アジア経済
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書評
書評:小川道大著『帝国後のインド――近世的発展のなかの植民地化――』
名古屋大学出版会 2019年 viii + 438ページ
川村 朋貴
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2020 年 61 巻 1 号 p. 85-88

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Ⅰ 

イギリスによるインドの植民地支配の開始と展開を,どのような論理で架橋するのか。この課題は,これまでのインド史研究の主要なテーマのひとつであり,イギリス帝国内部でのインドの役割を評価するうえで決して無視できない課題でもあった。本書は,ボンベイ管区における「ライヤットワーリー制度」(個別農民課税制度)導入の背景と諸結果を考察し,インド西部の植民地化を18世紀初頭からのインドの混乱と変化のなかで再検討した秀作である。

また,本書は近年のインド史研究で注目される「18世紀問題」と関連させながら,それに対する新たな視座を提出するものである。分析地域は,ボンベイ管区で最初に「ライヤットワーリー制度」が導入されたプネー州インダプール郡である。

本書は,著者が長期留学中にインド各地の文書館で収集した史資料を基礎にして執筆されているが,とりわけ評価に値するのは,英語史料と同時に現代の字体とは異なるモディ体で書かれたマラーティー語の手書き文書史料を用いている点である。この手法により,われわれは真の意味で非イギリス的視角から植民地化過程の展開を理解することが可能となった。著者の長年にわたる努力と探求心には,素直に敬意を表したい。

Ⅱ 

本書全体は,序章と終章のほかに,3部9章で構成されている。

序章では,本書の研究史として,いわゆる「18世紀問題」の諸研究が紹介される。すなわちインド史における「18世紀」という時代は,これまではムガル帝国が混乱・停滞する「暗黒時代」として語られてきたのだが,近年では正反対の意味に再解釈され,帝国内における地方国家群が台頭し,インドの社会経済も安定的に繁栄した時代であり,しかもそれが19世紀前半まで継続していたと解されているという。本書は,この「長い18世紀」を「近世」という時代として区分し,インドの植民地化を「近世的発展」という長期的文脈のなかで描こうとしているといえよう。

第1章では,18世紀前半からのマラーター王国・同盟の興隆を概観し,それがムガル帝国の制度を継承する「後継国家」として成立したことを検討する。著者は,ムガル帝国の名目上の至上権が,経済発展で支えられた継承国家やイギリス東インド会社(EIC)の台頭にもかかわらず,脈々と継続していたことを強調する。

第2章では,18世紀後半におけるマラーター同盟の地方行政がインド西部のインダプール郡の事例をとおして検討され,宰相政府その郡行政の主要業務(徴税・司法・軍事)が中央政府から派遣された文官(カマヴィスダール)と在地の郷主・郷主代官によって支配されるようになった事実を明らかにする。

第3章では,宰相政府からインダプール郡の村落へ派遣された武官たちとその役割に注目し,彼らがカマヴィスダールや郷主・郷主代官とともに,マラーター同盟の地方支配を支えた中間層であったことを指摘する。パーニーパットの戦い(1761年)で敗北したマラーター同盟は,内政改革へ政策を転換し,その政策路線がジャーギール村(武官が地税徴収した村)を急増させ,武官主導の軍馬育成・再生産体制の確立という諸結果をもたらしたのである。

第4章では,税制という観点から,職能・職商集団の諸活動を明らかにし,インダプール郡の農村共同体内の分業体制がとりあげられる。職商集団のなかには,農村経済を支え,地方行政への財政支援を行なう外来商人も含まれた。

第5章では,17世紀からインド進出を始めたEICが,インド西部においてマラーター同盟の諸侯との対立を深め,第1次・第2次アングロ・マラーター戦争に至る過程が概観される。

