後半の共産主義運動を対象とし,労農党や会議派内左派グループの誕生の過程が描かれる。第5章では,1920年代末から30年代初頭における共産主義勢力の分裂と混乱が紹介される。第6章では,共産主義勢力が労働運動中心の現実路線へ回帰し,会議派左派へと集結していく過程と,これに対して南インドでは非バラモン運動の新潮流である自尊運動と共産主義者とが連携し,共産主義的自尊運動が展開していく過程が描かれる。第7章では,共産主義の浸透が労働運動に及ぼした影響について,政治勢力と労働者の間の関係の構築と労働者の自立的傾向について論じている。

第3部は,1930年代後半における左派勢力と会議派指導者との対立をとりあげている。第8章では,会議派が政権を掌握するマドラス州の政治情勢について,共産主義的自尊運動が政権に与えた衝撃と危機感が描かれる。第9章では,会議派政権下の労働運動の特徴と会議派の政策の方向性について論じている。終章では,本書のタイトルでもある「近代インドのエリートと民衆」と題して,労働者と政治運動との関係が整理され,今後の課題として「『周縁』からみるインド史の構築にむけて」と題して,分断され続け,不可視化され続けてきた「民衆」の「周縁」から「中心」へと向かおうとする生の営みを再構築することの重要性を指摘して論を閉じている。

Ⅱ 「サバルタン」と「民衆」をめぐって

本書の重要な論点として評者が着目するのは,第一に「エリート」と「民衆」という枠組みの有効性である。序章の冒頭で,著者はサバルタン研究グループを批判し,労働者を「サバルタン」とみなすことによって,彼らの間の多様な立場や権力関係を捨象してしまうことを憂慮し「サバルタン」といそれ自体に従属性を含意する用語は使用せず,それに代わって「民衆」という用語を使用したと述べている(4ページ)。初期サバルタン研究については,確かに著者の批判のとおりかもしれないが,今日では「サバルタン」という用語を安易に用いる研究者はいないだろう。むしろ,日常的な生の営みのなかで,不断に更新されながら構築され続ける「支配被支配」の権力関係に着目するならば,「サバルタン」という用語をあえて使用する意味は失われていないのではないか。

著者の「エリート」と「民衆」という設定に基づく歴史叙述は,むしろサバルタン研究以前の「下からの歴史」の視点と共通性が高いように思われる。近代インド史叙述について,サルカール[1993, 14]は「わが国の反帝国主義は,相対的にエリート的レヴェルと民衆的レヴェルとを併せ持つ(中略)民衆的側面を無視してはいけない」と述べている。彼の著書は後のサバルタン研究グループにも大きな影響を与えた。一方,スピヴァク[1998, 116]は「グローバル・ランドリー・リストに恭しく『女性』という項目を記載してみたところで,こんなものには何の値打ちもない」と述べている。ある従属的集団を分節化して現前させる作業は,しばしばエリートに基づくサバルタンの静態的な描写に陥り,その集団をゲットー化する方向にしか作用しない。彼女は,エリート主義的歴史叙述に後から付け加えられたサバルタンの営みは,相変わらず主流の歴史学の「付け足し」にすぎないことを指摘するのである。

著者の論の構成は,第1部から順に「エリートと民衆の出会い」「エリートと民衆の交流」「エリートと自立にむかう民衆」と題されている。「労働者」は,かつて「サバルタン」すなわち声なき従属的集団に匹敵する存在であったが,次第に声をもち「民衆」を代表するようになったということなのであろう。しかしながら,顔のみえる本書の主人公は,相変わらずエリートの政治指導者,M・シンガーラヴェールやペリヤールやラージャージーであり,労働者一人ひとりの顔はみえてこず,集団としての「労働者」あるいは労働者のなかのさらに特定の集団にとどまっている。そもそも「エリート」と「民衆」という設定そのものは「エリート」と「サバルタン」と同じ権力関係を内在しており「サバルタン」を「民衆」と言い換えたことで得られた新たな知見とは何か,評者にはわからなかった。

しかしながら,本書が英領期から独立後,現在に至るまでタミルナードゥ州政治を特徴づけてきたドラヴィダ運動創成期の,正義党の結成から自尊運動に至る過程における共産主義とのかかわりに焦点をあてていることは重要であり,非常に興味深い。先行研究の多くは,英領期に両者の間に交流があったが,結局,共産主義者はタミルナードゥ州の社会文化状況を共産主義の理論と実践に適応させることに失敗し,その結果として,タミルナードゥ州には共産主義が根付かなかったと指摘する。非バラモンという社会文化的アイデンティティを核とする運動と,政治経済的な問題関心と階級意識の醸成とを重視する共産主義運動とは折り合いがよくないのである[Vaitheespara and Venkatasubramanian 2015]。

