2020 年 61 巻 4 号 p. 2-31
本論は,これまでに提案されている中国年金制度改革に新たにもうひとつの選択肢を加えようとするものである。まず,中国の現行年金制度の問題点を分析し,国民の基本生活を十分に保障できないということを指摘した。そして,この問題に対して,統一的な基礎年金を中心とする改革案を提案した。続いて,この改革案が実施される場合に必要な年金負担率を明らかにした。また,改革に関する財政収支の推計を行い,改革の実現可能性を考察した。さらに,各所得階層の年金所得代替率の増減を推計し,給付面から新提案の保障機能を考察した。最後に,残された問題点を論じた。結論として,新提案を実施したとしても,長期的な財政状況は安定的となるので,改革を行えるということである。また,統一的な新基礎年金と新個人口座の組み合わせによって,年金制度の保障機能は明らかに向上する。
The aim of this paper is to present a new option for reforming China’s pension system. First, the problems of China’s current pension system are analyzed from the perspective of pension adequacy. The results suggest that the current system might not be able to protect people from poverty. To solve this problem, this paper proposes establishing a national basic social pension system and adjusting individual accounts accordingly. Next, the necessary pension contribution rates for the proposed system are determined. To test the fiscal sustainability of this new pension system, expected revenues and expenditures are simulated. This paper also estimates the pension replacement rate for individuals with different income levels under the proposed system and compares it with the current system to evaluate whether the proposed system could improve pension adequacy. Finally, problems to be considered in future work are briefly discussed. The conclusions of this paper are that the proposed national basic social pension system is feasible because it is financially sustainable in the long term, and it might substantially improve pension adequacy, especially for individuals with low income.
はじめに
Ⅰ 中国年金制度の現状と問題点
Ⅱ 中国年金制度改革の行方
Ⅲ 統一的な基礎年金を導入した場合の年金負担率および改革の可能性
Ⅳ 所得代替率から見る提案した新年金制度の保障機能
おわりに
補論(推計方法)
中国では,速いスピードで進行している少子高齢化につれて,年金制度が厳しい試練にさらされている。本論は,現行年金制度(注1)下の問題点に注目し,これまでに提案されている中国年金制度改革に新たにもうひとつの選択肢を加えようとするものである。具体的には,次のような構成で進めていく。まず,第Ⅰ節では,現行制度の問題点を分析する。次の第Ⅱ節では,それに関する先行研究を紹介したうえで,解決策として統一的な基礎年金を中心とする改革案を提案する。続く第Ⅲ節では,この改革案を実施した場合の年金負担率を明らかにし,さらに,改革に関する財政収支のシミュレーションを行うことによって改革の実行可能性を考察する。最後の第Ⅳ節では,各個人の年金所得代替率の増減を推計し,給付面から新提案の保障機能を考察する。
現在の中国には,2つの年金制度がある。ひとつは『企業職工基本養老保険制度』(以下「職工年金」)であり,もうひとつは『城郷住民基本養老保険』(以下「住民年金」)である。
職工年金制度は,おもに2005年改革の内容に従っている(注2)。ただし,年金制度の根本的な変更は1997年改革によって行われたので,1997年以前に定年退職した者を「老人」,1997年以前に就職し,1997年以後に退職する者を「中人」,1997年以後に就職した者を「新人」と区分する。職工年金制度の対象者は「中人」と「新人」である。職工年金は基礎年金と個人口座によって構成される。加入者が拠出した年金保険料は,この2つの勘定に計上され,年金給付もこの2つの勘定から支給される。「中人」の場合,1997年改革前の勤続年数も職工年金制度への拠出年数とみなすので,基礎年金と個人口座以外に,改革までの勤続年数に対して,過渡期年金も給付される(注3)。具体的な内容は表1を参照されたい。受給要件は,15年間保険料を納付することであるが,「中人」の場合は,みなし年数も含めて計15年間保険料を納付することになる。
職工年金の財源は,表1に示したように,企業と個人によって負担されるが,国有企業および事業部門退職者が「中人」である場合,過渡期年金は政府によって負担される。また年金基金が不足するとき,政府が補填する(注4)。
住民年金制度は,2014年に設立された新しい制度である。2009年に設立された「新型農村社会養老保険」と2011年に設立された「城鎮住民社会養老保険」を合併させ,現在の住民年金になった。制度の仕組みは前身である両制度と同じである。保険料は,全国基準では毎年100元,200元……1000元までの10ランク,それに1500元,2000元という2つのランクを加えた計12ランクが設定されている。政府は,拠出額に応じて補助し,多く拠出する加入者に多くの補助金を与える。各地域は,その地域の状況に応じて自由にランクを設定することが許される。加入者は自分の所得水準とは関係なく,自分の選択によってどれかひとつのランクに加入することになる。住民年金も職工年金と同様に,基礎年金と個人口座によって構成されるが,拠出金および政府補助はすべて個人口座に入り,基礎年金の給付は別途の財政によって負担される。また,住民年金の基礎年金部分は,職工年金とは違って各地域が規定した額で給付される。受給要件は,職工年金と同じで,15年間保険料を納付することである。