第6章では,インダプール郡の徴税帳簿を精査しながら,1802~1803年(第2次アングロ・マラーター戦争と干ばつ・飢饉)以降,政府村の急増とその半面でのジャーギール村の急減が論じられている。これは,宰相政府役人にインダプール郡の行政権力を集中させたことが大きな要因で,その結果,それまで既得権益を握ってきた中間層権力(カマヴィスダール,郷主・郷主代官,武官の鼎立関係)を衰退させることになった。そして,第3次アングロ・マラーター戦争(1817~1818年)での宰相政府の敗北は,最終的にインダプール郡におけるジャーギール制の崩壊を招いたのである。これらの諸変化が,同地への「ライヤットワーリー制度」導入の前提条件となっていた。

第7章では,通関税帳簿(1811~1812年)の分析から,混乱期のインダプール郡における通関税徴収業務とその政策的意図が明らかにされるのみならず,地方経済の形成と構造も論じられる。さらに著者は,中国定期市のつながりを明示したスキナー・モデルを参考にしながら,同郡における市場町とその周辺村との郡域内流通ネットワークとその階層構造を考察する。そのネットワークはプネー,さらにボンベイへとつながっていたことも示唆される。ただし,本書で使用される「標準市場町」(standard market town)は誤訳で,正確には,最低次階層に属する「基本(または基礎)市場町」となる。

第8章では「ライヤットワーリー制度」の導入と広域的な展開を議論する前提として,第3次アングロ・マラーター戦争以降,旧マラーター同盟領にあったインド西部が,イギリス植民地支配体制に包摂された諸結果を概観している。ここでは,EICがインド西部の社会・政治秩序の維持・安定とボンベイ財政の維持を最優先に掲げ,それ以前からのジャーギール制や藩王国政策を継承していった特徴が強調されている。

第9章では,ボンベイ管区における「ライヤットワーリー制度」の経済思想と,インダプール郡へのその導入過程が論じられる。そのうえで著者は,同制度のインド西部における拡大過程が,少なくとも19世紀半ばまでは,宰相政府領の内でも中央政府の影響力が強い地域に留まり,宰相政府の支配権の外にあった半独立性勢力が植民地権力に取り込まれたのは19世紀末のことであった事実を明示する。

終章では,各章の内容をまとめ,インド西部における植民地化の問題は,第二次アングロ・マラーター戦争(1818~1819年)の以前と以後を断絶させて議論することはできず,外因性と内因性,あるいは伝統と近代といった二項対立的な図式を避け,18世紀初頭から19世紀中までの「近世期」のなかで総合的に理解される必要があることを強調する。

Ⅲ 

ここでは,大きな3つの論点に関して,評者の率直な感想を述べておきたい。第1の論点は,地方行政を支配する中間層である。「18世紀問題」で議論の中心となったのは,ザミンダール(地主・徴税請負人)やポートフォリオ資本家(収入源を分散させる資本家)のような中間層の存在であり,彼らの在地での徴税活動であった。インダプール郡では「長い18世紀」を通じて地方行政・経済を支え続けたカマヴィスダールと武官と郷主・郷主代官であった。カマヴィスダールと武官は,プネーのマラーター宰相政府から派遣された役人であり,インダプール郡農村社会からみれば,ポートフォリオ資本家に類する「外部者」であったとみなすことができる。とくにカマヴィスダールは,まさしく国家と農村・農民を結び付ける地方行政の中心的役割を担っていたのである。

しかしながら,本書でいう中間層の実態はあくまでもインダプール郡地方史のなかから抽出された事例であり,ボンベイ管区全般に当てはまるものかどうかは不明である。本書の主張を確認するには,やはり複数の事例を比較する必要があるように思う。たとえば,水島[2008]は,南インドにおける中間層とは,農村部(在地社会)を同心円状に拡がる諸関係の中心に位置し,在地社会とそれを取り巻く外部世界とをつないださまざまなネットワークの線上で活動した農村領主層出身の村落リーダーたち,まさに農村社会の「内部者」だったと強調する。これは,本書で提示された中間層のイメージとは大きく異なり,地域の違いはあれども,近世インド史における中間層の見方が正反対である。