また,近年,本書が「共産主義的自尊運動」と呼ぶ,政治改革の推進を目的として結成された南インド・サマダルマ党の指導者であるシンガーラヴェールやP・ジーヴァーナンダンの著作全集が出版されたこともあり,現タミルナードゥ州政治において共産主義運動が果たした役割に関する研究は増加している[Vaitheespara and Venkatasubramanian 2015, 7]。本書は,これらの全集を参照していないためか,大衆基盤を築き,左派勢力との共闘をめざすマドラス州会議派からの強い要請にもかかわらず,なぜペリヤールは「非バラモン」というカースト・アイデンティティに固執する正義党と組むことを選んだのか,また,それに対して共産主義者はどのような批判を展開したのかについては言及していない。ジーヴァーナンダンは,ペリヤールの選択を彼個人の会議派バラモンへの対抗心からくるものとみなしたが,結局,共産主義者はカースト,言語,宗教といった社会文化的問題がこの地域の政治状況を左右する最も重要な要素であるにもかかわらず,それを自らの主張の中に正当に位置づけることに失敗したのである。

本書は,独立後の政治運動について言及していないが,1960年代から今日に至るまで,非バラモン運動に端を発するドラヴィダ運動から生まれた複数の地域政党がタミルナードゥ州政権を掌握し続けていること,今日もカースト・ベースの政党が次々と結成されていること,とくに後進カーストとダリト(被抑圧者,本書では「不可触民」)の間の暴力事件が多発していることに鑑みれば,ペリヤールが共産主義的主張に共感しながらも,カーストと宗教を主張の核とし「ポピュリズム」と評される今日のタミルナードゥ州政治につながる道を選択したのは自然な流れであり[Harriss 2001],「共産主義者の失敗」と研究者が語るのも当然だといえるかもしれない[Rajadurai, Geetha and Rawat 2016]。

Ⅲ カーストと階級をめぐる問題

「民衆」としての「労働者」の問題に迫ろうとする場合,この地域の政治的論争の中心にあった社会文化的特徴である「カースト」と政治経済的な課題である「階級」の関係について考察することは重要であろう。ましてや,非バラモン運動と共産主義運動の関係について論じる際には,この問題を避けては通れないはずである。しかし,本書では,カーストと階級の関係についてほとんど議論されていない。評者を含めてインド近代史にかかわる研究者の多くはこの問題に関心をもつはずである。というのも,近年,タミルナードゥ州では,独立前のナショナリズム運動と共に盛り上がりをみせたダリト解放運動の指導者の再評価が進んでいるからである。なかでも,アンベードカルによる仏教への集団改宗より前に,いち早く仏教に改宗し,こうした運動の先駆けとなったアヨーティ・ダーサル(Iyothee Thassar, 1845~1914年),彼の義弟で南アフリカ時代からガンディーの片腕として活躍したレッターマライ・シュリーニヴァーサン(Rettamalai Srinivasan, 1859~1945年),正義党の創設メンバーとしてマドラス立法参事会議員となり,後にアンベードカルと連携するM・C・ラージャー(M. C. Rajah, 1883~1945年)は,いずれも現タミルナードゥ州の指定カーストで,最も人口が多く政治的な発言力も強い「パライヤル」の政治指導者として,19世紀末頃から頭角を現した重要な人物たちである。

本書は,正義党の活動がエリート中心であったと論じる従来の研究を批判し「正義党は『不可触民』の地位向上に貢献している」と指摘しているが(38ページ),それはラージャーの功績によるところが大きい。しかし,ラージャーに関する本書の言及は1カ所にとどまり(66ページ),ダリトの政治運動についてほとんど論じられていない。1922年に「アーディ・ドラヴィダ」(「原ドラヴィダ人」の意)という名称が「パンチャマ」(「第5のヴァルナに属する者」の意)という名称に代わって採用されたのも,彼の提案によるものである。また1923年,正義党州政府が後進階級への留保枠を導入した際に,不可触民枠の要求が受け入れられなかったことを理由に,ラージャーは正義党を脱退した。

そもそも「アーディ・ドラヴィダ」というダリトの呼称は,アヨーティ・ダーサルらが19世紀末から広めた用語である。彼らは,後に「アーディドラヴィダ・マハージャナ・サバー」と呼ばれる協会を結成して,ダリトの地位向上に尽力した[Bergunder 2004, 69-70]。また,1914年にはマドラス立法参事会で,すでに「アーディ・ドラヴィダ」という用語を採用すべきとした決議が採択されている[Aloysius 2010, 260]。すなわち,不可触民の地位向上は正義党の功績とはいえず,不可触民自身から誕生した政治的リーダーによって着実に進められてきたと理解すべきであろう。その意味で,近年,南インドのダリト文化と宗教を研究テーマとしている評者の立場からすれば,本書は正義党を過大評価しているように感じられた。著者の用語を利用すれば,かつては声なき「民衆」としてサバルタンの立場にあったパライヤルの中から,政治的影響力をもって発言する新たな「エリート」が誕生したとみなすことができる。もはや「サバルタン」ではなくなったパライヤルのエリートは,同胞として社会文化を共有していたはずの「アーディ・ドラヴィダ」を代弁するようになった。