(2) 職工年金と住民年金の関係職工年金の対象者については表1に示したが,一般企業被用者,公務員,事業部門従業者の場合は,制度上,就業と共に自動的に職工年金に加入させられる(実際は実現していないが,次項で論じる)。自営業者や非正規就業者(注5)の場合は,職工年金に加入するかどうかは自身の判断による。一方,住民年金の対象者は「職工年金の適用範囲以外の住民(学生は含まない)」[国発[2014]8号]となっているが,具体的な実施方法は各地域の地方政府に委ねられている。住民年金の加入対象者を「職工年金の未加入者」とする地方政府は少なくない(注6)。つまり,自営業者や非正規就業者がもし職工年金に加入していないならば,住民年金に加入することができる。実際,多くの自営業者や非正規就業者は,住民年金に加入している。2018年の加入者数を見ると,職工年金は4億1902万人であり,住民年金は5億2392万人である(注7)。設立されてからの時間が短いものの,住民年金の加入者数は職工年金を上回っている。
雇用が不安定な非正規就業者や「農民工」(農村から都市への出稼ぎ労働者)たちは,各時点では職工年金と住民年金のどちらか一方に加入していることになるが,時点が異なると,もう一方の別の制度に替わっている場合もある。このように,職工年金と住民年金は,互いに補完的関係としてとらえるべきである。
2. 現行制度の問題点中国の現行制度である職工年金も住民年金も「基本生活を保障する」ことを明確な政策目標にしている(注8)。しかし,この視点から見ると,以下の2つの問題点が際立つ。
(1) 職工年金の高保険料率による低年金・無年金の問題2019年4月まで,職工年金の名目保険料率が28パーセント(注9)(自営業と非正規就業者が20パーセント)であるため,加入する余裕がない就労者や加入しても継続的に拠出する能力がない人の存在が十分考えられる。何[2007]は,自営業と非正規就業者の場合,職工年金の年金給付を受給できるようになるために納付しなければならない保険料は生涯収入の3~4割を占め,加入すれば生活ができなくなる可能性が高いと指摘する。加えて,保険料率が高いゆえに,被用者を職工年金に加入させる義務がある私営企業においても,加入を避けることや賃金を低く申告することで拠出を減少させることはよくある[王 2016,趙・毛・張 2015,Feldstein and Liebman 2006など]。「中国企業社保白書2018」によると,2018年,年金制度どおりに保険料を拠出する企業は27.05パーセントしかなかった。賃金を低く申告し,低額拠出することは常態となっている。その結果,職工年金被保険者数対都市部就業者数の比率は69.33パーセントであるが,職工年金被保険者であっても,必ずしも将来の年金受給者になるというものではない。職工年金の受給には,15年間保険料を拠出することが要件とされるので,拠出年数が15年未満の場合や,拠出額が低い場合は,無年金者,または低年金者になってしまう。
2019年5月から,国辦発[2019]13号によって,年金保険料の企業負担分は個人賃金の16パーセントまで引き下げられた。これで,合計年金保険料率が24パーセントになった。同時に,保険料の徴収は,徐々に税務部門が行うようになっている (注10)。企業側にとっては,今までのように被用者の賃金を低く申告し,低額拠出することができなくなった。企業がコストを抑えるために,正規就業者ではなく,年金保険料を支払う義務がない非正規就業者を雇う傾向が強くなる可能性が高い。その場合,非正規就業者が労働年齢人口に占める比率が増加し,職工年金によって保障される就労者がますます限定的になってしまう。
(2) 低すぎる住民年金の保障水準職工年金に加入できない人にとって,保険料が低い住民年金が彼らの老後生活を保障する役割を担うことになる。住民年金の給付水準は,選択したランクに依存している。しかし,表2に示すように,住民年金の最低ランクを選択すれば,35年間拠出しても,対同年平均賃金比率(年金所得代替率)はわずか1.70パーセントである。実際,2018年,住民年金の1人当たり年間受給額は1828元であり,年金所得代替率に換算すれば,約2.22パーセントしかなかった(注11)。一方,世界銀行の国際貧困ラインを対平均賃金の比率に換算すれば,約6.96パーセントである(注12)。中国独自の農村貧困ラインも,2011年基準で対同年平均賃金比率は6.29パーセントである(注13)。つまり,住民年金のランク選択が個人に委ねられているが,低いランクを選択すれば,老後の生活が保障されないリスクがきわめて高いことになる。実際,2017年の住民年金の全国保険料収入は810億元,被保険者数は3億5657万人であり(注14),1人当たりの拠出金は227元である。北京,天津,上海のような最低ランクを1000元,600元,500元にする地域があることから考えると,多数の加入者が所在地の最低拠出ランクを選択していると推測できる。
中国では,最低生活保障制度もあるが,2018年,最低生活保障受給者は約4526万人である(注15)。一方,同年の年金制度加入者は合計9億4293万人(注16)であり,最低生活保障制度の20倍以上である。そのうち,年金受給者数のみでも2億7696万人である。もちろん,最低生活保障制度と年金制度では政策目的や守備範囲が異なり,単純な比較はできないが,中国では老後の基本生活の保障に関して年金制度が主要な役割を担うことは明白である。ただし,2018年最低生活保障の平均保障水準は,都市部と農村部がそれぞれ当年平均賃金の8.44パーセントと5.86パーセントであり(注17),住民年金の最低ランクの保障水準はいずれと比べてもはるかに低い。
以上の問題点から見ると,中国では,2つの年金制度があるものの,低所得者に対する保障が十分ではなく,本当の意味での老後の基本生活を保障できる制度にはなっていない。もしも職工年金より保険料率が低くて加入しやすく,住民年金よりも確実な保障水準が提供できる制度があれば,その制度に全国民をカバーさせ,基本生活を保障する役割を果たせることができる。本論は,そのような制度を提案するものである。
職工年金改革について,中国内外の研究は多い。Sin[2005]は,現行制度の財政面の持続性の欠如を指摘した。Oksanen[2010]は,職工年金の保険料率を引き下げるうえで,NDC方式(注18)に切り替えることを提案した。鄭[2015]は,職工年金の個人口座部分をNDC方式で運営し,職工年金のなかに占める割合を拡大することが年金制度の持続性にも加入インセンティブにも有益であると指摘した。李・黄[2016]は,個人口座部分の問題点を分析し,個人口座部分を職工年金から独立させ,任意加入という形にしたほうが中国の国情にふさわしいと論じている。実際,個人口座部分は,制度上では積立方式であるものの,ほとんどは既退職者の年金給付にあてられ,2014年,40974億元の記録額のなかに確実に存在している積立金は5001億元しかなく,「空口座」になっている(注19)。この視点から見るとNDC方式に近似している(注20)。
一方,住民年金の保障水準が低すぎることが多くの研究者によって指摘され[たとえば,穆・沈・陳 2013; 薛 2012; 黄 2015など],今や共通の問題認識となっている。Lu et al.[2014]は,職工年金に加入していない者を対象にして無拠出年金の導入を提案し,財源調達のために,所得税の増税を示唆した。
現行年金制度の一部のみに注目する研究に比べて,中国年金制度の全体像を俯瞰しながら改革案を提出する研究は少ない。Barr and Diamond[2010]は,職工年金の個人口座部分をNDC方式に改革し,全国民を対象にする無拠出年金を設立するという提案をした。職工年金の給付額に応じて無拠出年金の給付を減額するという提案である。将来,無拠出年金と職工年金の基礎部分を合併させる可能性があることも言及した[Barr and Diamond 2010, 33-34]。Dorfman et al.[2013]は,強制加入の職工年金の対象者をすべての賃金収入者にするうえ,NDC方式で運営すると同時に,任意加入の年金制度も併設し,これらの年金制度からの給付が少額で生活できない人または無年金者に対しては,無拠出年金を設立することを提案した。
