アジア経済
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書評
書評:中村平著『植民暴力の記憶と日本人――台湾高地先住民と脱植民の運動――』
大阪大学出版会 2018年 iii + 246ページ
北村 嘉恵
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2020 年 61 巻 2 号 p. 86-89

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Ⅰ 

2019年夏,台湾の各地で「台湾原住民族(タイワンユエンヂュゥミンヅゥ)正名25週年」を記念するシンポジウムや巡回展示会が開催された。「正名(ヂェンミン)」(名を正す,正式名称)とは,1980年代以降に台湾社会の政治的民主化と連動して顕在化しはじめた台湾先住民族の権利回復運動の中核をなす理念である。「生番」,「蕃人」,「高砂族」,「山地同胞」(山胞)といった外来者たちによる他称,蔑称ではなく,自分(たち)が何者であるかを自ら決定し名乗ること。それが,尊厳を回復し権利を獲得していくうえで切実な意味をもつ。この運動を牽引した人びとは,個人として・集団として主体たることを自ら確かめ,マジョリティ社会にも認めさせることを運動の基柱に据え,「台湾原住民(タイワンユエンヂュゥミン)」という語を自称として選び取った(注1)

名付け・名乗りのヘゲモニーをめぐる闘争は,集団的代表や民族自治の権利,土地所有・利用をめぐる権益などと連動している。台湾史上ひとつの画期をなす1991年の中華民国憲法第一次追加修正条文では,国民大会代表・立法院立法委員の定員について「平地山胞」,「山地山胞」各3名の枠が設けられ,先住民としての政治参加の権利が初めて憲法で明文規定された。この「山胞(サンパォ)」という用語を「原住民(ユエンヂュゥミン)」へと修正する闘いがようやく実るのは,1994年8月1日である。以来4半世紀を経て,「原住民(族)(ユエンヂュゥミン ヅゥ)」という呼称は台湾社会に定着し,2005年には中華民国政府が「原住民族日」として8月1日を国家記念日に定めた。さらに2016年8月1日には,総統蔡英文が政府代表として台湾先住民族に対する「お詫び」(道歉(ダォチエン))を公式に表明し,新たな関係性の構築に向けて,過去400年にわたる外来統治者の先住民族に対する処遇への補償とともに,現在もなお継続する社会的不義の是正に取り組むことを改めて公約した。そのなかで,マジョリティを中心とした歴史認識の再考は重要な位置を占めている。

上述の記念行事は1980~1990年代の運動の担い手たちによる追憶の色調が濃厚であったけれども,「自己決定」をめぐる格闘は現在も複雑に進行中である。「台湾原住民(族)」として生まれる子どもの数が増加するなか,「正名」運動の軌跡は内外の者たちに新たな問いを投げかけている。本書は,21世紀への移行期に台湾先住民のあいだで展開した「自分(たち)は何者なのか」を追求する新たなうねりに触発されながら,台湾で「日本人」と名指されることを自らがいかに引き受けていくのか,植民者―被植民者という歴史的関係性を身に負いつつ,新たな関係性をいかに創り出していけるのかについて,東京,台北,台湾北部タイヤルの集落,大阪,広島などを往還しながら思考したプロセスの記録である。

Ⅱ 

本書は,著者の学位請求論文「到来する暴力の記憶の分有――台湾先住民族タイヤルと日本における脱植民化の民族誌記述――」(大阪大学,2006年)を基礎として,その後に公刊された複数の論文とともに加筆修正を施して再構成されている。本書執筆の中核となる聞き取りやフィールドワークは,1990年代末から2000年代にかけて台湾北部山地のタイヤル集落で断続的に行われたものである。

本書全体の構成は,下記のとおりである。序と第1章で先行研究の達成を確かめつつ本書の課題と視座が提示されたうえで,第2~4章で台湾北部タイヤルの植民地経験の記憶をめぐる再解釈の試みが記述される。第5章では植民地近代の暴力性に関わる理論的な議論が展開され,終章で全体の概要が再提示される。巻末には,「台湾原住民族」および「泰雅爾(タイヤール)民族」の集団的な歴史像と未来像とがいかに語り出されているかを窺いうる資料が,著者の翻訳により付されている。

  • 序    
  • 第1章   脱植民化の課題と植民暴力の記憶,植民地責任
  • 第2章   植民暴力の常態化としての「和解」――「帰順」をめぐる日本とタイヤルの解釈――
  • 第3章   ムルフーから頭目へ――呼びかけられる天皇と日本――
  • 第4章   植民暴力の記憶と日本人の責任
  • 第5章   「理蕃」の認識論――植民化・資本主義的近代化と植民暴力――
  • 終 章   脱植民の運動
  • 参考資料   1.「台湾先住民族権利宣言」(1988年)
  •        2.「タイヤル古国復活論」「独立主権の国“タイヤル国”」「タイヤル民族議会紹介」「タイヤル民族議会憲法草案」「タイヤル民族土地宣言」(2005年)

