アジア経済
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書評
書評:隋藝著『中国東北における共産党と基層民衆 1945-1951』
創土社 2018年 263ページ
鄭 浩瀾
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2020 年 61 巻 3 号 p. 101-104

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Ⅰ 本書の概要

本書は,1945年から1951年までの中国東北地域における中国共産党(以下,党)と民衆の相互関係を考察したものである。周知の通り,1980年代以降,中国近現代史研究の領域では大きな転換がみられた。それ以前の研究の多くは,中国革命に対する民衆の支持や革命による社会的秩序の根本的な変容など,革命がいかに成功したのかを強調していたのに対し,それ以降の研究は,多様な地域社会における革命進行の実態およびその過程で生じた問題に注目するようになった。このような脱革命史観が本書の基本的な視角である。

本書は,全部で5章から構成される。第1章は,1945年以前の東北社会の特性と政治支配のあり方を検討するものである。著者によれば,東北社会の経済は人口,資源および経済活動が商業的中心地である県城に集中する「県城経済」であり,「県城経済の中枢を掌握した政治勢力が都市の商人と深く関わっていた」(49ページ)ことによって,支配者の権力が個々の民衆へ浸透しやすかった。また,多民族雑居で移民が多かった東北社会では社会的結合が弱かったため,民衆は個人意識が強く,地域に対する帰属意識が薄かった。このような特徴を総括したうえで,第2章から第5章は,①戦後1945年から党が東北を占領した1948年にかけての戦時態勢期,②1948年から1950年6月の朝鮮戦争勃発までの平時態勢期,③朝鮮戦争勃発から抗米援朝運動の終盤までの時期(平時態勢期から再び戦時態勢期へ移行する時期)に分けて,党と民衆との関係を検討する。以下,各章の内容を大まかに紹介しておく。

まず第2章では,1945年から1948年までの戦時態勢期にある党と民衆との相互関係を検討する。著者によれば,東北地域における中共軍の拡張と革命の展開は,「民衆が積極的に参加した大衆運動によるものではなく,軍事的ヘゲモニーによって大きく規定されていた」(112ページ)。具体的な事例としてあげられたのは,「反奸清算」運動(漢奸やスパイを摘発する運動)と「剿匪」運動(国民政府の地方武装勢力や匪賊を粛清する運動)である。「反奸清算」に関しては,民衆を立ち上がらせた大衆運動というより,党と軍の財政問題を解決する手であったとし,「剿匪」運動に関しては軍隊による武装闘争の形式で始まり,軍事的な勝利を背景に展開が可能になった運動であったととらえる。またこの時期における民衆の「集合心性」は,復讐を恐れた「不安・恐怖」と物質的利益を獲得できる「希望」という2つの側面をもつものであったと指摘する。

第3章では,共産党軍が東北全土を占領した1948年11月から朝鮮戦争勃発までを対象とし,都市部の基層社会の再編およびそれにともなう党と民衆との関係を考察する。まず,瀋陽市や営口市を事例に,もともと「農村方式」の大衆運動を経験しなかった都市社会では,共産党軍による占領以降も革命原理による武力闘争が行われなかったため,党と民衆との関係は緊密ではなく,中共のイデオロギーを民衆の間で浸透させることが難しかったと指摘する。つぎに,工場と鉱山企業の労働者に対する党の政策とそれに対する労働者の認識を考察し,労働者の階級的自覚が弱かった一方で,党が労働者の物質的利益・名誉に関する欲望を利用することによって労働者の労働意欲を促したと指摘する。

第4章では,朝鮮戦争が勃発した1950年6月から抗米援朝運動が沈静化する1951年後半までの時期をとりあげ,同時期における党と民衆との関係を考察する。まず,戦争の勃発当初から民衆の間に不安や恐怖が存在し,それが中国の参戦決定以降さらに強まっていったことや,抗米援朝運動の展開は民衆の愛国心を強めたものの,民衆の対応ぶりが全体としては消極的なものであったことなどを指摘する。つぎに,朝鮮戦争が膠着状態になった1951年5月以降,抗米援朝運動が愛国教育を中心に展開されていくなかで,民衆の愛国心が高まったものの,党は「東北の個人主義的な民衆意識をまとめて,統一の階級イデオロギーへ導くこと」ができなかったと指摘する(188ページ)。

続く第5章も抗米援朝運動を対象とするが,分析の焦点は「参軍運動」(民衆に対して軍隊に参加することを呼びかける運動)の展開と1950年婚姻法の施行に当てられる。まず参軍運動に関しては,東北地域では大規模な徴兵は行われなかったものの,強制命令による徴兵の個別事例が存在し,多くの民衆は参軍運動に抵抗する態度を示したという。つぎに,婚姻法の施行に関しては,中共が当初積極的に婚姻法の宣伝活動を行わなかったことに注目する。その理由として,朝鮮戦争の勃発という背景のもとで「参軍運動」を展開するためには女性を動員の道具として利用しようとしたこと,同法の実施によって農村で離婚を申し出る女性や幹部と結婚したい女性が増加し,地方に混乱がもたらされたことを挙げている。