前述したように,本書の分析対象はインド西部における地税徴収の制度的変化であり,武官相手の「ジャーギール制」やカマヴィスダール・郷主相手の「徴税請負制度」から,イギリス支配下での「ライヤットワーリー制度」への移行にあった。ライヤットワーリー制度は,自営農民と政府との直接的な地税の取り決めを理想的原則とした制度であった以上,つまるところ,中間層権力が同制度の導入時に消滅した(または排除された)のか否かという問題が論点となる。現地語史料を用いた本書の分析方法を勘案すれば,相当に時間を要する課題であろうが,少なくともインド西部での地方間比較を行なう必要があろう。これは,「ライヤットワーリー制度」拡大やその速度を解明する重要な作業にもなる。

第2の論点は,地方経済の形成と構造に関係する。インダプール郡では,市場町と市場町が複数の関所によってつながれ,複数の流通ネットワークを形成していた。複数の市場町(交易拠点)によって形成されたネットワークの重層構造が存在し,さまざまなカーストの商人たちがそれぞれの役割を担って活動していたという本書の分析は極めて興味深い。しかし,その存在をどのような構図において解釈するのかが問題となる。

本書では中国農村市場を対象に定期市・流通ネットワークを分析したスキナー・モデルを援用するが,インド農村市場の定期市・流通ネットワークを表したモデルがないわけではない。たとえば,インド政庁による農業市場調査のひとつ(1943年発行)によると,インドの市には,定期市(fairs)の他に,大まかに3つの規模の商品市場(hats, mandis, retail markets)が都市とその近郊に開設され,インド全土に分布していた。ラジャット・カンタ・レイはこの史料等を基にして,インド商人・金融業者たちによって支配された市場経済空間(バザール)と,そこに内蔵された重層的な定期市・流通ネットワークを見事に描き,さらにヨーロッパ資本主義の上層,無数の農民や行商人が主体となった自給自足経済の下層,そして両者の間をつなぐ中間層としての「バザール」という三重経済構造を提示した[Ray 1988]。本書のインダプール・モデルも,インド西部における「バザール」と「自給自足経済」との相互交流史の一局面として解することができるのではなかろうか。

さらにいえば,そうした地方経済のあり方が「ライヤットワーリー制度」導入やその後の拡大パターンの問題とどのようにかかわっているのか,あるいはその新地税制度が地方流通ネットワークにどのような影響を与えたのか,評者には理解できなかった。1850年代以降,ボンベイから内陸部へ放射状に伸びる鉄道網が,インド有数の棉花地帯であるベラールやアフマダーバードのみならず,プネーとその周辺地域にも敷設された。先述した定期市や各種市場も,近代的な交通・通信インフラ(鉄道,運河,河川船着場,電信,電話等)が配備された都市とその後背地に存在していた。鉄道が在地の「社会的文法」を破壊し,地方経済の輪郭を変容させた可能性もあるだろう。本書では「ライヤットワーリー制度」の導入が棉花地帯の開発と密接に結びついたことを示唆するが,地方流通ネットワークを構築した鉄道や他のインフラとの関係への言及はない。本書で時系列で示される史料情報では,鉄道路線に沿って新地税制度が導入され,その周辺地域に拡がっていったようにもみえる。地理情報システム(GIS)という分析ツールを利用している点は大いに評価に値するが,旧宰相政府領か否かという基準のみで「ライヤットワーリー制度」の導入とその地理的分布(要するにインド西部の植民地化)を特徴づけるのは,相当に無理があるように思われる。

第3の論点は「長い18世紀」という時代区分をめぐる議論である。著者は,ムガル帝国によって推進され,部分的にEICにも継承された「近世的」統治体制が,1830年代以降に「近代的」支配体制へ徐々に移行し始め,ムガル帝国の終焉とEICの解散(1858年)をもって消滅したと考えている。1830年頃を「長い18世紀」の終焉期と主張する別の見方とは微妙にズレが生じているが,インド史の近世期を19世紀初頭まで含めて解釈する点では共通している。本書のように,極めて限定的な視点からひとつの時代区分の特徴を論じるのは難しいように感じるが,評者も次の2つの視座から本書の見方に同意している。