「脱植民化」という見慣れない言葉は,「去殖民(チューヂーミン)」を志向する台湾先住民知識人(ワリス・ノカン,イバン・ノカン,浦忠成など)の議論や日本学界における「脱植民地化=脱帝国化」(丸川哲史など)をめぐる議論に目配りをしながら,著者の課題意識を鮮明にすべく採用された用語である。この「脱植民化」をいかに記述において実践するかが本書全体の眼目となるが,さしあたりこの言葉によって明示しようとしているのは,1945年8月をもってdecolonizationの実現だとみなすような思考やdecolonizationを植民地(とされた側)の問題としてのみとらえ植民(した側)の問題を脇に追いやるような心性への抗いの姿勢である。

著者において「脱植民化」(decolonization)という言葉は,まず何よりも台湾先住民が「国民国家に包摂された苦境」のただ中で「未来への夢を託す言葉」(7ページ)として受け止められ用いられている。それと同時に,台湾北部山地の集落に身を置いてタイヤルの人びとの「記憶」を聞き書くという作業を通じて「植民側の歴史認識を問う」(5ページ)ことが,著者自身にとって「脱植民化」の実践となる。そうした実践を言語化し文字化することにより,個人の試みにとどまらない「わたしたち」の関係性の変化として「脱植民化」が具現化されゆく。このように,「脱植民化」なるものが,すでに完了した事態としてではなく,その実現形態そのものを模索する過程として措定されている点が本書の要であろう。それゆえ,「日本人と台湾高地先住民のコロニアルな出会いの歴史経験を民族誌として詳細に記述」(5ページ)するという本書の作業課題は,過去の歴史経験をたどり再構成するというよりは,現存する植民地主義の磁場を可視化する試みであり,いま・ここで遭遇するタイヤルの年輩者たちの「記憶」の「分有」の可能性を追求することでもある。

本書が「原住民(族)」ではなく「先住民(族)」という呼称を用いる理由の一端も,ここにあるだろう。日本語使用者にとって「原住民(族)」という漢字を「ゲンジュウミン(ゾク)」と読み発音することは容易い。その読み替えと通用のスムーズさは,「植民暴力の記憶」を「分有」するという課題の困難さと顕著な対照をなしている。その容易さは,「原住民(族)(ユエンヂュゥミン ヅゥ)」という名乗りに刻み込まれた痛苦と希望とを一足飛びに共有可能であるかのように取り違えてしまう危うさと隣り合わせともいえる。もとより、「先住民(族)」という語に置き換えればそのような危うさを免れうるというわけではない。それでも,「原住民・ゲンジュウミン」という語に「未開イメージが付着」(8ページ)しているという現実――その重みは,ゲンジュウミンと名指され(う)る者において,より切実である――にフタをしたままで日本社会における「脱植民化」を進めることは難しいのではないか。本書の課題に照らせば,そのような問題提起として受け止めることができるだろう。

Ⅲ 

本書には,著者がタイヤルのヤキ(おばあさん),ユタス(おじいさん),ママ(おじさん)たちと接するなかで思いがけず遭遇した言葉たちの意味世界を探り,かれらの歴史経験を理解しようとして自らの歴史認識や語彙体系が揺さぶられ,なんとか新しい叙述を実践しようと苦闘してきた痕跡が織り込まれている。著者自身の思考の道程をも記述の対象に据えた本書には,必ずしも読みやすいとはいえない面もあるが,長期にわたるフィールドワークによって埋もれていた語りを掘り起こし再構成した貴重な記録というよりは,既往の歴史叙述の枠組みやアカデミックとされる過去認識の方法に対する問題提起としての意味があるように思う。

たとえば,タイヤル語の語彙には,日本語の「征服」,「降伏」に該当するものがないという。「征服された」,「降伏した」という歴史的現実を生きてきたのではないという地点に身を置くならば,日本軍警の侵攻(高圧鉄条網による囲い込み,家屋や穀倉の焼き払い,猟場や漁場の破壊など)や武装解除(銃器没収,強制移住など)の進行は,いかなる歴史経験として記述しうるのか。あるいは,川向こうの山頂から家屋や耕作地に撃ち込まれてくる砲弾について,「僕らは破片を使って,それをたたいて伸ばして,くわを作る。『ああ,日本人はありがたいな』って」(73ページ)と語るユタスの言葉が記されている。父親から聞いた話だという。自分が生まれる前の話を「僕ら」の経験として日本からやって来た若者に向かって語るとき,「僕ら」がいかなる時空間を生きてきた・生きていると叙述するのか。そして,こうした個的な記憶の語り出しを,集団的な記憶の再構成とどのように重ねて描出しうるのか。

