アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
紹介
紹介:Brian Eyler, Last Days of the Mighty Mekong.
London: Zed Books, 2019, 365pp..
大塚 健司
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2021 年 62 巻 1 号 p. 91

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本書は,メコン流域の越境水資源問題の調査研究と政策提言に長年かかわり,多くのレポートや記事を発表してきたブライアン・アイラー氏が初めて書き下ろした単著である。現在ワシントンD.C.に拠点を置くグローバル・イシューに取り組む独立系シンクタンク,Stimson Centerの東南アジアプログラムのダイレクターである著者は,以前は中国昆明市の雲南大学にてアメリカからの留学生の研修プログラムを運営するセンターのダイレクターを務めたことがあり,中国滞在経験は15年以上ある。

これまでメコンといえば専ら東南アジア下流域を指し,中国の上流域(瀾滄江)を含めた流域全体の自然と社会を包括的に描いたものはほとんどなかった。著者は,「最近まで中国の多くの人々は瀾滄江がメコン河と同じ河川であることを知らなかった」と上流と下流の断絶性を指摘し,そのことがメコン地域の包括的な認識の障害になってきたことを示唆している。メコン地域を上流の中国から下流のベトナムのデルタまで,水でつながる流域というひとつの「システム」としてとらえ,最近の変化を描いていることが,メコン地域に関する類書のなかでの本書の最大の特徴であろう。

また著者は,全編をとおしてメコン地域の複雑な自然,社会,文化,経済,政治の絡み合いを長年のフィールド調査と先達の文献を踏まえて素描している。そして,メコン地域の現在に軸足を置きながらも,そこに至った地域の長い歴史を振り返り,未来に向けた地に足の着いた展望を拓こうとしている。本書は学術研究書の体裁をとっておらず,ペーパーバック版の旅行記風の読み物のような構成となっており,必ずしもある分析枠組みによって体系的に記述・分析したものではない。しかしながら,メコン流域社会の現実についての厚い記述とそれを取り巻く複雑な国際関係や国家―社会関係に関する機微についての洞察が相まって,評者のようなメコン地域の初学者も含めた同地域に関心をもつ研究者や実務家にとって十分読みごたえのある書物となっている。

本書はイントロダクションと10章から構成されている。イントロダクションでは,近年急速に失われつつあるメコン地域の3つの特徴として,内陸の複雑な地形がもたらす孤立性,河川の複雑な水文サイクル,そしてこれら2つの特徴が合わさることで生まれる自然生態系と生活文化の高度な多様性が指摘される。近年は,道路や鉄道の建設によるコネクティビティの高まりによって辺境地域の孤立性が解消されつつあり,大小多くのダム開発によって自然の水文サイクルが上流の都合で人為的に乱され,その結果,魚類をはじめとする生物多様性のみならず,生活文化の多様性までもが失われつつある。すなわち,メコン地域は「(道路で)より多くつながり,(ダム開発によって水資源を)より多く利用し,(自然・文化の)多様性がより少なく」(p.15)なっているとしている。

イントロダクションに続く第1章から第10章は,中国のチベット高原からミャンマー,ラオス,タイ,カンボジア,ベトナムまでメコン河の上流から下流へと国境を越えながら,変わりゆくメコン地域の「旅」に読者を誘う。山岳地帯,洪水氾濫地域,海岸デルタ,都市といった多様な地勢が織りなすメコン地域で暮らしてきた人々の多種多様な生活が変容しつつあることが,現地の人々の声をとおして随所で描かれている。

本書のタイトルには「雄大なるメコンの最後の日々」とあり,多様な自然と人々との共生関係が近年の開発により失われつつあることへの危機感が込められている。著者は,現地での観察を拠り所として,文献資料だけでなく現地の住民や研究者らの語りをとおしてその危機感の所在を明らかにしている。また、中国による下流域への影響の浸透や下流各国内での権力と開発の癒着といった構造を踏まえつつも,権威主義的な体制のもとでの人々の創意工夫による地域の自然・文化資源を活用した循環型社会経済の試みにも光を当て,メコン地域の持続可能な未来を展望する手がかりを提示している。

(アジア経済研究所新領域研究センター)

 
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