ただし,今までの中国年金制度改革の提案は,財政収支に関する推計はあるものの,各個人への影響に関する推計はほとんどない。そのため,改革案が国民にどのような政策効果を与えるかが把握しにくい。そこで,本論は,年金負担率に加えて,各個人の保障水準への影響をも考察する。
2. 年金制度の役割から見る統一的な基礎年金の必要性 (1) 中国年金制度の役割分担年金制度は,生涯の消費活動をスムーズにさせる機能と高齢期の貧困防止機能を備えるべきである[Holzmann and Hinz 2005, 6]といわれている。この2つの機能から,中国年金制度の役割分担を見てみよう。
中国年金制度は職工年金と住民年金の対象者に関しては補完的な関係にあるといえるが,職工年金制度と住民年金制度とのあいだで,また,両制度において基礎部分と個人口座とのあいだで十分な役割分担がなされていない。職工年金の場合,個人口座は完全に賃金と連動し,生涯の消費活動をスムーズにさせるという役割をもつことは明白である。しかし,8パーセントの保険料率で本当にこの役割を果たせるかという懸念が生じる。一方,基礎部分が貧困防止の役割を担っているかというと,この部分には再分配の要素が入るものの,やはり賃金と連動する。しかも第Ⅰ節第2項の⑴で指摘したように,低所得者ほど貧困に落ちるリスクが高いが,彼らが職工年金から年金をもらえる可能性は低い。つまり,職工年金の位置づけは,貧困防止のための制度であるといえない。
そのため,住民年金が補完的に貧困防止の役割を担わないといけないが,第Ⅰ節第2項の⑵で指摘したように,住民年金の給付水準は,選択したランクには依存しつつも,所得代替率が低く,ほとんどの加入者にとって貧困防止機能を果たしていない。さらに,住民年金の基礎部分の位置づけを見れば,貧困防止機能がある部分としては,給付水準は明らかに足りないだけでなく,この基礎部分の受給には15年間の拠出を要件としている。
このように,現行制度は,貧困防止機能を果たす部分を欠いている。この欠如は,年金制度の機能を根本から弱らせ,将来,多くの高齢者を貧困リスクに晒させる。中国年金制度において,全国民を対象にした「基本生活の保障」ということを明確な政策目標として掲げ,貧困防止機能を確実に果たす部分を形成させることが重要である。
(2) 基礎年金改革に関する提案本論は,「基本生活の保障」を基礎年金が果たすべき役割としてとらえ,新たな基礎年金の設立を中心に分析を展開する。ただし,現行制度では基礎部分と個人口座部分が一体であるので,基礎部分を改革すれば個人口座部分も調整しなければならない。改革の輪郭を以下に記す。
職工年金の基礎部分と個人口座部分を分離させ,基礎部分を独立させる。住民年金の代わりに,現在の職工年金に加入する余裕がない人たちは,基礎部分のみに加入することを可能にする。この新基礎年金によって全国民をカバーする。それに個人口座を上乗せして,二階建ての年金制度にする。
もちろん,新基礎年金の算定式は職工年金の基礎部分とは違う。新基礎年金の所得代替率を「基本生活のみを保障する」という基準で地域ごとに一律にし,平均賃金の変動と連動させる。保険方式で運営される場合の保険料率,税方式(年金保険税)で運営される場合の税率は,各個人の賃金の一定の比率にする。新基礎年金の財政単位について,初期段階では省レベルのプールに留まるが,最終的に全国レベルを目指すべきである。つまり,各省が保険料収入の一部を中央政府に上納し,中央政府が各省の受給者数によって再分配を行う(注21) 。
一般企業被用者や機関・事業部門従業者は,今までどおり,雇用と共に基礎年金と個人口座の両方に自動的に加入させるが,それ以外の人は基礎部分のみに加入できるように,個人口座部分は強制加入ではなく,任意加入にする。年金給付に関しては,新基礎年金は基本生活のみを保障する制度であるため,もし退職のときに裁定する基礎年金と個人口座の合計額が一定の水準を超えるならば,新基礎年金の給付を減額するという規定を入れてもよい(注22)。
新基礎年金のおもな役割は,公的年金制度としての貧困防止機能である。一方,消費の平準化などの役割は,個人口座が担うことになる。このように,改革後の年金制度は,両部分の役割分担が明確になる。ただし,本論では,国民の老後の基本生活が現行制度によって保障されていないという問題をもっとも重視し,新基礎年金を提案したので,これからの分析もこれを中心に展開する。
(3) 改革による現行制度の問題点への対応このような改革には以下のメリットがある。①新基礎年金と個人口座の役割分担が明確になり,国民に説明しやすく,年金制度への理解と信頼を得られやすく,カバー率拡大にも貢献する可能性がある。②基礎年金のみに参加するという中間的な選択肢が提供され,第Ⅰ節第2項の⑴の問題が緩和できる。③基礎年金部分の規模による「底上げ」的な効果が期待でき,第Ⅰ節第2項の⑵の問題の解決にもつながる。これで,年金制度の貧困防止機能を果たせ,国民の基本生活を保障することができる。これ以外,④制度間の整合性を向上させることもできる。
現在の中国では,都市化,都市部と農村部の戸籍制度の撤廃(注23),就業形態の多様化などにともない,農民工および非正規就業者の人数が増加している(注24)。第Ⅰ節でも触れたように,彼らは,退職年齢に達するまでに,住民年金と職工年金のどちらかに,一定期間は加入している可能性が高い。このような状況に対して,現行制度の場合,退職年齢に達したとき,職工年金に拠出する期間が15年未満の場合,職工年金の個人口座部分だけは一括で支給される。住民年金に転入することもできるとはいえ,職工年金への拠出期間が住民年金への拠出期間に加算され,その合計年数を住民年金への拠出とみなすことになる。住民年金の給付水準は,職工年金と比較できないほど低いので,職工年金の基礎年金部分へ拠出した保険料分はほぼ損失してしまう。このような損失の可能性の存在は,年金制度,とくに職工年金制度への加入インセンティブを損なう。本論の提案の場合,基礎年金部分は共通であるため,このような損失が抑えられ,制度間の転入転出や個人口座への拠出能力と関係なく,基礎年金をもらう可能性が大きくなる。しかも現行制度と同じ保険料率であっても,個人口座の割合が大きくなり,この部分が確実に自分の老後の貯金になるため,個人口座への加入インセンティブも向上させる可能性もある。
本論で提案する改革案は上述のメリットをもたらすが,実行可能かどうかを知るためには,国民にかかる年金負担率の大きさを考慮する必要がある。本論では,提案する基礎年金を実施した場合の負担を「年金負担率」という指標でとらえる。税方式の場合は税率,保険方式の場合は保険料率ということになる。そこで第Ⅲ節では,統一的な基礎年金制度を税方式・保険方式で運営する場合,給付水準を保障するために必要な税率・保険料率について簡単な推計をする。
1. 推計前提とデータ推計は,以下の仮定を前提にする。①推計段階では別途財政補助が含まれない(注25)。②改革は2020年から始まる。2020年までの退職者は現行制度に従う。③GDP実質成長率は,2020〜2060年はOECDの実質GDP長期予測(注26)を利用する。OECDの予測では2050年からは約1.44パーセントに据えおくため,本論でも2060年以降は,その水準の成長率に据えおくと仮定する(注27)。④実質賃金増加率は,2020〜2060年はGDPより1パーセントポイント高く,2060年以降はGDPと同じにする(注28)。⑤積立金の収益率は1~3パーセントで固定する。⑥既退職者の年金給付額は,賃金増加率で調整され,所得代替率を退職時点の水準で維持させる。⑦退職年齢を引き上げることはよく提起されているが,具体的な方法はまだ発布されていないため,推計する際,2020年は男性61歳,女性56歳を退職年齢とし,その後5年ごとに1歳のペースで男女とも65歳まで引き上げると設定する(注29)。⑧財政状況に関する推計結果は対GDP比率で表示する。
