2021 年 62 巻 4 号 p. 102-105
冷戦初頭の頃から長きにわたり分断状態が続く中国と台湾であるが,この台湾海峡をめぐる「現状維持」という状況は,果たしてどこから来たものなのだろうか。そして,この先どこへ向かおうとしているのだろうか。本書はこの古くて新しい問いを,戦後の台湾をめぐる国際環境の変化に焦点を当てることを通じて,いまいちど外交史的な文脈からとらえ直そうとした研究書である(注1)。
とりわけ,台湾海峡における「現状維持」が形成されていく過程を,1950年代から1970年代初期における台湾の中華民国政府の外交の展開という視点から紐解き,その軌跡を台湾側の膨大な一次資料を用いて綿密に跡づけている。そして,蔣介石,蔣経国政権下における「中華民国外交」の展開に焦点を当て,その特徴を浮き彫りにするとともに,やがて「台湾外交」へと変容していく過程を歴史的に跡づけようとしている。
本稿では,本書の概要を紹介するとともに,おもな論点に焦点を当て,改めてその意義やいくつかの課題についても検討したい。
本書の構成は以下の通りである。
第1章 台湾の中華民国外交の特徴
第2章 1950年代の米台関係と「現状維持」をめぐるジレンマ
第3章 1961年の中国代表権問題をめぐる米台関係
第4章 政経分離をめぐる日中台関係の展開
第5章 1960年代の日華関係における外交と宣伝工作
第6章 中華民国の国連脱退とその衝撃
第7章 日華断交のとき 1972年
第8章 外交関係なき「外交」交渉
第9章 中華民国外交から台湾外交へ
終 章 「現状維持」の再生産と台湾外交の形成
序章では,本書のキーワードでもある台湾海峡における「現状維持」や「一つの中国」,そして「台湾外交」の起源に関する歴史的背景が包括的に示されている。そのうえで,第1章では1949年を境とした台湾移転前後の国民党の権力構造や指導体制などに焦点を当て,その連続性や非連続性が示されるとともに,蔣介石政権および蔣経国政権時期における権力基盤の再編や,内政とも複雑に絡み合う中華民国外交の特徴などが明らかにされている。
第2章および第3章では,主として蔣介石率いる中華民国と米国の関係(米華関係)に焦点が当てられている。とくに第2章では,1954年の米華相互防衛条約の締結などを通じて,台湾海峡の「現状維持」が固定化されていく過程を跡づけている。それとともに,1950年代のトルーマン,アイゼンハワー政権期に既に浮上していた中国代表権問題をめぐる「審議棚上げ案」(モラトリアム)にみられるような,国連における中国の代表権問題の経緯について説明がなされている。また,第3章では,ケネディ政権下で,1961年に新たに浮上した国連における中国代表権問題をめぐり,もはやモラトリアムという一時的な対応の限界が近づくなかで,米華間がいかに折り合いをつけていったかに焦点を当て,モンゴルの国連加盟問題にも触れつつ,外交政策決定の内部における葛藤や意見の相違なども含む,台湾側の立場が明らかにされている。
第4章および第5章では,1960年代の日華関係へと視点が移っていく。当時,米国からの経済援助の削減や中仏国交樹立にともなう米華断交など,中華民国を取り巻く国際環境は悪化しつつあるなかで,日本との関係強化が急務となっていた。とくに第4章では,日本政府が政経分離の名のもとで,中国との関係改善と台湾との関係維持を両立させようとする一方で,蔣介石が吉田茂との個人的な繋がりを通じて「一つの中国,一つの台湾」の承認に繋がる動きを封じようとした過程が詳述されている。さらに第5章では,中華民国の海外宣伝工作とその最前線となった日本での活動に焦点が当てられる。とりわけ日本での活動には,反共宣伝工作はもとより,拡大する日中貿易に対する経済闘争としての側面や,日本における台湾独立運動への圧力としての側面があり,それらを遂行するにあたっては,数々の非公式チャンネルが形成されたことが指摘されている。