19世紀前半のイギリス本国では,穀物法や航海法のような保護貿易主義的立法が1840年代末まで存続していたことを反映し,その植民地各地では,インドのアヘンや塩でみられるような貿易・労働・生産の独占を帝国建設の基本原理とし続けていた。この文脈においては,イギリス議会は一部の産業資本家の利益を尊重しようとしたとはいえ,当該期にインド経済を「自由貿易」なるものに開放したと単純にみなすことは間違いである。評者はこの原理を「軍事財政帝国主義」と呼び,1760年頃から1830年までの時期を「自由貿易帝国主義」の創世期に設定する研究史上の「常識」を批判しながら,イギリス帝国史における「長期の18世紀」を論じてきた。評者は,その終焉が1850~1860年代であったと考えている。

もちろん,インド史における「長期の18世紀」という時代区分は,イギリス史の文脈のみで安易に正当化できるものではない。東南アジア史では,1740年から1840年までの約100年間は「中国人の世紀」と呼ばれ,同地域におけるジャンク貿易の成長,中国人移民の流入と定住者の増大,そして彼らの農業・産業・国家財政への関与等によって特徴づけられる「長期の18世紀」であったと考えられている。評者は,東南アジアの西部地域(とくにビルマ,マレー半島西海岸,スマトラ島)が,ベンガル湾海域の一部としてインド亜大陸との商業的・政治的関係を密にして発展する場となり「中国人の世紀」と同時に,「インド人の世紀」も経験していた側面を論じたことがある。評者の見解では,その終焉も1850~1860年代であった。

総じて,インド史の時代区分を論じる場合でも,可能な限り多方面に関心や注意を拡げ,比較史的かつ関係史的な分析方法を慎重に援用する必要があろうが,本書はいまだその段階に達していない。時代区分論とは,一地方史,一地域史,あるいは一国史の枠組みで議論できるほど簡単なものではないのである。

Ⅳ 

以上,本書各章の概要を紹介し,評者の関心から主要な論点を整理してきた。なお,本書では概説にかなりの紙幅を割いているにもかかわらず,財政にかかわる定量的なデータが提示されず,インダプール郡での徴税活動がインド西部の統治行政にどれほどの貢献をしているのかを,マクロな視点から推し量ることはできない。現地語史料群からデータを収集することが困難であれば,容易に入手可能な英語史料によって補完することもできたであろう。序章の冒頭で述べられるように,本書の目的は,前植民地期から植民地期へのインド社会の社会経済変化を連続的に考察しながら,イギリスによるインド植民地化を再考することであった。「社会経済変化」や「植民地化」という大きな問題を取り扱う以上,上記の作業は必須である。ちなみにイギリス議会文書によると,ボンベイ管区の地税収入額は,1825年で162万7237ポンド,1830年で165万61ポンド,1846年で211万9430ポンド,1856年では230万9362ポンドであった。このなかでインダプール郡での地税はどのくらいの割合を占めるのだろうか。著者の今後の課題として大いに期待したい。

文献リスト
  • 川村朋貴 2002. 「19世紀前半における東インド会社の軍事財政帝国主義」『立命館史学』 (22):1-31.
  • 水島司 2008. 『前近代南インドの社会構造と社会空間』 東京大学出版会.
  • Kawamura, Tomotaka 2015.“Maritime Trade and Colonization in Early Penang, 1786-1830,” In Maritime Trade and the Hinterland in Asia: Place, Space, Time and the Political Economic Development of Asia over the Long Eighteenth Century. eds. Tsukasa Mizushima, George Souza and Denis Flynn. Leiden: Brill Academic Press.
  • Ray, Rajat Kanta 1988. “The Bazaar: Changing Structural Characteristics of the Indigenous Section of the Indian Economy before and after the Great Depression.” The Indian Economic and Social History Review (25) 3:263-318.
 
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