次に,データに関して述べておこう。将来男女別各年齢層人口および平均余命に関するデータは,2017年国連世界人口推計[World Population Prospects 2017]を利用する。男女別各年齢層の所得については,公表データがないため,2010〜2016年「中国家庭追跡調査」(CFPS)より推計する(注30)。男女別各年齢層の就業率に関する公表データもないため,「中国労働統計年鑑」に公表された2015年就業者人口および各年齢層が就業者人口に占める割合による男女別各年齢層の就業者人口を算出し,国連人口推計の2015年男女別各年齢層の人口数との比率を求める。退職年齢を引き上げる場合,男女別各年齢層の収入も就業率もその前の年齢層と同じであると設定する。それ以外のデータは,各年度の全国または各地域の統計年鑑公表データを使う。
2. 新基礎年金の年金負担率基礎年金の役割は,基本生活を保障することである。現行制度である職工年金も住民年金も「基本生活を保障する」ことを明確な政策目標にしているが,その基準について具体的な説明もなく,両制度の給付水準の格差もかなり大きい。基本生活を保障できる水準の妥当性についてはもっと深く議論する必要があるが,本論では,その課題に関して掘り下げることはしない代わりに,以下に示す3つの水準を設定して,それらの水準を保障する基礎年金を分析することにする。
①世界銀行の国際貧困ライン:2015年基準を対平均賃金の比率に換算すれば,6.96パーセントである。他の「基本生活」を示す水準も,この前後の値である。たとえば,中国独自の農村貧困ラインは,2010年基準では平均賃金の6.29パーセントである。農村可処分所得最低五分位は,2013~2015年平均では平均賃金の7.72パーセントである。本論では,この程度の所得代替率を,生活できるためのボトムラインとしてとらえる。その他,より正常に生活できる水準として,②全国合計可処分所得最低五分位の所得水準:2013~2015年平均では平均賃金の約11.52パーセントおよび③都市部最貧困5パーセントの人たちの所得水準:2002~2012年平均では平均賃金の約15.49パーセントについても加える。以下では,上記の3つの水準を給付水準6.96パーセント,給付水準11.52パーセント,給付水準15.49パーセントと称す。
基礎年金の運営方式には,税方式と保険方式という2つの選択肢がある。税方式の場合,退職年齢に達するすべての人が基礎年金給付の受給者になる。財源について,推計段階では,徴収しやすく,確保しやすいうえ,簡単に推計できることを考え,それを所得に比例する税とし(注31),すべての収入がある人,つまり労働年齢就業者が財源を負担するとみなす。もっと正確に言えば,ここでいう「税方式」は「年金保険税」になる。
毎年の年金給付をその年の税収入で賄う場合,各年の税率は次のように示される。
ただし,\(s\) は性別,\(a\) は5歳刻みの年齢層である。
一方,保険方式の場合,給付から見ると,保険料を拠出した加入者のみが受給者になる。ここでは,学生を除いた労働年齢人口にいる人が収入の有無に関係なく必ず被保険者になると考える。そうすると,各年の保険料率は次のように示される。
受給者率は,2015年職工年金と住民年金の合計受給者数が退職年齢以上人口に占める割合(94.26パーセント)と同じと想定する。
年金負担率の推計結果を図1に示す。
図1における実線は,設定した3つの各給付水準を保障する基礎年金を税方式で導入した場合の年金負担率(税率)を示している。点線は,保険方式の場合の年金負担率(保険料率)を示している。いずれも最初は低いが,2060年まで増加し,それ以降はほぼ横ばい状態になる。一番年金負担率が高いのは,給付水準15.49パーセントの税方式であり,2060年以降,この税率は12パーセント前後にも達する。給付水準が高い分,負担率も高くなるのは当然であるが,国民の拠出能力が問われる。ただし,いずれも職工年金の基礎年金部分保険料率の20パーセントよりずっと低く,住民年金の最低ランクの保険料率より高いので,新基礎年金の保険料率は職工年金の基礎部分と住民年金の中間にあることがわかる。
(出所)筆者推計。
本論で提案する基礎年金を導入する場合,2100年まで,3つの給付水準でそれぞれの最高単年度年金給付総額は,GDPの2.66パーセント,4.40パーセント,5.92パーセントである。実際,2017年政府が現行年金制度に対する財政補助は,当年GDPの1.5パーセントである(注32)。つまり,政府が新基礎年金の給付の一部を既存の財源で負担する可能性も存在する。もし政府が現行年金制度に対する財政補助を行うように,新基礎年金の給付の一部を既存の財源で賄うならば,あるいは税・保険料以外の形で財源を調達するならば,実際の年金負担率(税率・保険料率)は図1の推定値より低くなる。
3. 積立金残高で見る新基礎年金の財政持続可能性どの給付水準においても,保険方式のほうが被保険者が多く,年金負担率は低いが,実行面から見ると,必ずしもそうとはいえない。保険方式の場合,税方式ほどの強制力がないため,学生以外の労働年齢人口全員が拠出する保障はない。
それでは,推計期間において年金負担率(税率・保険料率)を一定とした場合の新基礎年金の各財政状況を見てみよう。
税方式の場合の収入は,税収入\(=\)労働年齢就業者総収入\(\times\)税率というように簡単である。一方,保険方式の場合の収入は,複雑である。保険料拠出をしている加入者がどのくらいいるかということがポイントになる。現行制度の場合,税務部門によって保険料を徴収するようになっているが,保険料拠出と年金給付のあいだに対応関係が相変わらず存在しているため,保険方式と見なすべきであろう。税務部門によって保険料を徴収すれば,一般企業被用者の未加入や低額拠出問題が改善できるが,このような影響は,自営業者や非正規就業者に及ばない可能性が高い。改革後の制度でも,新基礎年金と個人口座の両方に加入している人と新基礎年金のみに加入している人がいる。したがって,新基礎年金の保険料収入を計算する際には,その2つの人々の保険料のことを考慮しなければならない。保険料収入は次のように示される。
式⑶の第1項では,新基礎年金と個人口座の両方に加入している就業者からの新基礎年金の保険料収入をあらわしたい。労働年齢人口に占めるそれの比率を労働年齢人口に対する現在の職工年金加入者の比率(R1)と同じであると想定する。彼らの基礎年金保険料は,個人口座分と一緒に徴収され,保険料率は各人の収入に対する比率でとらえることにする。税務部門によって保険料を徴収すれば,彼らからの保険料収入はほぼ確保できる。
