アジア経済
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書評
書評:伊藤融著『新興大国インドの行動原理――独自リアリズム外交のゆくえ――』
慶應義塾大学出版会 2020年 260 ページ
佐藤 宏
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2021 年 62 巻 2 号 p. 90-94

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はじめに

本書は「国益とパワー」,「理想主義と現実主義」,「現状維持と修正主義」など,国際政治学の基本的な枠組みを下敷きにしながら,独立から今日までのインド外交を体系的に描き出した意欲的な著作である。

インドの政治外交に関する知識の少ない読者にも,できうる限り内容が伝わるよう配慮しながらも,細部にわたる事実や論点をおろそかにせず,周到に注などに書き込むという点で,工夫のあとも確実に伝わってくる。

以下,本書の構成を最初に紹介し,その骨格をなしているいくつかの基本概念を確認したのち,それら基本概念の内容を詳しく検討することにしたい。

Ⅰ 本書の構成

この著作は導入部「『理解できない国』としてのインド」と結語「モディはインド外交を変えたのか?」で挟まれた4つの章からなる。それらは,「第1章 理想主義から現実主義への転換か?」,「第2章 DNAとしての戦略文化」,「第3章 外交政策を制約する構造はなにか」,そして「第4章 インドのおもな対外関係――直面する課題」である。

このうち導入部と最初の2章は,あわせて本書の基本的な枠組みを論じている。その議論の核心は第2章で展開されるが,最終的には,①「大国志向」,②近年「戦略的自律性」と言い習わされるところの「自主独立外交」,③インドの政治伝統に基づく国益重視の「アルタ的現実主義」(アルタ:arthaとはインド諸語で意味,富,利益の意)という3要素がインド外交を方向付けるDNAであると特定される。

続く第3章で議論されるのは,「構造」と表現されているが,その内容は広い意味でのインドの「国力」(パワー)の特徴である。この章は内容的には2つの部分からなる。前半では,社会の多様性を背景とする「国民国家の脆弱性」がインド外交をさまざまな形で制約しているという認識に立って,対バングラデシュおよびスリランカ外交を分析する。後半ではインドの国力が南アジア域内では突出しながら,域外ないしは世界規模ではアメリカや中国などの後塵を拝している現状から,インド外交の志向性を南アジア域内での現状維持,域外での修正主義と特徴づける。

第4章は,「おもな対外関係」として,独立に伴うカシミール地方の領有に端を発する「持続的紛争」を抱える対パキスタン関係,そして「全方位型戦略的パートナーシップ」と称される対米・中・ロシア外交にくわえて,日本との関係にもかなりの紙幅が割かれている。

結語ではこれまでの考察を前提に2014年に成立したインド人民党のナレーンドラ・モディ(評者は「モーディー」を用いるが,「モディ」に従う)政権下でのインド外交をあとづける。この政権下でヒンドゥー・ナショナリズム(多数派ヒンドゥー教徒優先の政治)がより鮮明になってきているが,外交の基本的な枠組みは,第2章で提示されたDNAの枠内にとどまっていると結論づける。

この簡単な紹介から,インド外交における「大国志向」,「自主独立外交と戦略的自律性」,国益重視の「現実主義」,さらには,インドという「国民国家の脆弱性」,「現状維持と修正主義」,冷戦後外交における「戦略的パートナーシップ」など,本書の基本的な概念装置が浮かび上がってくる。本書の何よりの特徴は,全体の骨格をなすこれら基本概念が,明確な方法意識とともに提示され,豊富な事実によって肉付けされていることである。このような著者の意欲に正面から向き合うためにも,本評ではこれら基本概念に焦点を絞り,その内容を順次精査したいと思う。

Ⅱ 本書の基本概念とその検討

1. 「アルタ的現実主義」

導入部と第1章は問題提起の章である。冷戦期の非同盟・中立を掲げたネルーの「理想主義」から,冷戦後期の経済力や軍事力を前面に出した「現実主義」外交への転換という通説的図式がインド外交の理解を誤らせてきたと,著者は力説する。この図式は「理想主義対現実主義」という西欧中心の国際政治観の借り物でもあり,インド外交の底流にある政治的伝統を見落とすことになるとも著者は強調する。

この問題提起を受けて第2章では,通説に代わるインド外交理解の3つの要諦を提示する。第1に,大国志向は近年にわかに生まれたものではなく,独立時からネルーがそれを理念的に補強し,その後の諸政権も核保有,経済大国化による世界大国への成長を目指してきたものとされる。「大国」としてのインドの現在位置は第3章の後半で語られる。

