アジア経済
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第41回発展途上国研究奨励賞の表彰について
第41回発展途上国研究奨励賞の表彰について
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2020 年 61 巻 3 号 p. 129-133

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「発展途上国研究奨励賞」は,アジア経済研究所が1980年度に創設し,発展途上国・地域に関する社会科学およびその関連分野における研究水準の向上に資することを目的とし,この領域における優れた調査研究の業績を表彰しています。

選考および表彰の対象は,発展途上国・新興国または地域について,社会科学あるいはその関連分野の観点から調査および分析した著作であり,かつ次の①あるいは②に該当するものです。個人研究,共同研究ともに対象としています。

  • ①   2018年10月から2019年9月までに日本国内で公刊された日本語または英語による図書,雑誌論文
  • ②   2019年に海外で公刊された英文図書のうち,執筆時,公刊時もしくは賞応募時点において日本国内に所在する大学・研究機関等に在職していた研究者(国籍は問わない)によるもの

2020年度は各方面から推薦された37点をまず所内研究者が審査し,選考委員による最終選考で下記の2作品が第41回受賞作に選ばれました。表彰式は7月1日にオンラインで行われました。

  • 〈受賞作〉

    『現代中国における「イスラーム復興」の民族誌――変貌するジャマーアの伝統秩序と民族自治――』(明石書店)

    澤井充生(さわいみつお)(東京都立大学人文社会学部助教)

  • 『幸運を探すフィリピンの移民たち――冒険・犠牲・祝福の民族誌――』(明石書店)

    細田尚美(ほそだなおみ)(長崎大学多文化社会学部准教授)

  • 〈選考委員〉

    委員長:田中明彦(政策研究大学院大学学長),委員:上田元(一橋大学大学院社会学研究科教授),大塚啓二郎(アジア経済研究所上席主任調査研究員),栗田禎子(千葉大学文学部教授),深尾京司(アジア経済研究所所長),藤田幸一(京都大学東南アジア地域研究研究所教授)

  • 〈最終選考対象作品〉

    最終選考の対象となった作品は受賞作のほか,次の1点でした。

    『知的所有権の人類学――現代インドの生物資源をめぐる科学と在来知――』(世界思想社)

    著者:中空 萌(なかぞら もえ)(広島大学大学院人間社会科学研究科講師)

 ●講評●

  • 澤井充生『現代中国における「イスラーム復興」の民族誌――変貌するジャマーアの伝統秩序と民族自治――』

    上田 元(うえだ げん)

本書は,2000年代前半の中国・寧夏回族自治区,銀川市でのフィールドワークに基づいて,改革開放後に始まったムスリムの「共同体」秩序の自発的な再構築,すなわちイスラーム復興について論じ,漢人との混住化が進むなかでの「自治」のあり方と,社会主義国家との関係を検討した分厚い労作である。

著者は,再構築されたモスク(清真寺)とそのジャマーア(共同体)における派閥争いを描き,指導者が党の指示を受けて組織した宗教団体によって国家の宗教管理機構に組み込まれていることを示すとともに,党に対する人々の面従腹背の姿を感じとる。文化変容については,漢文化由来の儀礼を再イスラーム化しようとする試みの頓挫を指摘し,通婚や食生活にみられる漢化・世俗化の現状を明らかにした。そして,イスラームを公認し統制する党と,宗教色を薄めるムスリム共産党員や人々の姿を描くと同時に,文革「殉教者」の一生と改革開放後の名誉回復を紹介しつつ,それが今でも人々が公に語るのをはばかる話題であることに触れている。

十分には研究されていない中国ムスリムについて,困難な現地調査を通して非常に貴重な情報を集め,それを慎重に考察したことが本書の優れた特徴であり,高く評価できる。それは歴史的背景を踏まえつつ,寧夏ムスリムの信仰・儀礼・文化に現れる共同体秩序の再構築と変化を活写する豊かな民族誌であり,中国の少数民族政策・イスラーム政策論としても詳しい記述を含んでいる。先行研究,とくに共同体論争,中国社会の結合原理に関する研究,「民族区域自治」論,そして中国ムスリム民族誌研究の説明にも多くが割かれており,本書の意義を複眼的に示している。

中国社会を二者間関係の連鎖とみる「関係主義」モデルは,対象としたジャマーアのあり方を考察する上でも有効である。これは本書の中心的な論点のひとつだが,この二者間関係への注目は,著者がこの国でイスラームをテーマにして民族誌的フィールドワークを行う際に選ぶことのできた,ほぼ唯一の方法なのかもしれない。それが調査の範囲と考察にどう影響しているのか,議論があればよかった。また,本事例を中国における他宗教の国家-社会関係と比較し,世界各地のイスラーム復興運動と関連させる研究枠組みを示していれば,より刺激的な著作となったであろう。そして,調査終了後の経済・観光開発のなかで銀川市がイスラーム色を深め,かつ党による宗教統制も強まったという著者の印象について,本書の知見を敷衍すると何がいえるのか,解説があれば大いに参考となったはずである。