式⑶の第2項では,新基礎年金のみに加入している人の保険料収入をあらわしたい。彼らは自発加入なので,加入率に変動がある。本論では,高加入率と低加入率と2つのケースに分けて推計する。高加入率の場合,新基礎年金と個人口座のどちらにも加入していない労働年齢人口に占めるそれの比率が職工年金に加入していない労働年齢人口に対する現在の住民年金加入者の比率(R2\(_{\it{\mbox{高}}}\))と同じであると想定する。一方,新基礎年金の保険料率は住民年金よりも高くなるので,新基礎年金の加入者が住民年金の0.6まで減少してしまうケースを低加入率のケースとして想定する(注33)。つまり,R2\(_{\it{\mbox{低}}}=\)0.6\(\times\)R2\(_{\it{\mbox{高}}}\)である。念のため,(注31)に示したように,他の数値でも推計してみた。彼らの保険料率は,対平均賃金の比率でとらえることにする。
年金給付総額について,税方式および保険方式の高加入率の場合は,式⑴,式⑵によって示したが,保険方式低加入率の場合は,拠出率が下がる分,受給者も減り,退職年齢者の70.96パーセントになる(注34)。
次の式で,収支および積立金残高を計算する。
また,財政の持続可能性のとらえ方はさまざまであるが,本論では,年期末の積立金残高が一年分以上の年金給付を支給できることを「財政持続可能」ととらえて,分析を展開する。
積立金の実質利回りが0~3パーセントまで1パーセントポイント刻みで推計した結果(注35),税方式の下で,給付水準6.96パーセントの場合,税率が4~5パーセントで2100年まで財政的持続可能である。給付水準11.52パーセントと15.49パーセントの場合は,税率がそれぞれ7~8.2パーセント,9.6~11パーセントである。一方,保険方式では加入率によって状況が大きく変わる。
図2は,推計期間において,積立金の実質利回りが2パーセントである場合,給付水準6.96パーセント,11.52パーセント,15.49パーセントの下で年金負担率(税率・保険料)を4.4パーセント,7.4パーセント,10.3パーセント(注36)で一定にしたときの新基礎年金積立金残高を示している。
(出所)筆者推計。
本節の目的は,年金負担率を一定にした場合の新基礎年金の財政状況を明らかにすることであった。その財政状況は,図2に示してある。図2において,3種類の線がある。実線は税方式の場合,点線と破線は保険方式の場合の新基礎年金積立金残高を示している。同じ年金負担率で,税方式では2100年まで財政持続可能であるが,保険方式の場合,高加入率では税方式とはほとんど差がないが,低加入率では,2065年前後で積立金残高が赤字に転じてしまう。もちろん,積立金の利回りなどが財政状況に影響を与えるが,低加入率の場合,本論が推計したすべてのシナリオにおいて2060年から2070年までのあいだに積立金残高が赤字になってしまう。つまり,保険方式の場合は,加入率が制度の財政状況に大きな影響を与える。財政を持続させるために,保険料率が税率よりも高くなってしまう可能性がある。以上に示してきたことから,保険方式は保険料率に関してかなり不確実性が高いということがわかった。
図2は,制度加入率が年金財政に与える影響を示すため,年金負担率が2100年まで一定であることを前提にして推計されたが,図1に示したように,新基礎年金の財政を持続させるために必要な年金税率・保険料率は,人口動態などと共に変動している。実行する場合,数年ごとに最新の人口動態や制度加入状況などに関するデータを元に財政検証を行い,年金税率・保険料率を調整する必要がある。
最後に,財政的持続可能性以外の視点からいくつかの問題点を指摘しておきたい。保険方式の場合,年金給付は各個人の現役時代の拠出を前提にするので,無年金者や低年金者の存在が避けられない。一方,税方式にはそのような問題はないが,現行制度は保険方式であるため,移行する際の経過措置や行政負担などの問題に直面する。さらに,非正規就業者や自営業者から年金保険税・保険料を徴収する費用は,割高となる[華 2013, 54]。新基礎年金を設立する際に,いかにより多くの国民の基本生活を保障できるかということを出発点にして,財源の安定性を考慮したうえ,運営方式など制度面の改革だけではなく,中国社会の実情に即して,財源徴収や年金給付など実行面についても整備する必要がある。
4. 年金財政収支から見る改革の可能性と問題点本論では新基礎年金を提案するが,現実問題として,現行制度からの切り替えを考えなければならない。住民年金のほうは,成立してからわずか数年間であり,保険料率も給付水準もかなり低く,個人貯金のような性質が強いので,新基礎年金に移行する際に,清算するか,もしくは新基礎年金への拠出とみなすなどを行えば比較的問題にならない。しかし,職工年金のほうは,保険料率も給付水準も高く,「老人」と「中人」を抱えており,改革は容易ではない。職工年金の基礎部分と個人口座部分は一体であるため,基礎部分を新基礎年金に変えるという改革を行うとはいえ,個人口座部分も連動的に改革するしかない。年金改革をすれば,それまでに退職した職工年金受給者の年金給付や,その前に就職してその後に定年退職する人のそれまでの年金権益を考慮する必要がある。そこで,このような給付を改革後の新個人口座が引き受けると仮定して,その収支状況を推計することによって,本論が提案する改革の可能性と問題点を分析しようとするのが,本項の位置づけである。ただし,前項において示したように,保険方式は保険料率に関してかなり不確実性が高いので,以下の分析は税方式に絞って行うことにしたい。
合計年金負担率によって2つのケース(ケースAとケースB)に分けて推計する。ケースAでは,新基礎年金部分の税率と新個人口座部分の保険料率の合計が現行職工年金と同じく24パーセントであるとする。この場合,新個人口座保険料率は,(注36)に示した3つの新基礎年金税率を控除した後の数値,すなわち23.6パーセント,20.6パーセント,17.9パーセントとなる。ケースBでは,税率・保険料率の合計を20パーセントまで下げる。この場合の新個人口座保険料率は15.6パーセント,12.6パーセント,9.9パーセントとなる。ケースAの場合,新個人口座部分のカバー率は,2015年職工年金カバー率のままで拡大なしと設定する。ケースBの場合,税率・保険料率の合計が下がるため,カバー率の拡大が考えられる。本論では,2050年まで,新個人口座部分のカバー率が労働年齢就業者の61パーセント(注37)まで拡大し,それ以降は据えおくと設定する。カバー率の拡大は,退職年齢まで15年以上の年齢層に発生すると想定する。両ケースとも,給付総額に2020年改革までの退職者の年金給付を含む。
新個人口座の財政方式については,もちろんこれは重要な課題であり,中国国内外の研究者も職工年金の個人口座部分改革についてさまざまな意見を発表したが,本論では分析しきれないので,ここでは展開しない。ただし,現行制度の個人口座部分を参考にすれば,第Ⅱ節で説明したように,職工年金の個人口座部分はNDC方式に近似している。また,既退職者の年金給付を外部からの財源で賄わないかぎり,このNDC方式に近似している状態が将来も続くだろう。年金改革を行っても新個人口座は同じ問題に直面するので,本論では新個人口座はNDC方式であると仮定する。もちろん,NDC部分と積立部分を併設してもよいが,ここで注目するのは,新基礎年金の設立とともに現行制度から二階建ての年金制度に変更する際の財政状況なので,新個人口座はすべてNDC方式であるとする。一人当たりの給付計算式は以下のようになる。
みなし利回りは,賃金増加率と同じであると設定する(注38)。個人口座への拠出総額は,個人口座保険料率,勤続年数,拠出率,賃金水準によって算出する。男女の退職年齢がそれぞれ55歳,60歳の場合,勤続年数は25年,30年であると設定(注39)し,退職年齢の引き上げに応じて勤続年数も同じく延長する。2020年前退職する職工年金受給者は2018年の所得代替率(45.89パーセント)(注40)で給付する。