最後に終章では,各章の内容を総括したうえで,東北地域において党が民衆に対する支配を確立できたのは,必ずしも広範な民衆が党のイデオロギーを受容した結果ではなかったことを確認する。著者は,民衆が党の政策に消極的な態度を示したことを,人的流動性に富み社会的結合が弱かったために個人意識が発達したという東北地域社会の特性から分析する。また民衆が全体として党の政策に従順であったのは,中共の内戦での軍事的優勢により生まれたものであり,そのほか金銭の獲得,社会的地位の上昇といった利益を求める心理も働いたためであると説明する。

Ⅱ 本書の独自性および学術的意義

本書の独自性として,著者は序章で次の2点を主張している。ひとつは先行研究の多くが関内(山海関の南)農村における党と民衆との関係に注目してきたのに対し,本書は東北,とりわけ「南満」の都市を中心に検討したことである。もうひとつは,「経済回復期」という特殊な時期への関心にある。先行研究のなかで一般的に使用されている「経済回復期」とは,建国の1949年から社会主義体制への移行が始まった1952年までの時期をさす場合が多いが,それと異なり本書は,1948年から1950年までの時期を東北地域の「経済回復期」とする。その理由として,東北地域が1948年11月から中共の占領下に置かれたこと,また1950年6月の朝鮮戦争勃発以降,再び戦時態勢へ移行したことを挙げている。

戦時態勢の構築をおもな基準とし,戦時態勢期,平時態勢期,平時態勢期から戦時態勢期への移行という3つの時期に区分することは注目に値する。この時期区分に従えば,東北地域にとっては,平時態勢期にあたる1948年から1950年までの2年近くは経済回復期であり,中共の革命原理と現実とのさまざまな矛盾が浮かび上がる時期でもある。戦争の影響を重視するこのような時期区分の方法は,評者にとって興味深い。なぜならば,近現代中国研究の分野において一般的に使用されている時期区分は,中華人民共和国建国や新民主主義体制から社会主義体制への移行など国全体で起きた出来事を基準にするが,それらは東北地域にとっては必ずしも歴史的転換点ではなかったからである。また,1949年の中国革命であれ,それ以降の社会主義体制への移行であれ,その背景には日中戦争,国共内戦と朝鮮戦争があることを見落としてはならない[笹川・奥村 2007泉谷 2007]。したがって,本書が戦時態勢の構築を基準に時期区分を行ったことは意義があるといえよう。

もうひとつ言及に値するのは,民衆の「集合心性」に着目し,「下」の視点から中国革命がもたらした社会変動を考察した点である。近年,民衆の心性に着目して党と民衆との関係を考察した研究がいくつか存在するが[石島 2014丸田 2013],そのほとんどは日中戦争か国共内戦を考察時期として扱っており,1949年前後の東北社会における民衆の「集合心性」に関しては十分に検討されているとはいえない。本書は,中共の大衆工作から影響を受けながらも,政治変動に対する民衆の不安や恐怖および物質的利益の獲得に対する「希望」という2つの側面から,民衆の「集合心性」を描き出そうとしている。このような「集合心性」をもつ民衆像は,無論,プロパガンダの言説に描かれたような政治的自覚をもつ民衆像とは大きな乖離がある。この乖離の存在を示そうとした本書の試みに意義を感じる。

さらに,中国革命の展開は民衆が積極的に参加した大衆運動によるものではなく,軍事的ヘゲモニーによって大きく規定されていたという著者の指摘も興味深い。本書の検討対象地域である東北の都市社会が本来,大衆動員が行われた地域ではなかったことから,党と民衆との関係が薄かったのはある意味で当然だと言われるかもしれない。しかし,大衆運動が展開された農村地域であっても,それがどこまで中国革命の勝利を導き,両者の間にどのような因果関係があったのかという問題は必ずしも十分に解明されていない。本書は東北地域社会の研究でありながら,中国革命がなぜ勝利したのかという,より大きな問題をめぐる議論の深化に寄与できるだろう。

Ⅲ コメント

評者は,東北社会の地域的特性や同地域における党と民衆の関係の弱さなどについて,本書から多くを学んだ。しかし本書を読んだ後,違和感を覚えた点や納得できなかった点もいくつかある。紙幅の関係でその全てを述べることはできないが,以下,本書の主要な論点に関わる部分について指摘しておきたい。

評者にとって最も気になった点は,「脱革命史観」に基づいて描かれた民衆像についてである。無論,「革命史観」に対する批判を行う意味では,「脱革命史観」を用いるのは近現代中国研究にとって重要なことであり,その重要性を否定するつもりはまったくない。しかし本書を読み終わった後,本書が提示した民衆像は「脱革命史観」を用いた先行研究にみられる民衆像と比べてどのような違いがあり,またこの民衆像を描くことが1951年以降の中国の政治変動を考えるうえでどのような意味をもつのか,といった疑問が残る。ここで,そもそも基層政治をどのようにとらえるのか,社会の末端レベルにおける党の支配とは何かという問題を著者に提起したい。