以上のような日華関係の展開を踏まえて,第6章では台湾の国際的孤立への分水嶺となった1971年の中華民国の国連脱退問題に焦点が当てられている。ここでは,なぜ中華民国が国連を脱退することを余儀なくされたのか,また,台湾として残留する道がなかったのかなどについての検討がなされている。その一方で,当時外交政策決定の中心が蔣介石の後継者である蔣経国へと移行しつつあるなかで,台湾経済の発展に重きを置く対外関係の構築へ向けて舵が切られたことも指摘されている。
第7章では,1972年の日中国交正常化にともなう日華断交に焦点が当てられる。とりわけ1970年代の初頭にみられた日華断交のように,中華民国の孤立がなぜこの時期に相次いで起こったのかについて分析がなされている。そして,1960年代から1970年代に至るまでの時期にみられた中華民国外交の硬直化によって,その外交上の選択肢が極めて限られるなかで,日華断交がもたらされたことが指摘されている。さらに第8章では,日華断交後に浮上した日台航路路線問題に焦点を当て,非公式かつ実質的な外交交渉のチャンネルを通じて,外交交渉が行われた過程が論じられている。とりわけ,当時「日中関係のなかの台湾」という枠組みに組み込まれそうになりながらも,それを回避しつつ,公式的な外交関係のない日本において,台湾がいかにして中国とは異なる存在として扱われるように方向づけられたかを跡づけている。
最後に第9章および終章では,それまでの議論を踏まえて,蔣介石・蔣経国政権下の伝統的な「中華民国外交」が,国連脱退や日華断交などを経て,「台湾外交」へと移行していく過程が明らかにされている。そのなかで,蔣経国政権の外交を「過渡期の外交」として位置づけ,中国とは異なる存在としての実践の積み重ねを経て,「台湾外交」が「中華民国外交」とは異なる特徴をもつようになっていったことが指摘されている。
その後の道筋として,この「台湾外交」はやがて1990年代に入って李登輝政権へと受け継がれ,民主化の進展とともに「中華民国の台湾化」として花開き結実していく。そして,その後の「台湾外交」の重点は,いかにしてその国際空間を確保・拡大していくのかに置かれるようになっていくのである[三宅 2011]。
本書は,中華民国の台湾への遷都後,1950年代以降に台湾海峡を挟んだ「現状維持」という状況が固定化していくなかで,1970年代に入って「中華民国外交」がいかにして「台湾外交」へと変容を遂げていったかを跡づけている。著者によれば,その鍵となる時期が蔣経国期の「過渡期の外交」で,その間に「台湾外交」の基盤が形成されつつあった。このような台湾側の視点に立った研究は数が限られており,非常に興味深い。また,それを裏付けるために著者が長年にわたって地道に行ってきた現地の関係者のインタビューも含めた,台湾側の一次史料の渉猟などの研究蓄積に対しても敬意を表したい。
また,本書の主要な着眼点のひとつとして,いかにして中華民国が国際的な孤立状態に陥ったのかが論じられている。とくに,台湾の国際的な孤立の引き金となったのは,一般的には1971年の中華民国の国連脱退にあるととらえられがちであるが,著者はそれよりさらに遡った1960年代に,その根源があると考えている。
著者によれば,「中華民国外交」のひとつの大きな分岐点として位置づけられるのが,1961年の秋に長年にわたる外交部長を経て,駐米大使を務めていた葉公超が解任された出来事であった。それは,「中華民国外交の時代が終わりを告げた」(84ページ)ことをも意味していた。それまで「現実路線」ともいえる実利を重んずる手堅い外交を進めてきた葉公超の解任以降,外交のイニシアティブは蔣介石のもとへ移行した。そして,国連代表権問題をめぐって,米国に対する不信感を深め,外交における柔軟性を失ったことが,1970年代における台湾の国際的な孤立へと繋がっていったと分析されている。