2020年前に就職してその後に定年退職する職工年金受給者に対して,とくにケースBの場合,保険料率の引き下げによって年金給付が減少し,改革前に納付した保険料に対して,移行期措置を必要とする(注41)。本論は,移行期問題を以下のように簡単に取り入れた。
式⑺では,2020年以前と以後の勤続年数がそれぞれ総勤続年数に占める比率によって年金給付を2つの部分に分ける。2020年以前の勤続分に対しては,それまでの職工年金受給者の給付額から新基礎年金給付額を引き,2020年以前の勤続年数が総勤続年数のなかに占める比率をウェイトとしてかける。2020年以降の勤続分に対しては,総勤続年数をすべて式⑹で計算する場合の給付額に2020年以降の勤続年数が総勤続年数のなかに占める比率をかける。
年金給付総額は,2020年改革前後の給付水準と該当する退職者数による算出する。保険料収入は以下のように計算する。
改革後の新個人口座は現行の職工年金とは構造的に違うので比較できないが,参考の基準として,職工年金の将来収支についても簡単に推計した。ただし,職工年金の基礎部分と個人口座部分は一体であるため,年金給付も保険料収入も基礎部分と個人口座部分と両方を含んでいる。
職工年金の給付について,2020年前退職する職工年金受給者は,「老人」が含まれるため,上記のケースA,ケースBと同じく,2018年の所得代替率で給付すると仮定する。2020年以降の退職者は,表1で示した「中人」と「新人」の算定式で推計する。退職年齢の引き上げに応じて受給計算年数も変動させる。現行制度の保険料収入は以下のように計算する。
職工年金のカバー率は,ケースAと同じく,2015年水準で拡大なしと設定する。非正規就業者と自営業者が職工年金に加入する場合,保険料率は一般被用者の24パーセントではなく,20パーセントになるので,式⑻,⑼に拠出率という調整係数をかける。拠出率とは,一般被用者の保険料率で推計した保険料収入に対する実際の保険料収入の比率である。本論では,陳[2017]を参考し,非正規就業者と自営業者が職工年金加入者の1/3を占める,平均賃金の60パーセントを拠出ベースにすると想定する。この場合,拠出率は83.04パーセントである(注42)。
図3は,ケースAとケースBの新個人口座および職工年金の単年度収支のシミュレーションである。
(出所)筆者推計。
図3において,実線はケースA,破線はケースB,点線は現行職工年金の収支状況を示す。新個人口座の場合,個人口座保険料率19.6パーセントの場合以外,いずれも新個人口座が成立する2020年では赤字であるが,その後徐々に好転し,2030〜2045年のあいだでプラスになり,以降は安定する。2020年において,個人口座保険料率9.9パーセントの場合,赤字がGDPの2.08パーセントに達する。一方,現行職工年金の場合,2030年以降では赤字に転じてしまう。職工年金の将来収支に関する推計結果は先行研究とほぼ一致するが,推計する際,式⑻のなかで使った拠出率は実際の値より高く,保険料収入が高く推計された可能性が高い。もし2017年の拠出率(56.18パーセント)(注43)で推計すれば,2020年ではすでに赤字になる。これは現実と一致する。実際,2014年から職工年金の年金給付が保険料収入を上回り,2017年の収支差額はGDPの0.57パーセントであり,中央政府および地方政府の財政補填はGDPの0.98パーセントである。
以上の推計で,まず,新個人口座の規模を適切に選択すれば,新基礎年金の導入で財政状況を現状より悪化させたり,大幅な負担を増加させたりすることはないと確認できる。また,長期的に見ると,新基礎年金の設立に合わせて新個人口座の財政状況は安定することがわかる。これで,財政面から見ても,新基礎年金改革の可能性が存在するといえるだろう。
第Ⅳ節では,現行制度と基礎年金を提案したものに替えた場合の年金所得代替率(個人口座部分を含めて)を所得階層別・拠出年数別に比較して,提案した年金制度改革がどのような影響を与えるかを考察する。さらに,個人口座の縮小によって合計年金負担率を引き下げる場合の保障水準の変化も考察する。
1. データと推計方法年金給付水準について,現行制度も今回提案する改革案の個人口座部分も個人の生涯収入によって決まるが,中国では生涯収入に関するデータが少ない。高山ほか[1990],何[2006]などは,個人の生涯収入水準を推計して年金給付額を推計するという方法を使うことがある。本論は,それを参考にする。
推計する際,「中国家庭追跡調査」(ChinaFamily Panel Studies,以下はCFPSで称す)のデータを使う。CFPSは,北京大学中国社会科学調査センターによって実施されている調査である。1回目の調査は2010年に実施され,中国の東部,中部,西部,東北部という4つの経済地域をすべて包括する計25省の計16000家庭を対象にし,その後,2012年・2014年・2016年というように,これまで計4回の調査が実施されている。本論では,4回分すべてのデータを使う。分析対象は,調査時点で仕事があり,16歳以上,55歳以下の女性と60歳以下の男性である。ただし,自家経営農家は,収入決定のメカニズムが異なるという理由で除外した。
推計方法について,まずGLSによって各個人の年齢および勤続年数と賃金収入の関係を明らかにし,各個人の就職から退職までの毎年の賃金収入の予測値を求める。次に,その予測値を賃金増加率で調整し,毎年の賃金水準を求める。続けて,職工年金計算公式および改革後の個人口座計算式を用いて,各個人の退職時の年金所得代替率を推計する(注44)。最後に,所得階層(注45)および年金制度拠出年数で分けた年金所得代替率をまとめ,改革前後の保障水準を比較する。本論でいう所得代替率は,退職する時点の年金額の当該年の平均賃金に対する比率である。
2. 推計結果表3は,現行制度と提案した新制度の各所得階層別および年金制度拠出年数別の年金所得代替率を示している。表3の所得代替率は,現行制度の場合ではサンプルのなかのすべての人が職工年金に加入していると仮定し,新制度の場合ではすべての人が新基礎年金と新個人口座両方に加入していると仮定して推計した基礎年金と個人口座の合計所得代替率である。基礎年金が保険方式の場合,必要な保険料率の不確実性が高いため,紙幅の関係で表3では基礎年金が税方式の場合の推計結果のみを示している。ただし,基礎年金が保険方式で行われた場合においても,推計値が税方式より若干低くなるが,現行制度と比べた影響は税方式とそれほど大きな違いはない。
(出所)筆者推計。
新提案の場合,新基礎年金部分の税率と新個人口座の保険料率の合計年金負担率が職工年金の場合と同様に24パーセントおよび20パーセントまで下がるという2つのケースに分け,新基礎年金の給付水準(所得代替率6.96パーセント,11.52パーセント,15.49パーセントを指し,以下「基礎6.96パーセント」,「基礎11.52パーセント」,「基礎15.49パーセント」で称する)に応じて,計6パターンを推計した。たとえば,基礎6.96パーセントの場合,その水準を保障するためには基礎年金部分の税率は4.4パーセント必要となるので,合計年金負担率を24パーセントにするならば,新個人口座保険料率はその差額の19.6パーセント,合計年金負担率を20パーセントにするならば,新口座保険料率は15.6パーセントとなる。所得階層1~5は,低所得五分位から高所得五分位までの順番である。各所得階層において,1行目は所得代替率,2行目は現行制度と比べた増減のパーセントポイントを示している。