本書に記された断片的ともいえる言葉たちは,「平定」,「帰順」として日本側が記し伝えてきたものがタイヤルの人びとにとっていかなる事態であったのかを問い返し,さらに,東京なり台北なりを観測地点として年表に整理可能なかたちでとらえられてきた歴史叙述の根本的な見直しを迫る。その作業において,「台湾原住民は日本人に対して感謝している」といったフレーズを繰り返すことはもとより,「討伐」を「征服」,「降伏」と単に言い換えるだけでは,これらの言葉のリアリティに接近する回路を閉ざしてしまうことになるのではないか。また,生きられた現実の多様性を個別に開示するだけでは,自らも巻き込まれている〈暴力〉の構造を曖昧化し,その作動を追認・温存することになるのではないか。台湾先住民の個人的・集団的な歴史経験をいかに叙述しうるのか模索を重ねている評者にとって,本書は容易ならざる問いを投げかけてくる。近年,帝国/植民地の経験や記憶を主題とした論著は少なくないが,既存の日本語の語彙体系をもって台湾先住民の経験や記憶を聞き・書くことの困難さが具体的な記述を通じて如実に浮かびあがってくるという点も,本書の貴重なところだと思う。

同時に,本書を読み進めるなかで,疑問に感じる点や論述に飛躍があると感じる箇所,十分に説得的と思われない推定・断定に行き当たることも少なくなかった。それぞれが立ち止まるべき問いでもあると受け止めつつ,ここでは若干の論点を提示しておきたい。

本書を通じて度々考えさせられた問いのひとつは,「植民暴力の記憶」とはなにか,「植民暴力の記憶」を記述するとはどういうことか,というものである。本書は,著者自身が聞き取りのなかで遭遇した言葉に対する違和感や疑問を起点として,著者なりにそれらを理解していく道程を記述するというスタイルを取っている。このような論述のもつ意味合いについては上述したとおりだが,違和感を拭えなかったのは,タイヤルの年輩者たちの語る言葉を「植民暴力の記憶」として著者が受け止め再構成することと,台湾先住民が自分たちの歴史としてあることがらを想起し語り出すという営為,そのなかで外来者(オランダ,清朝,日本,国民党など)や他の先住民諸集団との交渉をめぐる歴史記憶が形象化されるということとのあいだの重なりとズレとが自覚的に議論されていないことである。これは本書を貫く問題だと思われるが,具体的な記述における裂け目としてしばしば顕在化しているように評者には感じられた。

たとえば,1900年代初頭の「ボンボン山の戦い」の「記憶」が聞き記されるなかで「終戦当時9歳」(シラン・マライ),「終戦当時5歳」(ウマオ・ケス)といった語り手に関する説明が著者により挿入されている。著者のいう「終戦」とは「ボンボン山の戦い」とは別の戦争だと気づくのに長い時間はかからない。それだけに,1945年のみを「終戦」として捉えるような集団的記憶を生きてきた歴史主体(評者も含まれる)が,日本人を敵として戦い,かつ,日本人として戦った人びとの集団的記憶の語り出しに遭遇したとき,そのような歴史経験を記述する言葉をどのように獲得していけるのかと改めて問わざるをえない。

また,著者自身の解釈の揺れや変化について意識的な叙述がみられる一方で,長期にわたる聞き取りを通じて北部タイヤルの人びとが想起し語り出す記憶がどのように揺れ動きつつあるのか,新たな記憶の再構成においてどのような事実や経験が意識的・無意識的に封印されていくのか,といった問題を考える手がかりは乏しく感じられた。一定の実証性に固執し依りかかる歴史叙述とは異なり,個人的・集団的な経験が絡まりつつ,いま・ここの相互関係のなかで生起する記憶を叙述するには安定した場所がない。そのことを本書はよく示している。そうであればこそ,記憶が語り出される時空間,語り出す主体の身体性とともに記憶なるものを記述する方法について,より慎重な吟味が求められるのではないだろうか。それは,著者が感知し記述した「植民暴力の記憶」がどのように他者と「分有」されうるのかという問題ともつながっているように思う。

(注1)  1984年,台北に居住する先住諸民族の青年を中心として,「台湾原住民権利促進会」が発足した。1987年には,民族集団としての主体性を重視する観点から「台湾原住民族権利促進会」と組織名を改称する。同会が1988年に採択した「台湾先住民族権利宣言」については,本書巻末の「参考資料」に著者による日本語訳全文(前文および本文全17条)が収められている。

 
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