現実世界における権力の浸透は,社会内部の既存の権力網と絡んで進行する側面があり,必ずしも上から下へ一方的に操作されるようなものではないだろう。たとえば第5章では,中共は「志願軍に参加したバラバラで自由な民衆をまとめて戦場に送るために民間信仰という装置さえ利用した」(211ページ)と指摘されている。その根拠のひとつとされるのが,朝鮮戦争に参戦した元兵士による証言の内容である。彼は,軍隊に「訴苦」(苦しみを訴える会)が開催された後,日本の統治時期に死去した家族に対し兵士たちが紙の人形などを燃やして見送りをしたことがあるという。しかし,そもそも「自由な民衆」とは何か,葬礼の紙製品を供えて見送るという葬式の風俗を民間信仰とみなしてよいかといった問題がある。これらはさておき,「訴苦」大会でこうした葬式の風俗に関する証言があったのは,必ずしも中共が意図的に操作した結果であったとは限らない。社会の末端レベルにおいて中共を代表するのは,時には基層幹部であり,時には幹部になろうとしている積極分子である。彼らは「中共」を代表するとともに,地元でさまざまな関係や価値観,風習をもっている生の人間である。葬式の風俗を利用して動員するという明確な指示が中共からあったことを検証しない限り,中共が民間信仰という装置を利用したという結論は出せないのではないか。

民衆の「集合心性」に関しても同様のことがいえる。本書は,各章をとおして「表では中共に対して従順な態度,ひいては必要以上の積極性を示しながら,裏では不安を隠せず,自分のために打算を働かせていた」という民衆像を構築し,それによって民衆統合の困難さを強調している。この指摘そのものは意義があるように思われるが,他方で,民衆の日常的行動は極めて複雑なものであったことにも留意すべきである。民衆が党の政策に対して消極的な姿勢を示したとしても,それは日常生活におけるひとつの側面に過ぎない可能性がある。民衆の「集合心性」を考察するためには,普通の人間としての民衆の思想と行動に接近しなければならず,文化史,生活史,人類学など多様なアプローチからの考察が必要であろう。しかし本書で論じられている民衆は,社会の風習や生活から切り離された抽象的かつ全体的なイメージであり,具体的な顔がみえなかった。また,資料として新華社の『内部参考』や『東北日報』が使用されており,これらから民衆の対応ぶりがうかがえるものの,「集合心性」を抽出するまでは難しいように思われる。たとえば,中共が「労働者の物質的利益・名誉に関する欲望を利用すること」(235ページ)で労働者の労働意欲を促進したことや,鉱工業労働者の愛国的情緒が抗米援朝運動のなかで高まったことなどが指摘されているが,鉱工業労働者の認識や行動の実態をめぐる検証が十分に行われていないように思われる。

もうひとつ気になっている点は,政治支配と地域的特性との関係についてである。著者の見解によれば,他省からの流入者が多く,比較的流動性が高い東北社会では,華南のような強い宗族関係は形成されず,秘密結社や同業同郷団体など地域集団が存在したが,それらは国家に対して自立する自衛的な地方集団ではなかった。このような社会においては,「国家権力による統治が比較的進んでおり,民衆が支配者に対して相対的に従順」(66ページ)であった一方で,政治的自覚が欠如し,個人意識が強い民衆を統合することは党にとって困難であったという。民衆統合の困難さは民衆の個人意識の強さという東北社会の特徴に規定されたものなのか,それとも政権成立直後にやむを得ず生じた問題なのか,という問題がある。また,政治的自覚に欠けた民衆の姿は東北社会だけでなく,華北,華中および華南社会にも多くみられる。社会的結合の弱さや個人意識の強さという東北地域社会の特徴が,どの程度まで党による民衆統合を困難にさせたのか,両者の関連性を検証する必要があろう。これらの問題を解明することは容易ではないが,今後の課題として考えていただきたい。

文献リスト
  • 石島紀之 2014.『中国民衆にとっての日中戦争——飢え,社会改革,ナショナリズム——』研文出版.
  • 泉谷陽子 2007.『中国建国初期の政治と経済——大衆運動と社会主義体制——』御茶の水書房.
  • 笹川裕史・奥村哲 2007.『銃後の中国社会——日中戦争下の総動員と農村——』岩波書店.
  • 笹川裕史 2017.『戦時秩序に巣喰う「声」——日中戦争・国共内戦・朝鮮戦争と中国社会——』創土社.
  • 丸田孝志 2013.『革命の儀礼——中国共産党根拠地の政治動員と民俗——』汲古書院.
 
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