まずは,合計年金負担率が24パーセントの場合の推計結果を見よう。拠出年数が最低拠出年限である15年の場合(注46),どの所得階層に対しても,新制度のほうが給付水準は高い。新基礎年金の保障水準が高いほど,また所得階層が高いほど新制度の給付水準増加分が大きい。25年拠出する場合,基礎6.96パーセントの1~2所得階層の合計給付水準がそれぞれ1.26パーセントポイント,0.20パーセントポイント微減するが,それ以外は15年拠出するときと同じように増える。一方,35年拠出する場合,新制度のほうが給付水準は低い。とくに,新基礎年金の保障水準が低いほど,所得階層が低いほど新制度の給付水準減少分が大きい。つまり,合計年金負担率が同じならば,職工年金は基礎部分が大きく,その基礎部分に所得再分配の要素が取り入れられているため,中高収入者(所得階層3以上)の年金給付を抑える一方,拠出年数が25年以上の場合,低収入者(とくに所得階層1・2)にとっては有利となる。
しかし,低収入者は職工年金に加入する余裕があるかどうかがまず問題であり,25年以上納付することができるかどうかはさらに問題となるので,職工年金は拠出年数が25年以上の低収入者を有利にするとはいえ,それが実現できる可能性がかなり低い。職工年金のカバーや拠出率を考えると,低収入者は,現行制度の場合は住民年金,改革後の場合は新基礎年金のみに加入することを想定した方が現実に近いといえる。表4は,これをあらわす推計結果である。具体的には,サンプルのうち,生涯平均収入が地域平均賃金以下であり,かつ職工年金に加入していない人(サンプル数の48.92パーセント)は,現行制度の場合,住民年金に加入し,住民年金の平均拠出額である200元ランクを選択していると想定する。そして,彼らの年金所得代替率を住民年金の200元ランクの年金所得代替率に替える。同じく,新提案の場合,彼らは新基礎年金のみに加入すると想定し,彼らの年金所得代替率を新基礎年金各給付水準の代替率に替える。このように,より現実的な状況を推計する。
(出所)筆者推計。
表4は表3に比べて,現行制度の下で,1~3所得階層の所得代替率に大きな変動が見られる。それは,所得階層が低いほど,職工年金に加入する人が少ないからである(注47)。表4では,合計年金負担率が24パーセントの場合,すべての拠出年数および所得階層において,新提案のほうが保障水準が高い。基礎年金部分の保障水準が高いほうが低収入者に対する給付水準の増加分を大きくさせ,底上げ効果を顕著にする。
とくに興味深いのは,合計年金負担率を20パーセントまで引き下げた場合の推計結果である。表3では,職工年金に比べて,合計年金負担率を4パーセントポイント低くすると,すべての拠出年数および所得階層において新制度の年金所得代替率は職工年金よりも低くなる。しかし,表4では,第1~3所得階層の年金所得代替率はすべての拠出年数において上昇する。このことから次のようにいえるだろう。合計年金負担率の引き下げにともなって,個人口座部分の年金給付は下がるものの,低収入者は新基礎年金が支給されるので,現行制度の職工年金と住民年金の組み合わせよりも基本生活が保障される。第4・5所得階層の年金所得代替率は下落するが,年金負担率も下がるため,彼らは相対的高所得者であり,その分の所得を企業年金や民間保険に回すことができる可能性が十分にあるであろう。将来,新基礎年金による国民の基礎生活を保障するうえで,このような新個人口座と企業年金や民間保険などの役割分担について,もっと検討する必要がある。
第Ⅰ節で論じた職工年金の高保険料率による低年金・無年金の問題を改善するため,保険料率の引き下げの必要性がよく指摘される(注48)。しかし,年金債務など財政面の問題を考えると,いくら引き下げても限界がある。最悪の結果は,低収入者が相変わらず職工年金に加入できず,住民年金にとどまる一方,職工年金の給付水準が保険料率の引き下げにともない下落し,ぎりぎりで職工年金に加入した人も貧困のリスクにさらされる。新基礎年金が創設されるならば,このような状況が避けられる。言い換えれば,基本生活を新基礎年金で保障することによって,個人口座部分の保険料率を引き下げる余地を生み出せる。最終的に,公的年金制度カバー率の拡大につながる。
新基礎年金の底上げ効果が示されるが,それは所得再分配があるからであり,その背後に税・保険料という負担が存在する。表3・4に示されたように,基礎年金の給付水準が高いほど,基本生活に対する保障が充実する分,その負担も高くなる。また,基礎年金の給付水準が高い場合,個人口座への加入インセンティブを損なうことも考えられる。基礎年金の規模を決める際,さまざまな側面を総合的に考えなければならない。
本論では,中国現行年金制度の問題点を分析し,高齢者の基本生活を十分に保障できないということを指摘した。これに対して,統一的な新基礎年金を中心にする改革案を提案した。続いて,この提案の実行可能性を考察するために,新基礎年金の年金負担率を明らかにしたうえで,新個人口座も含めて改革を実行する場合の財政収支を推計した。最後に,新基礎年金が設立された場合の各個人の年金所得代替率の増減を推計し,給付面から新提案の保障機能を考察した。結論として,まず,新基礎年金の設立によって財政状況を悪化させることはなく,この提案の実行可能性は存在する。また,統一的な新基礎年金と新個人口座の組み合わせは,低収入者にとって,年金制度の保障機能を向上させる。同時に,中高収入者の給付水準を下げることもほぼない。さらに,新基礎年金によって基本生活を保障すれば,新個人口座の規模による合計年金負担率を引き下げる可能性も示唆した。
ただし,本論には不十分な点が存在する。まず,入手できるデータは限られ,推計や仮定に頼らざるをえないところが多く,結果の精確さが大きく制限された。また,中国では「計画経済」という時期が存在し,年金制度にも影響を与えている。これについて,紙幅などの関係で詳しく分析することができなかった。最後に,個人口座の内部構成,基礎年金のクローバック部分に関する設定などは,これからの課題として残される。
表2の住民年金部分は,以下のように推計する。
(1) 基礎年金部分所得代替率
\[RP_{\mbox{基}}=\{{(A+T1\cdot N)\cdot(1+g)^{(r-b_0)}}\}/\bar{w}_{d(r)}\qquad\qquad\qquad\qquad\quad(a)\] |
\(A\) は,各省によって決められている2014年時点の基礎年金額である。本論では,\(A\) は賃金増加率で調整されると仮定する。\(r\) は,年金を受給し始める年である。\(b_0\)は,住民年金に加入する年(2014年)である。\(T1\) は納付期間が15年を超過する場合の1年あたりの政府補助である。\(N\)は15より超過する年数である。国家基準の場合,\(A\) は88元であり,\(T1\) は規定されていない。\(\bar{w}_{d(r)}\) は退職当年の各省平均賃金である(注49)。
(2) 個人口座給付の所得代替率
\[RP_{\mbox{個}}= \left\{\frac{12}{139}\cdot\sum^{r-1}_{t=b_0}(B_i+T2_i)\cdot(1+I)^{r-t} \right\}/\bar{w}_{d(r)}\qquad\qquad\qquad(b)\] |
\(B_i\) は,ランク \(i\) の場合の拠出額である。\(T2_i\) は,ランク \(i\) 拠出額に対する政府の補助である。国家基準では,最低ランクの場合,\(T2_i\) は30元であり,500元以上のランクの場合,\(T2_i\) は60元になる。\(I\) は個人口座の収益率であり,本論では4パーセント(注50)に設定する。