もっとも,これらの点によって本書の学術的な価値が損なわれるわけではない。本書は中国におけるイスラーム復興の実態解明について重要な貢献をなすものであり,本賞に値する傑出した力作であると評価できる。

(一橋大学大学院社会学研究科教授)

 ●受賞のことば――澤井充生(さわいみつお)

このたび,第41回発展途上国研究奨励賞をいただけることになり,身に余る光栄に存じます。選考委員の先生方,本書出版に関わった数多くの皆様に心よりお礼申し上げます。

本書は,現代中国における「イスラーム復興」の実態を2000年代初頭に寧夏回族自治区で実施したフィールドワークにもとづいて記述した民族誌です。研究対象の回族は中華世界に誕生した少数民族ですが,外来ムスリムを祖先とし,清真寺(モスク)を中心に独自の「コミュニティ」を形成してきました。このような「コミュニティ」は中国西北ではジャマーアと呼ばれています。

本書では,改革開放期に発生した「イスラーム復興」に注目し,ジャマーアの伝統秩序(結合原理)をミクロな視点から観察し,また,中国共産党・政府とジャマーアとの力関係(自治のあり方)の意味を読み解くことによって,現代中国の「周縁」に位置する少数民族の生活世界をどのように捉えるべきなのかを検討しました。

本書には二つの視座があります。第一の視座は,人類学や社会学の共同体理論の動向,中国研究における共同体論争の議論をふまえ,ジャマーアの伝統秩序(結合原理)の特徴を解明するものです。従来の共同体理論では中国人社会は個人主義か集団主義かといった議論・論争がありましたが,そのどちらでもない「関係主義」に着目し,実は,ジャマーアが固定的で持続的な「コミュニティ」というよりむしろ「関係(guanxi)」の集合体であることを明らかにしました。

第二の視座として,中国の自治(特に少数民族の自治)に関する議論を参照し,ジャマーアの自治の可能性を論じました。現代中国における少数民族の自治に関しては政治学,歴史学などで議論されてきましたが,本書では中国の学術界で提示された「共治」という新しい視点およびそれをめぐる議論に注目しました。日本国内では加々美光行先生や楊海英先生がすでに指摘なさっているのですが,「共治」は中国共産党が法的に保障した「民族区域自治」という優遇政策を実質的には無化しかねない,極端な考え方です。本書ではその限界を指摘し,清水盛光先生がかつて提唱した「村落自治の二重性」に注目し,自治概念の有用性を議論しました。

近年,新疆問題が世界的に注目されているように,中国国内のイスラーム界はディストピア化しつつあります。本書の民族誌的資料は現時点では最新のものとは言えませんが,「イスラーム復興」の実態をミクロな視点から解明できたことに価値があるのかもしれません。現在,中国調査が困難な状況下にあるからこそ,本書の意義や価値が高く評価されたことは非常に光栄なことですし,また,今後の研究活動にとって大きな励みとなります。

  • 略歴

    1971年 京都府生まれ。神戸市外国語大学卒業,東京都立大学大学院にて博士号(社会人類学)取得。

    2005年 東京都立大学助手着任,現在に至る。

  • 主要著作

    『日本の皇民化政策と対日ムスリム協力者の記憶――植民地経験の多声的民族誌――』首都大学東京,2020年。

    「現代中国の回族社会における屠畜の周縁化――動物供儀と殺生忌避の事例分析から――」『日本中東学会年報』35巻2号,2020年。

 ●講評●

  • 細田尚美『幸運を探すフィリピンの移民たち――冒険・犠牲・祝福の民族誌――』

    藤田幸一(ふじたこういち)

本書は,移民大国フィリピンのサマール島西岸にあるパト村(仮名)とおもな移住先マニラの「分村」において,2000~2017年に行われたフィールドワークに基づく人々の移動に関する民族誌である。オーストラリアなど先進国や中東湾岸諸国への移住者にも光があてられている。

移動は,基本的には経済的動機によるものであろう。しかし,それだけに注目していては,移民の生きる世界の様々な側面(理念,情動,他者との関係,日常のふるまい等)を見落としてしまうと,著者は主張する。本書は,人々の移動を通して,サマール島を含むフィリピンの低地キリスト教社会の理解をめざしたものである。全体を貫くキーワードはサパララン(幸運探し)という現地語であるが,その他にも,人々が移動に関連して語るローカルな概念や実践に徹底的にこだわることによって,移民たちの観点からみた移動を描いた点に,最大の特長がある。