また,著者によれば,1950年代から1960年代にかけて蔣介石は,米国政府をはじめとして日本政府などが模索していた「二つの中国」や,「一つの中国,一つの台湾」の実現の芽を摘むことに腐心した。そして,あくまでも中華民国を正統政府とする「一つの中国」を掲げ,いずれは「光復大陸」(中国大陸を取り戻すこと)を目指すことに固執した。だが,その結果として中華民国の外交上の選択肢が狭められていったとも分析されている。以上に挙げたような,本書における独自の視点は興味深いものとなっている。
その一方で,いくつかの課題についても指摘しておきたい。たとえば,本書では「日華断交を皮切りとした1970年代初期の国際的孤立」は,台湾の中華民国政府を国際空間において中華人民共和国とは異なる存在として扱われることを目指す方向へ向かわせたことが指摘されている(211ページ)。
確かに著者が指摘する通り,日華断交のインパクトは「中華民国外交」にとっては相当に大きかったものとみられる。だが,もう少し厳密にいうならば,中華民国の国際的孤立は,1972年の日華断交に始まったものではなく,当時カナダ(1970年),イタリア(1970年),オーストリア(1971年),トルコ(1971年),ベルギー(1971年)などをはじめとして世界各国にすでに拡がっていた[三宅 2011]。ここでは,日華断交はもとより,それらの一連の「断交ドミノ」の動きが,「中華民国外交」,そしてその後の「台湾外交」の展開に際して,いかなる影響をもたらしたのかについても,より俯瞰したかたちで当時の状況を描くことができれば,さらに深みのある議論が展開できたかもしれない。
また,本書の主要なテーマである「中華民国外交」が「台湾外交」へと変容していく過程を跡づけるにあたっては,第1に1950年代から1960年代の米華関係の展開,第2に,1960年代から1970年代初期頃までの日華関係の展開,というおもに2つの柱に焦点が当てられている。とりわけ第1の柱の時期を踏まえて,第2の柱の時期に「中華民国外交」から「台湾外交」への移行がみられるということが明らかにされている。
しかし,ここで見逃してはならないもうひとつの重要な柱は,第1の柱の延長線上とも位置づけられる,1970年代の米華関係の展開ではなかろうか。すなわち,当時,中華民国の同盟国でもあった米国との関係,米中接近を経て,1979年の米中国交正常化によって,断交に至るという重要な歴史的転換点である。米華断交は,日華断交と同様に,あるいはそれ以上に,「中華民国外交」ないし「台湾外交」のその後の行方に多大な影響を及ぼした可能性が極めて高い。だが,本書の視点は,1970年代の断交前後の日華関係の分析にとどまっており,その先の米華関係が十分には扱われていないため,読後感にやや物足りなさを感じるのも事実である。願わくば,1970年代末の断交に至るまでの米華関係の展開が,本書の重要な分析視角でもある,「中華民国外交」が「台湾外交」へと変容していくという枠組みのなかでいかにとらえられるのか,といったところまで広く網羅されていれば,よりダイナミックな視点を提示できたのではないだろうか。
本書は,従来,歴史の表舞台ともいえる中華人民共和国の外交に比べて,やや等閑視されがちな「中華民国外交」そして「台湾外交」の展開に正面から焦点を当て,台湾側の一次史料を多数用いて分析したという点においても重要である。また,本書は,台湾海峡をめぐる「現状維持」の根源を歴史的に遡って紐解いており,歴史が主たるテーマでありながらも,そこには現代的インプリケーションが多く含まれており,示唆に富むものである。
近年,中国における情報統制が厳しさを増すなかで,中国大陸での史料調査そのものがより困難な状況となり,「袋小路」に入りつつある。そのような厳しい状況のなかで,本書の著者が正面から取り組んだような,台湾での史料調査は,今後の中国・台湾研究の発展のために,より一層重要な意義や役割をもつことになるだろう。そのような意味においても,本書は,中国や台湾をめぐる国際関係に興味を有する学生や専門家にとって参考になる1冊である。