2. 職工年金と新個人口座 (1) 個人年収まず,2010〜2016年のCFPSデータを使って各個人における年齢や勤続年数などが収入に与える影響を推計する(注51)。
\[\ln\! w_{it}=\alpha+\beta_1A_{it}+\beta_2A^2_{it}+\beta_3E_{it}+\beta_4E^2_{it}+\boldsymbol{X}^{\prime}_{it}\lambda+\nu_i+\varepsilon_{it}\qquad(c)\] |
ただし,\(i\) は個人,\(t\) は時点を示す。\(\ln\! w_{it}\) は個人 \(i\) の \(t\) 年における年収の対数である。\(A_{it}\) は個人 \(i\) の \(t\) 年における年齢,\(E_{it}\) は勤続年数(注52)である。\(\boldsymbol{X}^{\prime}_{it}\) は,個人属性を示しているダミー変数であり,学歴,性別,地域,就職先の属性,職種,業種,都市部にいるかどうか,子どもの人数,婚姻,健康状況などをあらわしている。\(\nu_i\) は観察できない個人特有の効果,\(\varepsilon_{it}\) は誤差項である。
式(c)によって推定された係数を用いて個人\(i\)の仕事を開始する年から退職年齢に達するまでの毎年の年収予測値 \(\hat{w}_{i(t)}\) を求める(注53)。その予測値 \(\hat{w}_{i(t)}\) は,2016年水準であるため,賃金増加率などで調整する。
\[w_{i(t)}=\hat{w}_{i(t)}\cdot\alpha_a\cdot(1+g)^{(t-a)}\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad(d)\] |
\(a\) は調査が最後に行われた2016年である。\(g\) は賃金増加率である。\(g\) について,2017年までは各省統計年鑑に公表された数値を使用し,それ以降の設定は,財政状況推計時と同じである。CFPSデータの毎年の平均所得は,同年の統計年鑑に公表された数値より少し低いので,その比率の平均値 \(\alpha_a\) を調整係数としてかけて統計年鑑に合わせるようにする。\(w_{i(t)}\) は,以上のように求めた個人 \(i\) の \(t\) 年の年収である。
(2) 職工年金基礎年金部分所得代替率
\[RP_{\mbox{基}}=\left(\frac{\bar{w}_{d(r-1)}+Q_{pi}\cdot \bar{w}_{d(r-1)}}{2}\cdot Y_i \cdot 0.01\right)/\bar{w}_{d(r)}\qquad\qquad\qquad\quad(e)\] |
\[Q_{pi}=\frac{1}{Y_{pi}}\cdot\sum_{t=a_0}^{r-1}w_{i(t)}/\bar{w}_{d(t)}\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\quad(f)\] |
\(\bar{w}_{d(r-1)}\)は個人 \(i\) の退職前年の各省平均賃金であり,\(Q_{pi}\) は,拠出期間中,個人 \(i\) の収入の地域平均賃金に対する比率の平均値である。\(a_0\) は個人 \(i\) が年金制度に加入する年,\(\bar{w}_{d(t)}\) は \(t\) 年の地域平均賃金を示す。\(Q_{pi}\) の下限と上限は,0.6と3である。\(Y_{pi}\) は個人\(i\) の1997年以後の拠出年数である。実は勤続年数と拠出年数は同じではないが,どの年に拠出したのかについて特定できないため,\(Q_{pi}\) を計算する際,\(Y_{pi}\) は各個人の1997年以後勤続年数を使う。そして,\(Y_i\) は総拠出年数である。「新人」の場合,\(Y_{pi}\) は \(Y_i\) に等しいが,「中人」の場合,\(Y_i\) は,1997年制度成立する前の認定拠出年数 \(Y_{bi}\) と \(Y_{pi}\) の合計である[国発[1995]6号]。拠出年数別所得代替率を推計する際,\(Y_i\) を変動させる。
(3) 個人口座の所得代替率
\[RP_{\mbox{個}}=\left\{\frac{1}{Y_l}\cdot\sum_{t=a_0}^{r-1}w_{i(t)}\cdot C_{\mbox{個}}\cdot(1+I)^{r-t}\right\}/\bar{w}_{d(r)}\qquad\qquad\qquad\qquad(g)\] |
\(Y_l\) は,受給計算年数である。現行制度の場合は政府により決定される。たとえば,55歳・60歳に退職する場合の受給計算月数は,それぞれ170・139である。ただし,この受給計算月数が実際の平均余命を反映できるように調整するという動きがあるので[楼 2015],本論では,現行制度の受給計算月数の推計式(注54)に国連世界人口推計の平均余命予測値を使って新しい受給計算月数を算出した。表3・4の2020年以降の現行制度の推計では,この新しい受給計算月数を使う(注55)。新個人口座の場合は,退職年の平均余命で推計する(注56)。\(C_{\mbox{個}}\) は個人口座保険料率である。\(I\) は個人口座の収益率である。本論では,職工年金の場合,2015年までは実際に記録された収益率を使い(注57),それ以降は \(g\) と同じである。新個人口座の場合,\(I\) は終始 \(g\) と同じである。
(4) 過渡期年金の所得代替率「中人」の場合,\(Y_{bi}\) に対して過渡期年金を給付する。
\[RP_{\mbox{過}}=(Q_{pi}\cdot\bar{w}_{d(r-1)}\cdot Y_{bi}\cdot K_d)/\bar{w}_{d(r)}\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad(h)\] |
\(K_d\)は,各省(市)が設定する給付係数であり,1.2から1.4までである。全国給付係数の平均値は1.3[何 2006, 39]であるので,本論ではKdを1.3と設定する。
(5) 年金給付額合計「新人」の場合,現行制度においても改革案においても,年金代替率はそれぞれ新旧基礎年金と個人口座の合計である。「中人」の場合,現行制度下の年金代替率は\(RP_{\mbox{基}}\),\(RP_{\mbox{個}}\) と \(RP_{\mbox{過}}\)の合計であるが,改革案の場合,1997年前の勤続期間に対して,職工年金と同じような計算方法を取った。
本論文の作成にあたり,有益なコメントを下さった査読者の方々,ならびに,貴重な助言を下さった牛丸聡先生(元早稲田大学)に,謝意を申し上げたい。無論,本論文における誤りは,すべて筆者に帰するものである。
(早稲田大学経済学研究科,2019年3月25日受領,2020年6月12日レフェリーの審査を経て掲載決定)
(出所)CFPSデータから筆者推計。
(注1)*,**,*** はそれぞれ推定された係数が10パーセント,5パーセント,1パーセント水準で有意であることを示す。
(注2)( )内はrobust標準誤差である。
ただし,\(i\) は利子率,\(y_d\) は平均寿命,\(y_r\) は退職年齢である。現行制度の受給計算月数は,\(i\) は4パーセント,平均寿命は75.21歳という仮定の下で計算した結果である。