それと分かちがたく結びついているのが自主独立外交への強い欲求である。自主独立外交への志向は,冷戦下の非同盟・中立にかえて,冷戦後の「戦略的自律性」の主張によって継承される。「戦略的自律性」は第4章で米・中・ロ三国との外交関係のなかで詳しく論じられる。

第3に強調されるのは,「アルタ的現実主義」である。「現実主義」は「国益追求のための軍事・非軍事的なあらゆる方策の総体」(66ページ)と定義され,冷戦期においてもネルーの理想主義は国益追求のレトリックであったとみる。インド外交は,「どんな相手であろうと国益の観点から臨機応変に対応」できるプラグマティックな「現実主義」なのだというのが著者の主張である。この「現実主義」は,インド古典『アルタ・シャーストラ』(邦訳:『実利論』)にまで遡れるとして,これを「アルタ的現実主義」と命名する。

評者の感想をいえば,ここでは既存の理解が覆されているようにみえるが,著者が行っていることは,「現実主義」概念の拡張ないしは包摂的な理解ではないのか。「国益追求のための軍事・非軍事的なあらゆる方策の総体」という「現実主義」の理解は,国際政治学のそれといかほどかけ離れているのだろうか。実際著者も,2名の国際政治学者の見解を肯定的にひいて,現実主義とは「国益,パワー,国家の存続を重視する考え方」(17ページ)であると説明している。

もう1点疑問がある。「ダルマ」を普遍的な道義や正義に引き付けて解釈し,これを実利(アルタ)と対置させるのは,実は著者が否定しようとしている「理想主義対現実主義」という西欧的な発想の投影そのものではないだろうか(近現代インドにおける西欧思想によるインド古典の再解釈という問題にもつながる)。『アルタ・シャーストラ』が「アルタ」を重視しているからといって,「ダルマ」についても著者流の解釈が成り立つとはいえない。著者が思い描いているような「ダルマ対アルタ」といった対置の構図はインド古典に見いだせるのだろうか。評者の力に余る問題なので疑問のみにとどめる。

2. 脆弱な国民国家

続く第3章では,第2章で取り出されたインド外交の基本的志向(DNA)が,国内政治と国際社会の与えられた「構造」のもとで,どのように展開されるかが詳述される。著者がいう「構造」を「国力」と言い換えれば,DNAという遺伝形質は,一定の「国力」を媒介にして発現するということになる。2つの章の関係を評者はこのように読み取った。

さきに第3章は2部からなると述べたが,前半部分のキーワードは,インドという「国民国家の脆弱性」である。この前半部分は,1970年代から1980年代,そして1990年代以降の2部構成で,前者では1971年のバングラデシュ独立とスリランカのシンハラ・タミル民族対立の激化が,後者ではバングラデシュとの河川水共同利用とスリランカにおけるタミル分離主義がとりあげられる。いずれもこれらの事件を契機とする隣国との外交関係が,それぞれ隣接国との民族的共通性をもつ西ベンガル州とタミル・ナードゥ州の州政治によって制約を受ける状況が描かれる。

州政治と中央政権による隣国外交との関連(リンケージ)は間違いなく存在した。著者がこれを2つの時期に分けて論じた意味が興味深い。それは,前者にあっては,隣国での政治変動がインド国内の州の分離主義を刺激することを中央政権が恐れたからであり,後者にあっては,中央政権が連立を構成する有力地域政党の圧力下にあったからだと説明される。

ここからは疑問である。第1は,1971年の西ベンガル,1980年代後半のタミル・ナードゥにおいて,たとえば「かつてのドラヴィダ運動を再燃させ」(78ページ)るような分離主義の危険が実際に存在したのかという事実認識の問題である。著者自身もタミル・ナードゥについて異論の余地を認める(129~130ページ,注2)。また西ベンガルについては,「この対スリランカのケースほど明確でない」(81ページ)などと歯切れが悪い。タミル・ナードゥ州について評者の知識は不足しているが,1980年代後半の分離主義のおもな舞台は,パンジャーブ州とアッサム州であった。また西ベンガル州については,東パキスタン(バングラデシュ)での動きとの関連で,当時の州の有力政党(とくにインド共産党・マルクス主義)が分離主義に与したという事実は皆無だと断言できる。

第2は,「国民国家の脆弱性」そのものにかかわる問題である。著者はこの2つの時期の間に,「脆弱性」の変化をみる。つまり,1990年代に入るとインドの国民国家の「脆弱性は徐々に払拭されつつ」(87ページ)(傍点評者)あるのだが,「国民国家としての成長と反比例」して「中央政府の政治力」が衰退したというのである(88ページ)。