特に強調される点は,カトリック教徒としての移民と神との関係であり,移動に伴う苦難はサクリピショ(犠牲)として観念され,犠牲を厭わない姿が認められたなら,神から祝福(成功)があるかも知れないという考え方である。宗教を基盤にした移民と人々との複雑な関係は,幸運を得た者がフィエスタの帰省時に大盤振る舞いをし,故地の人々からブオタンとして賞賛を受ける場面で頂点に達する。ただし,一方では,移住先で新たな社会関係を築き,故地との関係をなくす人々もおり,またブオタンもときに後発の移住者をあえて援助せず,その自立を促すなど,微妙なバランスを操れることがその要諦とされる。

本書の構成は実に巧妙で,以上のような移動と移動者の様々な側面を,流れるように無理なく活写していく。フィールドワークから得られた様々な具体的情報をうまく配置させた高度な技法は,特筆に値する。

ただし,本書が明らかにした移民の行動は,少なくとも表面上は,どの社会にも一定程度,あてはまる普遍性をもつものではないかという感想をもつ。すなわち,故地への「還元」という面も含め,経済学でも解釈は十分に可能(「味気ない」ものとなるだろうという予感は差し置くとして)かも知れない。

国外にいるフィリピン人移民は,カトリック教会に通い,教会を中心に社会関係を構築していく点に大きな特徴があると著者は指摘する。カトリックの規定性は,他の宗教の信徒,あるいは経済学者が思いもよらないような移民の行動を生んでいるのかどうか。こうした点は,たとえば,海外移住先でフィリピン人移民と他国(地域)からの移民を比較する作業を通じて,明らかにできるかも知れない。

世界の移民に関する研究全体のなかで,本書の知見がどう位置づけられるのか,著者の今後の研究の深化を期待したいと思うのは,おそらく評者だけではなかろう。

(京都大学東南アジア地域研究研究所教授)

 ●受賞のことば――細田尚美(ほそだなおみ)

このたびは,歴史ある大変名誉なジェトロ・アジア経済研究所「発展途上国研究奨励賞」をいただき,誠に光栄に存じます。

私は,世界各地に働きに出ているフィリピンの人たちの「移動すること」に対する思いをより深く知りたいという気持ちから博士課程での研究を始め,それが本書の基(もと)となりました。

フィリピンの移民現象は経済格差,強固な家族ネットワーク,高い英語力などといった要因で説明される傾向があります。そうした外から見て分かりやすい要因だけでなく,かれらを外界へと突き動かす,地域の文化的な原動力のようなものがあれば,それは何かという視点に立って,フィリピン移民の生きる日常の世界を探っていきました。そうしているうちに,ひとつの捉え方として,かれらは,本書のタイトルになっている「幸運」を探しているのではないかという考えが浮びました。

本書ではこの考えを軸に,フィリピン中部のサマール島にある一農漁村とその村のマニラ分村を主たるフィールドとして,地域の歴史,生業,空間認識,ライフコース,信仰実践,親族関係,世代や階層の差などの側面と,それらが相互に関連している様子を描きました。特に強調したかったのは,幸運が神からの祝福だとされ,単純に倹約,勤勉,計画に基づいた結果のようには語られない点です。幸運を引き寄せ願いを成就するには,周囲の苦しむ人のために自分が払う行為や物である犠牲が必要で,その結果,神から祝福がもたらされることになります。その一方,成功した移民たちは,祝福が分け与えられるだろうと期待する近しい人たちとの間でどのようにふるまうかに悩み,様々なロジックを用いて関係を調整します。

国境を越える人の動きは年々加速し,それはポストコロナの時代になってもおそらく消えていくことはないでしょう。「幸運探し」のような考えが新天地を目指す動きと強く結びつく現象は,世界の他の地域でも見られることと思います。本書が「移民」と称される人たちの多様なつながりや思いを想像するひとつのきっかけになれば幸いです。

本書を発展途上国研究奨励賞に選んでくださった選考委員の皆様,ならびに関係者の皆様,ありがとうございました。さらに本書が出版されるまでの長い間,辛抱強くお力添えをくださったすべての方々に心より感謝申し上げます。本書に関する研究は緒に就いたばかりですが,このたびの受賞を励みとし,今後も地域研究や移民研究に邁進してまいります。

  • 略歴

    1991年 上智大学比較文化学部卒業 カナダ・クィーンズ大学大学院にて修士号取得,日刊マニラ新聞記者,日本学術振興会特別研究員を経て,

    2007年 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科より博士号取得 香川大学インターナショナルオフィス講師,京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教を経て,

    2019年4月より 長崎大学多文化社会学部准教授

  • 主要著作

    Connected through “Luck”: Samarnon Migrants in Metro Manila and the Home Village, Philippine Studies, 56(3), 2008.

    『湾岸アラブ諸国の移民労働者――「多外国人国家」の出現と生活実態――』明石書店,2014年(編著)。

 
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