アジア経済
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紹介:猪俣哲史著『グローバル・バリューチェーン――新・南北問題へのまなざし――』
日本経済新聞出版社 2019年 269ページ
伊藤 恵子
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2020 年 61 巻 2 号 p. 94

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現在,電子機器や衣服など多くのモノの生産工程は,細分化され,国際的な生産ネットワークの中で完成品となって世界各国の消費者に届けられている。細分化された各工程はもっとも効率的に生産できる国に配置され,最終的に賃金の安い国で組み立てられて世界に輸出されるのだ。こうした工程間国際分業の構造や分業を通じた価値の連鎖(グローバル・バリューチェーン,GVC)は,理論・実証両面で,さまざまなアプローチによって分析されてきた。

本書は,GVCの概念から計測方法,そして最新の研究成果までを体系的に論じたものである。国内外でGVCに関連する膨大な数の論文や報告書が蓄積されてきたが,それらを日本語でわかりやすく論じた書籍はこれまで存在しなかった。本書は,GVC研究を始めようとする学生のみならず,研究者にとっても格好の教科書となる。また,GVCの分析には,国際産業連関表という,各国産業間の財・サービスの需給関係を記録した統計が用いられることが多い。本書では,国際産業連関分析の概念や方法を,行列計算式ではなく,なるべく平易な数値例を用いて説明し,GVC分析のイメージをつかみやすくするよう工夫されている。さらに,近年の米中貿易摩擦やグローバリズムを巡る南北対立などの国際政治経済関係,第4次産業革命といわれるデジタル技術の進歩など,ビジネスパーソンにとっても関心の高い諸問題とも関連させてGVCの進展を論じている。

東アジアでは,最終組立工程が中国に集中し,完成品の多くが中国から欧米の消費市場へと輸出されるという生産分業パターンが形成された。その過程で中国が東アジアの貿易ネットワークの中心(ハブ)として台頭し,米中貿易摩擦の原因になった。たしかに米国の対中貿易赤字は巨額だが,中国から米国への粗輸出額には,アジア各国で生産された中間財の価値や,米国など先進国の知的・人的資本を用いて生産された「知識」の価値も含まれている。GVCの進展は,モノの生産工程が一国内で完結していた時代の貿易とは全く異なる影響を,各国経済に対して与えるのである。

先進国においては,雇用機会を途上国に奪われた非熟練労働者と,GVC内の高付加価値領域を担う熟練労働者との間の所得分配問題が関心を集めてきた。一方,途上国はGVC内でより多くの価値配分を得ようとして先進国と対立する。先進国・途上国それぞれの視点から,GVCの進展がどうとらえられるのか,本書の読者は理解を深めることができるだろう。そして,実際の取引額に基づく貿易ではなく,付加価値のフローによって貿易を評価し国際経済の姿をとらえ直すことの重要性が,本書の強いメッセージとして伝わってくる。

本書後半は,付加価値フローの背景にある各国企業の成長や企業間取引関係など,ミクロ的側面を論じている。一部の途上国企業は技術的キャッチアップを成し遂げ,GVCの高付加価値領域で先進国企業と激しく競合するようになってきている。一方で,途上国と先進国の企業はGVC内で相互に補完的関係を築いてもおり,国際経済関係は複雑さを増している。

しかし,近年,保護主義の台頭やデジタル技術の進歩にともない,GVC拡大の終焉を指摘する声も出ている。GVCの将来を明確に予言することは難しいが,各国が価値創出のためにいかに協調し,かつ価値分配のためにいかに競争しているのか,付加価値フローを追うことによって協調と競争のダイナミズムを分析する手法をわれわれはすでに手にしている。こうした学術的発展に対し,著者をはじめ多くの研究者が国際産業連関表の作成や付加価値貿易の計測方法の開発を通じて多大な貢献をしてきた。国際産業連関表の作成は非常に骨の折れる作業だが,さまざまな工夫と努力により精度やカバレッジが向上してきている。しかし,まだ十分にとらえきれていないのがサービスの国境を越えた需給関係や,サービス貿易に体化された知識や情報のフローであろう。多くの国で経済活動のサービス化が進むなか,今後のGVCの構造変化をとらえるためにサービス・フローのより正確な把握が,とくに重要になってきている。GVC研究のさらなる発展と,そのために不可欠な統計の精緻化に期待したい。

 
© 2020 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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