だが,国民国家の脆弱性が払拭されつつあり,その成長が実現されるのに,中央政府の政治力が弱まるという論理は,にわかには理解しがたい。著者の解説に従えば,インドでは,1989年の総選挙以降,国民会議派の一党優位制が崩壊し,インド人民党や有力な地域政党も含む多党制に移行した。多党制のもとで中央では国民会議派もしくはインド人民党主導の連立政治が常態化し,政権の安定を左右する両州のような大人口州の有力な地域政党の発言力が高まったのである(88~89ページ)。それゆえ,1990年代以降は,もはや州の分離ではなく,州と中央の関係に問題が移るというのである。

こうした政党レベルでの変化を,国民国家の脆弱性という国家論のレベルに性急に引き上げたことから,先にみたような無理な事実認識や論理構成が生まれたと評者はみる。この両州に関する限り,国民国家の脆弱性を持ち出す必要はなく,政党次元での力学とインドの南アジア域内覇権の追求という2つの要素で十分説明がつくのではないか。

むしろ,国民国家の脆弱性を語るのであれば,市民権や領土問題,カシミール,パンジャーブおよびインド東北部,それらに密接にかかわる対パキスタン,中国外交をとりあげる方が適切ではないかと思う。

著者が「払拭されつつ」ある脆弱性という注意深い表現を用いているのも,数カ所で短く示唆するように(たとえば88ページ),第4章で詳述されるカシミール問題を念頭に置くからであろう。しかしカシミール以外に払拭されていない脆弱性があるのか否かは読み取れない。

3. 現状維持と修正主義

第3章後半では,インドの国力が南アジアの領域では域内大国でありながら,世界的にはいまだに途上国的な性格を濃厚に残し,経済力,軍事力とも先行諸国との圧倒的な差を抱えている現状が指摘される。ここからインドの外交は,域内での現状維持(中国からの挑戦のもとでの),域外での修正主義として描かれる。

ここで気になるのは「修正主義」なる用語である。「修正主義」とはどのレベルまで既存の枠組みへの挑戦を意図するのか。中国のような世界的な覇権への野心はわかりやすいが,インドの要求は核保有国としての承認,国連安保理常任理事国入りなど,もうすこし「慎ましやか」である。インドが追求する「修正主義」のより的確な表現を求めたい。

加えて第4章でアメリカがインドの軍事的,経済的な成長を歓迎している姿を読みとる人は,インドが「修正主義」に分類されることに違和感を抱くだろう。インドは「現状維持」勢力に後押しされた「修正主義」なのであろうか(日英同盟期の日本を連想してしまう)。国際政治学にも「修正主義」概念の精緻化の試みはあるのではないか。

4. 「全方位型戦略パートナーシップ」と戦略的自律性

つぎに第4章ではパキスタン問題もあるが,アメリカ,中国,ロシアとの関係,とくに冷戦後のインド外交の基本路線とされる「全方位型戦略パートナーシップ」と「戦略的自律性」の問題をとりあげる。

「全方位型戦略パートナーシップ」路線とは,国益に基づく自主独立外交であり,H・パント(Pant)の表現を借りれば,米・中・ロの大国に対して「各国とのその時々の関係から最大の利益をうる手法」(189ページ)である。この路線のもとでインド外交は「戦略的自律性」を維持してきた。米・中・ロを向こうに回した自主独立外交という外見である。

だがこれら3国に対する冷戦後30年のインド外交を総合的,大局的にみれば,その最大の変化が対中,対ロよりも,むしろ対米関係の緊密化にあったことは,本章からもうかがわれるとおりである。「全方位型」や「戦略的自律性」は対米関係の緊密化の少なくとも障碍ではなかった。むしろ「戦略的自律性」が政権の側から語られる文脈を注意深く観察すれば,それが対米関係の深化を中和する戦略的言辞として用いられてきた可能性がある。著者が指摘するように,この語がはじめてインドの首相によって語られたのは,2007年,米印原子力協定締結交渉の過程であった(45ページ)。こうした点からも,政権の用いる「戦略的自律性」は,積極的な自立の表明というよりは,多分に弁明的,防御的な性格をもつのではなかろうか。

ロシアについては,「重要なパートナーであっても中枢には位置付け」(182ページ)られない。しかし,インド外交にとって「戦略的自律性」を標榜するうえで,ロシアの存在は欠かせない。2018年のシャングリ・ラ対話における「戦略的自律性」へのモディ首相の言及は,対ロシア関係の緊密さを表現するために用いられた(49ページ)。