共産主義運動と労働運動との関係を考えるうえでも,不可触民を詳細にとりあげてこそ,本書の目的をより深く追及することができたのではないか。パライヤルの社会文化研究者ルーパ・ヴィシュワナートは,1910年代に「アーディ・ドラヴィダ」が理想の労働者像を体現するとされながら,さらに広い範疇としての労働者の枠組みに包摂されることによって新たな矛盾が生じたこと,エリート中心の非バラモン運動の一部に組み込まれた結果,非バラモンエリートと「アーディ・ドラヴィダ」との政治経済的な対立という現実が否定される結果になったことを指摘している。労働問題を扱う際に最も注意すべき点はここにあるといってよい。カーストは労働問題の中心に存在し,「階級闘争」に完全には包摂されることがなく,むしろ,カーストに基づいて動員された人々が労働運動に変化をもたらしてきた。その意味でも「カーストは単なる文化の問題として解釈すべきではなく,政治活動に関与する社会組織としての側面から分析しなければならない」[Viswanath 2014]とする,ヴィシュワナートの指摘は的を射ている。

本書の結論部分には「労働者の中の差異,とりわけカーストやジェンダーの問題を充分に取り扱うことができなかった」(316ページ)とあるが,労働運動におけるカーストと階級をめぐる問題は,本書が解明すべき重要な課題だったのではないか。「長い20世紀」ともいえる時代,すなわち19世紀末以降から今日まで,非バラモン運動を端緒とするドラヴィダ運動から誕生した地域政党がタミルナードゥ州政治を左右するという流れの核心にあったのは,民族,カースト,言語,宗教といった文化的アイデンティティの主張と,これらの差異を包摂して対応しようとした全インド的民族運動や共産主義運動とが複雑に絡みあっていたという点である。本書を読む前に評者が期待したのはこのような視点であった。

最後に,評者は,ダリトの芸能文化についてフィールドワークを行うなかで,ダリト解放運動の問題点と可能性について考えさせられる状況に遭遇している。1972年に結成されたパライヤルの政党「解放のトラ党」(Viduthalai Chiruthaigal Katchi)[Gorringe 2011]は,新仏教徒運動を主導したアンベードカルをダリト解放のシンボルとして掲げるが,パライヤルの中には19世紀に宣教師の活動のもとで改宗した相当数のキリスト教徒がおり,キリスト教社会主義ともされる「解放の神学」を掲げた活動を行っている。さらに,毛沢東主義に基づく武装革命路線をとるナクサライトの運動に共感する者もいる。パライヤルは,カーストと宗教と階級に基づく差異を,自らの内部に不断に再生産し続けていることを付記しておきたい。

文献リスト
  • サルカール,スミット 1993. 『新しいインド近代史 ——下からの歴史の試み——Ⅰ・Ⅱ』 長崎暢子他訳 研文出版 (Sumit, Sarkar 1982. Modern India 1885-1947. Basingstoke: Macmillan Press).
  • スピヴァク,ガヤトリ C. 1998. 『サバルタンは語ることができるか』 上村忠男訳 みすず書房 (Spivak, G. C. 1988. “Can the Subaltern Speaks?” In Marxism and the Interpretation of Culture. eds. S. Nelson and L. Grossberg. Urbana: University of Illinois Press).
  • Aloysius, Gnanasigamony 2010. “Vicissitudes of Subaltern Self-Identification: A Reading of Tamilan.” In Ritual, Caste, and Religion in Colonial South India. eds. Michael Bergunder, Heiko Frese and Ulrike Schröder. Delhi: Primus Books.
  • Bergunder, Michael 2004. “Contested Past: Anti-Brahmanical and Hindu Nationalist Reconstructions of Indian Prehistory.” Historiographia Linguistica 31(1):59-104.
  • Gorringe, Hugo 2011. “Party Political Panthers: Hegemonic Tamil Politics and the Dalit Challenge.” South Asia Multidisciplinary Academic Journal: 1-19.
  • Harriss, John 2001. “Populism, Tamil Style. Is It Really a Success?” Development Studies Institute (DESTIN) Working Paper Series No.01-15.
  • Vaitheespara, Ravi and Rajesh Venkatasubramanian 2015. “Beyond the Politics of Identity: The Left and the Politics of Caste and Identity in Tamil Nadu, 1920-63.” South Asia: Journal of South Asian Studies 38(4):543-557.
  • Viswanath, Rupa 2014. “Rethinking Caste and Class: “Labour”, the “Depressed Classes”, and the Politics of Distinctions, Madras 1918-1924.” IRSH International Review of Social History 59(1):1-37.
  • Rajadurai, S. V., V. Geetha and Vidya Bhushan Rawat 2016. “Periyar and His Ideas.” Counter Currents.org. 28 Sept. 2016 (https://countercurrents.org/2016/09/periyar-and-his-ideas).
  • Sankar, Vijaya 2017. “Periyar and Socialism: Self-respect and Socialism.” Frontline: India’s National Magazine. 22 Dec.2017 (https://frontline.thehindu.com/cover-story/selfrespect-and-socialism/article9982754.ece).
 
© 2020 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
feedback
Top