最後に国境紛争,米中対立を背景に,「全方位型」外交,「戦略的自律性」の今後にとって最も決定的な影響を及ぼすのは対中国関係である。著者は現在のインドの国力では,パントのいう「各国とのその時々の関係から最大の利益をうる手法」が今後通用しない可能性を示唆する(189ページ)。つまり,本書では自主独立外交はDNAの一要素とされるが,自主独立外交の維持には一定水準の国力が前提になるのである(Ⅱ-2冒頭の評者による指摘参照)。

5. 日印関係と「民主的価値の共有」

冷戦期の日印関係は,疎遠かつ友好的とでも評されよう。ようやく1980年代半ばから経済自由化が開始され,1990年代に入り関係深化の兆しがみえたが,1998年のインドの核実験がこれを中断した。本格的な関係の展開は2000年代からであり,台頭する中国へのバランスとしてインドが重視されたことが背景にある。今日はその延長上にあるが,著者は軍事重視よりも日印の経済関係の緊密化を展望している(196~200ページ)。

こうした動向を背景に,対中国外交の基軸に「民主的価値の共有」を据えてインドを巻きこむ動きは,いわゆる価値観外交の名のもとに日本の政治指導層に定着しているが,著者はこれを「都合の良いインド像」として批判する(5ページ)。とはいえ著者は民主主義のインドという看板そのものを否定しているわけではない。「民主主義国インドの台頭が中国共産党体制に対する挑戦となりうる」(174ページ)あるいはインドは「中国とは異なり,内政不干渉原理も民主主義や人権という価値に無条件で優先させるというわけにはいかない」(176ページ)(傍点評者。条件次第では民主主義や人権に優先させるのか)といった指摘から明らかだろう。

しかし,インドも日本も,そしてアメリカまでも,今や民主主義の看板が中身を保障するとは言えない時代にある。国内民主主義のあり方がその国に対する国際的評価に直結する今日の国際政治にあっては,外交研究といえども,研究対象国の民主主義の将来に無関心ではいられない。そうした関心を著者も共有していることは,以下に検討する本書の「おわりに」で描かれるモディ政権下での民主主義の現状を通じて読み取れるだろう。また以下では,本書の基本的概念のひとつである「国民国家の脆弱性」に対する重ねての疑問を本評全体の結論として記しておきたい。

Ⅲ むすびに代えて――モディ政権とインドの将来像

2014年に成立したモディ政権は,対パキスタン強硬策を背景に2019年総選挙で前回を上回る圧勝をおさめた。第1期政権について著者は,南アジア域内でのインドの優位回復,積極的な対大国外交などを挙げて,国益優先のプラグマティズムの実践として肯定的に評価する。しかし,第2期政権では,カシミール政策など「脆弱な国民国家克服のためのヒンドゥー国家建設プロジェクト」(216ページ)が優先された結果,人権の抑圧を強めて諸外国からの批判と警戒を呼び,外交上も大きな失点になったとする。

そして文末近く,「ヒンドゥー・ナショナリズムの支配する国家,反対者を力で規制するような権威主義体制の国家」に対しても,日本は「『世界最大の民主主義国』であることを称賛しつつ,人権の見地から率直に懸念を伝える」(217ページ)べきだと提言する。

以下短く2点批評を加える。第1に,ムスリムの抑圧,市民権法改悪,カシミールの統合やラーマ寺院建設など,2019年以降のヒンドゥー・ナショナリズム的なプロジェクトは第1期政権が地ならしをしたものだ。「ヒンドゥー主義者としての顔」(211ページ)を抑えていたという評価は疑問である。

第2は本書の中核的な主題のひとつ,「国民国家の脆弱性」である。第2期モディ政権は「国民国家の脆弱性を意識し,その克服を優先」(217ページ)させているとする。著者は「克服を優先」していることを問題としているかに読めるが,より深刻な問いは,この政権が「国民国家の脆弱性」を果たして克服できるのか否かであろう。

すでにみたように,この政権によるカシミール処理に著者は否定的である。また先ほどのような提言を行う著者が,権威主義体制であれ,人権上の危惧はあれ,国民国家の脆弱性克服が最優先だという冷徹なリアリズムに与するとも思えない。他方で,モディ政権の依拠する「ヒンドゥー・ナショナリズム」とは異なる脆弱性克服の展望も示されていない。自ら設定した「国民国家の脆弱性の克服」に著者は出口をみつけかねている。評者が思うに,社会の多様性を脆弱性という負の価値としてのみとらえる著者の視点を,その出発点に立ち返って検討する必要があるのではないか。多様性と国民国家の共存という試練はインドのみが背負っている重荷ではない。

国際政治学の門外漢ゆえ,的外れを承知のうえ率直な印象を記した。本書の刊行が機となって,インド外交研究者のあいだで活発な議論が展開されることを期待したい。

 
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